09 つながりの地
パジェス:マダリア王国大老。(常識人。真の戦士)
バルトーク:親衛隊長(仮)兼専鋭隊長。ザナス将軍。(豪快巨人)
ユリウス:マダリア国王。(人間たらし)
ジュリア:マダリア王国聖騎士(金髪王子)
サラハ:ユリウスとサントの共通の知人(謎)
ガイゼス:森の民。(大黒柱)
ハンナ:森の民。ガイゼスの孫娘。(けなげ萌え)
ミケル:森の民。ガイゼスの孫息子。ハンナの弟。(生意気小僧)
ルイーズ:流れ者。ガイゼスの家に身を寄せていた。(行方不明者)
執務室で親衛隊からの報告を受けて、ユリウスは嘆息した。
「ジュリア=シナモンは一体何を考えているんだ!!」
憤慨しきりのパジェスに、「ジュリアの事です。きっと奴なりの考えがあるんでしょう」と、バルトークはさりげなく弁護してみたが、「そういう問題ではない!!」と一喝され、身を縮めて謝った。
黙して語らず、執務机に肘をついて構えている国王に、「早く追いかけさせるべきです!」とパジェスはまくし立てる。
ユリウスはそっと目をつむった。
「……〝影隠しの森〟か……」
低い呟きを聞き取れなかったのか、「陛下?」とパジェスとバルトークは怪訝そうな顔をした。
なんとも言えない顔をして笑うと、ユリウスは深い深い溜息を吐く。
「……すまない。しばらく独りにしてくれないか?」
「陛下?」
「手紙にはリリアの望みだと書いてある」
「陛下!!」
ばんっ!!と執務机を叩いてパジェスは身を乗り出した。
「悠長なことを言っている場合ですか! 影隠しの森ですよ!? 決して安全地帯ではない! あらゆる危険を想定してそれを避けて通るのが、王族を守衛する親衛隊の責務でしょう!!! いくら殿下の命だとしても、それを受け容れるなど言語道断です! 議論する余地もない!!!」
「パジェス、リリアにとってもいい機会なのかもしれない。安全な場所で守られてばかりいては、大切なものが見えてこないということもあるだろう」
「そういう問題ではっ!!」
「ジュリアとドリスがついている。放って置けとは言わないが、そこまで大事にする必要はない」
「……納得できません。私の職分は貴方に丸め込まれることではない」
押し殺した声に、パジェスの限界を悟る。ユリウスは心底申し訳なく思った。
「すまない。だがパジェス、リリアは、――私の子だ」
パジェスは息を詰まらせて、――そして、深く深く肺から息を吐き出した。
その一言に、反論の余地を全て封じられてしまう辺り、パジェスとにとって救いがない。
〝この親にして、この子あり〟だなんて、全く推奨できない事態だ。
パジェスは思った。
まるで己は心労を蓄積するためだけにこの男に仕えているようではないか。泣けてくる。それでも見限るという選択肢は己にはないのだ。その昔この男の目に心をからめとられて以来、パジェスは彼の引力に逆らえた例がない。
パジェスは深い深い徒労感に襲われながらも、それでも王に唯々諾々と肯じない立場を守り通す事こそが、己の役目だと心を奮い立たせ、毅然と顔を上げた。
「その言葉を、免罪符にしようなどとは思わないでくださいね」
いっそすばらしい忠誠心に、ユリウスは苦笑交じりに微笑んだ。
「感謝している、パジェス」
「ザナス将軍!!」
「はいっ……!!」
ユリウスのその顔を見ないようにやけくそ気味でパジェスは叫ぶと、子供のような返事がバルトークの口を飛び出した。パジェスはさっさと身を翻す。
「陛下の許可が下りるまで、派遣する騎士を編成して待機だ」
小柄な体をぴしっと伸ばし、扉へと颯爽と歩み去っていくその背中に不撓不屈の精神を見つけ、バルトークは勇壮な騎士に敬意を払うように「はっ」と短く敬礼を返した。
パジェスに続いて、バルトークも去ると、ユリウスは独り部屋に残された。
ジュリアからもたらされた手紙に目を落とす。
――〝影隠しの森〟の文字に、彼の目は留まっていた。
サントが今、あの地にいる。
そう思うと、胸が騒ぐのが止められず、ユリウスは片手で顔を覆った。
「……何の因果か…」
偶然か、はたまた、必然か――。
運命なのだと、そう思わずにはいられない。
そんなものを、若い頃の自分は一蹴して顧みることなどなかったというのに。
『運命なんて信じない』そう言った自分に、彼女はなんと答えたのだったか……。
「サラハ……、君なのか? あの子は、本当に……」
――私は貴方の子供では決してありえない
突き刺さるような声を思い出し、ユリウスは手の平の下で顔を歪めた。
あの言葉が、何故こんなにも痛い。
あれ以来、じわじわと忍び寄ってくるような鈍い痛みにたびたび襲われる。
頭の中で繰り返される声が、ユリウスの胸を切なくえぐりとっていく。
答えなど既に出てしまっているのに、それに納得し切れていない自分を見つけて、彼は自嘲の笑みをこぼした。
「女々しいことこの上ない。……こんなことでは笑われてしまうな」
誰にとも言わず、ユリウスはそっと苦笑した。
サントが旅立ってからどんどん二十年前へと気持ちがさかのぼっていく。
決していい兆候ではないと分かっているのに、ユリウスはそれを止められない。
募る想いに歯止めを掛ける行為に、飽き果ててしまったのだろうか。この十八年分の反動が、今現れてしまったようだった。
あの頃の自分に思いを馳せて、ユリウスはそっと目を閉じる。
今よりずっと、奔放で、臆病で、いつまでも腹を固められないまま、中途半端な己の立場と意志との間でがんじがらめになっていた、――己の身一つ以外、何も持っていなかった、この国の王となる前の、ただの遊蕩児でいられた頃の自分を。
――あそこに住んでいるあの月下老は、もう誰も訪れることのなくなったあの地を、今でも人知れず守ってくれているのだろうか。
しとしとと煙雨が森を覆っていた。
最近空の機嫌は不安定だ。
森の上空に長逗留する雲は気まぐれに雨を降らせる。
垂れ込める暗雲は、まるで、自分達森の民の行く末を暗示しているようだと、ガイゼスは吐息をつく。
ガイゼスは地面に膝をつけた。
仕掛けられた罠にかかっているのは獣が一匹。
捕えた獣はその場でさばく。息の根を止め、皮をはぎ、血を抜いて、内臓を取り出す。
やりなれた作業は目をつむったままでも支障がないほどに、よどみなく進む。あっという間に骨付き肉が出来上がり、それを清潔な布に包むと、持ってきた皮袋の中に入れた。
そいだ組織、毛皮や食用としない部位を土の中に戻し、植物の種を一粒落とす。盛り土をして、地面に額づき目をつむった。
感謝と祈りの言葉を口の中で呟くと、立ち上がり、ガイゼスは家路へと足を向けた。
道なき道を歩きながら、周りの景色に異変はないか意識して歩く。
この前は、ある植物の苗床が荒らされていた。
あれは、成長したら根っこの部分が解熱剤の成分に使われる貴重なもので、夏頃に掘り起こし、一年近く乾燥させてから使うのだ。だが、取った量に反して、薬に生成する段階ではその嵩は半分以下に減っており、量産は難しい。森の民が、収穫する時期も収穫する量も管理していたのに、刈場が一つだめにされた。
木に火を放ち一帯を焦土とされてしまったこともある。余興のために幼い獣の子をなぶり殺しにし、怒った母親に襲われたのは、あろうことか森の民だった。試し切りとばかりに、獣の死体が道なりに連なっているのを見た時は、血の気が引いたと思った次の瞬間その血が全て頭に上っていた。ガイゼスは無言で、いたずらに命を散らしたそれらの肉塊を土に還し、手厚く葬った。
食べる為に殺す事と、なぶる事を目的に命を奪う事は、真逆の行為であると森の民は提唱する。生命を軽んじ興味本位で森の生き物を殺めることを、森の民は固く戒める。
それは彼らの倫理に悖る最低の行為だった。
彼らが、頑にその道を守ろうとするのは、彼らの先祖が狩られる側に立つ人間だったからだ。行き場所をなくした人々がこの森に逃げ込んできた時、彼らの命は軽く、弱肉強食の世界の底辺を這いずり回っていた。
ガイゼスは子供の頃、馬に乗って弓を構える男達に追われたことがある。
矢尻が肩をかすめ、腿を貫き、それでも彼は木々の間を必死に走り抜けた。
何故男達が自分を狙ってきたのか分からない、食料を求めて森の中をさまよっていたところに偶然行き合って、いきなり矢を射掛けられた。
だが、死に物狂いで逃げいている最中に、ガイゼスは男達の顔にその答えを知った。
絶対的優位に立った者達が、その地位を確認し安心するために、己より弱い者をなぶり殺す。
ガイゼスは無聊を慰めるための玩具と同じだった。弓の技術を競う遊戯の的として、男達は笑いながら、幼い少年の手や足ばかりを狙って矢を放った。
訳が分からないながらも命からがら逃げ延びたガイゼスは、十一歳にして悟った。
彼らにとって、自分は同じ人間ではないのだという事を。
七十二歳のガイゼスの鎧のように硬い体には、今でも肩や足にその時の傷跡が残っている。
彼はあの時の恐怖と屈辱を忘れない。
だから、あの頃の自分と同じ年頃の孫息子に、いつもきつく言い含めていた。
生命をもてあそぶことは、この世で一番愚かで卑しい、憎むべき行為であると――。
彼らが現在のように、人としての地位を回復させそれを確立させたのは、今代の王が即位してからだ。それまで、ガイゼスは身分のある人間が死ぬほど嫌いだった。
その根強い価値観を完膚なきまでに粉砕してくれた人物のことを思い出し、深い深い溜息を吐いた。
最近、彼のことをよく思い出す。
過去に思いを引きずられるのは、年を取った証拠だという。
『老人になって堪え難いのは、肉体や精神の衰えではなく、記憶の重さに耐えかねることだ』と昔どこかの偉い人が言ったらしいが、過去が姿を変えて今再び目の前によみがえった時、老いた自分はどうすればいいのだろう。
そんなことを考え、ガイゼスは軽く頭を振った。
やめよう。過去と現在では、想いも人も違うのだ。
たとえ、自分の置かれた役回りが一緒だとしても、同列に考えるべきではない。それよりも、今はもっと差し迫ったことがある。
ガイゼスが家に着くと、孫の二人が食卓の準備をしていた。
最初に気づいた孫娘のハンナが「おかえりなさい」と声をかける。ガイゼスは「ああ」と頷き、生肉の入った皮袋をハンナに手渡した。雨衣を脱ごうとして、皮袋を手にその場に留まっているハンナに気がつく。何か言いたげに自分を見上げてくる孫娘に、ガイゼスは難しい顔をすると、そっと視線を逸らした。
「……ルイーズのことは、諦めろ。きっとよそに移ったんだろう」
年頃の娘の顔が悲しげに歪むのを目にするのが忍びなく、その気持ちを押し殺すためにガイゼスはむっつりと口を引き結んだ。
「じいちゃん! 何でそんなこと言うんだよっ!! ルイーズが俺達を置いてどっか行くなんてこと、あるわけないじゃないかっ!!!」
小さい体いっぱいに怒りを表す孫息子の赤い顔を見下ろし、ガイゼスはいかめしい顔を更に厳しくした。
「……あいつは元々流れ者だった。ずっとここに留まる保証など、どこにもなかったろうが。〝来る者拒まず、去る者追わず〟が儂らの信条だ」
「そんなわけあるもんかっ!! だって、ルイーズは姉ちゃんのことがっ、」
「ミケル!!!」
大喝一声、しわがれた低い声がビリビリと空気を震わせた。
「……小便臭い小童が、お前があいつの何を知っとる。小僧が口を出すことじゃない」
威嚇するような低く低く押し殺した声に、負けじとミケルも大きな祖父を睨みつける。
「……何だよ、自分だってルイーズがいると助かるって言ってたくせに」
「あいつは逃げたんだ。自分に火の粉が降りかかる前に、臆病風に吹かれてな。あんな若造のことはもう忘れろ。いいな、二度とあいつの名前を口にするな!」
「耄碌したじじいの命令なんて誰が聞くもんか!! 臆病風に吹かれてるのはそっちだろっ!! あんな奴らの言いなりになって!!!」
「……なんだと?」
御年七十二の老人と齢未だ十一の少年は、どちらも引くことを知らずお互い天敵に会ったと言わんばかりに睨み合う。
「もうやめてっ!!!」
今にも、口だけではなく手まで出そうな雰囲気の祖父と弟の間に、ハンナは割って入った。
「……そうよね、いなくなった人をいつまでも思っていてはだめよね。ごめんなさい、おじいちゃん」
「姉ちゃん!!」
蒼ざめた顔で自分に言い聞かせるように言うハンナに、ミケルは泣きそうな顔でぎゅっと眦を上げ、ガイゼスは見ていられなくて顔を逸らした。
「さあ! 二人ともおなかすいたでしょう? お肉を焼いたら、夕ご飯にしましょう。ほら、ミケルも手伝って!」
そう明るく言って、さっと背を翻すとハンナは祖父に手渡された皮袋を持って台所へ行ってしまう。
残った二人は、それぞれ健気な孫娘と姉の姿に何も言えず立ち尽くした。
無理をして笑う様子に、慰めの言葉なんて出てこない。一番辛いのは、ハンナなのだ。
「……おれ、姉ちゃん手伝ってくる」
むっつりと言ってハンナの後を追ったミケルに、ガイゼスは相槌を打つこともせずに、苦労のにじんだ分厚い手で目元を覆った。
何の、因果だ。
最後に見たルイーズの顔に、遠い記憶を呼び覚まされる。
叶わない恋だなんて、不幸なだけだ。忘れてしまうことが、一番なのに。
それでも、手放せない想いがあるのだということを、ガイゼスは知っている。
そういう男を一人、知っていた。
ガイゼスの価値観を吹き飛ばしてくれたその男は、今でもその想いを胸に、この地を守っているのだろうか。
【肯ずる】…肯定する。承諾する。
【不撓不屈】…困難にあってもひるまず、くじけないこと。
【遊蕩児】…道楽者。酒色にふけって品行が修まらない人。
【月下老】…男女の仲を取り持つ人。月下氷人。月下老人。
【煙雨】…けむるように降る雨。きりさめ。
【無聊】…つれづれなこと。たいくつ。