第5章 改変
大学で講義をし、帰れば珈琲を淹れる。
そんな日々が続いていた。
夜になると、真司は以前のように掲示板を開いた。
自分の考えを書き込み、誰かがそれに反応する。
賛成する人もいれば、容赦なく反論してくる人もいる。
以前なら、反論されるたびに言い返したくなった。
今は、それも含めて楽しんでいた。
自分とは違う考えを見る。
知らなかった考え方に出会う。
それが、少し心地よくなっていた。
*
ある夜。
以前、真司が書き込んだ「意識と進化」についての文章に、返信がついていた。
『意識と進化について、もっと詳しく聞きたいと思います』
その下に、続きがあった。
『私は、意識は進化の結果だけではないと考えています』
真司の指が止まった。
画面を読み進める。
『生命が生まれてから意識が生まれたのではなく、もっと前から存在していた何かが、進化に関係していたのではないでしょうか』
真司は画面を見つめた。
自分が考えていたことと、近い。
キーボードに指を置く。
『私も同じ考えを持ってますから』
送信する。
しばらくして、返信が来た。
『本当ですか?』
『はい。私は、物質の段階から意識が存在していた可能性を考えています』
少し考える。
『生命が意識を生み出したのではなく、何らかの意識が、生命の進化に影響したのではないかと』
送信。
返信は、すぐには来なかった。
真司は珈琲を飲む。
やがて、画面に文字が現れた。
『私も、似たことを考えています』
『意識と進化は、どちらか一方が原因というより、もっと早い段階から関係していたのではないでしょうか』
真司は、その文章を読み返した。
知らない相手。
名前も、顔も知らない。
それでも、自分と同じ問いを考えている。
『面白いですね』
送信する。
しばらくして、短い返信が届いた。
『はい』
真司は画面を見つめた。
「……面白いな」
*
*
翌日。
浅田正人は、研究室のモニターを見つめていた。
観測データが並んでいる。
発生時刻。
観測地点。
熱量。
浅田は過去の記録と現在のデータを重ねた。
いくつかの地点で、数値が上がっている。
「……少し高いな」
誤差の範囲か。
浅田は別のデータを開いた。
同じ地点だけではない。
限られた観測地点ではあるが、以前より熱量が高くなっているように見える。
浅田は数字を追った。
まだ断定できない。
それでも、気になった。
発生の間隔も、以前より短くなっている。
浅田はモニターから目を離さなかった。
「……変わってきてるのか」
*
六畳一間の簡素な部屋で、間宮真司は画面と向かい合いながら、少しのびたカップラーメンを食べていた。
そのすぐ横には、冷め切った珈琲が、必然のように置かれている。
画面に映っているのは、とある学術系ネット掲示板のブラウザページだった。
真司はそこに、自身の持論を書き込んでいた。
『進化の後に意識が複雑化したのではなく、意識の進化、即ち複雑化が進化をもたらしたのではないか。』
投稿してから、まだそれほど時間は経っていない。
だが、画面をスクロールすると、すでにいくつもの返信が並んでいた。
「オカルト乙」
「非科学的」
「脳の電気信号に過ぎない」
そして――
「非常勤講師の妄想ポエム」
真司は画面を見つめた。
「……分かってないねー」
誰に言うでもなく呟く。
無造作に伸びた癖っ毛を指で弄りながら、椅子にもたれた。
父親が生きていたら、同じように笑っただろうか。
数年前、自動車事故で亡くなった父親。
高名な物理学者だった。
物質の世界を研究し続けていた父にとって、真司が口にする「意識」という言葉は、あまりにも曖昧だった。
少なくとも、真司はそう思っていた。
「誰も彼も、目に見えるものしか信じない」
自嘲気味に息を吐く。
飲みかけの珈琲に手を伸ばした。
そのときだった。
テーブルに置いてあったスマートフォンが、淡い光を放っていることに気づいた。
通知だった。
真司は重い腰を上げた。
狭い六畳一間の床には、これまで読んできた哲学書や、大学に提出する予定のレポートが無造作に積み上げられている。
一歩踏み出す。
その足が、紙の山に触れた。
バサリ。
軽い音がした。
積み上げられていたものの一番上から、一冊の本のようなものが床に落ちた。
茶色く色褪せた、硬い表紙。
真司は一瞬だけ目を向けた。
自分の蔵書ではない。
どこか見覚えがあるような気もした。
真司は振り返る。
茶色く色褪せた、硬い表紙。
しばらく見つめる。
「……なんだ、これ」
拾い上げる。
表紙を指で払う。
そこに名前があった。
――間宮正司。
真司の手が止まった。
父の名前だった。
ゆっくりと表紙を開く。
最初のページには、見慣れない図と文字が並んでいた。
真司は、しばらく黙ってそれを見つめた。




