第13章 接点
浅田正人は、研究室で一人、モニターを見つめていた。
画面には、ブラックホール周辺の観測データが映っている。
その横には、間宮正司のノート。
約五五〇〇光年先。
過去のデータと最新の観測結果を重ねる。
「……また、ズレてる」
周辺の天体の軌道が、わずかに変化している。
重力レンズによる多重像も、理論値と合わない。
複数の観測機関が、同じ異常を確認していた。
さらに、ブラックホールの推定質量も増えている。
一つだけなら、観測誤差や未知の現象で片づけられる。
だが、いくつもの異常が同時に起きている。
そのとき、携帯が鳴った。
画面を見る。
舞からだった。
「もしもし」
「お父さん?」
「ああ」
「今、大丈夫?」
「大丈夫だ」
「そっちは朝?」
「七時前だな」
「こっちはもう夜だよ」
「まだ大学か?」
「さっきまでいた。今、帰るところ」
「遅いな」
「そっちとは時間が違うからね」
舞が笑った。
「お父さんこそ、また研究室?」
「まあな」
「朝から?」
「ああ」
少し間があった。
「……何かあった?」
「どうしてそう思う?」
「声がいつもと違う」
浅田は、モニターへ目を戻した。
「海外からデータが来た」
「何の?」
「ブラックホールだ」
「異常?」
「ああ」
浅田は画面を切り替えた。
「一六〇〇光年ほど先にあるブラックホール。周辺のガスから出ている放射光が、以前の数倍になってる」
「数倍?」
「複数の観測機関で確認されている」
「……お父さんが見てる方は?」
「こっちも異常が出てる」
「同じ原因かもしれないってこと?」
「まだ分からない」
「でも……」
舞が少し考える。
「私がそっちに行った後より、具体化している?」
浅田は答えなかった。
画面に並ぶ二つの観測データを見る。
「……ああ」
「やっぱり」
「お前がそっちに行ってから、ずいぶん具体化してきた」
「それ、いい意味じゃないよね」
「……たぶんな」
舞の声から笑いが消えた。
「質量は?」
浅田は少し黙った。
「……増えてる」
「ブラックホールの質量が?」
「ああ」
電話の向こうで、舞が黙った。
「帰ったら、データ全部見せて」
「分かった」
「私も帰るまでに、公開されてるデータを調べてみる」
「ああ」
「じゃあ、また連絡する」
「気をつけて帰れよ」
「うん。お父さんも、ちゃんと寝てね」
通話が切れた。
浅田は携帯を机に置いた。
モニターには、二つのブラックホールのデータが並んでいる。
一六〇〇光年。
五五〇〇光年。
距離の違う二つの場所で、同じような異常が起きている。
浅田は、横に置いた正司のノートを手に取った。
ページをめくる。
古い文字が目に入った。
――ブラックホールの周辺で起きる異常には、何らかの共通性があるのではないか。
「……正司」
浅田はノートを見つめた。
「お前は、何を見てたんだ?」
研究室に、浅田の声だけが残った。
*
講義が終わった。
学生たちが教室を出ていく。
真司が黒板の文字を消していると、本城弥生が残っていた。
「先生」
「ん?」
「この前の話なんですけど」
「この前?」
「意識って、進化するんですよね」
「そう考えることもできるね」
「じゃあ、意識にも段階があるんじゃないですか?」
真司の手が止まった。
「段階?」
「はい」
弥生は少し考えながら続けた。
「人間と動物でも違うし、動物同士でも違う。だったら、意識そのものにも、低いとか高いとか……そういう段階があるのかなって」
「面白い考え方だね」
「先生が言ってたからですよ」
「僕が?」
「意識が進化を生んだかもしれないって」
真司は黒板を見る。
そこには、消し残した文字があった。
――意識。
「もしそうなら……」
弥生が言った。
「進化しているのは、生命じゃなくて意識なのかもしれませんね」
真司は、すぐには答えなかった。
「……そうかもしれない」
「でも、それなら」
「うん?」
「意識って、どこに向かってるんでしょう?」
真司は弥生を見る。
「方向、ってこと?」
「はい」
弥生は首を傾げた。
「進化するなら、何か向かってる場所があるのかなって」
真司は少し笑った。
「それが分かったら、僕の講義は終わりだな」
「また分からないんですね」
「そう」
「先生、分からないこと多すぎません?」
「だから面白いんだよ」
弥生も笑った。
教室には、二人だけが残っていた。
真司は黒板の文字を見つめる。
――意識。
その言葉が、なぜかいつまでも頭から離れなかった。




