ありがとう、おやすみ
「これからは、別々に暮らしましょう」
そう告げると、弟は少しだけ首を傾げた。
私の背をとっくに越しているのに、中身は小さな子どものままだった。
自分では何もできない、馬鹿な弟。
この先もずっと、弟の分まで私が背負わなければならないのだと思うと、背筋がぞっとした。
「あいしてるよ、ねえさん。おやすみ」
弟はいつものように笑って、それ以上は何も言わなかった。
愛しているからこそ、離れたほうがいい。
この苦しみから、解放してあげたほうがいい。
私はそう自分に言い聞かせた。
馬鹿で、愛らしい弟。
純粋無垢な心を持つ、愚かな弟。
けれど、本当の馬鹿者は私だった。
向き合おうとしなくて、ごめんなさい。
自分のことばかり考えて、ごめんなさい。
愛してる、と心から言えなくて、ごめんなさい。
弟の口から何度も告げられた「愛してる」という言葉が、私には苦しかった。
返さなければならない気がした。
けれど、どうしても同じ言葉を返すことができなかった。
後悔と自責の念だけが、愚か者の私を癒やしてくれているような気がした。
静まり返った我が家で遺品を整理していると、弟が好きだった絵本の間から、髪留めと一通の手紙が落ちた。
『このあいだは、お金をかっ手にとってごめんなさい。
ねえさんは、ぼくのことがきらいかもしれないけれど、ぼくはねえさんがかなしむかおを見たくないです。
むかしみたいに、いっしょにたのしく笑いたいです』
拙い字で書かれた、弟の最後の言葉。
私は手紙を握ったまま、しばらく動けなかった。
きっと今の私を見たら、弟はひどく悲しむだろう。
また、ねえさんが笑っていないと、困った顔をするのだろう。
私のことを愛してくれて、ありがとう。
私もあなたを愛していた。
ただ、その言葉を口にするには、あまりにも遅すぎた。
そして、おやすみなさい。




