僕らは毎日初めて出会う――君が覚えるその日まで
誰が言ったのか、東京はコンクリートジャングルだと形容される事が多い。
確かに見渡す限りテンプレートをコピペしたかのような色合いのビルが立ち並んでいる。
しかし、それは遥か頭上を見上げ、己の足元を見ようとしていない者の台詞ではないだろうか?
営業マンの夏波陽翔は昼休憩を取るために、木目調の美しい喫茶店を来訪した。
店内はほぼ満席といった状態で、相席でも大丈夫かと問われる。
「はい、大丈夫ですよ」
案内されるまま辿り着いた席は2人用のテーブル席で、既に一人の女性がコーヒーを片手に小説を嗜んでいた。
陽翔は、コーヒーとサンドイッチを注文すると、目の前の女性に目を向ける。
「はじめまして。ただ待っているのも暇なので避ければお話でもどうですか?」
「はい?」
年は27歳程度だろうか、中肉中背でカールのかかったセミロングのブラウンがよく似合う女性だった。
「突然すいません、僕もジェーン•エアが好きなので、つい声をかけてしまって」
「男の人なのに知ってるんですね。私はこの作品というより、ブロンテが好きなんです」
二人は食事が運ばれるまでの間、趣味の話で盛り上がっていた。傍目で見れば奇妙な関係に映っただろう。
古くからの親友のようで、初対面のような二人の空気は、外界から隔絶された別世界のように構築されていた。
「僕はコミケで恋人の手伝いをしていた事がありまして、彼女は恋愛物をよく執筆していたので影響を受けたんですよ」
「まぁそうなんですね! 実は私、オリジナルの恋愛小説書いてて今度コミケに出す予定なんです!」
話題は当然小説から発展する。
種が発芽し、幹が伸びて枝葉が栄えるようにあらゆる話題が次から次へと展開される。
「そういえば自己紹介をしていませんでしたね。僕は夏波陽翔。
あなたのお名前は?」
「私は月山冬香(つきやまとうか)です。
名前も知らないのにこんなに盛り上がるなんて、ちょっとおかしいですよね」
何気ないオタク話に花を咲かせている内に頼んだメニューが届く。
程よく塩気を含んだ生ハムと瑞々しいレタスを挟んだサンドイッチは浅煎りのコーヒーとよく合う。
「お昼時なのに随分少なめなんですね。ダイエット中だったりしますか?」
働き盛りの男の昼食にしてはと不思議に思ったのだろう。
少し意地の悪い顔で微笑を浮かべて彼女は聞いた。
「これは思い出のメニューなんですよ。彼女と初めて会った時もこのメニューを頼んでいたので......」
「彼女さんと仲が良いんですね。私そういう人見ると、リア充滅びろー! って爆発しちゃいます」
二人は揃って笑い出す。他愛のない会話にどこか懐かしさを覚えて。
「もう殆ど滅びてるようなものですよ。彼女は......遠くに行ってしまったので」
「あ、ごめんなさい。そうとは知らずに私......」
彼女は口元に手を当て申し訳なさそうな目でこちらを見つめる。
「いえいえ、遠くに行ったと言っても文字通りの意味なので深く考えないでください」
「えーちょっとー! 不謹慎な事聞いたんじゃないかってびっくりしたじゃないですか!」
二人の間に再び笑いが起こる。
時間が固定されるものであるならば、二人はいつまでも談笑を続けていただろう。
だがしかし、時の流れを止めるという事は何者にも出来る事ではなかった。
「じゃあ、僕はこれで。今日は話に付き合っていただき、ありがとうございました」
「こちらこそ。あの、もし良ければ明日もお話しませんか?」
月山の提案に夏波は固まる。もしかしたらという思いが胸を過ぎる。
「えぇ良いですよ。また明日お話しましょう」
そうして別れを告げ、再び仕事へと戻っていった。
***
21時過ぎ、夏波は暗い部屋に灯りを点ける。
男の一人暮らしにしてはいささか広すぎる3LDKの家でシャワーを浴び、料理を始める。
主菜、副菜と盛り付けていき、手の込んだ料理が次々と出来上がる。
そうして一通り作り終えると、気付けば二人分の料理が出来上がっていた。
「うわ......またやった」
捨てる訳にもいかず、二人前の料理をテーブルに並べる。
テレビを点け、ニュースやバラエティなどを鑑賞しながら料理を口に運んでいく。
「はぁ~......食い過ぎた。というか作りすぎたな」
天井を仰いで自分の行いを後悔する。
胃の中は僅かな隙もなく埋め尽くされ、首を動かすのがやっとの状態だった。
23時過ぎ、世の中も明日に向けて休息に入る頃、夏波はナイトテーブルに立てかけた写真を手に取る。
「また今日も会えたね、冬香」
ナイトテーブルには複数の写真立てがあり、そこには全て月山冬香の姿があった。
「はじめまして......か」
***
『なぁ、この部屋ちょっと広くないか? 二人で住むならもっと狭くても良いだろ』
『だーめ! これから子供も出来るって考えたら、少し広いぐらいが丁度いいんだよ!』
二人のカップルが内見をしていた。
初めて同棲をするのだろう、女性はひどく浮かれた様子で部屋を隅々まで見ていた。
『子供って、もうそこまで考えてるのかよ』
『そうだよ、陽翔と私の子供......100人ぐらい欲しい!』
『小学生みたいな事言うなって』
月山冬香は俺の彼女だ。美人だけどどこか抜けていて、いつも明るい読書好きの女性だ。
去年、東京のとあるカフェで出会って意気投合し、そこから何度かデートを重ねて交際し今に至る。
『ねぇ陽翔、もし私がいなくなってもずっと好きでいてくれる?』
『何言ってるんだよ。そんなの当たり前だろ』
***
去年の冬、冬香は交通事故に遭った。
飲酒運転をしていた男に撥ねられ後頭部を強打し、病院に搬送されたと連絡を受けたのは事故から1時間後だった。
無機質に輝く蛍光灯が夏波を照らし、無表情の裏に隠された感情が忙しなく動く指先に表れていた。
手術室の扉が開き、執刀医が部屋を出る。夏波は急いで駆け寄った。
『先生! 冬香は! 冬香の容態はどうなんですか!?』
『落ち着いてください、手術は無事に成功しました。
数週間ほど安静にする必要はありますが、命に別状はありません』
俺はその言葉に安堵した。心のどこかで大切な存在を失う事への恐怖が顔を出していた。
そんな事にはならないと、理性が必死に抑え込み、待つほどに苦しくなっていた胸の内がやっと解放された。
そう思っていた――あの時までは。
『冬香! 良かった......お前が無事で本当に良かった......本当に......本当に......!』
『......すいません、どちら様でしょうか?』
事故のショックによる解離性健忘だと医師は言っていた。
一時的なものなので、いつか記憶が戻ると言っていた。俺はその言葉を信じた。
――そして、2年の月日が流れた。
夏波は、来る日も来る日も彼女に会いに行っていた。
どんなに仕事が忙しくても、会わない日は無かった。
(今日も駄目だったか)
毎日初対面のように振る舞う彼女の姿を見て、夏波は次第に心の中に暗い感情を抱き始めていた。
どうして自分だけが、どうして愛しあった日々だけが忘れ去られたのだろう、自分に対する愛はその程度のものだったのかと。
『いや、これは一時的なものなんだ......今は我慢しないと』
『あの......陽翔さん?』
帰ろうとした夏波を月山の両親が呼び止める。
深刻な表情を浮かべて立つ二人の顔を見て、何を言いたいのかは何となく察する事ができた。
『もう記憶が戻らないまま2年が経っています......。
陽翔さんもまだ若いんだから、もう娘の事は諦めて他の――』
『それは出来ません! 僕は......彼氏なんです。
一番辛いのは冬香のはずで、それを見捨てて別の女性と結ばれようなんて僕には出来ません......』
月山の両親は少しほっとした表情で顔を見合わせる。
『そうですか......実は最近、冬香はお昼前になると決まってある場所へ行くんです』
気になって後をつけた所、あるカフェに辿りついたという。
彼女の記憶から4年分の思い出が消えていた、二人が出会ったあの日まで彼女の時間は巻き戻っていた。
(もしかしたら、あの日あの場所の瞬間を再現すれば記憶が戻るかもしれない......!
もしかしたら、また二人の人生をやり直せるかもしれない......!)
夏波は期待に胸を躍らせつつ、次の日を待った。
次の日、夏波は二人が初めて出会ったカフェに足を運ぶ。そこに彼女の姿があった。
『見つけた......』
静かに本を読む彼女の姿は4年前と変わらなかった。
少し力を込めれば折れてしまいそうな細い指が、文字の海を優雅に泳いでいた。
『すいません、同席してもいいですか?』
『えっ、はい......どうぞ?』
二人は他愛のない会話を続けていた。月山冬香は不思議に思っただろう。
初めて会った目の前の男性と、趣味や会話のテンポが常にマッチする状況に違和感を覚えただろう。
だが、そこに下心は感じなかった。誠実に純粋に、今この瞬間を心から楽しんでいるようにすら思えていた。
『こんなに趣味の合う人は初めてです。もしかして私たち、昔どこかで会ってるのかも!』
『......ははっ、面白い事を言いますね。僕も何だかそんな気がします』
その日、日が沈んでからも二人はしばらく会話をしていた。
夏波は月山が好む話題をひたすら持ち出した、この会話のどこかに記憶を取り戻す糸口があるかもしれないと信じて――
***
「結局、今日まで駄目だったな......」
夏波は小さくため息をつき、ナイトランプを消して床に就く。
また明日も会えると信じて。
現代人が一日に得る情報量は、平安時代の一生分だという話がある。
無数の情報が飛び交う首都東京で、時代の喧噪から隔絶された木目調に統一されたカフェに彼女はいた。
お気に入りの恋愛小説の上に指を走らせ、一文字一文字を記憶に刻み込む。
昨日も読んだかもしれない、おぼろげながらそう思いながらも、それがただの勘違いだとしたら勿体ない。そう思ってひたすら読み続けた。
このカフェが特段好きという訳ではないが、何故か足を運んでしまう自分を不思議に思う。
ここに来なければならない気がする、大事な何かがここにある気がする。そう思わずにいられなかった。
午後12時30分、店のドアに付属されたベルが鳴る。
中肉中背の好青年の雰囲気を漂わせる男性が店にやってくる。
彼は私の方に目を向けると、おもむろに歩いてくる。
とても慣れた足取りで私の下へたどり着き、目の前に座る。
私は知っている気がする。何故かは分からない、だけど私は彼が何を言いたいのか分かる気がする。
彼はコーヒーとサンドイッチを注文した。
しばらくの沈黙の後、私に声をかける。
「はじめまして。僕もその本好きなんですよ」
私は知っている気がする、彼のことを。
私は知っている気がする、彼と過ごす時間の喜びを。




