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視界の空白:或いは血脈の収束について  作者: beens
第2章:浸食される境界

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12/14

第3話:接触感染:ルポライターの記録

【SAN値:28 / 100】

 この原稿を書いている今も、私の指先は微かに震えている。

 これが恐怖によるものなのか、それとも、私が触れてしまった「あれ」の副作用なのかは分からない。

 私は葉山はやま。しがないフリーのオカルトライターだ。

 私が某大学の心理学部生、佐藤健太の失踪事件に興味を持ったのは、ネットの掲示板で奇妙な噂を目にしたからだった。

 『北門の水たまりを踏むと、異世界に連れて行かれる』

 そんな三流都市伝説の発生源が、彼の失踪と同時期だったのだ。

 三月十七日。曇天。

 私は大家に強引に頼み込み、佐藤健太が住んでいたアパートの部屋に入れてもらった。警察の捜索はすでに終わっており、「事件性なしの家出」として処理されていたが、部屋は借り手がつかないまま放置されていた。

 六畳一間のワンルーム。

 ドアを開けた瞬間、鼻をついたのは「湿気た古本の匂い」だった。

 部屋は奇妙なほど片付いていた。争った形跡も、急いで荷物をまとめた形跡もない。ただ、生活していた人間だけが、フッと真空パックのように消滅したような、不自然な静寂。

「……なんだ、これは」

 部屋の中央。畳の上に、一台のスマートフォンが置かれていた。

 充電ケーブルに繋がれたまま、まるで誰かが来るのを待っていたかのように、画面が淡く発光している。

 私は手袋をはめ、そのスマホを拾い上げた。

 ロックは掛かっていなかった。スワイプすると、開かれていたメモアプリの画面が表示された。

 そこには、狂気としか思えない文章が羅列されていた。

 『右後ろの染みが話しかけてくる』

 『マリオット盲点の中に歯が生えている』

 『血脈の収束。僕は選ばれた。僕が器になる』

 『(   )を見てはいけない。見たら繋がってしまう』

 典型的な統合失調症の妄想ノート、あるいは質の悪い創作メモ。

 私はそう結論付けようとした。だが、メモの最後に記された一文が、私の視線を釘付けにした。

 『この記録を読んだ次の人間へ。 君の右足の親指は、もう無事か?』

 心臓が跳ねた。

 今朝から、右足の靴擦れが酷く痛んでいたからだ。

 まさか。そんな馬鹿な。

 私は気味の悪さを振り払うように、スマホのカメラロールを開いた。彼の最期の足取りが分かるかもしれない。

 最新の画像データ。

 日付は、彼が失踪したとされる三月十五日の深夜。

 サムネイルをタップする。

 表示された画像を見て、私は息を飲んだ。

 それは、真っ暗な部屋の中でフラッシュを焚いて撮影された、一枚の写真だった。

 写っているのは、壁一面に貼られた新聞紙の山。

 そして、その中央に、カメラに向かって手を伸ばしている「何か」が写っていた。

 それは人間ではなかった。

 人の形をしていたが、その全身は、皮膚の代わりに「びっしりと文字が書かれた古い紙」で覆われていた。

 顔があるべき場所には、ぽっかりと「空白」が開いている。

 そして。

 その空白の顔が、カメラ――つまり、今スマホを持っている私――を、確かに「見て」いた。

 ――ベチャリ。

 背後で音がした。

 誰もいないはずのユニットバスの方角から。濡れた雑巾で床を叩くような音。

 私はゆっくりと振り返る。

 開けっ放しの風呂場のドア。その奥にある洗面台の鏡。

 鏡の中の私は、青ざめた顔でこちらを見ていた。

 だが、私の知っている私の顔とは、決定的に何かが違っていた。

 鏡の中の私の「右目」には、白目がなかった。

 右目の眼窩全体が、あのスマホの写真で見たのと同じ、底なしの「空白」になっていた。

 私は悲鳴を上げてスマホを取り落とした。

 床に落ちたスマホの画面が、衝撃で一瞬明滅し、そして、カメラモードに切り替わった。

 上向きになったインカメラが、私を見上げている。

 画面の中の私は、右目を手で覆い、恐怖に歪んだ顔をしていた。

 だが、画面の中の私の背後。

 天井の隅に。

 いつの間にか、あの「紙でできた怪物」が張り付いて、私の頭上を覗き込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【SAN値:24 / 100】


【読者への汚染:欠落のパズル Lvl.8】


ルポライターの葉山氏は、佐藤健太が残した「情報」に触れたことで、感染しました。


彼は知らなかったのです。

「怪異」が彼を襲ったのではありません。

彼が情報を認識したことで、彼自身の脳が、怪異をこの世に「出力」してしまったのです。


さて、あなたはどうでしょうか?


あなたが今、このテキストを読んでいる端末。

それは本当に、あなたが買ったものですか?

佐藤健太の部屋に残されていたスマホと、同じものではないと言い切れますか?


第4話「文字化けする認識:崩壊の始まり」へ続く。


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