第2話:視界の裏側:隠された隣人
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あなたは今、無意識に自分の右肩をさすらなかっただろうか?
佐藤健太の最期を見届けた直後から、あなたの右肩、あるいは首筋のあたりに、奇妙な「重み」が乗っているはずだ。
それは物理的な重さではない。例えるなら、満員電車で知らない他人と袖が触れ合っている時のような、不快な「気配の圧」だ。
振り返ってはいけない。
まだ、その時ではない。
あなたはスマホ(あるいはPCのやけに熱を持った筐体)を握りしめたまま、このテキストを読み進めている。
部屋の静寂が、急に耳障りなものに感じられないだろうか。
冷蔵庫のモーター音。遠くを走る車の走行音。
それらの日常音の隙間に、別の音が混じり始めている。
……ベチャリ。
微かだが、粘着質な音。
濡れた何かで、硬い平面を叩く音。
第1章で、佐藤健太が隣室から聞いていたあの音だ。
音はどこから聞こえる?
壁の向こう? 天井裏? 床下?
いいえ。
音は、あなたの持っているデバイスのスピーカーから、極小のボリュームで流れている。
あるいは、あなたの鼓膜の裏側に発生した「新しい器官」が、直接その振動を捉えているのかもしれない。
あなたは目をこすり、疲れ目だと自分に言い聞かせる。
だが、目を動かした瞬間、視界の端を「何か」が横切る。
飛蚊症のような黒い点ではない。
それは、眼球の動きに一瞬遅れてついてくる、「細長い腕」の残像だ。
盲点が、拡大している。
本来、脳が勝手に補完して「何もない壁」や「背景」を見せているはずの空白部分が、処理落ちを起こし始めているのだ。
試しに、視線を素早く左右に振ってみるといい。
視界の端が一瞬だけ歪み、今あなたがいる部屋とは違う景色――例えば、新聞紙が山積みになった薄暗いゴミ屋敷のような光景――が、フラッシュバックのように差し込まれるのが見えるはずだ。
それが、あなたの「隣人」の部屋だ。
物理的な距離ではない。「認識の死角」という場所に住む隣人。
ブブッ。
突然、あなたの端末が震えた。
通知ではない。アプリの更新でもない。
画面上部に、見知らぬファイル共有のポップアップが表示されている。
送信者は「不明(Unknown)」。
『ファイル名:㦸_血脈記録_断片.txt を受信しますか?』
拒否ボタンは、グレーアウトして押せない。
あなたは、それを受け入れるしかない。
ファイルが自動的に展開される。
画面に表示されたのは、無数の文字化けと、意味をなさない記号の羅列。
だが、スクロールしていくと、そのノイズの海の中に、見覚えのある文字列が浮かび上がっていた。
『……実験体名:佐藤健太。思考転移、失敗。肉体は情報の負荷に耐えきれず崩壊。』
『次の宿主への接続を確立。』
『現在の宿主の認識深度:レベル2。右足の親指に初期症状を確認。』
右足。
あなたは、自分の右足に意識を向ける。
靴下、あるいはスリッパの中で、親指の先が、チリチリと熱を持っていないだろうか。
まるで、小さな種子が、硬い皮膚を突き破って芽吹こうとしているような、微かな疼き。
見てはいけない。
確認してはいけない。
佐藤健太は、それを見てしまったから、「あちら側」へ引きずり込まれたのだ。
だが、あなたの視線は、抗いがたい磁力に引かれるように、足元へと向かっていく。
そして、視線を下ろしたその先、床と壁の境界線あたりに、
「それ」は立っていた。
あなたの視界の盲点にすっぽりと収まるサイズの、
顔のない、白い皮膚の何かが。
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【読者への汚染:欠落のパズル Lvl.7】
警告します。
今、あなたの部屋の「どこ」に、視線を感じますか?
右後ろ? 天井の隅?
いいえ、違います。
「それ」は今、あなたが持っているデバイスの画面の「裏側」から、
あなたの指紋を透かして、あなたを覗き込んでいるのです。
画面が、少し熱くなっていませんか?
それは、向こう側の体温です。
第3話「接触感染:ルポライターの記録」へ続く。
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