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視界の空白:或いは血脈の収束について  作者: beens
第2章:浸食される境界

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11/13

第2話:視界の裏側:隠された隣人

【SAN値:32 / 100】

 あなたは今、無意識に自分の右肩をさすらなかっただろうか?

 佐藤健太の最期を見届けた直後から、あなたの右肩、あるいは首筋のあたりに、奇妙な「重み」が乗っているはずだ。

 それは物理的な重さではない。例えるなら、満員電車で知らない他人と袖が触れ合っている時のような、不快な「気配の圧」だ。

 振り返ってはいけない。

 まだ、その時ではない。

 あなたはスマホ(あるいはPCのやけに熱を持った筐体)を握りしめたまま、このテキストを読み進めている。

 部屋の静寂が、急に耳障りなものに感じられないだろうか。

 冷蔵庫のモーター音。遠くを走る車の走行音。

 それらの日常音の隙間に、別の音が混じり始めている。

 ……ベチャリ。

 微かだが、粘着質な音。

 濡れた何かで、硬い平面を叩く音。

 第1章で、佐藤健太が隣室から聞いていたあの音だ。

 音はどこから聞こえる?

 壁の向こう? 天井裏? 床下?

 いいえ。

 音は、あなたの持っているデバイスのスピーカーから、極小のボリュームで流れている。

 あるいは、あなたの鼓膜の裏側に発生した「新しい器官」が、直接その振動を捉えているのかもしれない。

 あなたは目をこすり、疲れ目だと自分に言い聞かせる。

 だが、目を動かした瞬間、視界の端を「何か」が横切る。

 飛蚊症のような黒い点ではない。

 

 それは、眼球の動きに一瞬遅れてついてくる、「細長い腕」の残像だ。

 盲点マリオットが、拡大している。

 本来、脳が勝手に補完して「何もない壁」や「背景」を見せているはずの空白部分が、処理落ちを起こし始めているのだ。

 

 試しに、視線を素早く左右に振ってみるといい。

 視界の端が一瞬だけ歪み、今あなたがいる部屋とは違う景色――例えば、新聞紙が山積みになった薄暗いゴミ屋敷のような光景――が、フラッシュバックのように差し込まれるのが見えるはずだ。

 それが、あなたの「隣人」の部屋だ。

 物理的な距離ではない。「認識の死角」という場所に住む隣人。

 ブブッ。

 突然、あなたの端末が震えた。

 通知ではない。アプリの更新でもない。

 

 画面上部に、見知らぬファイル共有のポップアップが表示されている。

 送信者は「不明(Unknown)」。

 『ファイル名:㦸_血脈記録_断片.txt を受信しますか?』

 拒否ボタンは、グレーアウトして押せない。

 あなたは、それを受け入れるしかない。

 ファイルが自動的に展開される。

 画面に表示されたのは、無数の文字化けと、意味をなさない記号の羅列。

 だが、スクロールしていくと、そのノイズの海の中に、見覚えのある文字列が浮かび上がっていた。

 『……実験体名:佐藤健太。思考転移、失敗。肉体は情報の負荷に耐えきれず崩壊。』

 『次の宿主ホストへの接続を確立。』

 『現在の宿主の認識深度:レベル2。右足の親指に初期症状を確認。』

 右足。

 

 あなたは、自分の右足に意識を向ける。

 靴下、あるいはスリッパの中で、親指の先が、チリチリと熱を持っていないだろうか。

 まるで、小さな種子が、硬い皮膚を突き破って芽吹こうとしているような、微かな疼き。

 見てはいけない。

 確認してはいけない。

 佐藤健太は、それを見てしまったから、「あちら側」へ引きずり込まれたのだ。

 だが、あなたの視線は、抗いがたい磁力に引かれるように、足元へと向かっていく。

 そして、視線を下ろしたその先、床と壁の境界線あたりに、

 

 「それ」は立っていた。

 

 あなたの視界の盲点にすっぽりと収まるサイズの、

 顔のない、白い皮膚の何かが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【SAN値:28 / 100】


【読者への汚染:欠落のパズル Lvl.7】


警告します。

今、あなたの部屋の「どこ」に、視線を感じますか?


右後ろ? 天井の隅?

いいえ、違います。


「それ」は今、あなたが持っているデバイスの画面の「裏側」から、

あなたの指紋を透かして、あなたを覗き込んでいるのです。


画面が、少し熱くなっていませんか?

それは、向こう側の体温です。


第3話「接触感染:ルポライターの記録」へ続く。


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