踊るパンジー
とある女子高校生の日常の一コマ
「パンジーが踊ってる」
忍は下校中、突然立ち止まってしまった実子を振り返る。
「パンジー?」
実子の視線を追って一軒家の玄関ポーチに置かれたプランターを見ると、大ぶりな花弁が目を引くパンジーが三株ほど隙間なく植えられていた。
「綺麗だね」
発色のいい黄色に赤茶の模様が入ったパンジーの感想を伝えると、実子はフルフルと頭を振った。
「そうじゃなくて、踊ってるの。こう、ヘドバンみたいに頭を振って、葉っぱでウェイウェイしてる感じ」
実際に長い髪を振り乱して頭を揺らし、両腕を上下に振り回す実子に忍は怪訝な視線を向けた。
「パンジーは踊らないでしょ」
「いや、踊ってるんだって」
実子の強い主張に、忍はもう一度プランターを見下ろした。しかしプランターには静かに咲き誇るパンジーしか見えない。多少、風に揺られて花弁を震わせているが、頭を振っているようにも、葉を振り回しているようにも見えない。
忍は予感がして、わずかに実子の耳元へ顔を寄せると、小声でささやく。
「……アレなの?」
「アレだね」
乱れた髪を手櫛で整えた実子は、声を低くして頷いた。
アレ。すなわち植物のフリをした別の何か、異生物のことだ。
「楽しく踊ってるだけだし、害はなさそうだけど」
「不思議の国のアリスにいたよね、歌うパンジー」
「踊ってないけどね」
有名な映画に登場する花を引き合いに出しながら、実子と忍は問題のパンジーをしばし観察する。
実子が、人には見えないはずのものが見えるのだと打ち明けてくれたのは、高校に入学してすぐのことだった。
幼稚園から高校までエスカレーター式に進学できる石持学園では、入学式の時点で中学校から上がってきた在学生によってグループができあがっていて、「外組」と呼ばれる外部から入学してきた忍は輪の外からどうアプローチをかけようか決めあぐねていた。
新しい教室で、黄色い声を上げながら気になった外組の生徒に声をかけていく女子のグループを眺めていた忍は、軽く肩を叩かれて振り返る。
背後に立っていたのは、実子だった。
忍は軽快な声で「初めまして」と笑いかけたが、実子は忍の肩に手を置いたまま窓際で新入生を囲む女子グループをジッと見つめている。
「どうしたの?」
平常とは思えない様子に声をかけるが、実子はピクリとも動かない。かと思えば、「んふふ」と鼻を鳴らすように笑いだす。
「なに?」
「あ、あれ? ああ、あの子たち見てたのか。ごめんごめん。あなたにも、あの酔っ払いが見えてるのかと思って」
急に笑い出し、意味の分からないことを言い始めた実子に忍は警戒心をあらわにする。その警戒心が顕著に出ていたのか、実子はケラケラと笑いながら謝ってくる。
「変なこと言ってごめん。気にしないで。あと、眉間にしわ寄ってるから、気を付けた方がいいよ」
そういって、実子は何事もなかったかのように忍から離れ、廊下側の机に着席した。
置いていかれた忍はというと、実子の言っていた「酔っ払い」を探そうと少し首を伸ばして女子グループの面子を確認したが、当然酔っぱらいなどいない。観察している最中に何人かと目が合ったが、見られていたことを不快に感じたのか、しかめっ面を返されてしまった。
「酔っ払いって、どういうこと?」
結局、入学式当日はまともな友人を作ることも叶わず、忍はただ実子からもたらされた謎に頭を悩ませながら担任の到着を待った。
そして新しい学校生活に慣れようと必死に日々を過ごしていたある日の放課後、実子から呼び出された。
「ねえ、ちょっとおもしろいもの見せてあげる」
「飯島実子さん、でしょ。なんか、噂では変人って言われてるけど」
短い期間でも、すでに人のあれこれについての噂話は広がっていて、「実子は変人」という噂も忍の耳にしっかり入っていた。
「そういう成瀬さんは、雰囲気怖いって有名だよ」
「……別に、そんなつもりはないけど」
どういうわけか、忍は入学してから今日まで、クラスの中でどこか遠巻きにされていた。本人はいたって普通に過ごしているのだが、時々聞こえてくる声によると、近寄りがたいオーラや、話しかけにくいオーラを放っているらしい。
少し落ち込んだ様子の忍に、実子は眉尻を下げて「ごめんごめん、しょげさせるつもりはなかったんだよ」と肩を叩いた。
「いやね、そんな感じだから、てっきり同類だと思ったのよ」
「同類?」
「うん。私、見えないものが見える体質なの」
「見えないもの」
「うん。私はね、植物に擬態する異生物を見ることができるの。だから、教室の窓から見える桜の大木が酔っ払って花びらまき散らしてたり、近所の畑のトウモロコシが近づいてくるスズメやカラスとおしゃべりしてるのも見える」
生まれてからずっと見えているそれが当たり前だと認識していたため、幼稚園に上がるころには実子は「変な子」だったという。両親に植物が踊ったり歩いたり跳ねたりしていると伝えても、それは実子の頭の中で植物が動いてるだけだと説明されるだけだった。やがて、実子の見えるものが世間一般には見えていないと自覚すると、植物の異常行動を声に出して指摘することはなくなった。それでも、幼稚園のときから石持学園に所属している実子には、「変な子」のレッテルが付いたままとなってしまった。
「私が遠巻きにされるのはいつものことだけど、とびっきり美人の成瀬さんが声かけられてないのって、鋭い視線と雰囲気の問題なのかなって」
入学式の日、窓の方へ訝し気な視線を向けている忍を見て、実子は酔っ払いの桜を見ているのだと勘違いし、つい声をかけてしまったのだという。
「結局、違ったんだけど」
「……その話を、妄想じゃないってどう証明するの?」
はいそうですか、と素直に信じるには突飛すぎる告白に、忍は腕を組んで壁に寄り掛かる。
掲示板に張られた部活動のチラシの数を数えていると、笑顔を浮かべた実子が忍の組まれた手を強引にとった。
「ちょっと」
「ままま! ちょっとだけ付き合ってよ」
手を引こうとする忍の肩に手を回し、実子に押されるようにして忍は校舎の外へと連れ出された。
廊下でも下駄箱でも、チラチラと動向を伺うような視線を感じて忍は目を向けるが、目が合うとすぐに逸らされてしまう。そんなに怖い顔をしているのだろうか。
ローファーに履き替えて、実子に案内されたのは石持学園の校舎からカフェテリアへ続く小道の道中にある竹林だった。
「ここね、スミレがたくさん咲いてるんだけど、みんなよく動くんだよね」
竹林の脇に座り込んだ実子が指さす先には、淡い紫色の小さなスミレが並んで咲いていた。
「ここってあんまり日当たりがよくないでしょ? でも、鳥とかからは身を隠しやすいんだよね。だから、このスミレたちは竹林の中で日当たりがいいところにどんどん移動していくの」
そう言われて忍は足元のスミレをじっくり観察するが、西に傾いた太陽に照らされている普通の花にしか見えない。
「怖い顔してるよ~。まあ、ここのスミレたちを覚えておいてよ。明日のお昼、一緒にご飯食べるときに確認しよ」
怪訝な表情をしているのを指摘され、忍は眉間を指でも見込む。そして聞き捨てならない提案に顔を上げた。
「お昼?」
「うん。成瀬さん、いつも一人でご飯食べてるでしょ? もちろん、お昼は一人で静かに食べる主義とかなら、無理にとは言わないけど」
私は、いつもカフェテリアでパン買って食べてるんだ、と実子は立ち上がりながら言う。
「どうして知ってるの」
お昼休みになると真っ先に教室を出ていき、休憩時間が終了する間際に帰ってくる実子が忍の昼の過ごし方を知っていることに疑問を覚え、訴える。
指をさしながらスミレの数を数えていた実子は、感情が顕著にでている忍の視線に笑いながら「教室にあるパキラ。あの子が教えてくれたの」と軽く説明した。
「とりあえず、今ここで光合成してるスミレは七株ね。場所と数、ちゃんと覚えておいてね」
「まだ一緒にお昼食べることに同意してないけど」
「やっぱり一人で食べたい派?」
「そんなことはないけど」
「じゃあ、いいじゃん。学校生活は長いんだし、一日くらい変人に付き合っても、少し噂になるくらいだから。それに、お互いもう噂になってる同士だし。今さらでしょ」
道を引き返し、校門の方へ向かう実子を追って忍も歩き出す。
「分かったよ。じゃあ、明日のお昼はカフェテリアね」
話の内容は妄想染みていてめちゃくちゃだが、ほかの生徒のように遠巻きにするわけでもなく、たくらみもなく、ただ無邪気に話す実子に毒気を抜かれた忍は、断る理由もないと頷いた。
そうして二人は下校時間のピークを過ぎて人気のなくなった最寄り駅までの道を、とりとめのない話をしながら一緒に歩いた。
そして翌日の昼休み、忍は昨日の夕方はそこにあったスミレが七株ともすべて竹林の反対側の日向へ移動し、緑の葉を広げ、可憐な花を太陽に向けて咲かせている姿をしかと確認した。
「でも結局、実子に見えてる植物って、何なんだろうね」
「異生物、っていうのは私が勝手につけてる名称だからね」
スミレを見た日以来、忍と実子は学校生活を一緒に過ごすようになった。最初こそ、忍と実子が一緒にカフェテリアに行く様子や、休憩中に話している姿を目撃した生徒たちから話題にされたり噂にされたりもしたが、人の噂も七十五日というように、半年も立てば当たり前の光景として定着しつつあった。
加えて、変人として有名ではあったが人のいい実子には理解者も友人も何人かいて、そのつながりから忍も少しずつ少しずつ交友関係を広げていくことができていた。
三、四人で集まって遊びに行くことも多くなっていたが、今日みたいに最寄り駅近くにあるハンバーガーチェーン店に二人だけで寄り道する日も多い。
「立場先輩はエイリアンじゃないかって」
実子は赤い紙箱からあふれ出すフライドポテトを一本ずつ口に運びながら、園芸部の部長である先輩の仮説を取り上げた。
「先輩が読んでた漫画みたいに、宇宙から地球に降ってきて、人間の代わりに植物に寄生して、植物の中に紛れて暮らしてるんじゃないかって」
「その物語知ってる。けっこう古い漫画だよね」
「うん。でね、その仮説はありかもなって思う」
「じゃあ、人に見えないのはなんでなんだろう」
エイリアンであれば、たとえ植物の形をしていたとしても、踊ったり酔っ払って花びらをまき散らしたりと、植物らしからぬ動きをしていれば見破れるものだ。しかし実際は、霊感がなければ幽霊が見えないように、実子にしか植物の異常行動は見えていない。
「私が思うに、固定観念みたいなのが関係してるんじゃないかなって」
実子は人差し指を立てる代わりに、長いフライドポテトをピンと立てた。
「植物は動かないし踊らない。それが当たり前でしょ?」
「うん」
「その固定観念が、本当は見えてるものを勝手に当たり前の姿に修正しちゃってるんじゃないかなって」
「つまり、本当は私にもパンジーが踊ってるのが見えてるけど、パンジーは踊らないって思ってるから、頭が勝手に見えてる光景を変えてるってこと?」
「うん。うーん、なんか、無理がある気がしてきた」
「そうだね」
一番大きいサイズのフライドポテトがあっという間に消えていくのを眺めながら、忍はレモンティーをストローですする。
「ちなみに、実子って霊感はあるの?」
「全然。でも、私でも見えない力があるっていうのは、異生物の反応からわかるよ」
実子はあっという間にフライドポテトを完食し、ナプキンで手を拭いてからコーラに手を伸ばす。
「彼岸花とかがそうかな」
ついこの間まで街路樹のふもとや畑のあぜ道で群れて咲いていた彼岸花を思い出し、忍は「季節を感じさせて綺麗だよね」と感想を述べる。
植物、特に花の話になると一言目には「綺麗だね」と答える忍に、実子はいたずらを思いついた子供のようなにやけ顔を浮かべる。
「彼岸花の中にはね、死期が近い人を追いかける異生物が紛れてるんだよ」
「……」
「群生してる中で探す時は、雌しべと雄しべ、私はヒゲって呼んでるけど、これをヒクヒク動かしてるのがそう」
「それだけでホラーだよ」
「でしょ。で、この異生物は、彼岸花が咲く時期になると、地面をスーって滑るようにして、人の後ろをついていくようになるの」
「うん」
「そして最終的には、ついて行った人の枕元に静かに立って、その人が亡くなるのをジッと見てるの」
「……怖すぎでしょ」
「ね」
いつの間にか固く握りしめていた紙コップを開放し、忍は椅子の背もたれに背中を預けた。
「それ、一部始終を見たの?」
「たまたまね。おじいちゃんが、そうだったから」
ズズズ、と残り僅かなコーラをすすりきり、実子は肩をすくめる。
「私が四歳の時だよ。だから、私、彼岸花がおじいちゃんの命を吸ってるんじゃないかって、大騒ぎしたの。でも、誰にもその彼岸花が見えないものだから、だいぶ怖がらせてたみたい」
実子にしか見えていない世界を、実子の両親は彼女の想像でしかないと受け入れていない。その現状に忍は心を痛めたが、実子は忍のように突飛な話を受け入れてくれる方が珍しいのだと笑った。
「こうやって、私の妄想話かもしれない話に付き合ってくれる友達がいるんだもん。私は幸せだよ」
「やだ、急にしんみりさせないでよ」
「感謝の気持ちは声に出さないと」
くすぐったそうに笑う実子につられて忍も自然と口角が上がるのを感じる。
その様子を見ていた実子は、テーブルに両肘をつき手のひらに顎をのせると声を落としてささやいた。
「忍、良い顔するようになってきたよね」
「え?」
唐突な指摘に、忍はレモンティーに伸ばしていた手をとめた。
「入学してすぐはさ、硬い表情で人を見てたから。美人の怖い顔は人を遠ざけるんだなぁって、実感したよ」
「そんなつもりはなかったけど」
「美人だけど目つき悪いから~」
「そういう風に生まれたんだから、しょうがないじゃん」
む、と眉間にしわを寄せると、実子はすかさず「その顔だよ」と注意する。
「もっと、さっきみたいに笑ってれば、自然と人も寄ってくると思うよ」
「そんなに険しい顔してる?」
忍は鞄から手鏡を取り出して確認するが、誰かを脅かすような凶悪な顔をしているわけではなさそうだ。
「どっちかというと、つまらなそう、って感じ」
「……」
「忍、家庭環境とか中学時代については絶対話さないでしょ。あえて聞かないけど、いろいろ大変なんだろうなって。でも、今日みたいに笑ってるの見ると、安心する」
手持無沙汰になった手でトレーに敷かれた紙の端を折り始めた実子は静かに続ける。
「私にできることは少ないと思うけど、いつでも相談のるからね」
「ありがとう。頼りにしてる」
でも、家庭環境が悪いとか、中学時代にひどい目にあったとか、そういうことは全くないよ。と忍は心配の色を残す実子に断言する。
「つまらなそう、っていうのはあってるかもね。だから、実子のおかげで毎日が楽しいよ。実子と一緒にいると、道端の花はもちろん、空とか、山とか、町並みも、今までなんで気づかなかったんだろうって思うくらい、色鮮やかに見える」
色が見え始めると、風や音も鮮明に感じられるようになり、世界はこんなにも賑やかなのだと感じるようになった。葉のさざめく音、木陰に差し込む光のきらめき、赤く染まる空に黒くそびえる山の影。綺麗、だけで表現しきれない自然の美しさに気づくことができたのは、実子のおかげだ。
「まだまだ語彙力足りなくて、安易に綺麗って言っちゃうけどね」
忍はとびっきりの笑顔を浮かべていると自覚できるくらい持ち上がった頬に手を当て、気恥ずかしさをごまかすように揉み始める。
「ありがとうね」
頬を紅潮させ、恥ずかしがりながらも浮かべられた笑顔に、実子はニコニコと頷く。
「うふふ。それはよかった」
「うぅ、ニヤニヤするのがとまらない」
「いいよ。私にとっては目の保養だもん」
ついには手のひらで顔を覆ってしまった忍に、実子は「可愛い顔もっと見せてよー」と体を乗り出し忍の手を掴むが、忍も負けじと体を揺らして抵抗する。お互い笑いながら女子高校生らしい戯れに興じたあと、満足した実子が着席したのに合わせて忍も手を顔から外す。
「あつい」
「お茶飲んで涼んで」
手のひらの熱で物理的にも温められてしまったからか、忍は火照った顔に手で風を送りつつ、氷の溶け切ったレモンティーを喉を鳴らしながら飲んだ。
「じゃあ、明日はゼラニウム見に行こうよ」
「ゼラニウム?」
「うん。通学路の一本入ったところの家の花壇に植えられてるんだ」
「……それも動いてるの?」
「歌ってるね」
「パンジーじゃないのに?」
にやりと笑う忍に、実子も笑う。
「そのゼラニウムね、赤がすっごく鮮やかなの。秋晴れの空に映えると思うよ」
「いいね」
忍がレモンティーを飲んでいる間、実子はペーパーナプキンで折り紙に挑戦し、かわいらしいリボンの形に仕上げた。リボンが形になる頃には忍もレモンティーを飲み終えていたので、白いリボンを写真に収めたあと、二人はトレーを片付け、軽快な足取りで店を出た。
「明日は体育があるから、ジャージ忘れないようにね」
「前の教訓で、もうロッカーに置いてあるんだ」
「えらいじゃん」
明日の体育はバレーボールだよね、とか。バレー部の笹川さんが張り切ってるんじゃない、とか。
忍と実子は他愛ない話をしながら駅に向かう人の流れに乗り、話を途切れさせることのないまま帰路についた。
副題:ゼラニウムの花言葉を君に




