70. はじめまして
「……あら、もうひとりお客さんがいたのね」
煤の山が不自然に渦を巻く。
黒い粉塵が重力に逆らうように舞い上がり、瞬く間に人の形を成していく。
そこには、先ほどと変わらぬ姿の女神が立っていた。
傷ひとつ、焦げ跡すらない。
「再生……した?」
ルミナが呆然と呟く。
生物的な治癒じゃない。
まるで破損したデータが、バックアップから復元されるような現象だった。
「やはり物理的な破壊は無駄のようね」
クロスタは驚く様子もなく、冷ややかに言い放つ。
「生物じゃない。その身体……マナで構成されている。魔物と同質の存在」
「よく知っているわね。……でも、いきなり燃やすなんて野蛮」
女神は優雅に微笑み、小首をかしげた。
「躾がなってないわ。親の顔が見てみたいものね」
「黙りなさい!」
クロスタが叫ぶ。
その瞳は、煮えたぎるような憎悪に燃えていた。
「ソラ=ヴァンクロフト……全ての元凶。かつて人類が持っていた『魔法』という翼を奪い、地に落とした張本人」
ソラ=ヴァンクロフト。
女神の名前か。
それにしても、「魔法を奪った」とは?
クラリスの剣先が女神へと向けられる。
女神は表情を崩さず、その敵意を真正面から受け止めていた。
「ええ、そうね。私が奪った」
あっさりと、女神は認めた。
「でも、それは必要なこと。魔法は、強すぎる力。才能ある者が持たざる者を支配し、搾取する。そんな悲劇が延々と繰り返されていたわ」
「だから奪ったと?」
「そう。大気中の『魔素』の性質を書き換え、人間が直接干渉できないようにした。その代わり、誰でも扱える変換装置――マギアという形で、力を公平に再配分したのよ」
それが、この世界の真実か。
魔法が使えない理由。
マギアが普及している理由。
すべては、この女神が仕組んだシステムだったんだ。
「公平? 平和? 笑わせる。お前が書き換え、作り出したマナが魔物を生み、人々を苦しめているというのに」
「あら、物知りね。確かにマナの凝集作用は、魔法生物が自生する要因のひとつではあるわ」
女神が作り出したマナが、魔物を?
元の時代には存在しなかった魔物。
それがなぜこの時代に存在するのか。
その理由が一本に繋がった。
「女神様が、魔物を……?」
マリアの声が震える。
聖女である彼女にとって、女神は敬うべき対象であり、魔物は両親を奪った憎むべき敵だ。
それらが繋がっているという事実は、彼女の根幹を揺るがすのに十分すぎる。
「でも残念。賢そうなのに、ずいぶん短絡的なものの見方をするのね」
「……何が言いたい」
「200万人。何の数字かわかる?」
女神は唐突に、まるで子供にクイズでも出すかのように微笑んだ。
「かつての魔法が一年間にもたらしていた死者の数。一方、魔物は? せいぜい年に数千人。単純な比較でも明らかでしょう。わたしは毎年100万人以上の命を救っているの」
「人々の為に魔物と戦い、命を落とした戦士たち……彼らの犠牲は、仕方のないことだと?」
「どちらか選ぶしかないなら、数が多い方を選ぶのが自然でしょう?」
淡々とした口調。
そこに罪悪感はない。
本気で正しいと信じている顔だ。
数字だけを見れば、女神の言い分はもっともらしく聞こえる。
それに俺は「魔法」の理不尽さを嫌というほど知っている。
強者が弱者を一方的に蹂躙できる、あのクソみたいな世界を。
だから、女神のやり方を頭ごなしに否定することはできなかった。
「……話すだけ無駄のようね」
クロスタはそう吐き捨てると、次の瞬間、地を蹴った。
紅蓮の炎を纏う剣が、女神へと振り下ろされる。
その剣に、見覚えがあった。
深紅の刀身。
独特な装飾。
――あれは、カスティアの剣だ。
過去のノクセイアで無惨に殺された女性隊員。
その形見をクロスタが使っている。
彼女の憎しみの根源がそこにあるような気がした。
斬撃が女神の体を袈裟懸けに切り裂く。
だが、手応えはない。
傷口から血は流れず、裂けた箇所に走るのはノイズのような歪み。
次の瞬間には、傷は跡形もなく塞がっていた。
「無駄よ。あなたに私を殺すことはできない」
女神が指を鳴らす。
ゾワリ、と空気が震えた。
クロスタの足元の床が、黒く染まる。
「なっ……!?」
影の中から、無数の黒い触手が噴き出した。
それは蛇のようにうねり、瞬く間にクロスタの手足を絡め取る。
「しまっ――」
逃げる間もなかった。
剣を取り落とし、クロスタは宙へと吊り上げられた。
「あれは……」
以前、フォルテリアで遭遇した新種の魔物だ。
あの時はセシルのおかげで切り抜けられたけど、厄介な相手だった。
あれ、女神の力の一部だったのか……?
「くっ……離せ!」
「親子の大事な時間なの。少し大人しくしていてね。お話はあとで聞いてあげる」
女神は拘束されたクロスタから興味を失ったように背を向けた。
「ふざけるな……!」
クロスタが必死にもがくが、触手はびくともしない。
「さあ、リゼ。こちらへ」
女神は、リゼに向かって優しく手を差し伸べた。
「あなたを活性化します。あの時のように。これで再び無限に近い魔力を行使できるようになるわ」
「……」
リゼは戸惑うように俺を見た。
一瞬だけ逡巡して、俺は頷く。
今は、女神を信じるしかない。
リゼがおずおずと歩み寄る。
女神の手がリゼの頭に触れようとした――その時。
シュルッ。
不意に、黒い影が走った。
「あっ!?」
リゼの悲鳴。
女神の手から放たれたものではない。
クロスタを拘束していた触手の一部が、鞭のように伸びてリゼの体を絡め取り、強引に引き寄せたのだ。
「リゼ!?」
駆け出そうとする。
だが触手はリゼを高く掲げ、俺の手の届かない位置へと運んでいく。
「あら?」
女神が、きょとんとした顔で自分の手を見る。
そして、リゼを拘束した触手の根元へと視線を移した。
「……私の制御下にはないわね。これは――」
「はじめまして、女神様」
朗らかな、けれど凍えるほど冷たい声が響き渡った。
背後、暗がりの中からひとりの青年が姿を現す。
銀色の髪をかき上げ、にこやかに微笑むその姿。
「ようやくお会いできましたね」
カイム。
彼はまるで散歩でもしているかのような気軽さで、この神の領域へと足を踏み入れていた。




