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62. 極北の街

「……さっむ」


 転移ステーションを出た瞬間、俺の口から真っ先に飛び出したのはその一言だった。


 頬を刺すような冷気。

 吐く息は瞬時に白く染まり、視界の先には一面の銀世界が広がっている。


 ここはロムサ。

 女神がいるとされる北極点に、最も近い街らしい。


「ちょっと……何よこれ! 寒すぎるでしょ!」


 隣ではマリアが腕を抱え込み、ガタガタと震えている。

 リゼも無言のまま俺の背中にぴたりと張り付き、コートのポケットに両手を突っ込んでいた。


 事前に寒いとは聞いていたから、防寒具も用意してきた。

 が、甘かった。


 ここはもはや冷凍庫の中だ。


「ロムサは他の都市と違って気候制御が行われていないんです」


 セシルがいつも通りの涼しい顔で説明する。


 ……いや、寒くないのか?


「気候制御がない? 技術的に無理なのか?」

「いいえ、意図的にです。ここは“自然保護区”に指定されていて、野生動物や原生林の生態系を守るため、あえてありのままの環境にしているそうですよ」

「なるほど。人間以外の生き物って、どうしてるんだろうって思ってたんだ。ほら、ペットショップの動物とか」


「ペットショップ? あんた、なんでまたそんなところに?」

「あ、いや、偶然通りかかって……」


 相変わらず鋭すぎる。


 しかし、快適な気候を作ることが可能な時代に、動植物のためにわざわざこの寒さを甘受しているとは。

 この街に住んでいるのは、物好きばかりなのかもしれない。


「ほら、早く屋内に入りましょ!」

「そうだな。とりあえず、アレンに紹介されたヴァンガード支部へ行こう」


 俺たちは降り積もった雪を踏みしめ、歩き出した。

 街並みは中央都市のような洗練されたビル群ではなく、木造のカラフルな屋根の建物が密集している。

 写真でしか見たことがない、北欧の田舎町。

 そんな印象だ。




 街の中心部にあるヴァンガード・ロムサ支部は、まるで要塞のような堅牢な石造りの建物だった。

 受付で登録情報の照会を済ませると、すぐに奥の部屋へと通された。


「……よく来た」


 部屋の中で待っていたのは、ひとりの男だった。

 年の頃は40代半ばだろうか。

 長身で、針金のように細い体躯。

 こけた頬に鋭い眼光、白髪交じりの髪を無造作に後ろで束ねている。


 まとっている空気が、明らかに冷たい。

 この極寒の土地そのものを人の形にしたような人物だった。


「ロムサ支部長の、スティグだ」


 短く名乗ると、彼はそれ以上口を開かなかった。


 ……会話が続かない。

 アレンのような愛想の良さは欠片もないらしい。


「あ、あの……秋月颯太です。こっちは――」

「話は聞いている。アレンからな」


 俺の自己紹介を遮るように、スティグは椅子から立ち上がった。

 その動きには一切の無駄がない。


「女神の場所を探しているんだったな」

「はい。北極点に。この街が最も近いと聞いています」

「……ついてこい」


 それだけ告げると、彼は部屋を出ていってしまった。

 俺たちは顔を見合わせ、慌ててその後を追う。


「……変わった人ね」

「でも、悪い人じゃなさそう」


 マリアとリゼが小声で言葉を交わす。

 確かに、拒絶されている感じはしない。

 ただ単に余計な言葉を使わない主義なんだろう。




 連れてこられたのは街の“外”だった。

 転移ステーションを経て、目を開ける。


 そこには、見渡す限りの雪原が広がっていた。

 

「あれを見ろ」


 スティグが前方を指さした。

 俺は目を凝らす。

 遥か彼方にうっすらと、異質な影が見えた。


「……塔?」


 それは、天を突くようにそびえ立つ細長い建造物だった。

 雲を突き抜け、その先がどこまで続いているのか想像もつかない。

 まるで、空と大地を繋ぐ一本の針のようだ。


「極点にそびえる、“天の柱”だ」

「天の柱……」

「我々は昔からそう呼んでいる。だが、あそこに辿り着いた者はひとりもいない」


 晴れ渡った空と澄んだ空気のおかげで、視界に収めることはできている。

 けど、実際の距離は想像を絶するだろう。

 平坦な道ならともかく、この極寒の荒野を進むとなると徒歩では絶望的だ。


「グオォォォォ……ッ!」


 その瞬間、地響きのような咆哮が轟いた。

 雪原が爆ぜ、白い毛に覆われた巨体が躍り出る。


 魔物だ。


 体長は3メートルはあろうか。

 雪男を思わせるその怪物が、3体。

 同時にこちらへと襲いかかってきた。


「っ! 迎撃を――」


 俺がギアを構えた、その瞬間だった。


 ヒュッ。


 空気を切り裂く、鋭い音が響く。


 スティグが懐から取り出した“何か”を、一閃させた。


 それは、人の背丈を優に超える黒い槍だった。

 

 速い。

 俺の動体視力では、切っ先を追うことすらできなかった。


 3体の魔物は空中でピタリと静止し――次の瞬間、同時に首が落ちた。


 音もなく崩れ落ち、黒い霧となって消えていく。

 スティグは槍を淡々と懐へ収めた。

 その動きで、槍が伸縮式であることに初めて気づく。


「す、すごい……」

「噂には聞いていましたが、これほどとは……」


 セシルが思わずといった様子で感嘆の声を漏らす。


「セシル、知ってるのか?」

「はい。父、ゲイルが不在の今、ヴァンガード内における個人の武力では間違いなく最強と噂されている方です。無駄を極限まで削ぎ落とした槍術は、芸術的だと」


 そんな実力者が、こんな最果ての地にいるなんて。


 スティグは魔物が消えた跡に一瞥もくれることなく、静かに俺たちへ向き直った。

 

「このあたりの魔物は強い。加えてこの雪原。徒歩での踏破は不可能だ」

「じゃあ、どうすれば……」


 スティグの目が、遠くを見るように細められた。


「かつて、ひとりの変わった男がいた。……あの塔を目指してな。彼はそこへ辿り着くための移動用ギアを開発していた」

「そのギアを使えば行けるんですか!?」


 一瞬の間を置いて、スティグは淡々と続ける。


「その男は死んだ。ギアは未完成のまま工房に眠っている。……見るだけなら案内してやる」




 再びロムサの街へ戻り、俺たちはスティグの案内で工房を目指していた。

 寒さは相変わらず骨身に染みる。

 けれど、行き詰まりかけていた道にかすかな光が差した気がした。


 その未完成のギアを、どうにか完成させられれば。


 その時。


 ふと、背中に視線を感じた。


 ――誰だ?


 振り返るが、そこに人影はない。


 それでも確信があった。

 何かがずっとついてきている。


 殺気はない。

 けど、まとわりつくような、粘着質な気配だった。

 

「……颯太、どうしたの?」

「いや……なんでもない」


 気のせい、という可能性もある。

 でも、何かが起きてからでは遅い。

 俺は肩に力を入れ、警戒を強めた。


 しばらく歩いていると、前方から大型犬を連れた女性が歩いてくるのが見えた。

 もこもことした毛並みの、シベリアンハスキーのような犬だ。

 この極寒の中でも元気そうに尾を振り、軽快に足を運んでいる。


 すれ違いざま、互いに道を譲ろうとした――その時。


「ワンッ!!」


 鋭い吠え声が、静かな通りに響いた。


 犬はこちらを見ていない。

 女主人でもない。

 俺たちのすぐ後ろ――そこに“何か”がいるかのように、虚空へ向かって牙を剥いていた。


「えっ!?」

「待って、どうしたの!?」

 

 飼い主の制止も聞かず、犬は何もない空間へと飛びついた。


 ――ドンッ。


 何かにぶつかる鈍い音。

 同時に、空間そのものが歪むようにノイズが走った。


「ちょ、ちょっと! バウンスぅ、やめてってば~!」


 聞き覚えのある声とともに、ひとりの少女が尻もちをついて姿を現した。

 飛びかかった犬がその上に覆いかぶさり、嬉しそうに顔を舐め回している。


 俺たちは全員、その顔を見て言葉を失った。


「……ルミナ!?」

 

「あいたた……もう、いきなり飛びかかってくるなんて酷いよ~!」


 涙目で腰をさすりながら文句を言う少女。

 間違いない。

 つい先日、感動(?)の別れをしたはずの、あの天才技師本人だった。


「な、なんで……? リュキアに戻ったんじゃ……」

「えーと……ちょっと、色々ありまして……」


 ルミナは気まずそうに、頭をぽりぽりとかく。

 感動の再会というには、あまりにも間が短すぎる。


 唐突な展開に思考が追いつかないでいると――。


「「ルミナ?」」


 ほぼ同時に、ふたり分の声が響いた。


 声の主は、犬の飼い主の女性。

 そして――ロムサ支部長、スティグだった。

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