61. 旅立ちの前に
ロムサへ向かうため、俺たちは転移ステーションに集まっていた。
リゼ、マリア、セシルの3人は「しん」と口を閉ざしている。
いつもなら誰かが何か言い出して賑やかになるはずなのに、今日はそれがない。
やけに静かで、胸の奥がひんやりする。
理由のひとつは、もちろんルミナがいないことだ。
あの場を無条件に賑やかにしてくれていた存在が抜けただけで、空気はここまで変わるのかと実感する。
そして、もうひとつ。
ルーティが俺たちと一緒にいることも大きかった。
彼女の処遇は、未成年であり、かつ大人に利用されていた点が考慮され、保護観察処分となった。
さらに、更生の引き受け先として名乗りを上げたのは、俺がこの時代で最初に訪れた街、ローセルの聖堂だった。
事が明るみに出たあと、カリナがミレイユさんに直接頼み込んだらしい。
そうした経緯もあり、今日はエミリアがルーティを迎えに来る予定になっていて、俺たちはその到着を待っていた。
つい先日、電話で話したばかりとはいえ、エミリアと顔を合わせるのは久しぶりだ。
マリアも同じで、再会を心待ちにしている……はずなのだが。
この、なんとも言えない空気。
「ねえ、ソウタ様。まだ少し時間があるみたいですし、ふたりで展望デッキに行きません?」
そう言って、ルーティが俺の腕にぎゅっと抱きついてきた。
柔らかな感触、あざとい上目遣い。
「すっごく見晴らしがいいんです。こんな空気の悪いところにいるより、ずっといいですよ?」
その瞬間、他の3人から氷のような視線が一斉に突き刺さる。
――エミリア、頼むから早く来てくれ。
「そうだな、展望デッキに行こう」
この空気の中で待つより、少し離れたほうがいい。
そう思い、彼女の提案に乗ることにした。
「ちょっと、あんたね……」
「いいからいいから。マリアたちはここで待っててくれ」
不満そうなマリアを軽く制し、俺はルーティと並んで展望デッキへ向かった。
「すごい……壮観だな」
「でしょでしょ?」
展望デッキからはその名の通り街全体が一望できた。
初めて中央に来たときは、どこを見ても見知らぬ建物ばかりで不安だった。
けれど今では、どこか安心感を覚える、見慣れた景色に変わっている。
「でも、どうして転移ステーションにこんな展望台があるんだ?」
「それはですね。初めてこの街を訪れた人が、街の雰囲気を感じられるように、なんです」
転移ステーションは巨大なターミナル駅のようでもあり、ハブ空港のようでもある。
きっと毎日、多くの人が期待や不安を胸に、この場所を行き交っているのだろう。
「ルーティは、寂しくないのか? この街を離れて」
「正直、あんまり……です。楽しい思い出とか、ほとんど無かったですから」
ルーティは少し寂しそうに笑った。
「そっか。見知らぬ街に行くのは不安だろうけど、ローセルの聖堂は、みんな優しいからさ。厳しかったのは……マリアくらいだよ」
「そこで、マリアと出会ったんですよね。いいなあ……」
ルーティは遠くを眺めながら、独り言のようにつぶやく。
「もし、出会ったのがマリアじゃなくて私だったら……私たち、どんな関係になってたんでしょう。でも、私じゃ無理か。マリアみたいに、人を導いたりなんて……できっこないし」
強い劣等感。
それが彼女の言葉の端々から滲み出ている。
これを払拭するのは一筋縄ではいかなそうだ。
それでも、ローセルの聖堂の人たち――ミレイユさんやエミリアなら、きっとなんとかしてくれる。
そんな期待が胸のどこかにあった。
「そうだな」
「……ですよね」
「でもさ。きっと、別の形で寄り添ってくれてたと思うよ」
「えっ」
「ほら、上手くおだてて自信をつけさせてくれたりとか。それに、本当は臆病なところも、“俺が頑張らなきゃ”って、奮い立たせてくれそうだし」
「……ありがとうございます。臆病は余計ですけど……ううん。本当のこと、ですよね」
ルーティはそう言うと、こちらを真っ直ぐ見つめてきた。
何かを決めた人の目だった。
「下に戻りましょ」
「ああ」
「別れ際までお熱いことね。やっぱり、あんたも一緒にローセルに行ったら?」
「それ、もはやロムサへ行く意味ないだろ」
戻って早々、マリアの嫌味が飛んでくる。
まあ、彼女の反応としてはもっともだ。
「マリア」
ルーティが声をかけた。
「……何」
「マリアに、伝えないといけないことがあるの」
ルーティの声はわずかに震えていた。
それでも逃げずに、勇気を振り絞るように続ける。
「あの日……マリアを助けたの、フィオナなの」
唐突な告白だった。
「ちょっと怖がらせてやろうって、軽い気持ちだった。でも……内側から鍵がかけられて、悲鳴が聞こえたとき、怖くなって……何も、できなくて……」
震える声が、過去の恐怖をそのまま運んでくる。
「そんな時、フィオナが必死に駆けてきて、鍵を開けたの。多分、カリナ様に頼み込んで、マスターキーを借りたんだと思う。……フィオナには、計画のこと、話してたから」
ルーティは一度息を整え、マリアを見た。
「フィオナに……会いに行くんでしょ? あの子を、助けてあげて。すごく暗い闇を抱えてる……でも、マリアなら、きっと……」
「……そう」
マリアは短く答えた。
それが、ただ話を聞いただけなのか、願いを受け取ったのか。
少なくとも俺には――確かに“受け止めた”ように見えた。
「お姉様」
どんな言葉も見つからない沈黙を切り裂くように、聞き慣れた声が響いた。
振り返ると、そこにはエミリアの姿があった。
「――あ!」
突然、声を上げてエミリアが勢いよく駆け出し、こちらへ向かってくる。
「ひ、久し――」
言い終える前に、エミリアは俺の横をすり抜けていった。
「セシルさん! お久しぶりです!」
そのままセシルに駆け寄り、両手をぎゅっと握る。
中途半端に両腕を広げたまま、俺だけがその場に取り残された。
……誰にも気づかれていないことを、心から祈りたい。
「ヴァンガードになったって聞いて、ずっと心配してました。筋肉ムキムキになってたらどうしようって……でも、安心しました。変わってなくて。髪も、相変わらずサラサラで……」
……心配するところ、そこなのか。
「エミリアちゃん、久しぶり。見ないうちに随分大きくなって……見違えちゃったわ」
「ヴァイル兄様のこと、聞きました。見つかったって。でも……反女神の……」
言葉を濁すエミリアに、マリアが静かに告げる。
「兄さんのことは、私たちでなんとかするわ」
「お姉様……」
久しぶりに再会した姉の姿を、エミリアは心配そうな目で見つめる。
「お姉様、やっぱり……私と一緒に帰りませんか? 嫌な予感がするんです」
「今さら何言ってるの。あんたが行けって、送り出したんじゃない」
「でも……」
エミリアの気持ちもよくわかる。
まさか、こんなにも危険な話になるとは思っていなかったはずだ。
だからこそ、姉を送り出したことを誰よりも悔いているのだろう。
「確かに、危ない場面もあったわ。でも、私なら大丈夫よ。それに……すごく想定外だけど、ソウタも頼りになるしね」
「本当に……?」
「ええ。姉を信じなさい。ほら、あんたも何か言って」
マリアがちらりと目配せしてくる。
エミリアを安心させないと。
「色々あってさ、俺、前よりずっと強くなったんだ。マリアのことは必ず守る。だから、安心してくれ」
エミリアは俺の目をじっと見つめ、やがて小さく息をついた。
「そう、ですか……。ソウタさん……お姉様を、姉をどうか、よろしくお願いします」
「任せとけ」
俺はそう言って、ドンと胸を拳で叩いた。
そうだ。何があっても俺はマリアを守る。
マリアだけじゃない。リゼも、セシルも――。
誰一人、傷つけさせはしない。
『間もなく、ローセル行き、出発です』
構内にアナウンスが響いた。
「あっ、もう時間ですね。もっとお話ししたかったですが……仕方ありませんね。さあ、ルーティさん、行きましょう」
エミリアに促され、ルーティがおずおずと一歩、前に出る。
「ルーティさん。お久しぶりです」
「ひ、久し……ぶり」
「お姉様にしたこと、私も許していませんから。覚悟しておいてくださいね」
にこやかな笑顔で、エミリアはそう告げた。
笑顔が怖い。
ルーティが助けを求めるように、こちらを見てくる。
けど、俺には何も言えなかった。
ただ、心の中でそっと呟いた。
――がんばれ。




