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55. 忠犬

 アレンのせい? どういうことだ……?


 想定外の怒りの矛先に思わず息を呑む。


「カリナ殿。やはり、あなたは3年前のことを……」


 アレンが静かに、けれど確信を持って問う。

 その言葉が引き金となったのか、カリナの瞳に憎悪の炎が燃え上がった。


「そうよ! 3年前……あの日、お前が行くべきだった。お前が死ぬべきだった! なのに、どうしてあの人が……!」


 声が震えていた。

 怒りと悲しみ、そして憎しみ。

 感情がないまぜになって、言葉が刃となる。


 3年前。

 俺が知っている出来事はひとつしかない。


「カリナさん。アレン隊長は、あの日、同行を希望していました。でも、メンバーを決めたのは父、ゲイルです。隊長に非はありません」


 セシルが静かに口を開いた。

 だが、それは火に油を注ぐだけだった。


「セシル=ブラント……! お前の父も許さない。死神め」


 吐き捨てられた言葉に、セシルは何も言い返さなかった。

 唇をかすかに噛み、目を伏せるだけだった。


「アレンさん……3年前って、どういう……」


 割り込むのは躊躇ったけど、聞かずにはいられなかった。

 この憎悪の根源を知らなければ、何も終わらない気がした。


「ソウタ殿には、まだ話していなかったかもしれないな」


 アレンは苦しげに息をつく。


「彼女は3年前、ノクセイア調査に赴いた隊員――“ロウ”の婚約者だ」

「ロウさんの……」


 あの時見た光景が脳裏によみがえる。

 肉塊と化し、無惨に散った彼の最期。

 胸の奥がずきりと痛んだ。

 俺の時代の人間は、どれだけの不幸をこの世界に残せば気がすむんだ。


「……あの人は言った。『すぐ帰ってくる』って。『今度はアレンじゃなく自分が選ばれた。成果を挙げて、私に釣り合う男になる』って……」


 カリナの声が震えた。

 ひび割れた硝子のような、脆く危うい響き。


「でも、帰ってこなかった」


 室内が凍りつくような沈黙に包まれる。


「あの人が過去で死んだことはカイムから聞かされた。そのうえで、あいつは言った。『協力しろ。全部“なかったこと”にしてやる』って」


 吐き捨てるような声音。

 けど、同時にその瞳には縋るような色が混じっていた。


「図々しいにもほどがある。そもそもあいつがこの時代に救援を求めなければ、こんなことにはならなかった!」


「カリナ殿」

 

 アレンが眉を寄せた。


「カイム達が企んでいるのは女神の抹殺だ。聖女、それも中央都市の第一聖女であるあなたが、そのような暴挙に加担するとは……」

 

「女神なんて、いなくなればいい!!」


 バンッ!

 机を叩く音が響き、アレンの言葉を遮った。


「何度も懇願した。彼を助けたいって。でも、あいつは同じことを繰り返すだけ。『過去は変えられない』って。……その瞬間に決まったわ。私の中の信仰心なんて、全部消えたって」


 ――過去は変えられない。

 その言葉が俺の胸にも重く響く。

 救いのない事実。

 もし、俺が彼女の立場だったら……大切な人を理不尽に奪われ、救う力を持つ者がそれを拒んだとしたら。

 果たして、彼女を責められるだろうか。


「では――先日の転移障害、および魔物の襲撃。それらに関与した、ということで間違いないんだな」


 強面の刑事、ザックがまとめるように問いかけた。

 その声は低く、静かで、逃げ場を与えない。


「……ええ」

 

 カリナは息を吐き、憑き物が落ちたように言った。

 

「フィオナに頼まれて、街の制御システムへのアクセスを“黙認”したわ。まさかあの子に、そんな芸当ができるとは思っていなかったけれど」


「カリナ様……」


 これまで黙っていたマリアが、絞り出すように声を漏らした。


「マリア」

 

 カリナはまっすぐ彼女を見つめる。

 

「あなたが聖堂(ここ)を離れるように仕向けたのは私よ。あなたは優秀すぎた。あなたの目をごまかしたまま計画を進めるのは困難だったから。かといって、協力してくれるとも思えなかった」


 静かに告げられた言葉に、マリアは目を伏せず、ただ見つめ返した。

 その瞳は、驚きも怒りも浮かべていない。

 ただ、“分かってた”とでも言いたげだった。


「あなたを追い出すために、ルーティの悪感情を利用したわ」

 

 カリナは淡々と告げた。

 

「あなたに抱いていた劣等感。それに……私に似て、単純で扱いやすかった。少しやりすぎてしまった部分もあるけれど、上手く弱みとして利用できた」


 視線がルーティへと移る。


「ごめんなさいね。ここまで協力してもらったのに、こんな結末になってしまって。皆から消したあなたへの敵意も、増幅させたマリアへの悪感情も、結局、元に戻すしかなさそう」


「そん……な……じゃあ、私……これからどうすれば……」


 ぽつりとこぼれた声は、幼い子どものように震えていた。

 ルーティは力が抜けたようにその場に崩れ落ちる。




 その後、関係者全員がひとりずつ事情聴取を受けることになった。

 もちろん俺も例外じゃない。

 というか、ルーティと一緒に行動していたぶん、むしろ共犯を疑われて当然だった。


 担当はすべてザック刑事。

 デートのくだりとか、ルーティとのやり取りを根掘り葉掘り聞かれるのは地獄だったけど、意外にもザックは真面目に、そして妙に共感しながら聞いてくれた。


 ……これ、後でアレンにも共有されるのかと思うと胃が痛い。



 全員の聴取が終わったころには外はすっかり夜だった。

 営業時間を過ぎた聖堂のホールは昼間の喧騒が嘘みたいに静まり返っている。


 代わりに別館の宿泊棟からは明かりと人の声が漏れ、ほのかに漂う食事の匂いが腹を刺激した。


 ……腹、減ったな。


 リゼはそのまま宿泊、セシルは事後処理で当分帰れないらしい。

 さっき見たセシルの顔からは光が完全に消えていた。

 ほんと、気の毒だ。

 マリアは「用事があるから先に帰ってて」と短く告げて去っていった。

 あいつも色々と思うところがあるんだろう。


 俺はひとりホールを出て、静かな道を歩き始めた。

 屋敷にはルミナが待っている。

 あいつにもちゃんと礼を言わないとな――そんなことを考えていた、その時。


「……めて……」


 暗がりの奥から、かすかな声が聞こえた。

 路地裏の暗がりからだ。


 胸の奥がざわつく。

 嫌な気配だ。

 足を止め、気配を殺してそっと近づく。


「散々待たされたんだ……もういいだろ?」

「いや……お願い、やめて……」


 下卑た男の声と、か細い女の悲鳴。

 どちらにも聞き覚えがある。


 路地を覗き込むと、女を壁に押しつけるようにして覆いかぶさる男の姿があった。


 ……お楽しみの最中?

 いや、違う。

 直感が全力で警報を鳴らした。


「あの~……大丈夫ですか?」


 努めて軽く声をかける。

 男の肩がびくりと跳ね、こちらを睨みつけた。

 

 ネルド。

 昼間、俺をボコったあのチンピラだ。


 そして、押しつけられている女は――ルーティ。

 涙で化粧が崩れ、震えている。


「てめぇ……昼間の!」


 ネルドが舌打ちし、威圧するように胸を張った。


「邪魔してんじゃねぇぞ。お前、こいつの何なんだよ!」


 俺は一拍置き、ルーティと視線を合わせた。

 彼女の瞳が揺れる。

 

 俺は迷いなく答えた。


「犬」


 自信満々に。

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