54. 聖女の仮面
カリナさんの介入によって、ひとまずその場は収束した。
地下に監禁されていたリゼとマリアも無事救出された。
だが――これで一件落着とはいかなかった。
ふたりとも気がついたら地下のあの部屋にいて、それ以前の記憶が抜け落ちていたという。
さらに異常なのは、カリナさんをはじめとする聖堂の人たちだ。
彼女らからは、リゼとマリアに関する記憶がまるごと欠落していた。
ただひとり、ルーティを除いて。
現在、俺は聖堂の大会議室にいる。
長テーブルを囲むのは、警察の面々とアレン、セシル。
そして、参考人として座らされているルーティと、この場の責任者であるカリナさんだ。
どうやら「不審者(俺)騒ぎ」の事後処理を進めていたらしい。
――もっとも、あれは作戦の一環。
警察とヴァンガードが聖堂へ合法的かつ強引に踏み込むための口実をつくるのが、俺の役目だった。
本題は、ここからだ。
「それで、ルーティさん。貴女だけが、どうしてふたりを覚えているのかな?」
アレンが静かに切り出した。
本来なら警察の仕事だが、あの強面の刑事では圧が強すぎる――おそらく、その配慮だろう。
「……わかりません」
ルーティは顔を伏せたまま、消え入りそうな声で答えた。
誰かをかばっているのか、それとも彼女自身が犯人なのか。
彼女の華奢な肩は小刻みに震えている。
アレンは机の上で指を組み、穏やかに、諭すような口調で続けた。
「このままだと、君を拘留して精神分析にかけることになる。誰にだって知られたくない記憶はあるだろう? できれば、私もそんなことはしたくない。君の口から、話してくれないか」
「……」
それでもルーティは唇を噛み締め、沈黙を貫いた。
精神分析とは、マギアを用いて脳の記憶領域を直接読み取る技術らしい。
この時代では黙秘に意味はない。
犯罪と無関係なプライバシーまで暴かれるくらいなら、最初から自白したほうがまし。
それが常識だそうだ。
それなのに、彼女は口を割らない。
いや、割れないのか。
アレンが小さくため息をつく。
その表情は「やれやれ」とでも言いたげだった。
「嬢ちゃんなぁ!」
バンッ!
革手袋の拳が机を叩き、乾いた音が室内に響く。
強面の刑事がついに堪忍袋の緒を切らしたらしい。
「黙ってりゃ済むと思ってんじゃねぇぞ! 無駄だってわかんねぇのか!?」
怒声が飛び、ルーティがびくりと身をすくませる。
「ザック殿。お気持ちはわかりますが、抑えてください」
「ですがアレン殿! これ以上は時間の無駄だ!」
アレンが諫めるが、ザックの苛立ちは限界に近い。
事情を知らない者が見れば、大の大人が寄ってたかって少女を恫喝している構図だ。
「……私……私は……」
重圧に耐えかね、ようやくルーティが震える声で何かを言いかけた――その瞬間。
ドサッ。
重い音が室内に響く。
ザックの体が椅子から崩れ落ちたのだ。
「ザック殿!? これは、まず――」
言い終える前に、アレンも崩れ落ちた。
見渡すと、会議室にいた全員が次々と椅子からずり落ち、床に倒れていく。
まるで糸が切れた操り人形のように。
どういうことだ? 何が起きてる……?
立ち上がろうとした俺の視界も、急激にぐにゃりと歪む。
手足の感覚が消え、意識が泥の中に沈んでいく。
――まずい。完全にやられた。
抵抗する間もなく、俺の意識は暗転した。
ピチョン、と水の音が聞こえる。
ぼやけた視界が、少しずつ焦点を取り戻していく。
ここは……トイレの洗面台だろうか。
蛇口から水が細く流れ落ち、その前でひとりの女性が肩を震わせていた。
「こんな……こんなつもりじゃなかった……。マリア……」
嗚咽混じりの声。
聞き間違えるはずがない。
ルーティだ。
これは、誰かの記憶?
未来に来てから2度見た、リゼにまつわる“夢”の感覚を思い出す。
今もそれと同じ、誰かの意識の中を覗いているような――そんな感覚だった。
「大丈夫ですよ。私が守ってあげますから」
視点の主が、優しく語りかけた。
慈愛に満ちた、聖母のような声。
「あなたは明日からも、今までどおりの日々を過ごせばいいのです」
視点の主が、ルーティの肩にそっと手を置く。
「その代わりに、少しだけお願いを聞いてくださいね」
洗面台の鏡。
そこに映っていたのは、怯えきったルーティと――その背後に立ち、優雅に微笑む“彼女”の姿だった。
鏡の中の“彼女”がゆっくりと微笑んだ、その瞬間。
『颯太の心に、触れさせない』
声が、頭の奥に直接響く。
どこか懐かしさを感じさせる。
パリンッ!
鏡が割れるような音と共に、強制的に見せられていた幻影が砕け散る。
顔を上げると、そこは元の会議室だった。
荒い呼吸を整え、周囲を見渡す。
アレンも、セシルも、警察たちも全員意識を失ったままだ。
俺だけが、意識を取り戻している。
「あっ……ぐ……ぅ……!」
苦しげな呻き声が聞こえた。
声の主は床に膝をつき、胸を押さえて脂汗を流している。
夢の中でルーティに語りかけていた人物。
そして、この部屋で唯一、倒れずに意識を保っていた人物。
第一聖女、カリナだった。
「な、なぜ……なぜ、私の干渉が……弾かれ……」
カリナは焦点の定まらない目で俺を見上げ、呆然とつぶやく。
俺にもはっきりとした理由はわからない。
ただ、あの声……もし俺の知る“彼女”なら、精神干渉を跳ね返すなんて容易いだろう。
もっとも、ここは未来。
あいつがいるわけなんてない、だから偶然か何かだろうけど。
「あ、あなたは……いったい何者なんです……?」
「えーと、何の変哲もない、ただの古代人ですよ」
「古代人……? あの子と、同じ……?」
「“あの子”って、フィオナのことですか?」
「……っ!」
カリナの肩が大きく跳ねた。
動揺が隠せていない。
その反応だけで十分すぎる答え合わせだ。
「私は……いったい……。これは、どういう……」
その間に、アレンや他の面々も次々と意識を取り戻していく。
状況を理解できず、皆が混乱した表情を浮かべていた。
大詰めだな。
俺は小さく息を整え、カリナに問いかけた。
「カリナさん、説明してもらえますか?」
「……何のことでしょう?」
まだシラを切るつもりか。
乱れた呼吸を整え、聖女の仮面を被り直そうとしているが、もう手遅れだ。
「アレンさん。記憶操作系のマギアが使われた痕跡があるはずです。確認をお願いします」
「ああ――」
アレンが近くの警官から端末を受け取り、画面を覗き込む。
「……確かに。つい先ほど、この部屋の中心で極めて強力な精神干渉マナの出力が観測されている」
「ありがとうございます。……ここにいる全員の記憶を書き換えるほどのマナ反応。詳しく調べれば、すぐに明らかになるはずです」
アレンが静かに息を吐き、鋭い視線をカリナへ向けた。
「カリナ殿。我々は先日の転移障害、そして魔物の襲撃。その両方に聖堂内部の者が関わっていた痕跡を掴み、調査を進めていました。さらに、調査員の幽閉、そして違法な記憶操作。まさか、あなたほどの人物が関わっていたとは……」
実際のところ、それなりの権限が必要な時点で、第一聖女は最初から疑いの筆頭だった。
ただ、決定的な証拠がなかった。
その“ボロ”を出させ、証拠をつかむこと――それが今回の潜入調査の目的のひとつだった。
もちろん、考案者は俺じゃない。リゼだ。
つくづく、いろんな意味で想像を超えてくる。
観念したように目を閉じたカリナだったが、次の瞬間、その目が見開かれた。
そこにあったのは、慈愛でも懺悔でもなく――昏い憎悪の炎だった。
「……お前の、せいだ」
低く、呪うような声。
「お前のせいだ、アレン=クロード。全部……全部お前のせいなんだよッ!!」
悲鳴のような絶叫が会議室に響き渡る。
アレンへと向けられた殺意にも似た視線に、俺たちはただ息を呑むしかなかった。




