52. 変態、再び
エミリアとの会話を終え、俺は再び聖堂のホールへ戻ってきた。
受付には、先ほど対応してくれた女性が座っている。
何も知らず、いつも通りの穏やかな一日を過ごしているのだろう。
深く息を吸い込む。
自分で提案した作戦とはいえ、これからやろうとしていることに躊躇いがないと言えば嘘になる。
――けど、やるしかない。これは俺がまいた種だ。
「リ、ゼ、ちゃあああああぁぁん!!」
全力で叫ぶ。
ホール全体に俺の声が響き渡った。
「結婚しようって約束しただろ! なのに、どこ行っちまったんだよ!!」
「なんで誰も知らないって言うんだ!? 出てこいよ! 出てきてくれよ!!」
「俺の愛しい、リゼちゃーーーーん!!」
ホールが静まり返る。
視線が一斉にこちらへ突き刺さる。
……よし、いい感じに引き付けられてる。でも、まだ足りない。
俺は受付のお姉さんに詰め寄った。
「ねえ! リゼちゃん出してよ! ねえ!」
「ひ、ひぃっ!」
「それとも……お姉さんが代わりになってくれる!?」
「た、助けて……!」
「おい、いい加減にしろ! 怖がってるじゃないか!」
ひとりの男が間に割って入った。
さしずめ、狂った暴漢から聖女を守る正義のヒーローってところか。
「男に用はないんだよなあ。ひひ……ふひひ……」
「てめえ、ふざけてんのか!」
男の拳が振り上げられ、俺の顔面をとらえる――が。
「がっ……! いってえっ!」
拳は俺の鼻先数センチで止まり、鈍い音とともに弾かれた。
防御障壁が作動したのだ。
『人に危害を加えない限り、戦闘ギアの使用は認められています。今度からはちゃんと自分の身を守ってくださいね』
先ほどセシルに言われた言葉が頭をよぎる。
いや、早速こんなところで役に立つとはな。
「ひひ……ざぁーんねん」
「くそっ、調子に乗りやがって……!」
「そこまでだ!」
背後から鋭い声が響く。
振り返ると、制服姿の男たちが雪崩れ込んできた。
その中のひとり、ひときわ厳つい男が前に出る。
「警察だ。異常者が暴れているとの通報があった。騒いでいるのは君かね?」
「だったら、どうするぅ?」
「……署に連行する。連れていけ」
外套をまとった人物が俺の両手をつかみ、手錠をかけた。
金属音が冷たく響く。
手錠ごと、そのまま引かれるようにして退場させられた。
ざわめく聖堂を背に、廊下を進む途中――見知った顔を見つける。
アレンだ。
ひと際整ったその顔立ちは、嫌でも目を引く。
目を合わせることなく、すれ違った。
パトカーのドアが閉まり、静寂が訪れる。
車内の光景に、ふと妙な懐かしさを覚えた。
まるで、久しぶりに実家に帰ったみたいだ。
「なかなかの名演技でしたね。本物みたいで迫力がありました」
同乗していた人物がフードを脱ぎ、俺の頭に自分の外套を軽く被せた。
その下から現れたのは、見慣れた顔――セシルだった。
「喜んでいいのか……なんだか複雑な気分だよ」
「“頑張った甲斐があった”って、そう思える結果にしましょう」
セシルの穏やかな声に、少しだけ自尊心が戻る。
それにしても――。
すんすん。
かぶせられた外套から、やけにいい香りが漂ってくる。
「……何か気になりますか?」
「いや、この外套、めっちゃいい匂いするなって」
「……もう変態のふりはしなくていいんですよ?」
「ごめん、つい……」
「ふふっ」
気まずそうにうつむく俺を見て、セシルが小さく笑った。
美少女と密室、距離わずか数十センチ。
心臓がバクバクと音を立て、掌に汗が滲む。
この状況でも青臭い感情が顔を出す自分に、内心で苦笑した。
「臭いって思われたらどうしようって心配してたんです。安心しました」
「とんでもない! むしろ、いい匂い過ぎて元気出る」
「ふふ、それならよかった。じゃあ、それは私からのエールってことで」
セシルの言葉に、胸の奥が温かくなる。
彼女の優しさに支えてられてばかりだ。
「途中まではルミナちゃんが通信で案内してくれる予定です。リゼちゃん、それにマリアちゃんを、お願いします」
「ああ。セシルも……お互い、頑張ろう」
パトカーを降りた俺は、外套で顔を隠しながら、裏口から再び聖堂へと足を踏み入れた。
俺の役割は、聖堂内に幽閉されているであろうリゼを見つけ出すこと。
マリアに関する記憶も改ざんされていたことを考えれば、彼女も一緒に囚われている可能性が高い。
『たー坊、聞こえるー?』
ルミナからの通信。
相変わらず、緊張感のない声が頭の中に響く。
けれど、今はそれが不思議と心強い。
「ああ、聞こえるよ」
『おっけー。じゃあ、早速案内するね! まずホールに入ったら、すぐ右へ――』
「ちょ、ちょっと待て。リゼたちの居場所、分かるのか?」
『うん、大体ね。リゼっちの協力で聖堂内部のマッピングは完了済み。でもね、外部からはもちろん、内部の端末からもアクセスできない秘密のエリアがあるんだ。怪しいよね?』
「……確かに、怪しいな」
『でしょ? だから、きっとそこにいるよ! レッツゴー!』
ルミナの案内に従い、ホール右手の通路を抜ける。
突き当たりには“非常口”の表示。
「この先の非常口を出たらいいんだな?」
『ブッブー。違うよー。その手前』
手前には――女性用トイレ。
……まさか。
「なあ……本当にここに入るのか?」
『なにか問題ある?』
「いや、だって……ここ、女子トイレじゃないか」
『えっ? 違う違う! トイレの隣だよ。トイレと非常口の間!』
「……そんなの分かるか!」
改めてよく見ると、壁のタイルの間にわずかな継ぎ目がある。
取っ手はないが、確かに扉のようだ。
『もー、たー坊ったら。変態モードになってた? エッチなことばかり考えて』
「なってないわ!」
『ぷっ、ゴメンゴメン。でもさ、たー坊が悪い女に鼻の下伸ばしたせいでこうなってるんだから、ちゃんと反省してよねー?』
ぐっ……返す言葉がない。
というかこの話、ルミナまで共有されてるのかよ。
どこまで筒抜けなんだ。
「で、この扉……取っ手が無いけど、どうやって開けるんだ?」
『えっとね、手をかざして、マナを注いでみて』
言われた通り、扉に手を当ててマナを送り込む。
次の瞬間、低く重い音を立てて、扉が奥へと開いた。
恐る恐る、扉の向こうへ足を踏み入れる。
薄暗い通路が地下へと続いている。
空気はひんやりとして湿っており、どこかカビと錆の匂いが混じっていた。
聖堂の華やかさとはまるで別世界。
まるで、封じられた地下遺構だ。
「どうして聖堂に、こんな場所が……?」
『聖堂って、すっごく古いんだよ。噂だと、この街ができるより前からあったんだって』
「街より前……?」
『うん。元々は別の建物だったみたい。それを聖堂として再利用してるだけ。だから、今は使われてない区画とか、結構残ってるんだよねー』
「へぇ……なるほどな」
ルミナと話しながら、慎重に階段を降りていく。
彼女の明るい声だけがこの陰鬱な場所での救いだった。
『……ストップ』
「どうした?」
『今いるあたり、不自然にマッピングが途切れてる。何かない?』
言われるまでもなく、視線の先にそれはあった。
分厚い鉄製の扉。
明らかに、ここだけ新しい造りだ。
「扉があるな」
『じゃあ、そこだね。その先に、きっといるよ! 多分、その中じゃ通信つながらなくなると思うけど、頑張って!』
「えっ? どういうこと?」
『最初に言ったよー? “アクセスできないエリアがある”って』
「ああ……そういえば」
『そういうこと! たー坊なら大丈夫。絶対に、ね。応援してるよー』
ぷつん、と通信が途切れる。
ルミナらしい軽さが逆に心細く感じられた。
深く息を吸い、意を決して扉に手をかける。
軋む音とともに、重い扉がゆっくりと開いた。
中は薄暗く、冷たい空気が肌を撫でる。
足音がやけに響く静寂の中、慎重に進む。
前方、闇の中にひとりの人影が立っていた。
光のない瞳がこちらを見据えている。
――ルーティ。
彼女が、そこにいた。




