48. 朱から藍へ
セシル邸に戻り、リビングに入ると、珍しくマリアの姿があった。
「今日は早いんだな」
「聖堂関係の情報は、だいたいルミナに引き継いだから。居てもやることが無くなってきてるのよ」
「そうなのか」
「ルミナ……あの子、やっぱりすごいわ。遠隔でどんどん聖堂のアクセスを洗ってる」
さすが、俺にあんなとんでもないギアを作ってくれただけはある。
「ねえ。明日、時間ある?」
「え? 急にどうした?」
「私も時間できたし、どこか行かない? ここ数日放ったらかしだったし……ちょっと、悪いかなって」
まさかの、マリアからのお誘い。
思わず胸が高鳴る。
俺のことを気にしてくれていたのかと思うと、妙に嬉しかった。
……けど、明日はルーティと約束してるんだった。
タイミング悪すぎる。
「ごめん、明日は用事が……」
「え!? あんたに予定? 誰と?」
「い、いや、ひとりだよ。ただ……女の子と一緒には行きにくい場所でさ」
ルーティのことは、マリアには言わないほうがいい。
聖堂関係者だし、下手をすれば顔見知りかもしれない。
まあ、いい子だし、マリアとトラブった相手ではないと思うけど。
「……軽蔑するわ。どうりで最近ニヤニヤしてたのね」
「ちょ、ちょっと待て。変な想像してないか?」
「他に何があるっていうのよ」
「う、まあ……その……」
確かに他に思いつかない。
まあ、ここは誤解されておいたほうが、かえって面倒が少ないかもしれない。
「まあいいわ。あんたも一応男だしね。――じゃ、明後日は空けといて。約束よ」
「わかった。約束する」
マリアはくるりと背を向け、軽やかに歩き出した。
ランプの灯りが、揺れる髪をやわらかく照らす。
その後ろ姿を見つめながら、胸の奥がなぜかざらついた。
「待ちました?」
翌日。
待ち合わせ場所に現れたルーティの姿を見て、思わず息をのんだ。
いつもの可愛らしい雰囲気とは違い、青を基調としたワンピース姿。
落ち着いた色合いが彼女の白い肌を引き立て、少し大人びて見える。
小動物系の彼女とのギャップに、胸が高鳴った。
「いや、今来たところだよ」
動揺を悟られないよう、平静を装う。
「よかったです! じゃあ、行きましょ」
「なあ、買い物ってどこに行くんだ? 俺、この街のことあまり詳しくなくて」
「やだなあ、“モール”に決まってるじゃないですか。ローセルにもありますよね?」
あ、聞いたことあるな。
マリアが言ってたっけ。
「欲しいものはほとんど通販で買えるけど、デートを楽しむために実店舗を集めた場所がある」って。
……やばい。
うっかり“未来初心者”を露呈したら怪しまれるかもしれない。
ボロを出さないようにしないと。
「そういえば、リゼちゃんも普通のことを知らない時があって、みんなを驚かせてます。ソウタさんとリゼちゃんって、どういう関係なんですか?」
来た。地雷質問。
たまたま職場が爆破する瞬間に出会って、一緒に時間移動してきた、なんて言って信じてもらえるわけがない。
さて、どう切り抜ける……?
「えーと……妹」
「妹?」
「ああ。血は繋がってないんだけど」
「あ、なるほど! 似てないから、あれっ?って思いました。だから心配で聖堂まで会いに来てたんですね」
「知っての通り、あいつはちょっと不器用なところがあるからね」
「いいお兄さんですね。……いいなあ、私もソウタさんみたいなお兄さんが欲しかったです」
「ルーティは兄弟いないの?」
「はい。ひとりっ子なんです。だから、きょうだいに憧れてて」
「そうなんだ」
他愛もない会話をしながら、ふたり並んで歩く。
周囲から見れば、まさしくカップルに見えるのかもしれない。
そう思うと、なんだか自分がいい男になった気がして、少し胸を張って歩けた。
実際のところ、何も変わってはいないのだけど。
「お、ルーティじゃん」
不意に、少し離れたところから声が飛んできた。
視線を向けると、いかつい顔つきの男がこちらを見てニヤニヤしている。
まさかの知り合い……?
でも、彼女とはとても接点がなさそうなタイプだ。
「誰だ、そいつ? 新しいカモか?」
下卑た笑い声が響く。
ルーティはそちらを一瞥もせず、表情ひとつ変えずに足を速めた。
「何か言ってるけど……知り合い?」
「まさか。歩いてると、よく男の人に声をかけられるんです。きっと、“チョロそう”って思われてるんですよ」
軽い調子で言うが、その声にはわずかな棘が混じっていた。
そして、彼女は唐突に俺の手を取る。
「行きましょ」
細い指先が触れた瞬間、心臓がどくんと跳ねた。
彼女はそのまま、俺をぐいっと引っ張っていく。
まるで、何かから逃げるように。
しばらく歩き、ようやくモールの入口に辿り着いた。
洋服、雑貨、飲食店――あらゆるジャンルの店が整然と並び、人の熱気であふれている。
未来になっても、こういう場所は変わらない。
けれど、どこか全体が洗練され、空気まで眩しく感じた。
「フクロモモンガ、かわいいですねぇ」
ペットショップで、小さな生き物を見守るように見つめるルーティ。
小動物が小動物を見てる――そんな光景に、思わず頬が緩む。
「動物、好きなんだな」
「はい。見てるだけで癒やされます。ペットは禁止なんですけどね」
「寮生活だもんな」
「でも、いつか誰かいい人ができたら、一緒に暮らして、動物を飼いたいな」
少し照れたように笑う彼女の横顔に、胸がチクリと痛む。
“その相手”に自分が入る未来を、一瞬想像してしまった。
俺は、この子をどうしたいんだ。
見た目は、文句のつけようがない。
一緒にいて楽しい。
でも――本当に、好きなのか?
いずれ過去へ帰る。
いつまでも一緒にいられるわけじゃない。
好意に甘えて、一時の寂しさを紛らわせようとしているだけじゃないのか。
「ソウタさん……?」
思考の渦に沈みすぎていたらしい。
彼女が心配そうに覗き込んでいた。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「ふふ、やっぱり。急に黙っちゃうから。……少し休みましょ」
案内されたのは、モールの片隅にあるプラネタリウムだった。
静かな館内。
天井一面に広がる光の粒。
星々の説明を聞きながら、俺たちは並んで座り、ゆっくりと空を見上げた。
投影される星座の名は、俺の知るものとほとんど同じだ。
たぶん、もっと早くここへ来ていれば、この場所が異世界じゃないって、すぐに気づけていただろう。
「いい休憩になったよ」
「よかったです。ねえ、ソウタさんは“本物の星”を見たこと、ありますか?」
「本物の星?」
「はい。“外”で見る、空の上の、本当の星の光」
「……あるよ」
「すごい! さすがヴァンガードですね! いいなあ……」
たしかに、夜の街からも星は見える。
でも、それは違う――ルーティの言う“外”とは、たぶん、この閉じられた街の外側。
空気の冷たさも、闇の広がりも感じられる、本当の空の下のことだろう。
その後も雑貨を見たり、カフェでお茶をしたりと、俺たちは他愛もない時間を楽しんだ。
気づけば、モールの屋上。
夕日が沈みきり、空の色が朱から藍へと静かに変わりつつある。
「もうこんな時間か。楽しくて、あっという間だったよ」
「私もです」
ルーティはフェンスにもたれ、街の光を見下ろして微笑んだ。
足元では、無数の光が灯り始めている。
昼と夜のあわい。
その狭間に漂う空気は、不思議なほど穏やかだった。
「私、この時間の景色が一番好きです。温かい街の色が、少しずつ冷たい光に変わっていく――その瞬間が」
風が吹き抜け、彼女の髪が揺れる。
淡い照明が頬を照らし、その横顔がやけに綺麗に見えた。
「ねえ、ソウタさんは……私のこと、どう思いますか?」
ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
――来た。
正直、予感はしていた。
けれど、その答えをまだ自分の中で見つけられずにいた。
「どうって……一緒にいて楽しいし、すごくいい子だと思う」
「……ずるいですね」
ルーティはゆっくりとこちらを振り返る。
藍に染まった空の下、彼女の瞳だけが、まるで星のように光って見えた。
「――キス、してくれませんか」
息をのむ。
頭の中が真っ白になる。
――マジか。




