45. セシルのお願い
「ここが……セシルの家……?」
門の外で立ち尽くした。
正門から玄関まで、ざっと十数メートルはある。
広い敷地の奥にそびえる建物は、俺の人生で関わることのないと思っていた“御屋敷”そのものだった。
「遠慮しないで。どうぞ」
セシルに促され、ぎこちなく足を踏み入れる。
中もまた豪華だ。
高い天井から吊るされたシャンデリアが眩しく輝き、壁際には見るからに高そうな壺や絵画が並んでいる。
なんというか、漫画でしか見たことのない世界だ。
もしセシルがヴァンガードになっていなければ、今もお嬢様として、平穏に暮らしていたのかもしれない。
「お部屋、案内するね。リゼちゃんとルミナちゃんはゲストルームでいいかな。ソウタさんは――兄さんの部屋を使ってください」
「えっ……」
よりにもよってヴァイルの部屋。
案内された瞬間、胃の奥が妙に重くなる。
「男物の服とかも残ってるから、よかったら」
「……はは」
セシルに悪気はない。
そう分かってはいるけど、複雑な気分になるのは仕方ないだろう。
ひととおり部屋を案内されたあと、リゼの壮行会と称して皆で夕食を囲んだ。
広い食卓に並ぶ豪華な料理よりも、セシルの笑顔が印象的だった。
この大きな家で、ずっとひとりきりで過ごしてきたんだ――そう思うと胸が締め付けられる。
壮行会は夜更けまで続いた。
……リゼ、明日の面接に響かないといいけど。
翌朝、俺はリゼを見送るため、一緒に中央の聖堂までやってきた。
初めて目にするその建物は、とにかく巨大で荘厳だった。
高くそびえる尖塔、幾重にも重なるアーチ、透き通るようなステンドグラス。
ただ立っているだけで、こちらが小さな存在だと実感させられる。
さすがは中央都市の象徴。
マリアと出会った聖堂も立派だったが、比べ物にならない威容だ。
「……行ってくる」
「無理はするなよ。何かあったら、すぐに連絡してくれ」
「わかった」
リゼは短く答え、聖堂の入口へと歩いていく。
白い石畳を踏みしめ、巨大な扉の中に吸い込まれていく背中が、不思議と頼もしく見えた。
その日の夜、さっそくリゼから連絡が入った。
――面接に無事合格。
明日から見習いとして、住み込みで働くことになったらしい。
報せを受けて、胸を撫で下ろす。
けれど同時に、心の片隅には拭えない不安も残った。
あの不器用な彼女が、本当に女ばかりの職場でやっていけるのか。
信じたい。
けれど、心配もしてしまう。
今の俺にできることは、祈ることだけ。
無事に調査が進みますように――そう願うしかなかった。
それから数日が過ぎた。
暇を持て余し、あてもなく屋敷の中をうろつく日々。
掃除も洗濯も、すべてマギアがこなしてくれるおかげで、俺の出番はない。
マリアとルミナは、時折送られてくるリゼの調査結果を解析するため、中央本部へ通っている。
セシルもヴァンガードの仕事で日中は不在だ。
気がつけば、何もしていないのは俺だけだった。
やることが無い状況には慣れている。
でも、みんなが役目を果たしている中、自分だけ取り残されているのは地味に堪えた。
今日も朝からやけに広い風呂に入り、部屋でだらだらと時間を潰していた時だった。
コンコン、とドアをノックする音。
「ソウタさん、います?」
セシルの声だ。
慌てて姿勢を正す。
「ああ、いるよ」
ガチャリとドアが開き、セシルが入ってきた。
その表情はどこか神妙で、普段の柔らかさが薄れている。
「どうした? 今日は仕事、早いんだね」
「ソウタさん……実は、お願いがあって」
セシルに連れられて向かったのは、屋敷の敷地内にある道場だった。
もとは彼女の父が門下生を指導していた場所で、アレンをはじめヴァンガードにも弟子がいるらしい。
けれど親父さんが行方不明になってからは休業中で、今はただ広い空間に静寂が満ちていた。
「ソウタさん、お願いを聞いてくれてありがとうございます」
「手合わせ……でいいんだよな? どうして急に?」
セシルはまっすぐにこちらを見つめた。
「今の自分の力を確かめたいんです。私が知る限り、一番強かったのは父さんでした。でも……その父さんですら手も足も出なかった相手がいた。信じられない。でも、このままじゃダメだと思ったんです」
危機感と決意が、言葉の端々からにじみ出ていた。
もう視線の先が、俺なんかよりはるかに上の戦いに向いている。
「……なるほど。親父さん、二刀流だったよな。じゃあ、合わせてみるか」
両手に汎用ギアを構える。
マナを込めた瞬間、歴戦の戦士の感覚が全身に流れ込んできた。
「ありがとうございます。常人なら1本すら満足に扱い切れないのに……やはり、さすがです」
セシルもギアを構える。
「……本気で行きます。怪我させたらごめんなさい」
なんか物騒なことを言うな――そう思った瞬間。
セシルが一気に間合いを詰め、斬りかかってきた。
俺――いや、ギアが先に反応し、左手の剣で受け止める。
思ったより軽い。
視界の端に、別の影が揺れた。
俺が受けたと思ったのは――霧の妖精の幻だった。
質量まで持たせられるのか……!
右側面からの本命。
受けにくい角度だったが、なんとか防ぐ。
苦し紛れに左の剣を振るも、難なく躱された。
「もっと本気で来てください」
「女の子を傷つけるのは、俺の主義じゃないんだけどな……」
でも、手を抜くのは失礼だ。
両手のギアに全力を注ぎ込む。
「今度はこっちから行くぜ!」
右手のギアをセシルへ投げ放ち、そのまま斬りかかる。
飛来する刃をセシルが弾いた。
だがすぐに第2波――と見せかけ、弾かれたギアを掴み直し、連撃へとつなげる。
「――っ!」
やりづらそうに、それでも読んでいたかのようにセシルは受け流した。
そのまま近距離で打ち合う。
刃と刃は互いに届かず、激しい音だけを響かせた。
この子、やっぱりただ者じゃない……!
攻撃の速さ、軌道、タイミング――どれもギア無しでは不可能な領域だ。
それをセシルは“見て”、“合わせて”くる。
打ち合いの最中、セシルの息が上がっていることに気づいた。
ギアの補助があるとはいえ、持久戦になればやはり男の方が有利か。
――ここで一気に畳みかける!
攻撃の勢いを強めると、セシルの表情が苦しそうに変わった。
正面から鋭い突き。
だが視界の端に影が動くのを見逃さない。
同じ手は食わない!
突きを受けながら、同時に側面へ意識を回す。
次の瞬間。
俺は、天井を見上げていた。
側面の影はフェイク。
正面の突きもフェイク。
セシルは武器を捨て、俺の右足を刈って投げ倒したのだ。
荒い息遣いが、すぐそばで聞こえる。
「……参ったよ。やっぱりセシルには敵わないな」
「ソウタさんこそ、本当に凄い。剣術だけの汎用ギアでここまで……」
不思議と清々しい気持ちになっていた。
漫画でよくある“剣で語り合う”って、こういうことか。
「あ……」
ふと目の前に、激しい動きではだけたセシルの胸元が映った。
今しがた分かり合った仲だ。
今なら、許されるかもしれない。
「あの……セシルさん。言いにくいんだけど……」
「?」
「胸……その、見え――」
その瞬間、衝撃と共に意識が途切れた。




