4. 夕食の後は、魔物退治
「お金、返してよね」
「出世払いでお願いします」
俺とリゼ、そしてマリアの三人で、街に出て夕食をとっていた。
店は、この世界のファミレス的な場所らしい。
欧風の外観に夕暮れの光が差し込み、やたらと洒落て見える。
異世界ってもっと中世っぽいかと思ってたけど……普通に現代以上にハイレベルだ。
俺はハンバーグ風のステーキを、リゼはパンケーキ、マリアはマリナーラ風のパスタを注文。
会話はほとんどなかったけど、人と一緒にご飯を食べるのなんて久しぶりで、それだけでなんだか楽しかった。
「何ニヤニヤしてんのよ」
「別に?」
「やっぱキモ」
マリアは相変わらず厳しいけど、ついてきてくれたし、食事代まで立て替えてくれた。
もしかして……少しは気にかけてくれてる?
「ずっと気になってたんだけど、あれ何?」
俺は厨房を指さした。
何もないところから水が出たり、鍋が宙に浮いたり、赤く光ったり――いろいろヤバい。
「何が? 普通じゃん」
「いやいや、蛇口ないのに水出てるし、コンロもないし、鍋も浮いてるし……」
「マギアでしょ。まさか知らないの?」
「マギア……?」
どうやらこの世界じゃ常識らしい。
ここで隠し続けるのも不自然だし、いい機会だ。
「驚かないで聞いてほしい。実は俺たち、異世界から来たんだ」
「ふーん」
……え、ふーん?
全然驚かれなかった。こっちは結構な覚悟で言ったのに。
「なんか、あっさりしてますね……」
「変だと思ってたから。やっぱりって感じ」
ドヤ顔で告白した自分が恥ずかしくなった。
「マギアってのはね、マナを使う道具のことよ」
「マナ?」
「この世界に満ちてるエネルギー。マギアはそれを効果に変換して使うの。厨房のは調理用ギアね。水を出したり、加熱したりできるの」
「誰でも使えるの?」
「もちろん」
要するに、俺たちの世界の“魔法”を道具で一般化した感じか。
「ちなみに、パトカーも?」
「そうだけど……なんで急に――あっ」
マリアがニヤッと笑った。
……ああ、はいはい。なるほどね、って顔。次、次!
「てか、リゼも異世界人?」
「そう」
「……あれ? リゼは登録、あるんだけど」
え、あるの?
登録って、女神様の……?
信頼してたリゼに、一瞬だけ疑いが浮かびそうになった。
でも、その感情を自分で押し殺す。
「本当はリゼ、この世界の出身なんじゃ……? もしくは前に来たことあるとか?」
「……わからない。ここに来るのは初めてだと思う。でも、生まれた時の記憶はないから」
たしかに、物心つく前に異世界転移してたとか……あり得なくもない。
両親がそういう能力を持ってたとか?
食事を終えて店を出ると、外はすっかり夜だった。
街灯が柔らかく路地を照らしていて、それもマギアの一種なのだろう。
夜風が心地よくて、3人で歩く道はどこか穏やかだった。
ふと前方に、見覚えのある広場が見える。
俺が最初に転移してきた場所だ。
懐かしい――と思った瞬間、
「――キャアアッ!」
女性の悲鳴が響いた。
反射的に自分の服を確認する。
……着てる、よし。って違う!
血の匂いが鼻をかすめ、鳥肌が立つ。
視線の先には、血を流して倒れる女性と、馬ほどの大きさの狼。
「逃げて!!」
マリアの叫び声に、思考が現実に引き戻される。
巨大な狼の牙が、月明かりに照らされて迫ってくる。
とっさに体をひねり、牙はギリギリで回避。
だが、爪が頬をかすめ、熱い痛みが走った。
アドレナリンのせいか感覚は鈍い。
だけど、この化け物に丸腰で勝てるビジョンはまるでない。
女性が誰かに治療されているのが見えた。
――なら、時間を稼ぐしかない。
俺はシャツを脱ぎ、手に持って狼を挑発した。
闘牛の要領で目立ち、突進を誘って回避する。
何度かは避けられたけど、紙一重。
それに、相手も学習する。
このままじゃ、持たない――
次の突撃。タイミングを見て身をかわそうとしたその時、狼のスピードが急に緩んだ。
……フェイント!?
反応が遅れた――
死ぬ、と思った瞬間。
「バインド!!」
渋く、どこか聞き覚えのある声。
光の紐が警棒から伸び、狼を絡め取って動きを止めた。
「間に合ってよかったよ」
助けてくれたのは、あのお巡りさんだった。
「兄ちゃんか。時間稼ぎ、ありがとな。でも危なかったな」
救われた安堵と、痛みと、感謝が一気に押し寄せた。
「ありが――」
言いかけたその瞬間――
ドンッ!
お巡りさんの体が吹き飛び、地面に叩きつけられる。
「もう一頭、いやがったのか……!」
警棒が地面に転がり、さっきの狼も自由になっている。
新たな個体が、倒れた女性に牙を向ける――
俺は反射的に警棒へ飛びつき、叫んだ。
「バインド!!」
警棒が光を放ち、無数の光の紐が飛び出す。
2頭の狼に絡みついたその瞬間、爆発したかのように――両方が砕け散った。
……俺がやった、のか?
全身の力が抜け、その場に座り込んだ。
物陰からリゼが出てきて、俺の隣に腰を下ろす。
マリアは険しい顔で近づいてきた。
「逃げろって言ったわよね? 魔物相手に丸腰で挑むとか、自殺行為よ」
「まあ、そう言ってやるな。兄ちゃんのおかげで、被害は最小限に済んだ」
お巡りさんがフォローしてくれる。
「しかしすげぇな、見事な限界突破だった」
「オーバークロック?」
「汎用ギアってのは、使用者のマナを使わない設計になってる。だが、使用者が意図的にマナを突っ込んでやりゃ、性能を一時的に引き上げることもできるんだ。まぁ、命削っての一発技みたいなもんだな」
……そんな大技だったのか、アレ。
「すまねえ、俺が使えばよかったんだが……あの生気を吸われる感じ、どうにも苦手でな。情けねぇ」
治療が済んだのか、負傷者の治療にあたっていた女性がこちらにやってきた。
「先ほどはありがとうございました。あなたのおかげで、治療に専念できました」
深々と頭を下げる彼女。
「それから……姉がお世話になっております」
「姉?」
「はい。マリア=ハーヴィングの妹、エミリアです」
「え、マリアの妹?」
見比べてみると、顔は似ている……けど、スタイルは――いい意味で違う。
「何ジロジロ見てんのよ、変態」
うっ……
マリアの凄みに気圧され、頬の傷がズキンと痛む。
「お怪我されてますね。治療用のギアが――」
「いい。エミリア、今日は非番でしょ。コイツは大丈夫だから。帰ったら私が治しとく」
エミリアちゃんに治してもらいたかったけど、これ以上傷が増えるのは避けたかったので、大人しく黙ってた。
聖堂に戻ると、マリアが俺の傷を手当てしてくれた。
意外にも手際がよくて、痛みもなく、痕も残らない。
そして、リゼの同室問題は――結局、リゼはマリアの部屋に泊まることになった。
「アンタと一緒だと、リゼの身が危ない」らしい。
……結局、俺は一人。
がっかりしながら、ベッドに沈み込んだ。
――気がつくと、目の前には果てしない青空と海が広がっていた。
あの見張り台から見た景色。
でも、どこか違う。
「お母さまー!」
幼い男の子の声。
振り返ると、小さな男の子が駆けてきた。
「見て見て、じゃーん」
その手の上で、水滴が集まり、精巧な氷の馬が形を成す。
「すごいわね〜」
自分の声のはずなのに、どこか他人のもののようだった。
女性の声になっていて、意思も乗っていない。
夢だと、すぐに分かった。
これは、誰かの記憶をなぞっているような感覚だった。
「じゃあね」
男の子が言った瞬間、氷の馬は音を立てて蒸発した。
視線を戻すと、白いワンピースの少女がフェンスの前に座っていた。
俺は、その子の隣にゆっくり近づく。
「……私はどうせいらない子でしょ。いくつになっても、レオンみたいにはなれない。無能者のまま」
俯いたまま、少女がつぶやく。
「能力なんて、気にしなくてもいいのよ。大丈夫。わたしは、ずっと傍にいるから。だから――安心して、リゼ……」
声が、風に溶けていった。
世界が、静かに遠ざかっていく。