1. 拝啓 全裸で牢屋にいますが、私は元気です
「ほらよ、これでも着ときな」
「……どうも」
鉄格子の隙間から差し出された服を受け取る。
俺は今、見知らぬ土地の牢の中にいる。
おまけに、なぜか全裸で。
――どうして、こうなった。
よくあるファンタジー作品の村人Aが着ていそうな服に袖を通しながら、ついさっきまでの出来事を振り返る。
退屈すぎて死にそうだ。
いつものように、明かりひとつない夜の海を眺める。
まるでこの世界から、自分以外のすべてが消えてしまったかのように感じる。
高校卒業後、就職した警備会社の配属ガチャで特大のハズレを引いた俺は、地図にも載らない海上研究所の警備員になった。
交代勤務のせいで同僚とは顔も合わせず、休日は狭い自室でネットを眺めるだけ。
18歳という貴重な時間をドブに捨てている自覚はあったが、そのぶん給料がいいことだけを心の支えに、ただ耐える日々だった。
この世界は、不公平だ。
全人口の約15%。
自然現象すら捻じ曲げる力を持つ“能力者”たちが、富も名声も、何もかもを独占する。
そして俺のような、何も持たない85%の“無能者”は、彼らに理不尽を押し付けられながら生きるしかない。
この研究所の警備もそうだ。俺の仕事は、異変を見つけたら即座にアラートを鳴らすこと。
ただそれだけ。
あとは、常駐しているA級能力者が化け物じみた力で全てを解決してくれる。
希望なんて、とうの昔に捨てた。
今日もいつもと同じ。
何も起こらず、夜明けまで無心で海を眺めるだけだ。
そう思った、矢先だった。
一瞬、海面が閃光で照らされ、わずかに遅れて轟音が響いた。
「……マジか」
この3ヶ月間で初めての出来事に動揺しつつ、震える指で腕に取り付けている警報のスイッチを押した。
俺の仕事はここまで。
これで俺の役目は終わり。
あとは能力者様が何とかしてくれるはずだ。
……これでいいんだよな?
スイッチを押したものの、警報が鳴ることも、戦闘が始まることもない。
周囲は再び、深い闇と静寂に包まれていた。
退屈すぎて幻覚でも見たのかもしれない。
それとも、スイッチが壊れていたのか……。
いや、とにかく、この得体の知れない静けさが不気味だった。
不安に駆られ、俺は見張り台を降りて、研究所の入口へ向かった。
ロケットランチャーでもびくともしないはずの分厚い隔壁が、粉々に破壊されていた。
――ヤバい、これマジで緊急事態だ。
俺のような下っ端警備員は立ち入り禁止だけど、緊急事態だ。
仕方ない。
恐る恐るエントランスに足を踏み入れる。
主電源が落ちているのか、非常灯だけがぼんやりと辺りを照らしていた。
メインラボに通じる扉だろうか、ひときわ大きな扉の前に、小さな人影を見つけた。
背は低く、ボサボサの長い黒髪。
後ろ姿だが、おそらく女性だ。
「あの……」
女性らしい外見に油断して、つい声をかけてしまった。
――しまった。相手が味方とは限らない。
俺の声に、人影がゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、透き通るような碧い瞳と、白い肌をした少女だった。
薄明かりの中で、宝石のように輝く瞳が、少し驚いたように俺を見つめている。
言葉を失い、見入ってしまった。
「……中は、見ないほうがいい」
少女の言葉の意味を理解しないまま、視界が真っ白に染まった。
次に気がつくと、俺は眩しい光の中にいた。
ぼやける視界、がやがやと聞こえる喧騒。
目が慣れてくると、そこが見慣れた研究所ではないことに気づく。
ごつごつした石畳に、石造りの建物。
まるでヨーロッパの観光地のような街並みが広がっていた。
何が、どうなってる……?
状況が呑み込めず、行き交う人々の中で呆然と立ち尽くす。
もしかして、あの少女は強力な能力者で、転移魔法で俺をヨーロッパに飛ばしたのかもしれない。
急に明るくなっているのも、時差で説明がつく。
でも――何のために?
理由がわからない。
それに、あの一言がどうにも気になる。
考え込んでいると、ふと周囲の視線が自分に集まっていることに気づいた。
皆、どこか怪訝そうな表情を浮かべている。
なぜだろうと自分に目を向けて、すべてを悟った。
――俺は、一糸まとわぬ姿でそこに立っていた。
……もう、お嫁にいけない。
俺の心は泣いていた。
公衆の面前で痴態を晒し、無事(?)変質者としてお巡りさんに連行される。
18年間保ってきた純潔が、ガラガラと音を立てて崩れ去った。
まだチューすらしたことがないのに……。
それにしても、気になることがある。
――ここ、本当にヨーロッパか?
連れて行かれたパトカーのような乗り物は、見たことのないデザインだった。
エンジン音もしない。何か別の動力で動いているようだ。
ここはヨーロッパのどこなのかと尋ねても、そもそもヨーロッパを知らないという反応。
極めつけは、取り調べ中に何度も出てきた言葉――“女神様”。
すべてお見通しの女神様なる存在がいて、個人情報の照会までできるらしい。
街全体が宗教に支配されている線も考えたが、俺の直感が「違う」と囁いていた。
幸い、何もせずにぼーっとするのには職業柄慣れていた。
――牢に入れられてから、だいたい2時間か。
普通なら、体感時間がやたら長く感じるものだけど、慣れってすごい。
これからのこととか、どうやって抜け出すかとか考える気力すらなかった。
それよりも、あの子――あの少女と目が合った瞬間が、脳裏に焼き付いて離れない。
彼女はなぜ、あの場にいたのか。
「中は見ないほうがいい」――その意味は。
まさか、研究所の人間を……彼女が?
……そんなわけない。
あの瞳は、人を傷つけるような目じゃなかった。
「おい、出ていいぞ」
考えごとをしていると、不意に声をかけられて、ビクッとなる。
「え、いいんですか?」
「ああ。妹さんがお迎えだ。大変だったな、兄ちゃん」
妹……?
ひなたがここに?
いや、ひなたが1人でこんなところに来れるはずがない。
「しかし、似てない兄妹だなあ」
その一言で確信した。
迎えに来たのは、ひなたじゃない。
じゃあ――誰だ?
留置所を出て、面会室まで案内される。
牢に入れられるまでと比べて、お巡りさんの態度はずいぶんと優しくなっていた。
道中、「妹を大事にしろよ」「強く生きろ」と、やけに熱心に励ましてくれる。
(なんで急に優しいんだ……)
そう思いながらも、俺は作り笑いで「ありがとうございます」と応じていた。
そして、面会室の扉が開かれる。
その瞬間、俺は自分の目を疑った。
そこにいたのは――あの、少女だった。