第八章 神命殿血戦
聖都セイクリア。天空に浮かぶこの神聖都市の最上層、誰人たりとも踏み入ることを許されぬ禁域――神命殿。
その中央広場。純白の大理石で構成された壮麗な神殿建築の中枢には、光すらも屈するかのような黒き祭壇が存在していた。
「……感じるな。異様なまでの魔力の密度。ここに、“それ”がいるのか」
涼真は重たい気配を押し分けるようにして歩を進める。
その後ろを、アーシャとリーシャの双子姉妹が不安げな顔でついてくる。
「兄様、本当に……私たちが同行しても……?」
「やめておけ」
涼真の声は冷たかった。だが、そこに込められたのは双子を想う強い意志だった。
「この先は、“力”の領域が違う。お前たちが巻き込まれたら、一瞬で蒸発する。……死ぬぞ」
リーシャが口元を噛みしめた。アーシャも同様だ。
彼女たちが全力を出せば、国家一つを消し飛ばせる実力者である。だが今、この場所に満ちる“何か”は、それすらも霞む。
「……了解、兄様」
「私たちは、ここで見届けます」
双子は一歩下がり、涼真に背を預ける形で佇んだ。
そして――涼真は神命殿の奥、祭壇の中心へと進む。
そこに“それ”はいた。
神命殿の主。神の代弁者を自称する、全身に黄金の鎧をまとった異形の存在――バルタザール。
「貴様が……魔物側の長か」
バルタザールの声は、金属が擦れるような濁声。
頭部はもはや人ではない。顔の中央に光の孔があり、そこから神聖とも狂気ともつかぬ輝きが漏れていた。
「いや、違うな……この気配……“人”か? いや、貴様は――」
「お前の言葉に意味はない。お前は、ここで終わる」
涼真は、静かに言った。だがその瞬間、神命殿の空気が一変した。
重力が歪んだかのような感覚が広場全体を襲い、建物の柱が軋みを上げ、石畳に無数のひびが走る。
「この空気……っ、まさか――!?」
バルタザールが叫ぶ間もなく、涼真の身体から黒き光が噴き出した。
その黒は闇ではない。宇宙のような深さと星のような煌めきを孕み、見る者すべてに「自分は無力だ」と錯覚させる、絶望の象徴。
涼真の外套が弾け飛び、静かに黒衣へと変質していく。
瞳は金に染まり、額には魔印が浮かび上がった。
「ようやく理解した……貴様、“人ではない”な。何だ、その存在は……!」
バルタザールが魔力を解放する。
数百万の信者たちの魂が魔方陣から供給され、彼の身体を光で包む。
そして、光の翼が六枚。背から広がる。
「――神の代弁者、バルタザールの名において! 我、神罰を与えん!!」
咆哮と共に放たれたのは、空間を溶かすほどの神罰の槍。
だが――涼真は動かない。
「遅い」
彼がそう言った瞬間、神罰の槍は寸前で消滅した。
否、違う。“消えた”のではない。存在そのものが否定されたのだ。
「……っ!!」
バルタザールが狼狽する。
涼真は一歩だけ、足を踏み出した。
すると神命殿全体が軋み、空間が震え、天空に亀裂が走る。
上空に浮かんでいた浮遊都市の一角が崩落し、白い塔がひとつ、遠くへ落ちていった。
「この力……まさか、魔王をも超えるという“例外”……貴様が――」
「神殺し(しんごろし)」
涼真は淡々と名乗った。神命殿に、静かな轟音が広がる。
「俺の役割は、この世界の歪みを正すことだ。……人間でも、魔物でもない。俺は“終わらせる”ために生まれた」
彼の言葉に、バルタザールは一瞬の恐怖を感じた。
だが――
「ならば、なおさら貴様をこの世界に存在させる訳にはいかんッ!!」
神罰の光が、四方八方から襲いかかる。
巨大な光槍、光刃、聖なる炎――まるで天地そのものが怒り狂っているかのような光景。
だが――涼真は、静かに右手を掲げただけだった。
「終わりだ、“神の代弁者”」
その右手が――空間ごと、バルタザールを握りつぶした。
ギィィィィィンンン……
まるでガラスを何層も砕いたような高周波が神命殿を包む。
信者の魂からの魔力供給も、神罰の権能も、全てが砕け散っていく。
バルタザールの身体は音もなく分解され、その一片すら残さず消滅した。
静寂。
神命殿には、風の音すらない。
広場の奥から駆け寄ろうとしたアーシャとリーシャだったが、涼真の周囲にはまだ、“何か”が残っていた。
「やめろ、近づくな」
その声は、普段の涼真のものに戻っていた。
だが双子の本能は告げていた。あの中心にあるものは、“世界の法則から外れた存在”なのだと。
彼は、世界を壊すために目覚めた者。
双子は、震える手を重ねて立ち尽くした。
――彼は今、“神を殺す者”として完全に覚醒した。
神命殿の広場に静寂が戻ってから、すでに十数分が経過していた。
だが、空気は未だ震えていた。涼真の放った力の余韻が、空間のすべてを染めていた。
バルタザールは存在ごと消えた。神を語る者の末路は、まさに神話の終焉だった。
それを目の当たりにした双子――アーシャとリーシャは、まだ涼真に近づけずにいた。
「……兄様……今のは……」
リーシャが震え声で呟く。
「私たちが見たものは……本当に、“兄様”なの……?」
アーシャがそれに答えることはできなかった。
涼真の姿は変わっていなかった。だが、あの一瞬だけ、彼は世界そのものの“外側”にいた。
まるでこの現実を支配する理を否定し、創造主ですら手を出せぬ“深淵”に立っていた。
そして――
「終わったぞ」
彼は、いつもの声で振り返った。
だが双子は直感的に理解していた。この男が“まだ何も見せていない”ということを。
「……神の代弁者、バルタザールを殺したことで、もう神の支配は終わったのか?」
リーシャがそう問うた。涼真はゆっくりと首を横に振った。
「いや、終わっていない。バルタザールは“神の代弁者”に過ぎない。真の敵は――まだこの空のどこかにいる」
「まさか……神そのものが……?」
涼真は返さなかった。だがその沈黙が、全ての答えだった。
そして、その瞬間だった。
神命殿の中心部――先ほどまでバルタザールが立っていた場所の床が、音もなく割れた。
そこから――光が、溢れ出た。
否、それは光ではなかった。存在しないはずの“上位存在”の力。
バルタザールですら触れることを禁じられていた“最終封印”が、今、開かれようとしていた。
「……やはり、“それ”が目を覚ましたか」
涼真の顔に微かな疲労が浮かぶ。彼とて、この戦いで力の大半を使った。だが――
「兄様……なにが……くるの……?」
アーシャが恐怖混じりに問う。
「……“神の落胤”。神の力を継ぐ未完成の個体だ。失敗作でありながら、神の力の根源に触れた存在」
リーシャが息をのむ。
「そ、そんなものが封印されていたの……?!」
地鳴りのような咆哮が、神命殿を突き破る。
現れたのは――黄金の鎧でもなく、聖なる形でもない。
それは――肉塊だった。
人の形を模した何か。
無数の腕と脚、目が寄せ集まり、意思のない獣のような唸りをあげる。
だが、ただの化け物ではなかった。
その存在から発される“魔力”は、さきほどのバルタザールの十倍はあった。
世界そのものが重くなる。空が悲鳴をあげ、遠くの空で嵐が生まれる。
「アレは……戦っては……」
アーシャが絶望をにじませて言いかけた瞬間。
涼真が、歩き出した。
「下がれ」
その一言に、双子はもう言葉を返せなかった。
彼の背中には、何もない。
だが、世界のあらゆるものを背負っているように見えた。
そして、彼は呟いた。
「……解放制限、解除」
その瞬間、涼真の身体から黒雷が迸る。
それは雷ではない。“存在の崩壊”そのものだった。
神の落胤が咆哮と共に無数の触手を放つ。
涼真を突き刺すように襲いかかる攻撃。空間が歪み、大地が裂ける。
だが――涼真は、一歩も動かない。
無数の攻撃は、彼の一歩手前で“存在を否定され”、崩れ落ちた。
「お前は……この世界の外から流れ込んだ不純物に過ぎない」
涼真が静かに呟いた瞬間、彼の手に、漆黒の剣が現れる。
それは“世界に存在しないはずの剣”。
この世界において、名前も定義も持たない“異質”。
それを持った涼真は、ただ一歩、踏み出した。
空間が砕け、時間が止まり、神の落胤が絶叫する。
「我が名は……“終焉”」
剣が振るわれた瞬間、神命殿ごと――世界の一角が、消えた。
まるで最初から存在しなかったかのように。
そして、涼真は静かに歩き、神命殿の縁に立つ。
その背中を、誰も見つめることができない。
アーシャとリーシャですら、彼の視界には存在しないほど、遠い存在だった。
だが、彼はただの破壊者ではなかった。
「……さて、“神”に報告してこい。俺は、必ず迎えに行く」
天空に向けて投げかけた言葉は、誰にも聞こえなかった。