第七章 聖都への侵入
勇者庁南棟、転送戦略室。
全長三十メートルを超える巨大な魔法陣の中心に、三つの影が静かに佇んでいた。
「転送先は――セイクリア旧王宮内、監査局の地下フロア。外部との接続は完全に遮断されているが……万一の即時戦闘に備えよ」
背後から響いたのは、変換師たちの指令だ。
だが、その言葉に誰も答えない。
無言のまま中央に立つのは、黒衣の男――涼真。そして彼の両脇に並ぶのは、艶やかな黒と銀の双子、アーシャとリーシャ。
「ふふ。国家最機密の転送陣に、私たち魔物が堂々と乗れるとはね。滑稽だと思わない?」
アーシャがくすくすと笑う。だがその声は、空間に異物を溶かす毒のような響きを持っていた。
「滑稽なのは……あっちの方でしょ。勇者たち、自分たちが正義だとまだ信じてるんだもん」
リーシャは無邪気な笑みを浮かべつつ、爪の先で魔力を弄んでいる。
涼真は二人を静かに見やると、短く指を鳴らした。
「転送、開始」
次の瞬間、空間が崩れた。
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視界が一瞬で反転する。肉体の輪郭が霧のようにほどけ、思考が歪む。
――そして、
ズン、と重たい重力が押し寄せ、三人は聖都セイクリアの地下へ転送された。
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「……成功。ここが、セイクリア」
涼真は周囲を見渡した。天井の低い石造りの空間。かつて神聖議会が極秘研究を行っていたとされる、旧地下資料区――現在は勇者庁の監査局が占有している領域だ。
「……うぇ、空気が最悪。人間の匂いが詰まりすぎ」
「精神ごと腐ってる感じ、するよね」
双子が顔をしかめる。
だがこの違和感こそが、この地の“異常さ”を証明していた。
この聖都――セイクリアは、すでに人間の理想を失っている。
宗教と政治が融合し、勇者という名の暴力装置が国民を抑圧し続けている世界。
その象徴が――この地下を守護する勇者、《雷槍》のマクスウェルだった。
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「敵は気づいてる?」
「来てる」
リーシャが微笑むと同時に、頭上の空気が炸裂した。
バリバリバリ――!
雷が地下を穿ち、床ごと壁を吹き飛ばす。
重厚な甲冑を纏った男が、崩落した壁の向こうから現れる。
「――貴様ら、どこからこの地に入った」
男の目は、まるで“神罰”そのものだった。
「セイクリアを……穢すつもりか?」
その名は――マクスウェル・ヴォルタス。
勇者庁特務局筆頭、《雷槍》の勇者にして、聖都の番人。
彼の手には、雷を纏う槍が握られていた。
**
「ふうん……聖都の番犬ってわけか」
アーシャが一歩、前に出る。腰をくねらせながら、その手には魔族特有の黒炎が宿る。
「リーシャ、姉さんに任せてくれる?」
「ううん。今回は一緒に行こ?」
双子が並び立つと、空気がねじれる。
魔力濃度が急激に上昇し、周囲の空間が震え始めた。
だが、マクスウェルも微動だにしない。
「二人がかりでかかってくるか……よかろう。ならばこちらも本気で迎えよう」
彼の槍が、天を指す。
「《雷界展開》――我が名の下に、天罰を下す!」
咆哮とともに、聖都の地下に雷雲が出現した。
常識を越えた、絶対領域。
雷の結界《雷界》が展開され、この瞬間――この空間は、彼の“支配圏”となった。
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「これは……!」
リーシャが身を竦める。普通の魔族なら、瞬時に消し炭になってもおかしくない。
「……ふふ。なら、こっちも出さないとね。ねえ、姉さん?」
アーシャが頷く。
「そうね。そろそろ、“本当の姿”を見せてあげましょうか」
双子の身体が、淡く発光する。魔族でありながら、どこか神性すら感じさせる神秘的なオーラ。
涼真は一歩、後ろに退き、低く呟いた。
「――始めろ。聖都の腐敗を……ここで断ち切るんだ」
雷と魔が交差する。
聖都セイクリア、その最深部にて。
雷鳴が轟き、聖都セイクリアの地下が軋む。
マクスウェルが掲げる雷槍は、天井にまで届かんとするほどの稲妻を放ち続けていた。
その一閃だけで、魔族の精鋭ですら消し炭になりかねない。
この空間全体が、彼の支配下にある。
「くっ……動きが鈍くなる……!」
リーシャの頬に、一筋の血が垂れる。
彼女の速度をもってしても、この雷界では通常の半分以下の力しか発揮できない。
「このままじゃ……!」
アーシャが歯噛みする。雷が魔力の流れを断ち、術式の発動すら困難にしている。
「やはり……貴様らは、“下の連中”とは違うな」
マクスウェルが忌々しげに呟いた。
「だが、貴様らも人間を脅かす魔物に変わりはない!ここで消えてもらう!」
次の瞬間――
「《雷裁断》!」
雷槍を地面に突き立てたマクスウェルが叫ぶと、空間が割れた。
八方に走る雷の柱が、双子を取り囲むように展開する。
完全なる“封殺”。
だが――その瞬間、
「――いい?リーシャ」
「うん、姉さん」
双子は微笑み合った。
次の瞬間、雷が霧散する。
「……なっ――!?」
マクスウェルが目を見開く。
アーシャとリーシャの髪が宙に舞う。瞳が深紅に染まり、背から黒い翼のようなエネルギーが伸びていた。
「ご覧なさい。これが私たちの……《真の姿》よ」
アーシャが静かに言う。
リーシャも続けた。
「姉妹で一つ、《鏡写し(ミラーシェイド)》の血脈の解放。ここからが本当の遊びよ?」
彼女たちは“異相変化”を果たした。
魔王軍の中でもごく一部しか持たない、純血幹部の力。
一人で軍を壊滅させうる“災厄”の具現――。
「この魔力……ッ、ふざけるな……!」
マクスウェルの額に汗がにじむ。
「貴様ら、何者だ……!」
「教えてあげてもいいけど、どうせ死ぬんだから意味ないよ?」
リーシャがぴょんと跳ねるように浮かび上がる。
その直後――
「《双影螺旋陣》!」
アーシャの声と共に、二人が同時に突っ込む。
マクスウェルが槍で迎撃するも――
ガギィンッ!
雷の壁が破られる。
「バカなッ!この雷界の中で――!」
「この雷界ごと、私たちが“喰ってる”のよ」
アーシャの一言に、マクスウェルの顔が蒼白になる。
雷界は確かに強力な支配領域だが、それは魔力構造を読み解けない者にはでしか通用しない。
双子はその構造を《共鳴感応》で分析し、逆に干渉・支配していたのだ。
「終わりだよ、マクスウェル」
リーシャが背後に回り、アーシャが前方から突撃する。
雷が弾け、空気が焦げる。
「雷界解除!」
二人の声が重なった瞬間――雷槍が、砕け散った。
「ぐああああああああっ――!」
マクスウェルの絶叫とともに、空間が崩壊する。
全身を雷に守られた男が、無防備な人間に戻り――そして地面に崩れ落ちた。
静寂。
雷は消え、空気が澄んだ。
「……あっけなかったね」
「全力出せば、こんなもん」
リーシャが小さく伸びをし、アーシャは槍の残骸を踏みつける。
涼真はその様子を後方からじっと見つめていた。
「……よくやった。これで聖都の第一層は奪取完了だ」
「涼真、次はどこ?」
「中央議会。そのあと、神殿区。セイクリアの“心臓”を――潰す」
双子が微笑み、頷いた。
腐敗した国家の中枢、聖都セイクリア。
その最奥へ、三人の侵攻が続いていく。