第五章 侵入作戦
聖都セイクリア南方五キロ地点。
忘れ去られた旧教会の地下。その深奥で、三つの影が静かに佇んでいた。
「……ここの奥に、転送口があるってわけ?」
艶のある声が暗闇に響いた。
黒革のコートに身を包んだ女――アーシャ。大胆に開いた胸元と、腰に巻かれた金属装飾が、まるで異国の貴族のような妖艶さを醸し出していた。
彼女の隣に立つ、銀の髪を持つ静かな女は妹のリーシャ。知性と沈着を湛えた瞳を持ち、背中には長杖を背負っている。
そして、その二人の先頭を歩くのは、仮面を被った男――元・特務機関の高官、そして現在は魔族側の参謀である男、涼真だった。
「この先に“裏口”がある。勇者庁の中枢まで、地下を通って接近できる唯一のルートだ」
涼真の声は低く、冷たい。
壁際に手をかざすと、石の表面に淡い光の紋が浮かび上がった。精緻な魔法陣。だが人間のものではない。魔族の技術が混ざっている。
「……こんなものが人間の都市に?」
リーシャが目を細める。「知らずに使っていたのか、それとも……」
「知っていて黙認していた。セイクリアの上層部はずっと前から、魔族の力に依存していたよ。“正義”の皮を被ってな」
涼真の皮肉混じりの口調に、アーシャがくすりと笑った。
「腐った果実に蓋をして、それを神に供えるなんて、ずいぶんお行儀がいいこと」
彼女の目が、夜光のように鋭く光った。
涼真は結界に手をかざし、生体認証を起動する。
元・高官であった彼の肉体には、今もいくつかの“アクセスコード”が刻まれている。それは彼の死と蘇りを経てもなお、この国の裏構造に生き残っていた。
「……認証完了。転送門を開く」
光が走る。空間が歪む。
三人の姿が、静かに、闇の中から消えた。
次の瞬間、冷たい石と鉄の匂いが鼻を突いた。
転送の先は、暗く湿った通路。壁は古びた煉瓦、床には苔が生え、天井には脈動する緑の魔光虫が巣を成していた。
ここは、かつて勇者庁が極秘裏に建設した地下実験施設――セイクリア地下区画第六層。
「空気が腐ってる……これ、何年も封鎖されたままだったんじゃない?」
アーシャが肩を抱くようにして身をすくめた。
「数百年は経ってる。だが、完全に“死んだ”空間じゃない」
涼真は周囲に魔力探知を展開する。即座に、複数の“気配”が引っかかった。
「動いてる。……生き残りか?」
リーシャが眉をひそめる。
「違う。あれは、“生かされたまま”だ。人体改造と精神固定の実験体。勇者庁が過去にやっていたことの、名残だよ」
彼の言葉に、二人の目が険しくなる。
「やっぱり……人間のほうが、よほど魔族より“魔物”じゃない」
アーシャが呟いた瞬間――
壁の影から、異音が走った。
「――!」
ガガガガガガ!
金属音。次の瞬間、天井から巨大な影が降ってきた。
脚が八本、胴体に無数の魔石とレンズ。蜘蛛型の自律兵器、“スパイダーII型”だった。
「自動迎撃兵か! 妹、援護お願い!」
アーシャが叫び、リーシャが杖を掲げて展開魔障壁を放つ。
魔力の衝撃が衝突する寸前――だが、涼真が静かに手を上げた。
「必要ない。下がれ」
その声に、姉妹は反射的に動きを止めた。
――パチン。
涼真が指を鳴らす。
次の瞬間、空間が“沈んだ”。
まるで目に見えない重力井戸に吸い込まれるかのように、スパイダーII型のボディが捻じ曲がり、空中で折り潰される。
金属の断末魔が響き、魔石が砕け、破片が床に散った。
アーシャがぽかんとした顔になる。
「……今、魔力も術式も……なにも感じなかったけど?」
「当然だ。感じ取れるものしか見えていない時点で、奴らと同じになってしまう」
涼真の声には一片の誇張もなかった。
――その力は、静かに世界を壊す。
彼の力は魔王すら凌駕するが、本人はそれをひけらかすことは決してない。
必要なときだけ、最小限の力で終わらせる。
それが、“影”としての彼の戦い方だった。
破壊されたスパイダーII型の残骸を踏み越え、三人は再び進み出す。
「……それにしても、“何も感じさせない力”って反則よね」
アーシャが口を尖らせるように言った。
「自分でやるより、横で見てるほうが寒気がするわ。今ので魔石三十個分の出力は潰したわけだし」
「私も……見たことない」
リーシャもわずかに頬を引きつらせていた。
だが、涼真は何も答えなかった。無言のまま前を見つめ、手の甲に埋め込まれた転送インジケーターを確認していた。
目的地まで、残り600メートル。だが、その間にある“特別区画”が、これまでの比ではない危険区域だ。
「注意しろ。次は試作実験体エリアだ。通常の迎撃兵器より、もっと性質が悪い」
涼真の言葉に、二人の気配が研ぎ澄まされる。
進んだ先に、巨大な鉄扉があった。
周囲には警告魔法陣が六重に組まれており、明らかに“何か”を閉じ込めている構造だった。
涼真が端末を操作し、バイパス回路を通して制御権を奪う。
ギィィィィ――…
重い金属音とともに、扉がゆっくりと開く。
「……これは」
アーシャの顔がわずかに引きつる。
中にいたのは、“人間”だった。
ただし、肉体は機械のように加工され、皮膚の代わりに硬化魔皮が張り付き、瞳からは色が失われていた。
試作実験体「No.13」
かつて“最も優秀な勇者候補生”と呼ばれた男の、なれの果て。
「……ッ!」
リーシャが詠唱を始めようとした瞬間、涼真が片手を挙げて制した。
「まだだ。あれは“魂”を固定されたまま動いている。倒すなら、一撃で終わらせろ。躊躇すれば、思念を吸収される」
「つまり……殺すしかないってこと?」
「ここに残しておけば、また誰かの武器になる」
涼真は静かに言うと、背中から槍のような武器――“因果分断槍”を取り出す。
本来、これは神官クラスの存在しか扱えないはずの装備だったが、今の彼にはそれを動かす資格があった。
槍を軽く振る。
風すら鳴らず、ただ空間が“切れた”。
実験体No.13の動きが止まり、次の瞬間には音もなく崩れ落ちていた。
魂すら斬り裂くその一撃に、アーシャとリーシャはしばし言葉を失った。
「……無抵抗な相手には、迷いが生じる。それが今までの俺だった。だが、今は違う」
涼真はそう言って、再び前を向いた。
その背には、一切の躊躇がなかった。
――彼は今や、“絶望の中から生き返った存在”だった。
試作区画を突破し、最奥の階層にたどり着いた三人は、巨大な封印扉の前に立っていた。
その扉は高さ8メートル、幅5メートルを超える異常な大きさで、かつて勇者庁が最高機密を保管するために封印した“真実の部屋”に通じている。
「ここの先が、本命ってわけ?」
アーシャがウィンクする。
「勇者セリスの所在が、この扉の先に記録されている可能性が高い。連中は常に“表”の人間を見せて、“裏”の本性を隠してきた」
涼真は端末を開き、侵入用コードを注入していく。
だが――その時、警報が鳴った。
「……バレた?」
「いや。これは自動防衛機構。一定時間が経過すると、自動で“監視者”が送り込まれる」
「監視者って何よ、また機械蜘蛛?」
「いや……違う」
足音が、通路の奥から聞こえてくる。
革靴の音。規則正しく、まるで上官が部下の失態を見に来たような足音だった。
暗闇の奥から現れたのは――
「……やあ、懐かしい顔だな、“涼真”」
現れたのは、白銀の軍服に身を包んだ男。かつて涼真の直属の上司だった、イグナート・ヴァレンシュタイン。
「……生きてたか。いや、“死んでなかった”だけか」
「君もそうだろう? 死んだと思われた者が、こうして戻ってくるのは、なかなかに因果なものだな」
イグナートは細い眼鏡を指で押し上げながら言った。
「君は相変わらず優秀だった。魔族に身を堕とした今でも、まったく衰えていない。むしろ、以前よりも美しい」
その表現に、アーシャとリーシャが警戒を強める。
「こいつ、なに?」
「勇者庁の“監視者”。表には出ないが、実質的な粛清の役を担っている男だ。俺の命令系統も、すべてこいつを通して下されていた」
涼真は槍を構える。
「貴様をここで潰しておく。中枢に行く前に、お前の首は必要だ」
「ふふ……そうか。それなら私も“本当の顔”を見せなければならないな」
イグナートが一歩踏み出す。
「この国では、正義も悪も、道具に過ぎない。君のような“変革者”が現れるとき、私たちは――君を殺さなければならない」
イグナートが両腕を広げ、空間を抉るように踏み込んできた。