第四章 動く影、静かなる誓い
地下七百メートル。地図にも存在しない空間で、涼真は静かに思考を巡らせていた。
ここは“黄泉の工房”――かつて魔族が栄華を誇った時代に築かれた、超古代の研究施設。
今ではその一部が、涼真の指揮下にある魔物たちの拠点となっていた。
高天井に浮かぶ蒼い光源石が、薄明のようにフロアを照らしている。古代文字が刻まれた黒石の壁は、時折、脈動するように光を放ち、不気味な生命感を漂わせていた。
涼真は玉座には座らず、壁際に立っていた。
その背中には、長く引きずる黒いコート。
顔の上半分を覆う仮面の奥からは、ただ無表情な眼差しが空間を射抜いている。
その前に、二人の女が静かに佇んでいた。双子の幹部、アーシャとリーシャ。
「ふふ、らしくないわね。王の椅子が似合わない男っていうのも、案外……新鮮かも?」
アーシャが挑発するような口調で言い、金の巻き髪を軽くかき上げた。彼女の黒のボディスーツは軍服風ながらも露出が多く、軍務というより舞踏会の女王のような艶美さを持っていた。
対してリーシャは、姉と正反対に冷静沈着。銀の髪を三つ編みに束ね、長杖を背に立っていた。衣装も露出は多いが、むしろその落ち着きが逆に異様な存在感を放っていた。
「“王”ってのは、玉座に座る者じゃなくて、誰よりも冷めた視線で世界を見下ろす者のことよ。あなたには……それが似合ってる」
「冷めてなどいない」
涼真は即答した。
仮面越しの声は静かだが、確かな怒りと意志がそこにあった。
「冷めていたら、こんなに長く“正義”に腹を立ててはいない」
アーシャの笑みが一瞬だけ揺らぐ。
「ふうん。じゃあ、いよいよ聖都を“燃やす”つもり?」
「……いや。焼き払うには惜しい」
「ふざけてるの?」
リーシャの声に、ほんのわずかな苛立ちが混ざった。
「腐った政治、腐った勇者、腐った民。あれを惜しいと?」
「――腐っているからこそ、晒す価値がある」
その言葉に、双子は同時に黙った。
「正義を謳う者たちの本性を、世界に見せる。それが俺の役目だ」
涼真は、かつて人間だった頃の記憶を脳裏に蘇らせた。
官僚として働いていた日々。
理不尽な命令に従う部下、虚偽の報告を押し付けてくる上司、死にかけた少年兵を“成功例”として報道に流す勇者庁――
真実を暴こうとすれば「反逆者」となり、理想を掲げれば「現実を知らぬ夢想家」と笑われる。
そんな世界で、彼は死んだ。
そして、魔物として目覚めた今――
「俺はもう、彼らと同じ檻の中にいない」
「で、どうやって檻の中に忍び込むの? 正面突破でもするつもり?」
アーシャが、興味半分・試すような声音で尋ねる。
涼真は一歩、玉座の正面へ歩み寄り、魔導スクリーンを起動させた。
そこに映し出されたのは、セイクリアの地下に眠る“古代転送網”の地図だった。
「これが、奴らが忘れている“裏口”だ」
「……旧時代の戦時緊急脱出口? 魔族戦争時代の遺物じゃない」
アーシャの声が少し驚きを含んだ。
彼女のような高位魔術師でさえ知り得ない情報――それが、涼真の“人間時代の記憶”だった。
「入口はまだ封鎖されていない。だが、罠もあるだろう。誰かが入るのを恐れている証拠だ」
「で、いつ仕掛ける?」
「三日後の新月。魔力の波動が最も乱れる夜だ。人間側の警戒結界も薄くなる」
「なるほど。だったら、準備は万端にしておかないとね」
アーシャがくるりと踵を返す。マントの下、スリットから覗く脚線美が揺れた。
「ねえ、涼真。あたしたちのこと……信じてる?」
「お前たちは“信用していい悪党”だ。だから使う。徹底的に」
「嬉しいわ」
アーシャは振り向かずに微笑んだ。レイナもそれに続くように去っていく。
静寂が戻った部屋で、涼真は壁に背を預けたまま、誰にも聞こえない声で呟いた。
「正義とは何だ……」
仮面の奥で、かすかに口元が歪む。
「その答えを、あの勇者に聞いてみるさ――セリス」