第三章 勇者会議
セリス=フォルディアは、自身の足音がやけに重く響くのを感じていた。
天空都市セイクリア――そこは人類再建の象徴であり、今や勇者庁の本拠地となっている。
石造りの天井には神代の紋章が刻まれ、壁には歴代の勇者たちの肖像画が並んでいた。だが、その荘厳な光景は、彼女の胸に重くのしかかるばかりだった。
「勇者セリス、入室を許可する」
魔法音声が響き、重厚な扉が左右に開く。
扉の先には、巨大な円卓。その周囲には六人の男女が座っていた。
《聖槍の円卓》――現在の“勇者制度”を支える最高幹部たちであり、実質的には人類政府の中枢そのものである。
中央に座していたのは、総勇者、白銀レオン。かつて共に戦場を駆け抜けた男だ。
「……ご足労感謝する、セリス。まずは、生還を祝おう」
その声音は一見優しげだが、何の温度も感じられなかった。
彼の隣に座る、雷槍のマクスウェルが言葉を継ぐ。
「だがな、セリス。貴様が魔物に敗北したという報告は、我々にとって非常に重要な問題だ。――いや、“あり得ない”問題だ」
「私が倒れたのは事実だ。それを否定する気はない」
セリスは一歩も引かずに言い切った。だが、周囲の空気がすぐに冷たくなるのを感じた。
「それだけじゃない」
静かに言葉を放ったのは、理術師のアレイダだった。
手にした水晶球には、セリスが“黒仮面の男”と対峙したときの記録映像が再生されていた。
「これは何だ? なぜ君は、この男の前で剣を下ろしている? なぜ君は、“命を救われた”ような顔をしている?」
セリスの視線が揺れた。
映像に映る自分は、確かにそうだった。あの時、恐怖や怒りよりも、“理解されている”という感覚が強く残っていた。
「その男……何者なのか答えてもらおうか」
レオンの声には、もはや感情がなかった。
「彼は……名も知らぬ敵。だが、私たちよりも、はるかに“人間的”だった」
沈黙が、円卓を覆った。
「セリス、君は……敵を讃えるのか?」
「違う。私は“私たち”を疑っているだけだ」
「……!」
セリスは、円卓の勇者たちを順に見渡した。誰もが名声と力を持つ英雄たちだ。だが、その眼差しにかつての理想はなかった。
あるのは、疑心、慢心、そして統制への執着。
「私たちは、国民を守るために戦ってきたはずだ。だが今、私たちは“力を示すため”に戦っている。違うか?」
レオンが席を立った。
「……勇者セリス=フォルディア。君は精神汚染の兆候が見られる。円卓の名において、勇者資格を一時停止し、監視措置をとる」
「監視……?」
「我々の敵は外部だけではない。内部の“脆弱性”もまた、見過ごすわけにはいかないのだよ」
セリスは自室へ戻され、鍵をかけられた部屋に“軟禁”された。
その部屋には、監視役として一人の少女がいた。
「カティア……あなたが来たの?」
金髪のポニーテール、細剣を愛用する若き勇者――カティア=グリフィルド。セリスの後輩にあたる人物だ。
「……私は、命令されたの。先輩がもし精神的に不安定だったら、“鎮圧”しろって」
「……そう」
セリスは微笑んだ。
「それで、私のこと……危険人物だと思う?」
「わからない。でも――」
カティアは迷いながらも言葉を継いだ。
「先輩が、あの人のことを“人間的だった”って言ったとき、ちょっと……分かる気がしたの。最近の勇者庁、何か変なんだよ。皆、何かに取り憑かれてるみたい」
セリスの目が細められた。
「ねえ、カティア。私、逃げたいんじゃない。ただ――“目を逸らしたくない”の」
「……何をすればいい?」
「この制御装置。首の“聖印制御具”を壊してほしいの。これがあれば、勇者庁は私をどこにいても追える。外せば……“勇者”じゃなくなるけど」
カティアはしばらく黙っていた。
だが、その手が剣に伸びたとき、彼女の目に迷いはなかった。
「――わかった。私も信じてみる。正義を」
装置が破壊され、セリスの首から“勇者の枷”が外れた。
翌日。
セイクリアの上空に、一人の女性の飛翔体が観測された。
だが、勇者庁はその情報を極秘にし、事態は報道されなかった。
セリスは今、再び地上へと降りていく。
目的地は、涼真と初めて交錯した都市・白金区。
だがそれは和解でも、亡命でもない。
人間側に残された“正義”を、最後に一度、自分の目で確かめるための旅だった。
そして彼女の存在は、やがて腐敗した勇者制度そのものを大きく揺るがす引き金となる。