第二章 英雄たちの罪
――三週間後。
東京、霞ヶ関跡地。焼け焦げたコンクリートと、黒く染まったビルの残骸が、かつての政庁街だった場所の面影をかすかに留めていた。
空には、未だ消えない“ブラックゲート”が浮かぶ。
ブラックゲートは閉じていない。小規模な魔物の侵入が今も断続的に続いていた。
それでも、人類は立ち上がっていた。
政府は各地の拠点へ避難・再編を進め、仮設政庁と軍事指揮本部を福島方面に設置。
復興に向けて動き出している――建前上は、そうなっていた。
しかし――
「……ほう、また罪のない民から金を巻き上げたか。さすが“勇者様”だな」
黒いコートに身を包んだ男が、破壊されたビルの屋上から、遠くに見える建物を睨んでいた。
その中では、かつて“希望の象徴”と謳われた勇者たちが、栄華に酔っていた。
仮設政庁区画・特権階級専用ラウンジ。
「いやー、マジで魔物ども最高の踏み台だったな。おかげで我らの“聖なる力”がいかに尊いか、国民共に思い知らせられた」
「ま、連中にはまた“勇者税”でも課しておけばいいさ。生活苦? 知ったことかよ」
そう言って、黄金の装飾が施されたグラスを傾けるのは、元・Aランク勇者の白銀レオン。
かつて市民の人気を集めた正義の象徴も、今は力と地位に溺れる俗物と化していた。
「下層民どもが文句言ってる? 上級区画に近づいた時点で捕まえりゃいい。反抗する奴は“魔物の仲間”ってことにして処刑だ」
「ははははっ、聖なる裁きってな!」
周囲の勇者たちが下卑た笑いをあげる。
彼らは世界を救った英雄ではなかった。
世界が壊れた“あと”に、その力を使って“王”となった連中だった。
だが彼らは知らなかった。
その会話が、屋上に潜むひとりの男に、すべて聞かれていたことを――
「……腐ってやがる」
涼真は呟いた。
彼の左目に宿る魔眼が、建物内の魔力反応と会話情報を解析していた。
ただの監視ではない。“本性”を見抜くための力だった。
「連中は“魔物”より醜い。勇者の皮を被った、ただの貴族気取りの寄生虫だ」
傍らには、アーシャとリーシャの姿がある。
「人間の“英雄”って、だいたいこうなるのよね。何百年も前から変わらない」
「けど、お兄様の邪魔をするなら、全部まとめて焼き払っちゃっていい?」
涼真は首を横に振った。
「いや、殺すのは最後でいい。まずは“民衆の信頼”を切り崩す。奴らが“自分たちで気づく”ように」
「そして、“裏で誰かが戦っている”と知れば、人々はその姿を探す。勇者ではない、別の“影の存在”をな」
アーシャが面白そうに笑う。
「まさに粛清者。ヒーローではなく、悪の仮面を被って正義を執行する存在ね」
「“正義”なんて言葉に意味はない。ただ、正すべきものがある。それだけだ」
涼真の背に、黒い霧が広がる。
力を抑えるための“封印術式”を、彼は常に纏っていた。
――力は絶対に表に出さない。
――魔王より強いと知られることがあれば、均衡が崩れる。
「リーシャ。ターゲットの一人、“勇者セリス”の調査は?」
リーシャは黒い端末を操作しながら答える。
「はいな。あの女勇者、いま北陸の仮設都市で、“魔物に協力した疑いのある住民”を死刑にしてるっぽい。表向きは“浄化”って名目」
「……さすがに見過ごせないな」
涼真はゆっくりと、黒いコートの前を閉じた。
「行くぞ。次は“女勇者”に、粛清の鉄槌を下す」
その夜、北陸仮設都市・白金区――
北陸仮設都市・白金区。
聖堂前広場は、怒号と炎に包まれていた。
「この者たちは魔物と通じた反逆者! 神の名のもとに、浄化せよ!」
声を張り上げるのは、白銀の鎧を纏った女勇者――セリス=フォルディア。
かつては純白の正義として、民衆の信仰を集めた存在。
だが今の彼女は、“裁く快楽”に酔う狂信者だった。
民衆はうつむき、家族を守るため、理不尽な処刑に目をつむる。
そのとき――
「それ以上、口を開くな。お前の“罪”を数える」
声は、闇の中から響いた。
黒いコートを纏い、顔を半分仮面で覆った男――神崎涼真が現れる。
「誰だ貴様……! この神聖なる裁きの場に、何者か知れず介入するとは!」
「“裁き”? お前の行いは、ただの“遊戯”だ」
セリスの瞳が怒りに染まる。
その手には、“聖剣アストラル・フェルゼ”――かつて魔王を討った伝説の剣。
「ならば問答無用! 我が神光に跪け!」
彼女が聖剣を振るった瞬間、白金の斬撃が地を裂き、涼真を貫いた――かに見えた。
「……ッ!? 消えた……?」
「残像だ」
セリスの背後から声。振り返ると同時に、涼真の手刀が彼女の肩口をかすめた。
「ぐッ……この速さ……人間じゃないな」
「正解だ。だが“魔物”でもない。俺は、お前たちの“裁き手”だ」
セリスが魔力を解放する。
白い翼のような光が背中から噴き出し、聖域が形成される。
その内部では、あらゆる闇属性の攻撃が封じられる――神聖結界。
「貴様のような闇の存在に、この空間で勝ち目はない!」
(なるほど、これは厄介だな。力を抑えたままでは分が悪い)
涼真は仮面の奥で静かに目を閉じた。
その胸元に刻まれた“封印の刻印”が、淡く、赤黒く輝き始める。
「……一部、解放する」
彼の身体から重圧のような魔力が解き放たれ、結界が軋む。
闇に混じった“神域すら貫く圧”に、セリスが震えた。
「な……これは……魔王級じゃない……それ以上……?」
「――“業”に等しき力を振るう時、俺は俺でいられなくなる。だが、お前の“罪”は、それに値する」
涼真が構えを取る。
その背から黒い翼のようなエネルギーが迸る。
次の瞬間――
「喰らえ、《虚無穿ち(うつろうがち)》!」
彼の拳が闇をまとい、直線的に突き出された。
その一撃は、セリスの結界を“消滅”させる。
防御ではない。無効化でもない。存在そのものを削除する力。
「ぐああああああああっ!!」
直撃を受けたセリスは、地面に叩きつけられ、鎧ごと骨が砕ける。
聖剣も彼方へ飛んでいた。
涼真はゆっくりと彼女に近づき、問いかける。
「まだ、生きているな。なら、聞け。セリス=フォルディア」
「お前は“勇者”の名のもとに、何を守った?」
「自分だ……! 私自身だ……! それが悪いのか……!」
「悪いとは言っていない。だが、それを“正義”と呼ぶな」
涼真は冷たく告げると、仮面を被り直し、彼女の顔を見下ろした。
「お前の命は、今は奪わない。だがこの先、“再び民を踏みにじる”なら――そのときこそ、“消す”」
そう言い残し、彼はその場から煙のように姿を消した。
セリスは、燃え落ちる聖堂の瓦礫の中で、自分の傷と、自尊心の崩壊に震えながらこう呟いた。
「なぜ……なぜ私は……この私が、“敗けた”……?」
誰も彼女に答えなかった。
夜が、罪を覆い隠すように深まっていった。