プロローグ ―崩壊の幕開け―
その日、空は晴れていた。
東京湾に吹く風は穏やかで、海上をゆく観光船の上で、人々が写真を撮ったり、ソフトクリームを食べて過ごしていた。
平穏な、ありふれた午後。
人々が「いつもの日常」に疑いを抱くことなど、なかった。
だが――
空が、裂けた。
無音だった。
音もなく、青空の中央に直径数百メートルにも及ぶ黒い裂け目が、突如として口を開けた。
形容しがたい圧迫感。
光を吸い込むような闇が、空そのものを“侵食”していた。
「……は?」
最初に声を漏らしたのは、防衛省の早期警戒レーダー担当だった。
「識別不能……衛星では確認されず……これは……!」
東京・永田町、首相官邸地下にある災害対策本部。
鳴り響くアラート、駆け回る職員、操作パネルに浮かぶ赤い警告文字。
――未確認空間歪曲発生。
――想定エネルギー規模:特級災害クラス。
だが、何よりも衝撃だったのは、その“口”から出てきたモノだ。
「……映像出たぞ! なんだ、アレ……!」
大型スクリーンに映し出されたのは、地獄のような光景だった。
翼を持つ獣、超巨大の巨人、長い尾を引く虫の群れ、そして人の形をした何か――
見た目こそバラバラだが、すべてが“こちら側ではない”ものだった。
それは、かつて災害のたびに開いた“小規模ゲート”から現れる魔物とは、明らかに異質だった。
数、規模、強度、魔力――
まるで世界そのものが侵略されるかのように、奴らは空から“落ちてきた”。
「……バケモノだ……!」
現場の警官隊は叫びながら武器を構えたが、何の意味もなかった。
着地と同時に爆発的な魔力が炸裂し、地上のすべてが吹き飛ばされた。
赤ん坊を抱いた母親が、すぐ横で塵になった。
駅前ビルのガラスが、骨のように砕けた。
バスが宙を舞い、地面が裂け、人々の叫びが無音に飲み込まれていく。
――世界が壊れ始めていた。
「やはり来たか……」
神崎涼真は、首相官邸の制御室にいた。
国家公安特災対策局・局長として、十数年、あらゆる災害と向き合ってきた男。
現場叩き上げで、常に冷静、部下には恐れられ、上司には煙たがられていた。
「現場連絡を優先しろ。後手に回ったら終わる。勇者部隊は――」
「指示待ちです。だが、首相命令が――」
涼真の額に青筋が浮かんだ。
「またか。状況を把握してない奴が、命令だけは一人前か」
そして、通信が入る。
《勇者連合、先行出撃。敵勢力に対し、正面突破を試みます》
《第一隊、全滅……第二隊……ああっ、く、来るなぁああ――!》
――通信、途絶。
絶望が静かに、現場を包んでいく。
「勇者も……持たないか」
その瞬間――
空から、何かが“降って”きた。
魔物の大群を率いる、巨人のような影が、東京中心部へと直降下。
地鳴りと共に、官邸庁舎が崩れる。
逃げる暇などなかった。
「……このままでは、国は……」
涼真は思った。
(だが、変えるには、今のこの国を一度“壊さなければ”ならない)
そう思った直後、建物が爆裂し、瓦礫に巻き込まれ、涼真の視界は赤黒く染まった。
焼けつくような痛み。
肺に入るはずの空気が、血に変わる。
耳鳴りと共に、意識が遠のいていく――
――だが、彼はその中で、確かに“何かの声”を聞いた。
「ようやく見つけた……器として、最適だな」
「こいつを回収しろ。面白くなりそうだ……」
その声は、人間のものではなかった。
そして神崎涼真の死体は、瓦礫の中から消えた。
彼の葬儀が行われることはなかった。
彼の記録は“殉職”として処理され、静かに人々の記憶から薄れていった。
だが、彼は死んでなどいなかった。
(次章「第一章 再起動」へ続きます)