二人の夜は深く
「イサナは寝たようだ」
イサナの就寝を確認した後、私は居間に戻ってきた。
アユラがついでくれた酒を一口、今日は一段とアルコールが体に染み渡る。
深酒をするつもりはないのだが飲まずにはいられない。
今日起こったことが自分の中でまるで整理がつかないのだ。
「そうかい。ちなみに蔵の封印も綺麗に破られていたよ。いや、解かれていたというべきか」
「それもイサナの仕業だというのか?」
「他に誰がこの私の封印を解けるっていうんだい。まったく、この歳になって嫉妬するはめになるとはねぇ」
「イサナがそんなことをする理由がない。たとえそれだけの力を持っていたとしてもだ」
蔵の封印が破られた上に二つの呪物が祓われていたらしい。
あのニエバコがたった一晩で祓われたのか。
信じたくはないがイサナならば可能だと思ってしまった。
そのイサナは大掛かりな陰陽術を使ったせいか、早々に寝てしまったようだ。
昼間にあのイサナが開いたのは本当に地獄の門なのか?
地獄が実在するかは置いておくにしても、あの小さい体のどこに途方もない霊力が?
そもそもあの子は何者なのだ?
私達の子として生まれてきたものの、何かの生まれ変わりとしか思えない。
「あの子はこう言ってたそうじゃないか。『お前を今から地獄へと送る』と。イサナはあのヌガトミにさえ悔い改める機会を与えたんだよ」
「それが蔵の封印を解く理由になるのか?」
「憤る気持ちはわかる。だけどあの子が何をどうするかなんてお前もわからないんじゃないかい?」
「それはそうだが……」
認めたくはないが、あの子は神か何かの生まれ変わりなのではないか?
何らかの理由で楼王家の子として生まれたのかもしれない。
だとしたら何のために?
我々に何かを伝えるため?
それとも我々を見定めるため?
理由はわからんがもしそうだとすれば、我々の未来が。違う。
全国の未来がかかっている。
もしイサナがそのような存在であれば、我々はどうすればいいのか。
などと荒唐無稽なことばかり考えてしまう。
「アユラ。あのヌガトミ……確か陰陽連で位は指定されていなかったな」
「あぁ、陰陽連の顔役達も私と同じ考えの奴らが多いからね。畏敬の念ってやつを理解しているのさ」
「フン、情けない。だから5年前にあんな非人道的な決断を下したのだ」
「お前はずっと反対していたな」
5年前、陰陽連は一人の青年を殺した。
その青年は事故で両親を失ったとのことで陰陽連で引き取ったのだが、習熟度からしても陰陽師の素質は絶望的だった。
当時、体裁をもっとも気にしていた一部の過激派によって青年を事実上葬る決断が下されてしまう。
陰陽連は政界にまで根を張る巨大組織だ。
青年のような陰陽師がいては各界に軽んじられると判断する者が多い。
そこで自分達の影響力を危惧した過激派の者達は青年に到底討伐不可能な指令を出したのだ。
後に黒コートと呼ばれることになるあの怪異は明らかに青年の手に余る悪霊だった。
「あの件に関してはアユラ、お前に感謝している。珍しく意見が一致したのだからな」
「何の力にもなれなかったがな。過激派が強すぎた。厳二郎、お前は今でも後悔しているのだろう?」
「あぁ……。父の厳蔵の推薦で八頭衆になった私に対する風当たりは未だ強い。言い訳にしかならんがな」
やるせない気分になったところでおちょこの酒を飲み下す。
そういえばあの青年の名前もイサナだったな。
なぜ私は我が子にイサナと命名したのだろうか?
5年前の後悔の念がそうさせたのかもしれない。
「助けてやりたかった……すまない」
「済んだことをいつまでも後悔してんじゃないよ。風香の代わりに私が慰めてやろうか?」
「断る」
こいつは隙あらば危ない誘惑をしかけてくる。
私が愛するのは風香ただ一人だ。
「厳二郎、イサナをどうするんだい? 月並みな言い方しかできないけどあれは私達の手に負えるものじゃない。もしあの子がその気になれば陰陽師……いや、この国なんてどうとでもなる」
「……だとしてもやることは変わらん。イサナは私の子だ」
「災禍エキドのようになってもかい?」
「あれも元人間だったか」
災禍エキド。
300年前、陰陽師にして怪異と成り果てた人物。
当時の陰陽連やこの国を支配して、チープな表現だが事実上の日本征服を達成した最強最悪の陰陽師だ。
エキドを恐れてこの国を脱出する者や服従する者など、この国は混迷の世を迎えた。
例え服従しようともエキドは気まぐれに数百人単位で虐殺をしたらしい。
このことから、エキドが恐れられていたのはその強さだけではない。
その人の心を捨てた氷よりも冷たい残虐性こそが恐怖の根源だった。
一方でエキドに心酔する者達が決起して新興宗教が乱立するなど、当時は混沌としていたという。
エキドは宗教家と化した家族に命じて我が子を殺させるなど、聞くだけでも胸糞の悪い話が後世に残されている。
そんなエキドも最後は8人の陰陽師によって地獄へ落とされたというのが語り継がれている歴史だ。
その8人にちなんで陰陽連は八つを頭とする組織へと思想を変えた。
それが八頭衆であり、陰陽連の顔役となっている。
もっとも私はそんなに立派な人間ではないがな。
「エキドは伝説の陰陽師の清来以上の霊力を有していた。人は力を持てばどこまでも増長する」
「アユラ、貴様は我が子がエキドのような害悪に成り果てると言いたいのか?」
「少なくともイサナの力はエキドと同等と私は睨んでいる。もしエキドが現代に蘇れば対抗できる陰陽師などいない。お前は責任を取れるのか?」
「……アユラ。口を慎め」
酔いが回っているが私は立ち上がった。
アユラは座ったまま私をただ見上げているのみだ。
「厳二郎、今回ばかりはお前とケンカをしたいわけではない。現実的な話をしている。お前の子が陰陽連の意思でどうにかなるとしたら?」
「……どういうことだ」
「イサナが陰陽連の過激派に知られるのは時間の問題だ。その時になって奴らがどういう手段に出るか。イサナは幼い身でどう思うか?」
「私が守る」
アユラの下らん問いに私は即答した。
私はもう迷わない。
我が子を守らない父親がどこにいる?
もしいたのだとしたら、そいつは人間ではない。
人の姿をしただけの怪異、マモノだ。
「私は陰陽連の八頭衆だ。その私が今も過激派ではない保証なんてどこにもないんだよ」
「だとしても問題ない。さっそく有言実行を示す機会があってむしろ嬉しいくらいだ」
私とアユラがしばらくの間、睨み合った。
もしアユラが戦うというのなら喜んで応じよう。
昼間のヌガトミ戦で消耗してはいるものの、そんなものは何のハンデにもならない。
「ぷっ……あはははっ! いいよ! それでこそ私が愛した男だ! そうでなくちゃね!」
「怖気づいたか?」
「私が過激派ならもっと巧妙に動いてるよ。それはお前だってわかってるだろう?」
「確かに私の実力を知っていながら堂々とした手段を取るような奴ではないな」
アユラが私のおちょこに酒を注いだ。
「厳二郎、お前は本当にいい男だよ。風香が羨ましい」
「フン、私はこれ以上飲まんぞ。明日に発つのだからな」
「そうかい。せっかくの名酒『魔天』なのだがなぁ」
「なに!?」
魔天といえば一本あたり数百万の値がつく高級酒だ。
私は注がれた酒の香りをかいだ。
「……いただこう」
「ケッケッケッ! あんたはいい男だ!」
アユラがこの上なく下品に笑う。
こんな女と結婚しなくて本当によかった。
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