シヅカの静かなる仕事 1
「楼王 シヅカです。本日はよろしくお願いします。あ、こちらの子達は見学ですー」
「どうもどうも! あの楼王家の方に来ていただけてホンマ助かりますわ!」
シヅカに対してホテルのオーナーと名乗る中年の男が低姿勢で挨拶をしている。
俺と杏里、蓮太はシヅカの仕事を見学させてもらうことになったが想像以上に奇想天外な場所だ。
それの高さは見上げるほどで頂上が遥か彼方にあるビルという建物だった。
なんでもここでは昔からおかしな現象が起こっていて利用者から度々クレームが入るのだという。
ここはホテルという場所で金を払って寝泊りするところというのだから興味深い。
俺としてはどこでも寝られる自信があるのだが、わざわざ寝るために金を払う意味も知りたいところだ。
「ずーっと騙し騙しやってきたんですがね。今じゃここが心霊スポットなんてネットで知れ渡っちまってるんですわ」
「このホテルは有名ですけど確かにすごいことが書かれてますねー。『寝ていたら足首を掴まれた』『変な夢を見た』……ふむふむ」
「そぉーなんですよ! ホンッッッマにえらい迷惑でして! 今度全部訴えてやろうか思うとるんですわ!」
「えぇえぇ、わかりますー。それではさっそく中に入らせていただきますねー」
男が脂ぎった顔を光らせて熱演しているがシヅカは表情を変えない。
果たしてここに悪霊とやらがいるのか?
俺には何も感じないが蓮太や杏里は何かに気づいているようだ。
「うへぇ、よくこんなところにビルなんか建てたよなぁ」
「こ、ここっていうかこの場所がおかしいっていうかー……なんだろ?」
蓮太が顔をしかめて杏里がキョロキョロと見渡している。
おかしい。やはり俺には何も感じられないぞ?
「もぉーなーにが『夜、部屋で寝ていたら首を絞められた』だ! ホンマどないしたろか!」
「しかしそれが事実なら仕方ないのではないか?」
「あのな、ボウズ! 例え事実でも名誉棄損は成立するんやぞ!」
「メイヨキソン?」
それからオーナーの男はよくわからないことをまくしたてた。
本当にわからないが不快な発言をしたのなら俺が悪い。
「すまなかった」
「おぉ! そうや! わかればええんや! さすが楼王家のお坊ちゃんやな!」
やはり謝罪はすべてを解決する。
楼王家は本当に大切なことを教えてくれるな。
「上の階にいきましょうー」
「えぇ! 案内しますわ!」
全員でエレベーターというものに乗った。
何が起こるのかと思ったら個室全体が浮いている!
窓の外を見ると町の風景が映し出されて、俺達はかなり高い位置まで来ているぞ!
「おぉーーー! これは素晴らしい! どのような陰陽術なのだ!?」
「イサナ君、これは陰陽術じゃなくてギジュツっていうんだよ。キカイで動いているの」
「ギジュツ! キカイ! 杏里は詳しいのだな!」
「く、詳しいだなんてそんな……えへへ……」
杏里が体をくねくねさせてよくわからない態度だ。
俺に褒められたのが不快だったのか?
「ところでシヅカねーちゃん、なんだって上の階にいくんだ?」
「まずは上から順番に救済してあげないとー。あ……」
突然エレベーターとやらが停止した。
オーナーが慌ててドアを開けようとボタンを押しているが反応しない。
「あわわわ! あ、開かんで! えらいこっちゃ!」
「えぇ、さっそくきましたねー」
シヅカがエレベーターの外を見ると、窓にはやせ細った爬虫類のようなものが張り付いていた。
しかしそれは頭髪から黒髪を生やしていて人だとようやく認識できる。
白濁した瞳を動かしたそれは明らかに俺達に殺意を向けていた。
「ノド、カワイタ……クイタイ……ノド、カワイタ、クイタイ、ク、クククイイイタィッ!」
悪霊が窓をすり抜けて壁を這うようにして進んできた。
駄液まみれの口内を見せて悪霊が大きく口を開けて俺達に襲いかかる。
「クソッ! ここは俺が」
「蓮太、あなたは見学だからダメですー」
悪霊の前にシヅカが出た。
「五行の弐……木印・春風」
シヅカが印を結ぶと個室内にあまりに心地よい風が吹いた。
それは香り立つ緑の匂いまで感じ取ることができる。
これはどこか眠気を誘うな。
などと考えていたら蓮太と杏里、オーナーが座り込んで寝息を立てていた。
「蓮太、杏里。オーナーもどうしたのだ」
「むにゃ……気持ちいぃ……」
「くかー……すぴー……」
「ぐごごごごご……んがががが……」
なんということだ。
シヅカの陰陽術で三人とも寝てしまった。
となれば悪霊も――
「ア、ア、アァ……」
「なつかしいでしょう? あなたも本来は人の子として生まれた一つの生命……この春風を感じたこともあったはずです」
悪霊が床に突っ伏してすっかり勢いをなくしている。
シヅカの口調がハッキリとして、それでいてどこか包容力のあるものになっていた。
先ほどとは別人のようだ。
「これも開けておきましょう」
シヅカがエレベーターの扉に手を触れるとあっさりと開いてしまう。
あれもどういう原理なのだ?
どことなく俺と蓮太の陰陽術を無効化したものと同じ気がしてならない。
「少し大掛かりな術ですが……五行の参。木印……霊命樹」
エレベーター内に突然何かの芽が出た。
それがみるみるうちに成長して一本の木のようにそびえ立つ。
木はエレベーター内に収まらずに枝が曲がりくねって廊下にまで伸び続けた。
その木が実らせた木の実は桃だろうか?
シヅカが手に取って悪霊の口元へと運んだ。
「お食べなさい。あなたが忘れていた味です」
「アッ、アァァ……オイ、シイ……!」
「辛かったでしょう? でもこれでもう苦しむことなどないのです。安心してお眠りなさい」
「オ、オカア、サン……」
悪霊が涙を流して消えていく。
なんだ、何がどうなっている?
シヅカは攻撃の類を一切行っていない。
それどころかあの恐ろしい悪霊が最後には涙して笑っていた。
シヅカが立ち上がるとエレベーターから出ていこうとするが――
「忘れてましたー。三人とも起こさないと……」
シヅカが思い出したように杏里と蓮太を起こした。
目をこすりながら三人は辺りを見渡すが、やはり事態を飲み込めていない。
「な、なんだこりゃ……? き、木が生えてるぞ!」
「このビル内は私の陰陽術で満たされましたー。安心して歩きましょうー」
「悪霊がいねぇ……まさかもう祓ったのか?」
「あ、それとそこの木の実をとってくださいー。手伝ってくださいねー」
蓮太と杏里、俺はシヅカから木の実を手渡された。
オーナーだけが手ぶらだが、さっきから驚きすぎて言葉すら出ないようだ。
俺は試しに実を齧ってみたが何の味もしない。
それどころか齧った途端に消えてなくなってしまった。
「あ、それは生きている人には効果がないので食べたらなくなりますー」
「シヅカ、これはどういう陰陽術なのだ?」
「これ自体は大したものじゃないんですよー。ただ霊体も食べられる木の実を生やせるだけですー。お父様が聞いたら呆れちゃいますねぇー」
「いや、そんなことはないと思うが……」
シヅカは飄々とした態度で霊命樹に実った木の実を取りながら歩く。
ホテルの廊下中に伸びた木の枝には実が成っていた。
「ここは昔は処刑場だったみたいで罪人の霊がたくさんいますねー。ただ時代が時代ですから冤罪で処刑された方もたくさんいたみたいですー」
「やっぱりそうだったのか! だけどだからって今の人間に害を与えてんなら祓わないとダメだな……でもねみぃ……」
「私から離れると寝ちゃいますから気をつけてくださいねー」
「そうなのか……でもイサナは平気なんだな?」
「あらぁ?」
三人が俺に注目した。
俺が寝ていないのはきっとシヅカの近くにずっといたからだろう。
「……えっと、弱い霊がいたらその実を差し出してくださいー。彼らは飢えているのでまずはお腹いっぱいにしてあげましょうー」
シヅカがわずかに困り顔を見せた気がしたが気のせいだな。
俺も木の実をもぎとって手伝うことにした。
それにしてもこの実、うまそうなのに味がしないとは何とも酷だ。
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