杏里のけじめ
「……ご馳走様」
「杏里、もう食べないのか?」
私、杏里は食欲がなかった。
大好きな唐揚げだって5個しか食べれなかったし、ご飯だって二杯だけだ。
ずっと眠ったままだったからお腹が空いてるはずなのに。
自室に戻ると私は一人ベッドに寝転がってあの男の子のことを思い浮かべた。
悪夢に囚われていた私の前に颯爽と現れたあの男の子イサナ君。
銀髪でキリッとした目つきで思い出すだけでも息が苦しくなる。
私の前にイサナ君が現れた時、重苦しかった空気が一気に軽くなった。
もう絶対に死なない。助かる。
イサナ君が現れただけでそう思った。
それからのイサナ君が使う陰陽術に私は見惚れちゃった。
思わず声が出るほどで、イサナ君に聞かれていないか心配だ。
そしてイサナ君は私の手を取って――
――オレの手を握れ
「て、手を握れだなんて……」
思わずベッドの上で赤面しちゃう。
あの時は必死だったけど思い返せば私は男の子と手を握ったんだ。
幼稚園のお遊戯会の時ですら恥ずかしくて握れなかったのに。
「はぁ……イサナ君、もう一度会いたいなぁ」
イサナ君は陰陽師の有名な楼王家の三男だって聞いた。
楼王家ってどこにあるんだろう?
ここから遠いのかな?
私は貯金箱を揺らして音を確かめた。
うん、ダメだ。ずっと寝ていたから全然おこづかいが溜まってない。
これじゃイサナ君に会いにいけない。
私は諦めて眠ることにした。
なかなか眠れないのはきっと頭の中にずっとイサナ君がいるからだ。
それでも頑張って目を閉じた翌朝、私はお父さんとお母さんと一緒にユキちゃんの家へ行くことにした。
* * *
「杏里、もう少し休んでいたほうがいいんじゃないか?」
「大丈夫」
お父さんが心配してくれるけど私はなんともない。
それより早くユキちゃんに私の無事を知らせたくてたまらなかった。
私はずっと眠っていたせいで5歳のままだけどユキちゃんは10歳で小学四年生のはず。
もう私のことなんか忘れて楽しく暮らしているかもしれない。
それどころか今更会いにいったところで嫌がられるかもしれない。
そんなユキちゃんのなつかしい家の前でインターホンを押した。
「はい、どなた?」
出てきたのはユキちゃんのお母さんだ。
少しシワが増えたかな?
お母さんが私の姿を見るなり渇いた声を出した。
「あ、あ、あの、もしかして……杏里、ちゃん?」
「お、おひさしぶり、です……」
このお母さんの中では私はずっとこの姿のはず。
だけど成長していない私が現れたら普通は驚く。
「ユキ! 杏里ちゃんが! 杏里ちゃんがきたわよ!」
拒絶を覚悟していた私は思わず顔を上げた。
ドタドタと階段を降りてきたのはあのユキちゃんだ。
すっかり背が伸びて短かった髪はすらっと長く伸びている。
「あ、杏里、ちゃん……」
「ユキちゃん……」
どんな反応をされるか怖くてたまらなかった。
覚悟はしていたけど急にここに来たことを後悔し始める。
お腹がギュッと掴まれるような緊張感、このまま逃げてしまいたくなる衝動。
もう私のことなんて友達とすら思ってないかもしれない。
どうして私はここに来ちゃったんだろう?
たまらなくなって私は玄関から出ようとした。
「ごめんッ!」
ユキちゃんが逃げようとした私の手を掴む。
振り返るとユキちゃんは涙を浮かべていた。
「あの時、私、怖くて……杏里ちゃんを置いて逃げちゃって……。でも、ずっと後悔してたの……杏里ちゃんから奪ったものが多すぎて……」
「ユキちゃん……」
「私だけ幼稚園を卒業して小学校に入っても全然楽しくなくて……。そんなんだからお友達なんかできなかった……」
ユキちゃんはその場にへたり込んで泣き始める。
私はどうしていいのかわからず、ただ大きくなったユキちゃんを見守るしかなかった。
ただ一つわかるのは私はユキちゃんに奪われてなんかいない。
むしろ奪ったのは私のほうだ。
楽しいはずの小学校生活を暗い気持ちで過ごさせちゃって。
そう思うと私はユキちゃんに抱き着いた。
「ユキちゃん、いいの、いいんだって……。もう全部終わったから……」
「杏里ちゃん……私ね、杏里ちゃんが羨ましかった……。私は折り紙も綺麗に折れないし絵だって下手で……でも杏里ちゃんはいつも先生から褒められて……だから、つい……」
「いいんだって! 私だってそうだから!」
その先の言葉は言わなくてもわかる。
仮につい悪いことを考えちゃったとしても、今の私には何の関係もない。
私はユキちゃんに忘れられてないだけでも十分なんだから。
ただ一つだけ言えることはほんのちょっと違っただけで立場が逆だったかもしれないということ。
だから誰も悪くない。今回はたまたまユキちゃんがそうだったというだけだ。
私はユキちゃんの手を優しく握った。
「ユキちゃんはこれから楽しく過ごして、お願いだから……。今でもお友達と思ってくれているなら……お願いだよ……」
「あん、り、ちゃん……!」
私達は二人で泣いた。
玄関のドアが開けっぱなしになっていて近所に聞こえるくらい泣いた。
私のお父さんとお母さん、ユキちゃんのお母さんも釣られて泣いた。
その日はユキちゃんの家に招かれて食事をした。
夜にはユキちゃんのお父さんも帰ってきて久しぶりにおいしいものを食べて大きな声で笑う。
ユキちゃんのお父さんが奮発してお寿司やピザを頼みすぎて食べきれないかと思った。
積もりに積もった話で大盛り上がりで、私達のお父さんが酔っぱらっていびきをかいて寝ちゃう。
お互いのお母さんがペコペコと頭を下げて、なんとかお父さんを起こして家を出る。
私はユキちゃんと別れの挨拶をした。
ユキちゃんは小学生、私はまだ幼稚園。
一緒に過ごすことはできなくなったけど、私がスマホを買ってもらったら連絡を取り合おうと約束した。
お父さん、スマホはまだ早いとか言って買ってくれないんだよね。
* * *
「ういぃ~~……飲み過ぎたぁ……」
「もう、だから言ったじゃない。あなたお酒弱いんだから……」
お父さんがお母さんに支えられて夜の道を歩く。
悪夢の中でこんな夜道を走ったっけ。
あの時と同じ夜なんだけど私は不思議と怖くなかった。
なんでだろうな?
昔は夕方になって暗くなると不安でたまらなかったのに。
それどころか今は踊れるくらい楽しい。
「杏里ィ……今日はよかったなぁ……父さん、嬉しくて嬉しくてぇ……うっぷ」
「お酒くさい……」
お父さんが電柱に手をついて危ない状態だ。
ユキちゃんの家でもう少しお水を飲ませてもらえばよかったかな?
ところでなんでお酒を飲んだ後にお水を飲むんだろう?
「杏里、これからのことは不安だろうがぁ……お父さんにぜぇんぶ任せなさい……さい……」
「あなた! こんなところで寝たらダメよ!」
お父さんが歩道で寝る体制に入ってる。
お母さんが無理矢理起こして歩かせたところで一安心、と思ったところで奥の電柱に何かが見えた。
あれは女の人?
髪の毛が長くてこっちを見ている気がする。
「ほら、あなた!」
「ういうい、すまんすまん……」
二人は気づいてないみたいだ。
と、目を離した隙に手前の電柱に来ていた。
いつの間に?
「じゃあ、キリキリ歩くかぁ」
「もうなんでお酒が弱い人に限ってたくさん飲むのかしら……」
「酒はとーぶん避けたほうがいいかねぇ……なんちって」
愚痴を言うお母さんの後ろに女の人が立っている!
まるで一瞬で移動してきたみたい!
これもしかしてユーレイ!?
「顔、ないノ……」
女の人の顔半分がなかった。
頭から流れる血と脳みそみたいな何か。
目がだらりと垂れて、伸ばす手にもたくさんの切り傷がある。
女の人の幽霊はお父さんに触ろうとしている。
なんで幽霊がお父さんに。
私のお父さんになにをするの。
確かにお父さんは家じゃお酒ばっかり飲んでつまらないダジャレばっかり言う。
服は脱ぎっぱなしで、靴下の片方を失くすたびにお母さんに怒られていた。
だけどそんなお父さんでも私は大好きだ。
「かオ、ナイノ……」
「……えて」
私は頭が沸騰するほど熱くなった気がした。
「消えてッ!」
私が叫ぶと熱が一気に上がる。
あまりの熱に気が遠くなって、最後に見たのは女の幽霊が白い光に飲み込まれていくところだった。
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