悪夢からの生還
「イサナ!」
俺を呼ぶのは華月だ。辺りを見渡すとここは少女の部屋、戻ってこられたらしい。
心天流転は俺には難しい術のようで使用前後にやや意識を失ってしまう。
華月が俺を抱き起して心配そうに見つめてくる。
「イサナ、一体どうしたのさ」
「少女を助けた」
「は? 何を言って……」
華月の後ろでベッドが軋む音が聞こえる。
「ん……ここ、は……」
少女がベッドの上で目を開けていた。
オレの未熟な術で無事に戻ってこられるか心配だったが杞憂だったようだ。
しかしあの世界に長らく囚われていたようなので体への負担が心配だな。
「あ、あ、杏里! 目が覚めたのか!?」
「お、とーさん……?」
杏里と呼ばれた少女はまだ視線が定まらない。
しかし両親はそんなことを構うこともなく娘にすがった。
まるでケル達が餌を前にした時のようだが、あれとは違うのだろうな。
「そうだ! 父さんだぞ! わかるか?」
「お母さんもいるわ!」
「おとーさん……おかーさん……わたし、かえって、きたんだね……」
杏里がそう呟くと大粒の涙をこぼし始めた。
どうやらようやく現実世界というものを認識できたようだな。
杏里はおそらくあの世界で繰り返し恐ろしい目に遭っていたのだろう。
普通ならば精神が崩壊して永眠してもおかしくない。
それなのに今日まで生きてこられたのは一重に家族愛か?
いや、どうもそんな気がしない。
実際に俺があそこへ踏み入れた時は身震いをして鳥肌が立ったものだ。
あんなところに長時間も囚われてしまえば、俺など幾月も持たないだろう。
しかし杏里は昏睡状態ながらも生き永らえた。
これは俺の予想だが、杏里には高い霊力があるのではないか?
まぁろくに霊力すら感じることができない未熟者のオレの考察など当てになるまいが。
「こわかった! う、うっ……」
「杏里、もう大丈夫よ。偉い陰陽師様が助けてくれたからね」
「おんみょーじ……あのね、お母さん。夢の中でね、男の子に助けてもらったの」
「男の子?」
「私と同じくらいの男の子でね、目がこうしゅっとして銀髪で……背は……あっ!」
少女とオレの目が合った。
「あ、あーーー! 男の子! 悪い霊をやっつけてくれた男の子!」
「え、それじゃ華月さんの言った通り……」
「男の子がね! 悪い霊から盾でかきーんって守ってくれてね! 剣ですぱーんってやったの!」
「あんな小さい子が……」
どうやらあの空間での出来事は覚えているようだな。
とはいってもあまり褒められた戦いではないので出来れば言いふらしてほしくない。
特に華月などに知られてしまえば、たちまち叱られることだろう。
「おとーさん、その子の言う通りですよ。アタシは何もできなかった。だから今回の報酬はなしでいいです」
「そんなわけにいきません! きちんとお支払いします!」
「いいっですって。アタシ、こう見えてもこの仕事はプライド持ってやってますし。自分の手柄でもないのに報酬なんかもらえませんって」
「しかし私達が納得できません! そうだ! その子はあなたが連れてきた! つまりあなたあっての成果ですよね!?」
「うぐっ、さすが大人の理屈ー」
あの華月が言い負かされるだと?
あの父親、実はかなりのやり手なのでは?
「仕方ないなー……じゃあ、ありがたく受け取っておきます。前金は貰ってるはずだから指定の口座に期日までお願いしますねー」
「はい! 振り込みました!」
「はやっ!」
何のやり取りなのかまったく理解が追いつかない。
前金や報酬というのは金銭のやり取りだろう?
だが俺の目の前には金などまったくない。
あるのは例のスマホだけだ。これも陰陽術の類か?
俺が疑問に思っていると杏里がベッドから降りてきた。
「あの、助けてくれてありがと……」
「まさか俺に言ってるのか?」
「前に助けにきてくれた陰陽師のお兄ちゃんが死んじゃってね、ずっと、ずっと悲しかった……だけど、あなたが来てくれた」
「陰陽師のお兄ちゃん……」
それはおそらく前世のオレだろう。
未熟にも悪霊の前に立ちはだかって殺された弱い俺の姿を覚えているのか。
どうにも反応に困った俺はたまらず目を閉じてしまった。
こういう時はどうすればいいのだろう?
楼王家では悪いと思った時にはこうしろと教えられた。
「すまなかった」
「……え?」
「俺が未熟故にあの時はお前を助けられなかった。すまなかった」
「……うん?」
何やら首を傾げているようだが、これが今の俺にできることだ。
悪いことをしたら謝る。これが楼王家で教わった大切なことだ。
気持ちが相手に伝わるかどうかは重要じゃない。
これは人としてのけじめだと母の風香や父の厳二郎は口を酸っぱくして言っていた。
「お名前、教えてもらってもいいかな……?」
「イサナだ」
「イサナ君……ずっと暗くて怖かったけど、イサナ君がきてくれて……。すごくかっこよかった……」
「いや、褒められるほどの戦いはしていない。かろうじて勝つことはできたが、あの程度では一人前の陰陽師など程遠いだろう」
「そんなことないもん! イサナ君が来てくれた時になんかこうずぅーーーんって重くてそれでふわっとした気持ちいい気持ちになったもん!」
何を言ってるのかまるでわからない。
とりあえず俺に感謝しているということはよくわかった。
その気持ちだけは受け取っておかなければ、それこそ人としてのけじめにならないだろう。
「こんな小さい子が呪いを祓うなんて、さすが楼王家です! 華月さんも鼻が高いでしょう!」
「い、いやぁ……あはは……。予想以上というか意味がわからないっていうかぁ……」
「楼王家の実績は以前から聞き及んでいましたが、目の当たりにしてより実感しました! 何か困りごとがあれば燈村グループがサポートしましょう!」
「マジ!?」
燈村グループとは華月の説明によれば、全国有数のグループ会社というものらしい。
全国に散らばる数百社をまとめ上げている会社の親玉がこの杏里の父親だ。
会社といえば労働者が死んだ目をして出入りをする場だという認識なのだが、杏里の父親はそれをまとめあげている。
つまり杏里の父親は労働者の親玉でもある。
俺は労働などご免こうむりたいが、杏里の父親はそうではないらしい。
ましてや数百の会社など、オレには想像すらできない。
そんな途方もない人物が華月に礼を言っている。
「華月、よくわからんがよかったな」
「イサナ、アンタを連れてきてよかったし!」
「むぎゅっ!」
何を思ったのか、華月がオレを抱き上げた。
これはいわゆる愛情表現というものだろう。
そうなれば抵抗するのは逆に失礼というもの。
「実は依頼主が燈村グループの社長って知って内心ちょーびびってたんだよねぇ! イサナ、サンキュ!」
「さんきゅ……?」
「帰りに好きなもの買ってあげる! 何でもいいな!」
「ほう、それは興味深い」
「……もう少しかわいい反応したら?」
またもや華月を呆れさせてしまったようだ。
かわいい反応というのがどうにも理解できん。
そもそもかわいいとはなんだ?
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