黒髪の美少女
「だから俺、見たんだって。教室で、黒髪の美少女」
僕の親友が今日はずっとこの調子である。困ったものだ。
「それで好きになったんだね」
「ああ、これが間違いなく、一目惚れってやつだと俺は思う。でな、その美少女は、間違いなくこのクラスのどこかにいるんだよ」
「はいはい、手、止まってるよ」
ちょっと男子~、と叫ぶ委員長の声が聞こえる。面倒くさくなる前に今は掃除をした方が良いと思う。後その話は今日既に何回も聞いた。
「かー、マサヤは恋ってもんを知らないからそんなことが言えるんだろ」
「恋ねえ、よくわかんないけど、このクラスにいるって思ってるんなら掃除は真面目にした方が良いんじゃない?」
しばし固まって、はっと気が付いたように箒をものすごい速さで動かし始めた。つくづく単純なやつだなと思う。
「おい、マサヤも『恋』がしたいなら絶対真面目に掃除した方が良いぞ」
「はいはい」
何か秘密の会話でもするように言ってきたけど、それ、さっき僕が言ったんだよ。
「にしても、誰だったんだろうな、あれ。ほんとに綺麗な髪でさあ」
「気になってたんだけどさ、美少女ってことは顔見たんでしょ?分かるんじゃないの?」
「部活帰りに校庭からこの教室の窓辺に居るのを見たから何とも。はっきり顔が見えたわけじゃないし。でもあれは絶対美人。振り向いたときの空気感がもう、違ったもん。なんか凛としてて」
それ、見る人が違ったら幽霊騒動になるやつじゃないか、という言葉はのみこんだ。そんな事だけで幸せになれるこいつの夢は壊さないに越したことはない。
「ねえ、そろそろこっちの道具運ぶの手伝ってくれない?」
「お、わかった!」
女子の「手伝って」の一言で動くようになるとは、本当にどうしたんだろうか。まあ、良かったと言っていいんだと思うけど。
「おーい、大道具運ぶからマサヤもこっちこい」
「はいはい」
文化祭まであと一週間というところで、劇をやるこのクラスは今まさに舞台設営の真っただ中だ。
「そっち持って」
こういうのは女子ばかり気合が入るものだと長らく思っていたけど、案外やってみると力を入れたくなってくるもので、この背景は特に、絵がうまい男子が中心となって書いたものだ。……まあ、クオリティが高い分、重すぎて持ち運びづらいのが難点だけど。
ちなみに僕は絵も得意じゃないし、何でこんなに重くなったのかも知らない。
「ねえ、マサヤ君、今日も手伝ってもらってもいい?」
運び終わったところで声を掛けられ、振り返ると衣装担当の女子が立っていた。
「あー、まあいいけど」
「ほんと!ありがとう」
先ほども言った通り、僕は絵が描けるわけではない。もちろん演技ができるわけでもない。何もしないという選択肢は、この教室には無いに等しい。じゃあ、何をするか。
僕の場合、それは衣装のマネキン。放課後の教室で、黒髪のかつらをかぶったりしている。