食卓の上の蟹
戸口の外では
[某ユダの秘密]という
疫病が流行っていながら、
食卓の皿には
数匹の淡水蟹が置かれる。
タリハの人達は川で蟹を取る
(プエルトリコの方で食される
陸蟹などより
遥かに小さいもの)。
そして、
その蟹を油で炒って食す。
添えられた小魚や魚は、
最早、何も見つめない灰色の目と、
何物も味わう事のない
腫れ上がった舌を出し、
虚を見つめる・・
死の象徴として・・
それらは、
何処かの雨林で出会う、
腐りきった動物の死骸様と
友人でもあるに違いない。
本当さ!!
皿の上の死骸共は、
まるで
古代の異教の祭壇に
供えられた供物の様に
我々にある事を語りかけてくるものだ・・
さて・・
昔キューバの旅で聴いた
歌の中にある
妙に不吉で悲しい響きを考えてみよう
(それは、
その歌手の旧友の死だったのか?
とかさ・・)
蟹の死体の中のメキシコ肺吸虫症・・
咳と孤独死・・
組合の中の
密告と殺し・・
魚屋は言う・・
「この蟹共は
とても良い蟹だよ・・!!
[苦い蟹病]などにかかっていないから!!
病気の蟹は
内臓がドロドロに溶け、
生前から死者の色をしているからね!!」
[苦い蟹病]か・・
この世は悲しみで溢れている・・
キリストの計画は?
我々の魂は救われるのか?
答えは無い・・
聖書の中にも・・。
食卓の上の蟹に
意味など無い様に、
この世界の悲しみにも、喜びにも、
意味など無い・・
魚屋よ・・。
戸口の外では
疫病が流行っていながら、
食卓の皿に数匹の淡水蟹を置き、
蟹の臓物を啜って我々は生きるが、
やはり、それらは
日々語りかけてくるのだ。
「次はお前の番かもしれないなぁ・・
虚を見つめるのは・・」
昔キューバの旅で聴いた
歌の中にある
妙に不吉で悲しい響きを考えてみよう。
それは[死]だった・・と。
死への諦めと、
不健全な内包。
蟹の死体の中のメキシコ肺吸虫症・・
咳と孤独死・・
ああ、この世は
悲しみで溢れている。
どうか気をつけてな・・
君は夜の褥の中では
一人なのだから・・
キリストの最終計画は知らないが・・
その最終計画が来る前の日々の中で
君の食卓の上に置かれた
蟹共の死骸は
何より現実だからさ・・