第1幕 ― ⑥「楽しい」
男はタンっと軽やかに、だけど力強く地面を蹴ると、一直線にこちらへと突っ込んでくる。きちんと杖先は空気抵抗を減らすために下側に向いており、にぃっと男の口角が上がったのを境に、男の姿はそこにはなかった。
決して見逃していた訳じゃない、たった一瞬瞬きをした間にその姿は消えており、考えられる可能性はたった一つであった。
(ユニークマジック!)
好戦的な姿勢を見せていた男は、ヒイロの姿を見て戦いの意欲を掻き立てられた姿を見ていれば、逃げたとは考えられない。
この狭い空間、一瞬でも姿を消して相手の思考をワンテンポ遅らせるのは圧倒的なアドバンテージになる。ヒイロの魔法が圧倒的な攻撃力の高さを誇っていることから、真っ向勝負をしても勝ち目がないと考えたのだろう。
くるりと広い視野で空間を見つめれば、ヒイロの頭上に杖先をこちらに突きつけるように向けている男の姿があった。
「【トニトゥル・フェルルム】!」
「【アクワ・スクトゥム・レクトゥス】」
ヒイロは横に大きく、だけど素早く、頭上に盾を展開すると、盾は雷の刃を全て吸収するとそのまま蒸発した。
ヒイロはその隙に左足を半分後ろへと回し、そのままくるりと半回転する。身体の重心を後ろへ大きく傾け、身体を重力されるがまま地面に倒れ込むようにすると、杖先を男へ向ける。
「【アクワ・ハスタ】」
力強い詠唱だ。
ヒイロに魔力答えるように、杖先に大きな槍が生み出され、確実に男を捉える形で飛んで行ったらずなのに、ヒイロの視界に男の姿はなかった。
「ヒイロ、後ろ!」
男は盾によって自身の攻撃が防がれることを予め予知していたかのようだった。
ユニークマジックを利用し、既にヒイロの後ろへと移動していた男は、ある程度距離はあるものの既に杖先はヒイロを捉えている。
(ユニークマジックの連発なんて、どれだけの負担を……!?)
どんな魔法だって魔力を消費する上に、ユニークマジックは普通の魔法よりも魔力の消費量が多く、精神的にも辛いものが多い。一度攻撃魔法を挟んでいたとはいえ、ユニークマジック連発するには身体の負担が大きいはず。
それなのに、男はさぞ当たり前だといわんばかりの平然とした顔でヒイロの後ろへと飛んでいた。
(避けられないっ……!)
先ほどの一撃で決めるつもりだっただろうヒイロの体制は既に倒れ込む形そのもの。男が次に使う魔法からはどう足掻いたって逃げられる体制じゃないのに。
(……笑ってる?)
唇は勝利を確信した時に見せるような、自信の色が滲んだゆるりとした弧を描いており、私の心配とは裏腹に自信に満ち溢れている。
嘘を見透かして、全部溶かして、簡単に飲み込んでしまいそうなほど、大きな白であったあの瞳には、勝利という明確な希望で溢れていた。
「……【フレクテレ】」
ヒイロは床を思いっきり蹴り、回転する要領で杖先を天井から後ろへと大きく倒すように杖を振った。すると、水の槍はくるりと軌道を変え、男へ向かって一直線に突っ込んでいく。
「魔法の軌道が、変わった……!?」
一度杖から離れた魔法は、方向操作することが出来ないものなのだが、ヒイロの魔法はヒイロの指示通りに杖先か離れていても繋がっている。
「と、【トニトゥル・スクトゥム】……!」
予想外の攻撃。槍という、刃よりも大きなものを相殺するための魔法を、きちんと生み出している時間なんてない。
男は時間を稼ぐように後ろへと飛び退きながら、自分自身を覆うように杖を大きく下から斜め上へと振るい、盾を展開する。ヒイロの魔法は男の展開した盾にぶつかると、大きな音を立てて割れ落ちた。
雷が作り出す盾の特徴は分散。
男の全身を覆うほど大きなシールドを一気に破壊したため、水を外へと逃がして大きく拡がった盾の破片は、数え切れないほどの量であり、男の視界を大きく塞いだ。眩しいほどの煌びやかな光は、ヒイロの姿を上手く隠し、男に向き合うために、ひらりと身を翻し、体制をきちんと整えるには十分すぎるものだった。
ヒイロの杖先は確実に男を捉え、勝利を確信した強い呪文を唱える。
「【アクワ・ハスタ・レクトゥス】」
先程よりも鋭い刃を持つ水の槍、しかしその形状は、今まで見てきたものとは異なっていた。
(あれは、片鎌槍……!)
ヒイロの作り出した槍は、二つに枝分かれした刃を持つ槍だ。
武器を作り出す魔法は、それぞれの武器形にそって術者が作り出されるイメージ能力に左右される。しかし戦の中、的確に連想し続けるということは非常に高度な技であり、イメージ能力が弱々しければ、それこそ形の境界線がぐちゃぐちゃになって、魔法そのものが成立しないこともある。
実際、大抵の魔法使いはそれぞれの武器具現化魔法に定型が存在していてそれ以外を作り出すのは至難の業のはずだ。
(……理論上だけの話って思ってた)
ヒイロは攻撃を緩めず、きちんとした魔法、槍の形そこにあった。
槍の短い部分が男の肩に触れ、肌を掠めて服に突き刺さる。そして、勢い殺さぬまま一直線に壁まで突き進んだことで、飛び出すように長かったもう一本の刃が壁に突き刺さる。
男の杖は、身体が壁へと叩きつけられる際にカランと音を立てて、呆気なく床へと落ちていった。
「……凄い」
先程の恐怖はまだ身体に残っているものの、思わず素直な賞賛を口にしてしまっていた。
ヒイロが行った一連の行動は、私では考えられなかった【属性の性質】を使った戦い方であり、自身が第三者であるからこそ、やっと理解出来た部分でもあった。
男はどちらかと言えば好戦的なタイプで、こちらが強力な魔法を打ったとしても、男にとって属性の相性が良い風や水を相手にしていたから、魔法を撃ち合ち合いで効果かき消しやすくなる。もちろん男の技量があるから出来る技であり、私だったら安全に次の行動へ移せる盾を展開させてしまうことだろう。
しかし、この状況はヒイロにとってかなり悪いともいえる。
ヒイロは男に対して不利な水属性の魔法を使う。撃ち合ってくることがあれば、雷がのった水がこちらに降りかかる危険性があったことから、ヒイロが注目したのは男が撃ち合ってくる場面を回避するために、男が盾を展開させざるおえないシーンだ。
ヒイロは男の落とした杖を距離を開けるように後ろ壁側に蹴ると、男に対して杖を向けた。
「もうこれ以上の戦いは意味があらへん。大人しゅう投降してくれると助かるんやけど」
「……そんなことするわけないじゃん」
男は不気味な笑みを浮かべた。
肩から覗く打撲によって大きく黒くなった皮膚は深手を示しているし、攻撃手段である杖も手元にない。男は完全に不利な立場にいるはずなのにも関わらず、まだ何かある、まだ何か出来る、逆転は可能だ。と、言わんばかりのその表情は一言で言えば気味が悪い。
「ボクは久しぶりに楽しいんだ!こんな相手と殺り合えるなんて!!」
男は左手で口の縁をひっかけ、思いっきり歯を露出させると、黄色の輝きを放つ入れ歯がキラリと輝いていた。
絶体絶命の局面であっても余裕であり続けるような態度、そして普通の輝きとは違う透明度を含んだ黄色の入れ歯。
その違和感の答えはすぐに判明した。
「ヒイロ、それ魔法石よ!」
「えっ」
ユニークマジックには普通の魔法とは違って例外が存在する。
それは、自分自身だけに効果を発動する魔法の場合、魔法石のみでの魔法発動が可能ということ。
男は杖を奪われたとしても、深手を負ったとしても、確実な逃げの手段を持っていたからあんなにも余裕で居られたんだ。
(逃げられる……!)
そう気づいたとしても、既に時遅し。
ヒイロが口を開くよりも、男が呪文を唱え始める方が圧倒的に早かった。
「【草木を抜け、門を潜り、今会いに行くよ――――ダ・フロレ・コロナム】」
キラリと金色の粉が舞ったかと思えば、私の思惑は大きく外れていた。
魔法での転移先は、逃げるためのものではなく、ヒイロの真後ろ。ユニークマジックを使い後ろへと回り込んだ男は、ヒイロが端に寄せておいた杖に手を取る。
(深手を負っているにも関わらず、まだ戦おうとするの……!?)
服は破け、削ったように黒ずんだ肩から得たダメージというのはどれほどなのだろうか。確実に相手を仕留める、その強い執着だけで動き続ける男はどうしたって狂ってる。
「後ろ!」
私の声に反応するようにヒイロがこちらへと振り返るが、男の行動の方がワンテンポ早い。ひょいっと杖を持ち上げ、既に杖先をヒイロを捉えていた。
魔法を展開させるのには、多くの時間を要する。
杖先で照準を合わせ、魔力を手から杖全体に巡らせ、祈りを込めて呪文を口にする。
(間に合わない……!)
既に照準が定まっている男と、こちらに振り向いた状態のヒイロではスピードという差が大きすぎる。
「【トニトゥル・フェルルム】!」
男の作りだした鋭い刃は、建物の横幅ギリギリをせめた非常に大きいもので、勢いを止めず大きな範囲を持ち続けたままヒイロへと飛んでいく。ヒイロとの密接すぎる距離から回避するのは難しいはずであり、直撃は避けられない。盾を展開したとしても、先程のヒイロがやった事と同じことをされてしまえばそれこそ確実な死がそこにある。
「……なんや、こんなんか」
ヒイロは不安の色を示すことなく、いつも通り唇に緩かな弧を描いた。
タンっと地面を軽快に蹴り、腹部あたりにあたるはずだった刃と男を軽く飛び越え、杖先を起点としてくるりと空中で回転。杖先はヒイロの身体の動きに左右されず、きちんと男を捉えておりブレがない。
他愛のない会話をするように、まるで日常の一ページを切り取ったように、軽やかな声色が呪文を紡ぐ。
「【アクワ・スァギトゥタ・ムルティ】」
無数の水矢は、避けることの出来ないほどの量が男の身体を掠め取る。服に触れれば勢い殺さぬままその場に縫い付けられる。
「嘘だろ……!?」
男は水矢から逃げようと身を捩ろうとすれば、ありえない量が絶え間なく降ってくる水矢によって、腰がひけて簡単に転ばせられる。服は矢によって地面に縫い付けられ、仰向け転んだ男は、必死に顔を死守するように地面へと背ける。
流石に数え切れないほどの量というのは一本の質よりも余っ程恐ろしい。
水矢は顔や身体をかすめ、深く深く皮膚に突き刺さる。ヒイロはそんな現場に似つかわしくない、羽が生えた天使のように軽やかに着地すると、男の方へ歩き出す。
「お兄さん」
ぺちゃぺちゃと水が滴る床は、ヒイロが歩く度に大きく波紋を広げる。
男の傍にしゃがみ込めば、自身の杖先を鋭い刃のように男の首元に当て、杖に雫を付ける。男の罪をすくい取るように首元から顎へと移動させれば、くいっと軽く顎を持ち上げ、ヒイロはその口を開いた。
「――――もしも本気で人を殺そうとするんやったら、愉しさは不要なんや」
弾んだ声が鼓膜を揺らす。
不自然な弧を描いた唇は狂気を含み、斜め後ろから見える表情だけなはずなのに、私の背筋をぞくりと強ばらせ、その図りきれないなにかは、容易く私の心臓を奪う。
私に向けられたものでは無い、そう分かっていても呼吸が上手く吸えないなにかがそこに存在している。
恐怖とは少し違う、踏み入ってはならない領域がそこに存在していた。
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