第1幕 ― ⑤「確認する必要」
死を告げる力強い水属性の呪文が耳に届いた。……が、私の意識が飛ぶことなく、きちんと息をしている。
なんなら蹴られた腹部も嫌という程痛いし、雷魔法が体に振るわれることもない。
(あれ、今のって水属性魔法の詠唱?)
男が使っていたのは雷属性の魔法。主属種である水属性の魔法を使える訳は無い。
どうしてか分からず、理由を求めるように目を開ければ、水の球体が男を襲っていた。
身体を一気に包むぐらい大きな水の球体に、身体を飲まれてしまった男は、流れるように反対の壁へと叩きつけられる。
状況が理解出来ない。
必死に頭を動かして、何が起きたのかという答えをさがそうとしていたところだった。
「――――遅なってかんにんえ、お姉さん」
知っている声だった。
私は声のする方にゆっくりと顔を向ければ、何事も無かったかのように窓枠に腰掛けている人物と目が合う。
後光が差し込み、華やかな金髪が宝石のようにキラキラと輝く。淡い光が影となり、彼の瞳は私の姿を映し出した。
「ヒ、イロ……?」
「そや、お姉さんにご飯を奢ってもろうたヒイロやわぁ」
思わず彼の名前を口にする。
見間違えるはずのないさっき別れた人物は、ひらひらと無邪気に手を振った。
その一連の流れがあまりにも違和感のない振る舞いで、ここが戦場であることを忘れてしまいそうになる。
ヒイロはひょいっと窓枠から降りると、私の横にしゃがみ、腹部に自身の杖を当てた。
「【クワエレレ】」
呪文を聞き届けた杖――――ステッキは、淡い光を帯びた。
ヒイロの杖の形状は、多くの魔法使いが親しんで使っているワンドや、私が使っているロッドではなく、ステッキと呼ばれる種類だった。
杖の役割は【自分自身の魔力を増幅させる】、【魔法のサポートを行う】、【魔法の照準を定める】という三つの役割をもつ。
もちろん杖の用途も人によって大きく使い分けられており、売られてるのだが、ステッキは【失敗作】と呼ばれる杖の種類であった。
ステッキは【自分自身の魔力を増幅させる】、【魔法のサポートを行う】という機能を疎かにし、扱いやすさと俊敏性というステータスに全振りしたもの。
長さは多少の誤差があるものの、指先から肘ぐらいまでのものしかなく、大きな魔法石(魔力を増幅させるためのもの)をつけることは出来ないし、付けられるモチーフ(術者や魔法をサポートするための道具)も最低限で、簡単に言えばバフもデバフも付けられない、魔力増幅させるためだけの杖。
魔法具がなければサポート能力も見込めないし、全体的な攻撃力が大きく下がる上に、術者の負担も大きい。
よって、ステッキを使う人は減少。わざわざ高価な魔法石を使い、使いにくいステッキを使うぐらいなら、二つ目の機能である【魔法の照準を定める】という効果だけをもつスタッフを使用する。こうして時代が流れていくにつれ、武器屋や魔法道具屋にステッキが並ぶことはなくなった。
火力の低さ、使い勝手の悪さ、値段の高さ、そういったものから世論では【失敗作】と言われていたはずのステッキのはずだ。……なのに、なのに。
(あの男を吹っ飛ばした杖は、これなのね)
ちらりと男を確認すれば、壁に強く打ち付けられたことにようで、黒目がきょろきょろと辺りを見回し、視界が定まってないように見えることから、その事実は明白。ヒイロは圧倒的な火力差を持っていた相手を、意図も容易く、相手の為す術なく吹き飛ばした。
……私のバフ盛り盛りのロッドではなく、ただの魔法石がついているだけのステッキで。
「骨は折れてへんみたいだけど、内部出血が酷いなぁ。……でも、これぐらいやったら魔法具の力を借って修復出来そうやな」
状態確認が終わったのか、杖からは光がゆっくりと消えていく。
ヒイロは一度ほっとしたような表情を見せたものの、すぐに表情がコロりと変わる。眉は八の字に変わり、不安の色を滲ませた瞳がこちらを覗き込んだ。
「……遅なってかんにんえ、お姉さん」
それは予想にもしてなかった、謝罪の言葉だった。
「なん、で……謝る、の」
絞り出した声は、情けないぐらいにかすかすで、血が粘り強く張り付いた喉は、空気で無理やりこじ開けたことで声を出すだけでも痛みが走る。けど、どうしても伝えたい言葉があった。
「助けて、くれ、た、じゃない……?」
謝る必要なんかない、寧ろ私はもう二度と会うことなんてないと思っていた。
ヒイロの返事はなかった。
上着ポッケに手を突っ込み、金色の液体が入った小瓶型の魔法具を取り出せば、私の空いている手を無理やり開いて握り込むように魔法具を持たせた。
握らせてくれた魔法具から、体に魔力が流れ込んでくる。生温くて、どこかくすぐったい。身体の内側に張り付いた血や、蝕む痛みをゆっくりと取り除いてくれる。
(治癒の、魔法具……)
治癒の魔法具は、普通に売ってる治療薬とは違って、基本的(中には他人からの魔力を受け付けない特異体質の人が存在するので例外はある)にはデメリットなしで使うことができるという大きな利点があることから、非常に高い価値が付き、値段が張る。
魔法具は知識があれば自作出来るものの、それでも治癒効果のある魔法具を作るのは遥かに高い難易度だ。
「お姉さんだって、助けてくれたわぁ」
「……え?」
「見ず知らずのオレのこと助けてくれた上に、ご飯までご馳走してくれて、助けてくれたのはお互い様やわぁ。……あっ、そうや。おつり」
ヒイロは慌てて自分自身の上着ポッケに手を入れれば、さっき食べたお店のレシートと、少しのお金を取り出して私の身体横に置く。
「お姉さんご飯奢ってくれたやん?そやけど、めっちゃお金余ったし、おつりのこと聞いてへん!って思て、慌てて魔力の残り香追いかけてきたんやわぁ」
さぞ当たり前、みたいにヒイロは首を傾げながらへらりと笑った。向けてくれたその眩しすぎる笑顔は、今の状況にはどうしたって似つかわしくない。
「……ばか、じゃないの」
魔法具による治癒効果のお陰か、再び口にした言葉はさっきまでよりもずっとスムーズに喉が開く。
「へ?」
「ヒイロまで、死んじゃう、わよ」
私にとっては救世主みたいなタイミングで助けてきてくれたのに、私の口から出てきたのは情けない言葉だった。馬鹿だと思っても、助けに来てくれたヒイロが心配で、自分自身の気持ちを上手く消化できない。
ヒイロはそんな私の感情を汲み取ったのか、そんなは気にしないと言った感じで、人懐っこい笑顔を零す。
「えへへっ。おあいこ、やな!」
心がくすぐったくなる。
いつの間にか私の身体を蝕む痛みを、ヒイロの笑顔は軽々と救い上げていて、私自身も控え目だけどつられるように笑顔になっていた。
「全然、釣り合ってない……わよ」
死を覚悟した時、頬を伝ったものははずのものは既に乾ききっていはずなのに、同じだけどまた少し違うものが頬を伝う。
私の感情は、ヒイロによって簡単に上書きされた。
(……ずっと、独りでいいと思ってたのに)
恐怖は自身の体を強ばらせる。
判断を鈍くし、容易く殺してしまうほどの致命傷を作り出してしまうから、どんな依頼であってても自分自身だけで完結する独りが好きだった。邪魔になる存在が増えるぐらいなら、自分自身が無理した方が良い、そうやってずっと考えてた。
(でも、違うのね)
ヒイロは人差し指をそっと伸ばせば、私の頬を拭った。
しなやかで細身、だけど少しだけ骨ばったその指先は、誰よりも優しく暖かな指先であった。
「安心して、お姉さん。オレがおる、もういけるさかい」
柔らかな声色だ。
赤子をあやすように、子供を安心させるように、頼れて信頼の出来る言葉。
ヒイロはゆっくりと立ち上がれば、私を守るかのように前に立つと、男に杖を向けた。
「今なら見逃してあげられるけど、どないすん?」
今まで聞いてきた声よりも、ワントーン低いその言葉は、苛立ちの色が強く滲み出ていた。
男はヒイロの声に反応するようにゆるりと目を開けた。好奇心のまま動く、男にとって自由の象徴である口角が大きな弧を描く。
「あははっ、逃げる?そんなことありえないよ」
初めて見せた、気味が悪いほど無邪気であり嬉々とした表情だった。
口元に垂れた汗をぺろりと舐め、新しい玩具を見つけた子供のように、キラキラと目を輝かせる。足元はどこかおぼつかないのに立ち上がる、その姿は好奇心という名の狂気に溢れていた。
ふらふらとしながらも立ち上がれば、自身の戦意を示すようにヒイロへ杖を向けた。
「もっともっと、ボクと遊ぼうよ!」
自分自身を軽々と吹き飛ばしたステッキを使う魔法使いがいるなんて、誰が想像しただろうか。圧倒的な力を持つ相手との対決、それを心の底から望んでいる言動が多く見られた男にとってはご褒美のようなものだろう。
「どうやらこっちを逃がしてはくれへんみたいやな」
「逃がす?人を殺してまで石にするイカれた魔法使いとやり合えるのに、しっぽ巻いて逃げるわけないじゃん!」
ヒイロは呆れたようにため息をひとつ零すと、ステッキの汚れを払うように杖を払った。
(……人、殺し?)
私は男の言葉を確かめるようにヒイロの杖先に視線を向けると、そこには真っ白の魔法石が煌びやかな光を放って存在していた。
私が使っている風魔法や、男が使っていた雷魔法など、魔法の属種というのは揺らぐことの無い絶対的なもの。それぞれの特性や関係値を分かりやすくするため、魔法学会は全十種の属性を三つの属種に分けた。
一つ目は主種。
炎、水、草、雷がの四属性が主属種にあたる。主属種に属する人はそれぞれの子である副属種を覚えることが出来るが、その分弱点が多いのが特徴だ。
約七十パーセントの人がこの主属種に当てはまる。
二つ目の属種は副属種。
音、氷、風、地の四属性が副属種にあたる。副属種に属する人は、親である主属性を覚えることが出来ないものの、主属種に比べて弱点が少ないという大きな利点がある。
約二五パーセントの人がこの副属種に当てはまる。
三つ目の属種は無属種。
主属種にも副属種にも属さない独立した属種で、光、闇の二属性がこれに当てはまる。光と闇はそれぞれが弱点であり、無は不利有利がない唯一無二の属性である。
約五パーセントの人がこの属種で当てはまり、とても希少な属種となっている。
そして、ヒイロがさっき使った魔法は主属種の水属性魔法。適応する副属種は氷で、本来そこにあるべき魔法石の色は青か水色のはずだ。
(窓枠にいた時は太陽を背にしていたし、腹部に当てられた時は角度的に分からなかったのね……!?)
ヒイロはくるりとペン回しする要領で杖を回しすと、慣れたように呪文を唱える。
「【モード:レヴィアタン】」
ピタリと杖を止めると、真っ黒だった杖は杖先を起点として深い青へと色を染まり、綺麗なグラデーションを作る。
杖を起点にして、周りの全てを食い荒らすかのような破壊的な魔力に、身体にあったはずの痛みが恐怖へと塗り替えられ、身体の自由を奪われる感覚だけが頭の中を占領する。
私は無意識に、ヒイロが与えてくれた治癒の魔法具を強く握りしめていた。
「あははっ、今日は最高に楽しい日だ!」
男はそんな恐怖すら興奮材料のようで、キラキラと輝く瞳を見せながら、自身の杖をヒイロに向けた。
魔法石は空中に漂う魔を食事とする石を加工したもの。
自然の魔力と、自分自身の持っている魔力の両方を食わせ、媒介にするような形で魔力量を増幅させ、少しの魔力で火力を出すために必要なものだ。
故に、杖へと加工される前段階。空中に漂うなんの魔力を食べているかによって、その魔法石の色は決まりるものの、白は全十種類ある属性にどれも属さず、唯一の例外を除き作ることは不可能だったはずだ。
(……ただの魔力の渦だけがこんなにも怖いなんてっ!)
今まで体感したことの無い嫌な魔力の渦は、嫌という程体が強ばり自由を容易く奪う。
――――白というのは、無垢である象徴であると同時に、終焉を意味する色でもある。
(魔力は神に愛された証で、神から授かるもの。人はいつか死ぬ生き物であり、神から与えられた魔力が尽きた時、人は死を迎える)
神はそれらを分かりやすく確認するために、無垢は瞳に、終焉は髪に色をつけた。
髪が白く変化する現象は、魔力がなくなり、死を迎えるための準備を始めた証拠。
歳を重ねるごとに、色素の源となる魔色素幹細胞が減っていくことが原因とされているが、実際は魔力が減っていくことで、魔力を帯びている魔色素幹細胞が死んでいくのだ。
だから、白髪は魔力が元々あった魔力が無くなったという証であると同時に、魔力の有無を示す。それは、死を意味する色でもあるのだ。
(だけどもしも確認する必要があれば、白の魔法石は生まれる)
その確認する必要、というのは共通で世界規則に触れた時であり、白の魔法石は禁忌を告げるおとぎ話……という形で、その存在が端的にだが記されていた。
魔力を食事とする魔法石が、理に触れた魔力を食べ、魔法石を作りあげた時のみその色は白へと変化する。もちろん、人の手が加わらなければ魔法石は人の魔力を勝手に食べることもない。
となれば答え一つだけで、体を支配する魔力はどうしたって本物としか考えられないのだ。
「……お姉さん、下がっとって」
ヒイロは男の言葉を否定も肯定もせず、戦闘の意識を示すようにただ杖を構えた。
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