第3幕 ― ⑨「欠けているもの」
「ほんでなぁ、ラテアートやらも練習したんやわぁ。オレは苦いんやめなのに、みんなからリクエストされること多うって」
「きっと緋彩は、手先がすごく器用なのね」
緋彩はじっと真っ直ぐに、私だけを見ていた。私の頭の中は、部屋に充満するコーヒーの香りでいっぱい。ツンと鼻にさすような匂いに混じった、芳醇な香り。重苦しい苦味の中に混じる、甘い香りは私の思考時間をゆっくりと奪っていく。
たけど、初めて会った緋彩に戻ったみたいに感じた。
「そうなんかいなぁ。料理は全然だめなんやけど」
「それこそ、練習の差じゃないかしら? 初めから何でもできる人なんていないでしょ」
「確かにそうかも」
私の頬はとろりと微睡み、ゆるりと口角が上がる。赤子に聞かせるような優しい声色は、強くなってしまっていた口調とは釣り合わない。どこか気恥ずかしくなった気持ちを隠すように、テーブルに置いてあったコーヒーに手を伸ばした。カップの取っ手に指をかけようとした瞬間、ぶるりと肩が震え、身体が硬直する。全身を這うような悪寒が走り、無意識に喉を鳴らして、生唾を飲み込む。
(異質な、魔力を……感じる)
刺々しく、荒々しい歪な形をした魔力。まるで牙のように鋭いものが肌を乱雑に噛むように、強い力を感じてるそれは、ぞわぞわとした寒気を引き起こす。
僅かに混じる、闇のように冷たいものが、より拍車をかけている気がした。
ふっと顔を上げ、視線をきょろきょろと動かしていた。
未知のものに対して抱いた違和感と畏怖。だけどどこか感じたことあるような、懐かしい魔力のはずなのに、知らないものに感じる。
私は無意識のうちに植えつけられた、警戒の仕方が自然と出てきていた。
「……外が騒がしいわね」
「え、そうかな?」
緋彩にこてんと首をかしげて、僅かに唇が開く。同意を求めるように問いかけたはずなのに、返ってきた答えは、全く予想していなかったものだった。
(もしかして、この魔力に気づいてないの? )
生身で触れてしまえば、感覚が全部飲み込まれて、分からなくなりそうな嫌な感じ。無重力空間に、目隠しをされて放置されてるような、ぐらぐらとした感覚は、気持ち悪いの一言に尽きる。
いつの間にか、肩の付け根に小さな痛みが走る。視線を僅かに落とせば、ぶるぶると震える肩を、無意識のうちにぎゅっと、指先で抑え込んでいた。
緋彩よりも温かい指先は、私の体で固まっていた何かを溶かして、ゆっくりと理性を取り戻していく。
(目を逸らしたくなるような、違和感がある)
私は緋彩のことを、じっと見つめた。
艶のある金髪は、こてんと首を傾げたことで、ふんわりと揺れ動く。そして、そこから覗かれる白瞳は、ただただ真っ直ぐに私を見つめている。だけど何か足りない。何でも見透かしてしまうような、透き通った白瞳にみえる。だけど初めて会った時に感じた異質さはない。
嘘も全て見透かして、真実だけを見つめるような、不思議な恐怖感が欠けていた。
私の心に僅かな疑惑が生まれ、大きな疑問になるまで、そう時間はかからなかった。
「……緋彩って、魔力感知が苦手なの?」
「え、どうやろう。人並みや思てるけど、得意でも苦手でもあらへんかいな」
ふわっとした雰囲気はいつも通りだけど、私を見つめる視線には僅かな歪みがある。なんの欠点もない、従順なお人形さん。だけど楽しく会話をしているはずなのに、どこか線が引かれてあるような違和感。
「……私はてっきり、魔力感知は緋彩得意分野だと思ってたわ。るるさんに声をかけたのは、緋彩からだって聞いてたから」
私は目覚めた時、るるさんから言われた言葉を思い出しては、なぞるように口にしていた。
るるさんは私が目覚めて『商店街でおねぇさんをお姫様抱っこしてる、ひーくんと会ったんだぁ』と言っていた。この言動だけだと、どちらから声をかけたかはっきりしない。
だけど、るるさんから声を掛けたのなら【会った】と言う言葉よりも【見つけた】の方がしっくりくる。
るるさんの受け身な言動から、緋彩から声をかけた可能性が高いと考えた。が、第一印象だけじゃ、魔法学会に在籍している事は分からない。
実際、私もるるさん本人から聞くまで分からなかった。るるさんのことは、景の知り合いという印象しかなかった。もちろん緋彩は、その現場にいなかったし、魔法学会の人間であること以前に、NorthPoleのメンバーと親密な関係があったことすら知らないはずだ。
なら何故、声をかけれたのかという疑問が生まれる。
普通に考えれば、そういう予想が立てられるほど、強い魔力を感知した。という形だと思う。
NorthPoleという機関がどういうものか、きちんと口にして説明したのは運ばれてからだけど、緋彩は何となく分かっていた気がする。だからそんな人物を抱えて助けを求める、なんて相手の見極めがどれほど必要なことだろうか。
(それにるるさんは、自分が魔法学会に在籍してることを、緋彩は知っている様な口ぶりだった)
小さなハッタリで、求めている答えをぴったりと引き出すことは出来ないと思う。だけと小さな違和感は、両手いっぱいに集めて、本当の答えを探し出す道具。
欲しいものに手が届きそうなのに、触れてしまえば二度と戻れない。そんな嫌な予感に、一瞬だけ目を細めた。
「んー、火事場のあほ力やったのかも。あの時はお姉さんのこと助けないけんと、とにかく必死やったさかい」
緋彩はくすっと可愛らしい笑い声を漏らすと、口元に指先を当てた。ゆるりと口角が上がり、ふわふわとした私の知ってる笑い方をみせる。
「今はこうやって、落ち着いてお茶ができるまで回復しやさかい、なんか気ぃ抜けてもうてるのかも」
緋彩は私が指をかけようとしたカップの受け皿に、自身の指先をそっと置く。そして私に飲むことを催促するように、ぐいっと押し出した。
「ねぇ、お姉さん。乾杯しいひん?」
緋彩の声は、いつもよりもずっと落ち着いていて、穏やかに聞こえた。
だけど緋彩らしくない、強引な勧め方。
気になった小さな疑問は、いつの間にか頭の中からすっぽり溶けて無くなる。氷が溶けるのをゆっくり見守るんじゃなく、熱湯をかけて早く溶かそうとするみたいに、慌ただしくばたばたと。
私の身体は、ゆらゆらと漂う香りに、全部上書きされていった。
(あれ? 私、何考えてたんだっけ)
匂いだけなのに、体全体に染み込んでいく感覚は心地よくて、瞼がゆっくりと落ちていく。まるでゆらゆら海に漂っているみたいに心が事前と落ち着き、お風呂上がりのような、ふわっとした体の火照りは、頭をぼうっとさせていく。
ずっと忙しいことばっかりで、気が滅入っていたのだろう。NorthPoleとの連戦を終え、護送任務。その上、自分のホームに戻ったら戻ったで、暴走騒動。
嫌なことばっかり立て続けに起きると、ついつい悪い方向ばっかりに考えてしまう。とは、まさにこのこと。私は何も考えずに、緋彩の言う通りにしてればいいんだ。
「えぇ、乾杯しましょうか」
自分自身の意思にモヤがかかったみたいに、ふよふよと曖昧になっていく。
私は緋彩に勧められるがまま、カップの持ち手へと手を伸ばす。指先にピリッとした熱が走り、僅かに痛みを感じた瞬間だった。
ガタンっと大きな音が鳴り、びくりと肩が大きく上下する。はっきりと聞こえた強い音は、外から聞こえたもので、私を現実へと連れ戻す。慣れ親しんだ癖で、音のした玄関へと素早く視線を向けた。
「やっぱり、騒がしいわ!外の様子を見てきた方がいいんじゃないかしら」
「いや、ここにおった方がええ思うな。離れてもうたら、対応遅れてまうやん?」
緋彩は少し強引に行き場を失っていた、私の手を自分の方に引き寄せた。そして、安心を分け与えるように、いつもみたいに冷たくない手をそっと重ねる。
「オレはお姉さんのことを絶対に守りたいんだ。他のものはどうなったっていい」
緋彩のあの白瞳は、じっと真っ直ぐに、私だけを捕らえていた。
嘘も事実に変えてしまいそうなほど、鋭く静かな視線。そこには確かに狂気が宿っていて、背筋にぴんと張り詰めた緊張感が走る。心なんて、ちっとも温まらなかった。
「な、お姉さんもそうやん?」
触れている指先に、ぐっとしわがよる。
緋彩の体温は私と変わらないぐらい何も感じなくて、私はどこか心の中でふっと短く息を吐いていた。難問を解いて、一息つく時って、きっとこんな気持ちなんだろう。
(……あぁ、分かったわ)
私は僅かに視線を落とし、コーヒーカップの中を覗き込む。視線の端に映る緋彩は、小首を傾げて私の行動をじっと見つめる。その薄っぺらい白瞳に、私はどのように映っていたのだろうか。
何も無いはずなのに、ぽちゃりと雫が零れたような音が聞こえる。
部屋の照明に反射して、闇のように深いコーヒーはきらりと光を零す。つやつやとした表面は、周りの景色を全て取り込んでぐるぐると色を混ぜる。
「――貴方、緋彩じゃないわね」
混ざるはずの、白も金も。緋彩を構成する色は、何も映らなかった。
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