第3幕 ― ②「お花畑ちゃん」
しかし私の意識は落ちることなく、右手首にぎゅっとした力と、僅かな熱がこもる。ゆっくりと目を開けると、るるさんが私の手を掴んで倒れるのを阻止してくれていた。
「んへへ、からかいすぎちゃったぁ」
るるさんはぐいっと手繰り寄せるみたいにして、私を引っ張りあげた。
「にしてもぉ、酷い有様だねぇ。あちこちに魔法の残像が残ってるよぉ」
「そらオレがやってもうて……冷蔵庫の中身もほとんど無うなって、ます」
「そうなのぉ?なら、ひーくんには今からおつかいに行ってもらおうかなぁ」
るるさんはキッチンから離れると、近くの棚から財布を取り、さっきまで自身が使っていた箒を手渡す。
「るるたちが出会った商店街にぃ、今の時間から開いてるお店があるんだぁ。そこで食べれそうなもの適当に買ってきてくれるぅ?」
緋彩は私の方に視線を向けた。
捨てられた子犬のようにしゅんと眉が垂れ下がり、不安の色を滲ませた瞳がじっと私を見つめる。だけど一度瞬きをすると、もうさっきの色はなかった。
「……分かった。すぐ戻ってくるさかい、お姉さんのこと宜しゅう御願いするなぁ」
はっきりしない声色で、るるさんから財布と箒を受け取ると、自分自身の身を隠すようにフードを被る。出入りしていた窓に足をかけ、魔力を込めると、ひょいっと空へ飛んでいった。
(気を付けてね、緋彩)
緋彩の容姿はよく目立つ。
フードを被っているとはいえ、サラサラと風に揺られて輝く金色の髪も、全てを見透かすような白瞳も、その全てが桐生緋彩という存在に興味を掻き立てる。
どんどんと遠くなっていく背中をぼうっと見つめていたが、突然聞こえてきた言葉によって、私の意識を現実に引き戻された。
「他人の魔力が散らかってるの、苦手」
誰にも聞こえないような小さな声で、るるさんはぼそっと呟く。
るるさんは服の裾をひょいっと持ち上げて、太ももに括りつけているベルトから杖を抜き取る。呪文を唱えて元の大きさに戻すと、じゃらじゃらと装飾の着いたロッドが音を鳴らした。
るるさんはすっと静かに目を閉じると、杖先に着いている黄緑色の魔法石が眩い煌めきを零し始める。ひゅっと短く喉が鳴り、唇をきゅっと噛んで、肩を震わせる。反射的に息を止めて、るるさんから溢れ出す魔力を感じないようにしていた。
(……何、この魔力は)
今まで感じたことのない独特な魔力だった。
冷たく、鋭い氷のようだけど、身体にまとわりつくような感覚を覚える。まるで祓っても祓っても、離れることの出来ない呪いに近く、べたべたと身体の内側へとこべりつく。
本能がこれ以上関わってはいけない、と警報を鳴らしているのに、その恐怖から目を逸らすことは出来なかった。
「……――」
るるさんの唇が僅かに動くと、散らばっていた緋彩の魔力を上書きするように、魔力が激しく渦を巻く。目にも止まらぬスピードで魔法が構築され、空気中に漂う緋彩の魔力や、なにものでもない魔力もるるさんの魔力へと変換されて、魔法になる。
熟練の魔女や魔法使いは、部屋や物に付着している魔力を消すことは出来る。だけど、るるさんがしたのは消すと言うよりも、上書きするの方がしっくりときた。
「今のは魔法、ですか? 」
浮かんだ疑問は、無意識に口から出ていた。
るるさんは驚いたように一瞬大きく目を見開いたが、すぐに今まで見せていたふわふわとした笑顔で笑う。首を傾げて、ゆるりと描いた口角は、るるさんという存在そのものを曖昧にさせた。
「そうだよぉ。教会で働いてた時からやってた、いーちばん得意な魔法」
さっきまで見せていた、るるさんの冷たい視線の面影はない。晴れやかに笑って、取り繕って、僅かな心の隙間に入り込む。
この感覚は二度目だった。
「るるはねぇ、元々大きな教会でシスターとして働いてたんだぁ」
るるさんは私の頬にそっと指先を添える。
掴めない距離感と、予想できない動きに翻弄されるように、私はぴくっと大きく肩が上がる。だけど指先から伝わってくる僅かな微熱が、私の内側へとゆっくりと伝わってくる。
どんどんと頭の中は別の話題へ上書きされていった。人を魅了させ、堕とすような、美しい容姿に。
(るるさんはどちらかと言えば……アイドルとか、芸能界方面の人に見える)
動く度にきらきらと揺らめく白髪は、天使の輪が淡い光を持ちるるさんの美しさを加速させる。そんな中に混じる桃色のハイライトは、毒を持った生き物のような妖艶さがある。ふっと触れてしまえば、その毒牙に捕らわれて目が離せない。
だけど、アメジストのように深い紫の瞳は、簡単に揺らめいてしまう危うさを秘めている。僅かな気温の変化や衝撃で、簡単にひび割れて壊れてしまうような。一見何も無いと取り繕っても、きっかけ一つで壊れてしまうような、そんな危うさを。
だけど、可愛らしいという言葉がぴったりとくるほど、るるさんには人を魅了する可愛さがある。
例え、悪賜がなかったとしても、るるさんの可愛さは唯一無二で人を惹きつける力があったはずだ。
だからこそ清らかであり、神に全てを捧げる。そんな聖職者のイメージとるるさんの印象は、どう頭を捻っても上手く結び付かない。
私は朧気な頭で、るるさんを見つめては、不思議そうに首を傾げた。
伝えられた真実と予想が食い違っていることに対して、辻褄を合わせるように頭を整理し始めようとするが、上手く頭が回らない。
るるさんはそんな私の思惑すらも見透かしたみたいに、どろりと微睡んだ瞳で私のことをじっと見つめてる。存在の輪郭が分からなくなったみたいに、また曖昧に笑って、僅かな心の隙間に入り込んでくる。
「んへへ、意外でしょー?今は魔法学会議員としてお仕事してるんだけどねぇ」
「まっ、魔法学会議員……!?」
思わずるるさんの言葉を反芻していた。
魔法学会、別称【Iris】は、魔法のスペシャリストを集めた国内最高峰の法的機関だ。
議席は十一席のみで、空席は絶対に許されない。もし空席が出た場合現議員推薦の後、現議員の過半数票を獲得した者のみ加入可能な狭き門。私たち魔女や魔法使いにとって、魔法学会の議席に腰を下ろすというのは、この世界における最も名誉な称号だ。
(でもるるさんが魔法学会議員だなんて……歳もあまり変わらないように見えるのに)
実力のある魔法使いほど、命の源である魔力が豊富な傾向があるため、比較的長生きする。故に空席になって選ばれる確率というのは、その時の情勢に大きく左右され、近年で新しく席を置いた魔女はたった一人だった。
「もしかして――第十一席目・虹橋の魔女ですか?」
るるさんは一瞬驚いたように目を見開いたが、ぱちんと手を合わせる。首を傾げてふわっとしたわたあめのように甘ったるさを孕んだのに、どこか掴めないように笑う。
「正解だよぉ!よく知ってたねぇ」
私は自分自身の予想が当たった嬉しさと同時に、大きく目を見開き、無意識に声が飛び出していた。
「……当たり前ですっ、虹橋の魔女は同世代の魔女にとって憧れの存在ですから!」
その声はいつもより、ずっとハッキリとしていた。ぷるぷると震える唇に、乾き切った口の中は興奮している様子を隠すことなく、どくどくと音を鳴らす心臓にそっと蓋をする。
虹橋の魔女は、六年ほど前に名前の挙がった魔女だ。近年では珍しく、周りから付けられた異名を付けられた魔女でありながらも、その情報の抽象的さからよく記憶に残っている。
虹橋の魔女は、とある小さな教会で働く若いシスターである。という情報しか素性を特定出来るようなものがないのにも関わらず、その輝かしい功績は人から人へ伝えるためだけのようにひとり歩きしていた。
曰く、虹橋の魔女はどんな魔法に侵されていたとしても、生きていれば必ず治すことの出来る。
曰く、虹橋の魔女はどんな自然災害が起きようと、繊細な魔力操作で必ず生存者を見つけ出す。
秘密に包まれた存在、それが虹橋の魔女なのだ。
(存在そのものがおとぎ話と称されていた、虹橋の魔女と会えた上にお話できるなんて思ってもいなかった)
ぽーんとボールが弾むみたいに、浮ついている気持ちを隠せない声に耳を傾けてくれていたのだろう。ほんの僅かな熱を孕んだ視線が、私のことをじっと見つめているのに遅れて気づく。少し下がった目尻に、緩みきった口角はどこか油断しているみたいに力が抜けているのに、愛らしさを帯びていた。
「んふふ。お姉さんにとってぇ魔法学会は、憧れの存在なんだねぇ」
とろりとした蜂蜜みたいに、甘ったるい声を向けられているのに、どこか苦味があって重たくはない。こてんと首を傾げて揺れる淡い光を纏った白髪は、シルクのようにつやつやで柔らかく、ゆったりとした動きを作る。じっと見つめる熱っぽい色に気づいた瞬間、私の心臓がどきっと大きく飛び跳ねるのを感じた。
「……わ、私だけじゃなくて、大抵の魔女や魔法使いはみんなそうだと思います」
胸の奥にむずむずとする、こそばゆい気持ちを感じた。私はるるさんから逃げるようにぷいっとその瞳に色が映らない程度に顔を逸らした。
「でも、魔法学会というよりは、虹橋の魔女の方がずっと……同世代の魔女として憧れの存在ですから」
僅かに蒸気したように染まる、薄桃色から逃げるように。
魔法学会に入るというのはこの世界における最も名誉な称号であると同時に、同世代の魔女は皆、虹橋の魔女に強く憧れていた。
素性が分からないのにその実力は一つの国に留まらず、様々なところまで轟いていた異様さ。
おとぎ話と間違えてしまうような噂の数々。
それは魔法学会の最年少として迎えられたことでより際立つ。素性が分からなかったからこそ、私たちと近い年齢であるというのは強い印象を与える。
歳が近く、様々な偉業を残した虹橋の魔女は、同世代の魔女として憧れを抱くのは必然だ。
「んへへ、おねぇさんかわいー」
るるさんは私の手を掴むと、カランと短く靴音を鳴らす。自分の元へ抱き寄せると、白魚のようにきめ細かい指先で私の頭を優しく撫でた。
るるさんの甘ったるい香水の匂いが頭に充満して、思考がとろりと溶けていく。
「るるは功績や役職みたいなのはあんまり興味なかったけどぉ、こうやって誰かの憧れになってるのはちょっと嬉しいなぁ……でもぉ、おねぇさんには言ってなかったっけぇ?」
「言ってないです。緋彩は知ってたんですか?」
「んー……知らなかったら怪我人のおねぇさんを連れて、この家にあがったりしないんじゃないかなぁ」
るるさんのぽやぽやとした喋り方につられるように、私の喋り方もゆったりとしたものに変わる。一定のリズムで撫でられ続ける頭が凄く気持ち良く、子守唄のように柔らかな声が緊張をといていく。
「それに今も、おねぇさんの傍を離れないはずだよぉ」
微睡んだ、甘ったるい声。
まともに動かなくなった思考のまま、私は思ったことを口に出していた。
「確かに。るるさんは景の知り合いだったから考えてなかったわ……」
緋彩が怪我人として連れているのは、魔法警察と言う身分を持った私。
ずっと引きこもっていたと言っていた緋彩が、信頼出来る人をシュミアから探しだすのは不可能に近いだろう。
魔法学会は、薔薇の魔女が封印された後に出来た法的組織。多少の誤差があれど、四百年ぐらい生きていると言っていた緋彩が魔法学会の組織を知らないわけはなく、最も明確に頼れる組織だと判断出来る。
「知り合い、ねぇ……」
だけどるるさんはどこか意味ありげに、言葉を復唱した。
空気が変わる。
背筋を凍らせるような夥しい魔力量がるるさんから溢れ出し、反射的に生唾を飲み込む。私は僅かに顔を上げ、るるさんの顔を見る。憎たらしそうに眉をぎゅっと寄せたが、それは一瞬の出来事。私の視線に気づいたるるさんは、すぐにいつも通りのふわふわとした可愛いらしい笑顔で笑った。
威圧感のある空気が、冷徹な魔力と共に肌を撫でる。
無意識に緊張を強いられ、るるさんが作り出した独特な空気に、夢現状態だった頭が一気に冴える。
「るるねぇ、けーくんのことが心配なんだぁ。いつ死んじゃうかも分からないNorthPoleで働くし、るる以外のおんなのことタッグを組むなんて心配だもん」
決して、声色はなにも変わらない。
だけど明らかな軽蔑を孕んだ瞳が魔女として、魔法警察としての私を確認するようにじっと見つめる。鋭く、冷たい、濃い紫をしているのにも関わらず、透明感のあるアメジストを埋め込んだような瞳が、私の背後にずっとついてまわるみたいに離れてくれない。
「仮にもNorthPoleってReliefを倒すことを目的とした組織でしょー?仲間が大事なのはるるも分かるけどぉ、あんなに冷静じゃなくなっちゃうなんてお花畑ちゃんにも程があるっていうかぁ」
頭を撫でていた手が、耳朶、顎、首元とゆっくりと輪郭をなぞる。漏れ出す魔力に当てられて、心臓がばくばくと頭に響くように音を鳴らしていた。
品定めされているかのような感覚が怖くて逃げ出したいのに、動けない絶対的な強さがそこにあった。
一瞬、冷静をかいたあの行動がるるさんは想像以上にずっと気になっていたらしい。
(……今の私を見ているのは、るるさんじゃなくて魔法学会議員の虹橋の魔女だ)
白雪のように繊細で触れたら無くなってしまうような、大きな危うさを秘めた白髪。そこから覗く、毒牙のように危うい美しさを纏う紫紺の瞳は、私という魔女を見定めるようにじっと目を離さない。
だけどふっと口元が緩むと、形の良い薄桃色の唇がゆったりと弧を描き、圧倒的な実力の上に成り立つ自信を孕んだ笑顔を見せる。
そして、どこからともなく取り出した杖先を、私の喉元へと突き付けた。
「だからぁ……――これ以上、迷惑をかける前に死んで?」
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