第3幕 ― ①「空回りする勇気」
がちゃんっとなにかが壊れるような音に無理やり意識を引っ張られ、私は重たくなっていた瞼を開けた。
窓から差し込む僅かな陽光が起きるなと言ってるみたいに、じりじりと目の奥を焼く。だけどそれ以上に耳に入った音の正体が気になって、私は身体に必要以上の負担をかけないように注意を払いながらベットから起き上がる。そして迷うことなく音のしたキッチンの方へと足を進めた。
ひょっこりと壁際から顔を出して中の様子を覗きこめば、あわあわと慌てた様子で杖を手にしている緋彩の姿が目に入る。杖先にはお皿に乗った真っ黒い物体と、鼻につく焦げ臭い匂いがキッチンを起点に充満していた。
「……何してるの」
私が近くにいることに気づいていなかった緋彩は、びくっと飛び跳ねるように大きく肩を上げると、かちこちになったロボットみたいにこちらへと振り返る。その表情はまるで悪い事をした子供みたいに、目線が横へ横へと酷く泳いでいて、口元が言い訳を考えてるみたいに僅かにあわあわと動いていた。
「緋彩?」
私が名前を呼べば、緋彩はぴんっと背筋を伸ばし、私の視線や言葉から逃げるように、両手を前に掲げ手のひらを大きく左右に振る。
「ちゃうんだ、お姉さんっ。決して失敗したわけじゃ……!」
咄嗟のことに混乱しつつ、導き出した否定の仕方は、まるで嘘を隠す小さい子供のように稚拙だった。だけど、どこか既視感のあるその振る舞いに、反射的に眉をしかめ、短く息を吐き捨てる。
(失敗、って口にしてるじゃないの)
緋彩は緋彩でどこか掴めない雰囲気を持っているのに、こういった抜けてる部分が見えるとちゃんと普通の人なんだなって実感させられる。
だけど緋彩の意図に従う気はなく、ぶんぶんと振り続ける制止の手を押し退けてお皿に乗った真っ黒い物体を覗き込んだ。
「あぁっ、ダメ!」
緋彩が慌てて私の手を掴んで後ろへと引っ張ったがすでに時遅し。ぐっと距離が近くなったことで、キッチン入口から微かに感じていた匂いがより明確に身体の内側へと侵入していく。
喉の奥ががらがらとするようなつんとした匂いに思わず鼻が曲がり、ぎゅっと目頭を抑えたくなるほど眼球内部に何かが染みるような感覚を覚える。
私はぐるりと振り返り、私の腕をぎゅっと掴んで離さない緋彩の姿をすっと目を細めてじっと見つめた。
「……なにかしら、この黒い物体は」
「えっと、もしかしたら消し炭……かも?」
あからさまに視線を逸らし、動揺を上手く隠しきれていない様子だった。
(やっぱり、神様って完璧な人間は作らないのね)
緋彩は割となんでも出来る人だなって思ってた。魔法の腕は良いし、体術に対しても問題ない程度にまで動けている。誤魔化したり、話を逸らしたりするのはちょっと下手くそだけど、いつも真っ直ぐに向き合ってくれる人。だけど、ここまで料理の才能がないと誰が想像したのだろうか。
じぃっと視線を逸らさずに見つめ続けると先に折れたのは言うまでもなく緋彩の方で、ぎゅっと掴んでいた指先から力が抜けていき、そのまま僅かな熱が離れていく。
「キッチンは魔法でお掃除出来たんやけど、料理を元の状態に戻すことは出来んと。冷蔵庫の中身も使い切ってもうたさかい、どないしようって思うとったんや……お姉さんが起きてまう前に用意しとて」
「緋彩なりに気遣ってくれたのね、ありがとう」
しなしなになっている緋彩の気持ちを取り組むように、私は唇に緩かな弧を描いて微笑んでみせた。
私は知らなかったけど、緋彩が私を運び込んだ時るるさんから家のものは好きに使っていいと言っていたらしい。結局、あの後るるさんは帰ってこず、病人の私に気を使って朝ごはんを作ろうとしてくれていたのだろう。
だけど過程は過程、結果は結果だ。
家のものは勝手に使っていいとはいえ、冷蔵庫の中身は空っぽで朝ごはんになりそうなのは、目の前にある消し炭だけ。お腹が空いていたとしてもこんなものを食べればお腹を壊すだろうし、こういった焦げたものというのは様々な病気を引き起こす原因にもなってしまう。
私はちらりと部屋に立てかけてある時計を確認して、やりきれない思いをふっと乗せるみたいにため息を零した。
「あの商店街が開くまで時間はあるし、空腹のままやり過ごすしかないわね」
「……かんにんえ、お姉さん」
僅かに顔を下げると、さらさらとした金髪が窓から差し込む朝日の光を帯びてきらきらと淡い光を漏らす。目尻を下げ、形の良い唇が少しだけつんと尖らせるその姿は、可愛らしいふわふわの耳がきゅーんと悲しく鳴きながら垂れているように感じた。
(……緋彩って男の人なのに、こういうところは可愛らしく見えてしまうのよね)
私の想像しているおとぎ話に出てくる異国の王子様像というのは、いつもキリッとしていて気遣いが出来る、紳士的でカッコイイ人。
そんな人がふと見せるあどけない部分にぐっとくるというのは、乙女心なら当たり前ではないだろうか。特に、四乃みたいに常に可愛らしく甘えるように振る舞っているのとはまた違う。
だからなのか、きゅーっと心臓を締め付けるように何かが絡むのを感じるその答えを、確信へと近づけるように私は緋彩のことをじぃーっと見つめた。だけど、私の思考をふっと軽く飛ばすみたいに、僅かに空いていた窓からひゅっと短い風が肌を撫でた。その風はまるで私の脱線しようとしていた思考を、元の道筋へと戻すみたいで、私はいつも通り振舞って言葉を選ぶ。
「そっ、そんなに気にしなくていいわよ。私はあんまりお腹空いてないから」
だけどどれだけ思考を真っ直ぐに正したって、頭の片隅にいる感情は、手すりに捕まって意地でも離れてやらないぞと言わんばかりに離れてくれない。そんな僅かな意識のズレからか、口から出た声はどこからともなくぽっと膨らんだ緊張に釣られて、こてんとひっくり返る。動揺で音を失わなかっただけずっといいものの、変に言い直した言葉はどうも耳に張り付いて消えてくれない。
それはどんなに小さなミスをした時、どんなに周りが気にしないと言っていたとしても、自分自身に落とし込むことが出来ずにずっと引きずるあの感覚とよく似ている。
必死に過去の私を新しい私へ、緋彩の記憶を塗り替えようと、いつもよりもずっと早いスピードで頭を回転させた。話題を緋彩主体のものへと切り替え、私に対しての意識を別のものへとすり替えるように適切な言葉を探し出す。その言葉選びは、誰よりもずっと得意だから。
「それより緋彩は大丈夫なの?昨日は戦い続きだったし、私を運んでくれたり、色々と重労働が多かったでしょ」
「そうやな。そやけどちょこちょこ食事は取っとったさかい、全然平気や……わぁ」
そう最後まで言い終える前に、口よりもずっと素直なお腹がぐぐーっと元気よく反論した。文末につれて弱々しくなっていく言葉と比例するように、緋彩の耳がじんわりと赤くなっていく。
「恥ずかしいわぁ……」
緋彩は両手で頬を抑えて、こてんと首を傾げる。ぐぐっと下がった眉尻や目尻はとろんと垂れていて、耳からほんのちょっぴり熱がうつったみたいに赤く染っていた。文末につれてどんどんと小さくなっていく声に、私は口元に手を当ててくすっと笑ってしまった。
「別に、恥ずかしがることじゃないわよ。男性の方が一日の推奨カロリーは多いんだし、女性とは運動量も違うのよ。それに、昨日は色々迷惑をかけちゃったんだから、お腹が空くのは当たり前の反応だと思うわ」
今日初めて分かったのだけれども、緋彩は恥ずかしいと風船がゆっくりと萎んでいくみたいに、文末につれて声が小さくなっていく。照れる時は、耳からじんわりと伝染して目尻、頬と色づいていく。内側から外側ではなく、外側から内側へというのが、どうも可愛らしくて仕方がない。
(男の人なのに、緋彩はこんなにも可愛らしい人なんだなぁ)
初めて出会った時は、面倒臭い事に頭を突っ込んでしまったなと後悔したなぁとか、助けに来てくれたかと思ったら急に見捨てるみたいに眠らせてきたなぁとか。こうやって緋彩の存在に触れて、近付けるとは思ってもみなかった。この初めて抱いたこの感情の名前は、今の私にはどうも答えが見つからなくって、ぐるぐると渦まく痒さに、今はそっと目を逸らす。
「まぁ、問題は食べるものが何もないってことだけど」
「うぅ、かんにんえ。ほんまにあかんそうやったら外で探してくるさかい」
「外?お店とかは何も空いてないはずだけど何かあるの??」
「確かここら辺に生息してへんかったけ、彼岸花」
「えぇ、確か近くに教会があったらはずだから、そこに生息していると思うけど、彼岸花なんか食べたらお腹壊すわよ……?」
何を言っているのか全く理解ができず、私の頭の中には沢山のはてなマークがぽんっぽんっと軽快に現れる。だけど緋彩は何もおかしなことは言ってない、みたいに自信いっぱいだった。
彼岸花は人を魅了するその真っ赤な見た目が、血や死を象徴する不吉な花などと言われていたこともあるが、この国では故人を想う花として多くの人から愛されている。それ故に、シュミアの教会や墓地には決まって真っ赤な彼岸花を植え、死者を弔うものとして扱われてきた。
しかし、彼岸花の球根には毒が多く含まれており、誤って食べると吐き気や下痢、中枢神経の麻痺などを引き起こし、死に至る可能性があったはずだ。
「かんにんえ、語弊があったわぁ。食べるんやのうて、蜜を吸うんや」
緋彩が私でもわかるように説明してくれるが、私の頭の中は変わらず沢山のはてなマークで覆い尽くされている。
(食べるのと蜜を吸うのって言い方を変えただけで、何も本質は変わらないような気がするのだけども……)
私が不思議そうな目で緋彩のことをじっと見ていたのだろう、緋彩は手に持っていた杖を空中に向かって投げると小さな携帯用に変化させた。
「昔、薔薇の魔女がぎょうさん人を殺した時、地面にその人たちの血ぃ吸い込まれていったんやけど、その血ぃ彼岸花は吸い取って赤う色を付けるんや。教会や墓地以外に彼岸花植えられへんくなったのは、濃厚な赤を吸うた彼岸花を作るためなんや。ほんで、吸血鬼は彼岸花の中に吸い込まれた血ぃ吸うこと出来るんや」
「簡単に言えば非常食……みたいなものね」
「そや。オレはダンピールやさかいわし自身で血ぃ作ることは出来るんやけど、普通の人みたいに食事出来ひんと貧血になってまうさかい」
「ひー、と……?」
「うん、理性保てへんくなって、オレオレでいーひんようになる状態のこと指すんや。ダンピールだけの特性みたいなもんやけど」
体裁を取り繕うように、曖昧に笑うと自分自身の身体と相談するみたいに顎に手を当て、短く唸りながら首を傾げた。その姿は、これ以上その情報について話したくないと言っているよう見えて、私はきゅっと固く口を結んだ。
(……緋彩と話してると知らない話が沢山出てくるわ)
私は勉強が好きだし、小さい頃から書庫に潜っては何千という本を読み明かして過ごしてた。だけど、緋彩の話すことは全部本には載ってないことばかりで、歴史を勇者一行として生きてきたからこそ知ってる話のようにも聞こえる。
だけど、どこか一線を引かれてるみたいに距離がある。さっきまで普通に仲良く話しても、本質に関わる部分はこれ以上は触れないでって線を引く。
それが決して悪いことではないけど、目尻がぎゅっと熱を持って、また独りっきりになった感覚を覚える。
(もっと、緋彩に近づきたい)
ただただ、その真っ直ぐな気持ちを勇気に変換するみたいに、ぎゅっと拳を強く握りしめた。
「……なら、吸う?」
「え?」
「私の、血」
やるしかないと思いを決めて、紡いだ言葉は恥ずかしいぐらい熱を持っていて、やかんがきゅーと音を鳴らしてお湯の沸騰を教えるみたいに、私の心臓もばくばくと音を鳴らして、私の気持ちが高揚しているのを赤裸々に伝えてくる。
だけどここで踏み出した勇気を引っこめることは出来ないのに、何も言わない緋彩の反応が怖くて、余計なことをぺらぺらと喋るように、私の口は適当な言い訳を並べていた。
「美味しいとか、美味しくないとかは吸われたことないから分かんないけど……あっ、よく蚊には食われるわ、よ」
ふと、私の腕に誰かの熱が移る。緋彩が行き先のない私の腕を掴んで、自分自身の方へと手繰り寄せるみたいにぎゅっと強く握って私をじっと見ていた。その表情は初めて見るもので、私は無意識に生唾を飲み込んでいた。
「……お姉さん、吸血鬼に対して気軽に血ぃ吸う?なんて、聞いたあかんえ」
私を見る緋彩は、全てを見透かしたように鋭く冷たい眼光を向け、飲み込まれるような大きな怖さがある。だけど、どこか逃げ道を残すみたいにほっとする温かな声色は、今の私にとっては包み込むように酷く優しく感じる。
その強い対比に当てられたみたいに、私の身体は桐生緋彩という曖昧な存在に絡め捕われる。
「吸血鬼の牙は容易う乙女の柔肌を突き破り、唾液は吸血対象者の思考力を低下さす力がある」
緋彩は捕まえていた私の腕を自分の口元へと強引に引っ張ると、赤く熟した舌でぺろっと舐める。その一連の仕草は、洗練された色っぽさがあって、緋彩の忠告は私の頭に上手く入り込んでこなかった。だけど直ぐに思考は現実へと引き戻される。
「耐性がなかったら酔う払うたみたいになんも考えられへんくなってまうんやわぁ」
私が忠告をちゃんと聞いていなかったのがよく分かったのだろう。
はっきりと感覚で分からせるように、自身の牙を軽く当てる。ただ、決して私の肌を突き破るように縦に立てるのではなく、牙の側面に添わせる。
「――――ほんでも吸うてええの?お姉さん」
艶めかしいその色っぽい視線と、煌めきを孕んだ金髪の隙間から覗く、全てを取り込んで飲み込んでは惑わすような美しさを纏った白瞳。緋彩を構成する全てに私の視線は容易く奪われて釘付けになる。
決して、るるさんに魅力を使われた時とは違った感覚。だけど、夢うつつ状態になるみたいにとろんとした思考はまともに動かなくて、ただただ無意識に生唾をごくりと飲み込んだ音だけが鮮明に頭の中へと響いた。
そして私が何を言おうとしたのか、頭の中では理解も次の道筋も追いついてないのにその唇が僅かに開く。だけどその言葉が声になる前に、甘ったるい声があいだに割って入る。
「やっぱり二人は恋人さん同士なんだねぇ」
「るるさんっ!?」
「ただいまぁ、おねぇさん」
るるさんは僅かに空いていた窓を全開まで開くと、ひょいっと箒から飛び降りて窓枠に腰かけた。るるさんはいつも通りを装うみたいにひらりひらりと軽快に手を振っているが、私たちの関係を探るような知りたいという欲求を帯びた好奇な視線がずっと目立つ。
「るるねぇ、あのあとお仕事してて朝帰りになっちゃって、なーんにも連絡手段がなくって不安だったんだけどぉ……おねぇさんたちが楽しそうだったからよかったぁ」
くすくすと肩を揺らしながら人懐っこい笑顔を浮かべて笑うるるさんは、本気で私たちの関係模様を見るのが楽しいみたいで、どこかむず痒い。だけど、るるさんが乱入してきたことで、私の頭は大きなハンマーで叩かれたみたいにクリアになっていて、次の瞬間には緋彩から逃げるように腕を振りほどいていた。
「ちがっ、そんなんじゃないわよっ」
「ふーん、そうなのぉー?」
まるで羽が生えたみたいにとんっと軽快に床へと降りると、緋彩の姿を隠すように私との距離をぐっと近づけ、耳元に形の良い桃色の唇が近づく。必死に隠そうとしていた心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかっていう距離まで近づくと、るるさんはくすっと小さく笑いながら揶揄る様に言葉を紡ぐ。
「……でも、おねぇさんの顔が真っ赤になってたから、すっごく楽しんでるように見えたけどぉ」
るるさんの指先が口元とは反対側にすっと伸びてきて、私の耳朶の形を確かめるみたいに縁をそっとなぞる。情欲を誘うみたいに振る舞うそれは、私の脳内をシャットダウンさせるには十分すぎた。
(もう、無理……)
私は熱に犯された頭での思考を放棄し、これ以上のぼせたみたいに火照った身体を真っ直ぐ保ち続けることが出来なかった。くるくるぱちぱちと身体の主導権がゆっくりとどこかに落ちていく。ぐらりと身体が傾く感覚に逆らうことなく身を委ねると、私はそっと目を閉じた。
閲覧ありがとうございました。
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