第1幕 ― ③「可愛い名前」
テーブルに広がる、沢山の空き皿。
男の子はリスのように口いっぱいにご飯を突っ込んでは、一つ一つのご飯に対して瞳キラキラと輝かせる。メイン・サイド、それぞれ合わせてを一人で五、六人前ぐらいあると推測できるぐらい大量のご飯は、男の子の胃へ何事も無かったかのように吸い込まれ、軽々と食べきってしまった。
「胃は満たされたかしら?」
頼んだものを全て食べ終わり、食事に一区切りがついたことで口を開く。カタンと軽快な音を鳴らし、飲んでいたコーヒーカップをテーブルに置いた。
「うん、ほんまにおおきに!久しぶりに沢山食べれて幸せやわぁ。……あっ、命の恩人に自己紹介忘れとった」
男の子は慌てて自身のフードに手をかけたると、フードを軽く持ち上げ、顔を顕にした。
艶のある金髪は、少し長い前髪に短い襟足で綺麗に整えられている。サイドには編み込まれた三つ編みがあり、綺麗に深紅のリボンと一緒に編み込まれているのが凄く特徴的。そして、髪の隙間からひょっこりと覗かれる白瞳は、雪のように真っ白で、淀みひとつすら見当たらない。
男の子のはずなのに女の子と見間違えてしまうほどに可愛らしい、という言葉が真っ先に出てきてしまうほどに整った顔立ちをしている子だった。
「オレの名前はヒイロ。よろしゅうね、お姉さん」
――――【白】というのは、特別な意味を持つ色である。
この世界の創造主であった神は、この世界に四つの呪いをかけた。
一つ、神を殺めてはならない。
二つ、時に干渉してはならない。
三つ、穢れてはならない。
四つ、死の決定を覆してはならない。
これらを【世界規則】と呼び、白瞳に関する供述は三つ目に関係している。
全ての種族は産まれて間もない頃、全員白瞳であったが、日常を過ごしていくうちに異なる種族同士が婚姻を結び、子を成した。その行動が三つ目に指し示されていた【穢れ】に当たることに気づいたのは、子が産まれ、同族達から白瞳が奪われてからであった。
無垢の象徴であった白は、他種族が触れたことで穢れ、別の色を纏う。規則を破った種族は連帯責任として白瞳を奪われ、様々な色へと染まって行く。
今では多くの種族が白瞳を奪われ、種族を示すために魔法学会が決めたピアスの着用が義務付けられ、異種族間でも子を成すようになった。
もちろん、無垢を守り続ける種族も存在しない訳でもない。
「……あー、なんとのう思てることわかるさかい。先に言うとくと、オレは吸血鬼。十七の時に姿固定されたさかい、結構幼う見えるけど四百歳は余裕で超えてんで」
「よ、四百歳越えの吸血鬼……!?」
ヒイロは口元に指をひっかけ自分自身の歯を見せれば、吸血鬼最大の特徴である長く鋭い牙がひょろりと現れた。
主に人族の血を吸って生き続ける吸血鬼は、他の種族と比べて長寿で有名なものの、どんな種族でも二百歳を超えたあたりから死を迎えることが基本。まさか四百歳越えの超長寿レベル異種族、なんて出会うなんて思ってもみなかったのだ。
(しかも、姿の成長が止まった珍しいタイプ)
種族の中には、本来持ち合わせている魔力が成熟したタイミングで姿の成長が止まること者が一定数いる。
もちろん全員がそういったわけじゃないし、その種族だから絶対にそうなる、という訳でも無い。
だけど、四百歳という途方もない数字は、見た目から得られる情報とはどうしたって結びつかなかった。
「んふふっ。お姉さん、めちゃめちゃおもろい反応するなぁ」
楽しそうに口元を緩め、頬杖をつきながらこちらを覗き込んだ。
「白瞳見るのんは初めて?それとも長寿の異種族見るのんが初めて??」
ヒイロが私に対して初めて見せた無邪気な笑顔、その白瞳に映る私の姿はどれほど滑稽に映し出されたのだろうか。今まで感じていた印象とは違った、コロコロと変わり続ける様々な表情は、私の胸を容易く締め付ける。
前提事項として【白瞳】がまだある種族は、種族間の中でしか子を成し続けられないことから、総人口で見ても数が少ない。
その中でも吸血鬼は夜の眷属も呼ばれる異名をもち、大の人嫌いとして有名だ。
故に他種族との干渉を人一倍拒み、自分達が作り上げた都市にこもって生活していると聞く。そんな引きこもりで、人嫌い代表格の種族である吸血鬼、ましてや長寿である吸血鬼なんて早々お目にかかることなんてありえないだろう。
「どっちも、よ」
「えぇー、ほんま?昔はまだおったんやけど、もうほとんどおらへんのか」
種族が違えば、寿命も違うし、特性も大きく異なる。人嫌いだった吸血鬼と対面できるなんて、どれほどの奇跡に近いんだろうか。
(……それにしてもヒイロの指す昔って、一体どれぐらいの時期を指すのかしら)
四百年という、人族である私には計り知れないほど長い時間。
ヒイロにとっては意外と呆気ないもので、白瞳を持つ種族もまだ多く残っていたのかもしれない。
「引きこもってるあいさに、えらい変わってもうたんやな。……まぁ、守り続けるやつらなんて人好かんの集まりみたいなものやさかいね、オレは好きやったけど」
ヒイロはテーブルに残っていたトマトジュースを、一気に喉へと流し込んだ。
初めて遭遇した吸血鬼という存在は、私の知識欲を掻き立てるには十分だった。
「……ヒイロは、人嫌いって訳じゃないの?」
もっと話を聞きたい、その一心で私は言葉を紡ぐ。
私の知っている御伽噺から得た知識と、実際の事実はどこまで差があるのか。吸血鬼という滅多に出会えない、未だに白瞳を守り続ける彼らはどんな存在なのか。
……吸血鬼の伝承は、他の種族と比べて極端に少ない。
吸血鬼は血を作る器官非常に弱く、脆いため、常に貧血状態であったことから、人間の血を吸うようになった。しかし、血を吸わなくても生命の源である魔力が非常に高いことから、貧血の状態が続くだけで死に至ることはなく問題なく生きれる。
故に、吸血鬼は差し出された手を拒んでも生きていける。そのことから、世界規則を遵守するために他種族との関わりを嫌い、どこかに自身の都市を作って生活していると言われていた。
私も吸血鬼の生態について興味を持ったものの、人族を含めた他種族と関わっていなかったことから、歴史や文献すらほとんど残っておらず、知識の元となったのは数少ない御伽噺ぐらいなのだ。
ヒイロはゆっくりと頷けば、唇に緩かな弧を描いた。
「うん、嫌いとちがう」
何か大事なものを思い浮かべたようで、それを思い浮かべるように少しだけ瞳を伏せる。
形の良いアーモンド型の目は、伏せられたことでその姿を大きく変え、雪のように真っ白な瞳に長いまつ毛に影が宿り、キラキラとした眩しい光が柔らかな輝きに変わる。
「えらい好き」
太陽に反射してキラキラと輝く金髪は、首を少し傾けたことで、優しく肌を撫でた。
(……なんて綺麗な人なんだろう)
無垢の象徴である白瞳は、何も色がないからこそ容易く他の色の影が乗る。周りの色に反射して、色々な姿を映し出すそのキラメキは唯一無二の輝きを持ち、どうしたって引き込まれる。
楽しそうに口元を緩めたその表情は、私の呼吸を奪うには容易いもので、思わず生唾を飲み込んだ。
「……あっ、なーにお姉さん?そないにジロジロ見られると恥ずかしいんやけど」
ヒイロはいつの間にか今まで見せたようにへらりと笑い、こちらの顔をじいっと覗き込んだ。
ヒイロの瞳には、私の姿はどう映ったのだろうか。その無垢に、私はどのような評価を受けてしまったのだろうか。
触れてはならない、禁忌のものに触れてしまった罪悪感と好奇心だけが私の心を満たす。
私はヒイロの視線や言葉から逃げるように、両手を前にあげ、顔を逸らした。
「ちがっ、違うの!」
否定の意を示すように、手のひらを大きく左右に振る。
見ていたのは覆せない事実なのに、違うなんて必死な言い訳を並べようと頭を働かせる。私の口は私の頭の中を勝手に覗いたみたい様に、勝手に言葉を紡ぐ。
「そんなに長生きしてるなら、私の探し物についてもなにか知ってるかなぁ!みたいなこと考えちゃって!?」
「探し物?」
「そう!探し物!!」
意図せずヒイロが私の言葉に食いつく。
こてんと首を傾げ、興味の色を示した柔らかな瞳が私の姿を映し出した。
(誤魔化せそう……!)
私は胸に手を当て、勢いに任せるまま言葉を紡ぎ続ける。
「明確な文献は残ってないんだけど、勇者の遺品は全部で十個あると言われてて、それがこの都市にあるって同期が突き止めたらしいの!」
私がNorthPoleからこっそりと抜け出して来たもう一つの目的だ。
元々博物館に寄贈されていたのは全部で九つ。だけど、同期の調べによって実は十個存在しているという、手記を見つけた。私はDCSを起動し、同期が送ってくれた手記を映画のスクリーンみたいに写し出して宙に展示する。
「勇者一行にいた人の手記らしいんだけど、文字がニホンゴ?ってもので、解読が中々が進まなかったみたいなの」
全貌を解読するのに約四百年もかかるなんてバカバカしいが、手記に書いてあった文字はとても達筆でサラサラと書いたものだった。あまりにも崩したような文字で書いてあることから、解読に時間がかかったのも納得がつく。
「勇者備忘録・上巻」
表紙に書いてあった題名を読み上げると、ひらりとページがめくられ当該のページが開かれると、ヒイロは興味深そうに宙に現れた手記を覗き込む。
「禁忌を犯してしまった。そんな事実と恐怖に僕は何も出来なかったのに彼だけは『これはオレが』なんて笑いながら杖を受け取った」
私はヒイロに聞かせるように声に出して該当の文章を読み上げ始める。
「七つの血肉を漬け込んだその杖は【盤上の杖】と呼ぶことにした。七つの魔法を操り、破壊的な魔力を溜め込んだ盤上の杖は、術者によっては僕らの遺品に匹敵することになるだろう」
この一文を読み取った同期は、私に杖の情報を伝えた。勇者の遺品が盗まれることなければ、必要になることなんてなかったであろう情報。だけど、今の私にはこれしか希望の道なんてないのもまた事実。
「そして彼にはその才があった。彼は『何かあった時の保険だよ』なんて無邪気に笑っていたが、全てを失った僕らには、杖を彼に託すという選択肢のしかなかった。彼は身を隠すように、フラリルに身を置くことにしたそうだ」
カチッとDCSの電源を落とし、私は記録されていた最後の一言を口にする。
「……僕は、これからも贖罪を続ける」
情報はたったのそれだけだった。
誰に杖を渡したのか、杖の詳しい形状、どうしてそんなものが生まれたのか、なんて聞きたいことは何一つ書かれてなかった。そして、杖に関して記述してあったのはここだけで、他に得られる情報はなかった。
「ヒイロは何か知らない?」
ヒイロは一度大きく目を見開いたかと思えば、直ぐに自分自身の感情を隠すみたいにぱちぱちと瞬きを繰り返し、とびっきり柔らかく笑う。
「かんにんえ、お姉さん。わからへんさかい力になれへんねや。そやけど見つけたら魔法使いはどないすんつもりなん?」
私から目線を離すことなく、真っ直ぐ見つめ続ける瞳に、くっつけたみたいに完璧に取り繕われた笑顔。
(今の反応って……)
私は自身の顔にかかった長い黒髪を掬いとって右耳にひっかける。指先が耳に触れたことで、つけていた魔法具のピアス達がしゃらりと軽快な音を奏る。
「そうね、可能であるならその人を捕まえて、話を聞くつもりよ。今の状況を打破する手立ては無いのかってね」
そのうちの一つ、目的の魔法具の隣にあった黒いガラスで作られた砂時計のピアスが大きく揺れる。太陽に透かして見ると中には蒼の砂が入っていることが確認できるけど、元々は真っ白なガラスで作られた砂時計だった。今ではその輝きは消え失せ、私が動く度に砂時計の砂がサラサラと揺れる音だけが微かに聞こえるだけだけど、心地がよく自然と私に力をくれる。
「わた……」
私が口を小さく開いて、言葉を紡ごうとした時だった。
ブーッ、ブーッ……と、耳元で鳴る大きな着信音に思わず肩が大きく揺れ動く。私の声はひゅっと喉元に戻っていき、タイミングの悪すぎる着信音にどくどくと大きな早鐘が頭にまで響く。
(びっくり、した……)
一度止まりかけていた頭が、着信音のおかげでもう一度動き出す。
確か出発する際、非常時に鳴ったら困ると思いマナーモードに設定した上、通知音をミュートに設定していたつもりだったのだった。だけど、ずっと気を張っていたし、きちんと設定していたと勘違いしていた可能性はどうしたって否めない。
潜入中に鳴らなかっただけ、良かったと考えるべきだ。
「ごめんなさい、少し待って貰える?」
私は一言ヒイロに断りを入れ、DCSに触れてると【着信】と書かれた通知が表示された。もちろんそこに表示された名前は、列車の中でもしつこくメッセージを送ってきた人である。
(……やっぱりか)
メッセージアプリの通知はとっくに一度で表示される上限の数字を超えており、痺れを切らして電話をかけてきたのだろうが、私は電話に出る気はまったくもって無い。
私は迷わず着信終了のボタンをポチッと押した。
「……電話、出んで良かったん?」
「えぇ、問題ないわ」
溜まっていく通知を確認するのも面倒臭いし、設定していたつもりなのに出来ていなかったなんてこともごめんだ。
私は迷うことなくDCS本体の電源を落とす。
(確かめたいけど、ここは早く移動した方がいいわね)
本当なら白瞳であり、長寿の吸血鬼。しかも歳を重ねても姿が変わらない珍しいタイプ。そんな普通に生きていれば二度と出会うことのないであろう、珍しい存在であるヒイロの話をもっと聞きたかった。
しかし、今の私には時間がないのもまた事実。
これ以上ヒイロと会話を続けていれば、電話の主が私に情報を売ってくれた同僚を脅し、情報を聞き出すのも時間の問題だろう。やる事なす事全てぶっ飛んでる彼だからこそ、何事も無かったかのようにひょっこりと現れそうだ。
「ごめんなさい、ヒイロ。もっと話したかったんだけど、そろそろ行かなきゃならないみたい。会計にはこれを使って」
私はバックから財布を取りだし、会計には十分な金額をテーブルに置くと、椅子から立ち上がった。
「……貴方と会話出来て楽しかったわ」
「おおきに!お姉さんっ」
にぃっと牙を見せながら笑った彼の笑顔はとても眩しいものだ。
(この笑顔を守るのが私の役目)
Reliefがテロを起こせばどんな種族だろうと死に追い詰められる。特に白髪を守り続けている種族なんかは意地でも自分たちの種族でしか子をなさないため、滅びるのはとても容易い。
(好奇心を満たすのは、全てが終わったあとだって出来ないわけじゃない)
自分自身を抑え込む建前なんて、それだけで十分だ。自分自身の欲求を満たす好奇心よりも、他の人のためになることをした方が、全体で見たらよっぽど有意義なのだから。
ヒイロに背を向け、店から退出しようとすると、不意に服が引っ張られた。
「あっ、待ってお姉さん!最後に名前聞いてもええ!?」
振り返れば、ヒイロの真っ直ぐな瞳が私の姿を離すことなく、捉え続けていた。
嘘すら全て見透かして、その大きなる白は全てを容易く溶かしてしまう。見つめられ続ければ、自分自身の醜さから目を逸らしたくなるような白瞳。
「……乙女、よ」
一度出そうと思った言葉は喉から出なくて、カラリとした歪な声が私の耳に届いた。
「お姉さんにぴったりな可愛い名前やな!」
ヒイロは私の名前を弾むような声で褒めた。……その無垢な白瞳は、嘘つきな私をどう映したのだろうか。なんていう質問は、名前を名乗ったところで、もう会うことは無いと思う。という考えによって、二度と口に出されることはない。
私は自身の言葉をそっと、胸の奥深くへとしまい込んだ。
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