第1幕 ― ⑤「悪魔の女のコ」
野暮用があるからここで抜けたいという私に対して、離れたくないとぐずる四乃を無視して、私はタクシーに乗り込む。
駅のホームでは「こんなやつと二人っきりにしないでよー!」と泣き叫ぶ四乃の情けない声を無視し、タクシーのドアを勢いよく閉め、硬いシートに腰を下ろした。
(よし、後で体裁を取り繕いましょう)
自分自身を適当な言い訳で丸め込み、到着したのは、首都から大きく外れた場所にある少し大きいマンションだった。タクシーのエンジン音が遠ざかる音を聞きながらエントランスに繋がる扉を押し上げる。
(管理人室は……っと)
入口の右側に、気だるげに欠伸を零しながら時間を潰している管理人と目が合う。
「……許可証は?」
面倒事は勘弁だと言わんばかりの、だるさが滲み出た問い掛けだった。
私は耳元を軽くタップし、DCSを起動すると予め景から送って貰った立ち入り許可書を管理人にみせるように表示すると、住居へと通じる扉がゆっくりと開いた。
(お粗末な管理ね)
許可証をきちんと確認もせずに通すなんて、管理職としてありえない行為だ。とはいえ町外れのマンションだ、管理が行き届いてないと言われれば納得してしまいそうにもなる。
(目が届かないもの、ここのマンション)
首都からタクシーで約一時間ほど移動する上に、近くに駅もない過疎地。時間はかかるものの箒が物好きなぐらいしか済まなそうだ。
私はすぐ近くにあったエレベーターを利用するためボタンを押すと、直ぐに扉が開いて私を招き入れた。
ほこりっぽい空気が鼻をつき、エレベーターが静かに閉まっていく音を皮切りに私はゆっくりと目を閉じた。
(……なんだか胃がキリキリしてきたわ)
これから訪れるであろう修羅場を無意識に想像してしまい、思わず胃をぐっと抑えた。
景に沼るような女の子は、寂しさが表にじんわりと滲み、どこか欠けた部分が多いような子が大半だった。
それこそ、ホストに貢いでいる女の子を見ているような気分。
瞳に宿る虚ろな光や、すがるような手つきが容易く脳裏に浮かび、私の頬が微かに引きつる姿が扉に反射した。
(……帰りたくなってきた)
面倒事に巻き込まれる覚悟で出来ていたものの、いざ挑戦となると少し尻込みしてしまう。私は目的の十二階に着くまでの間、エレベーターの壁にもたれかかり、深い呼吸を何度も繰り返す。冷たい金属の感触が背中に伝わり、手のひらに汗が滲む感覚がする。
(戦闘にはならないように、戦闘にはならないように)
私らしくないと言えばその通りなのだけども、普段お願いをしない神様なんかにも少しお願いしてみるが『十二階へ到着しました』というアナウンスがなると、エレベーターの扉が微かな振動と共にゆっくりと開いた。
「……行こう」
自分自身に言い聞かせるように、誰も聞こえないぐらい小さい声で呟くと、私は重々しい足取りで、廊下を歩きだした。景が教えてくれた部屋番号は案外すぐにたどり着き、私は設置してあったインターホンを押した。ピンポーンという聞きなれた音と共にゆっくりと扉が開くと、どろりとした甘い香りが空気を満たす。
「はぁーい」
扉から出てきたのは、どこから見ても完璧な美少女だった。
雪のように真っ白な髪の中に混じる、淡い桃色のハイライトが特徴的だ。そして、腰まで長い髪の毛は、コテでふわふわに巻かれていて、揺れる度に甘い桃の香りが鼻腔をくすぐる。
(甘い香りの正体はこれね)
艶やかな髪が陽光に反射し、唇に微かな笑みが浮かぶ。彼女の白い肌が微かに透き通り、頬にうっすらと赤みが差すした。
「どちらさまですかぁー?」
ゆったりとした花のように可憐な声に、蜂蜜のようにとろりとした甘さを孕んだ動きで、女の子は上から下へ私の姿を確認すると、とろりとした微睡んだ瞳で私をじっと見つめる。
(お姫様、みたい)
緋彩が絵本に出てくる王子様なら、目の前にいる女性はまさにお姫様だ。
「んへへ、るるを褒めても何も出ないよぉ」
目の前の女性――――るるさんは頬に手を当てると柔らかく微笑んだ。
私は何も言葉を発していないつもりだったのだけども、声が漏れていたろうか。驚きのあまり、大きく目を見開くと、るるさんはくすくすとお上品に笑う。
「あ、お口に出てたの?ってお顔してるぅ。おねぇさんとっても可愛いねぇー」
るるさんの手が、すっと私の髪の毛に伸びてくる。桃色の真珠を埋め込んだみたいな綺麗で長いネイルが、私の黒髪にすっと絡みつく。
(近い……!)
媚薬みたいにまとわりつく甘い香りに身を包んだるるさんは、その微睡んだ瞳で私の姿を映す。
「黒曜石みたいにつやつやで綺麗な髪の毛も、深い海の中にいるみたいな青色の瞳も、ぜーんぶるるは大好きだよぉ」
彼女の声が甘く響き、私の耳にねっとりと絡みつく。
「いいなぁ、いいなぁ。欲しくなっちゃう」
だけどそれはすぐに色を変える。るるさんの瞳には微かな欲望が宿り、歪に揺れる。
「ねーねー、おねぇさんのお名前はなーに?るるに教えてよぉ」
「え、あ……」
私の声が小さく漏れるが、すぐに言葉が詰まる。るるさんの視線や、香り、その独特な雰囲気に圧倒されてる。
「るる、可愛いものと猫ちゃんがだーいすきなのぉ」
るるさんの声は、可愛らしく甘ったるい。それこそ魔性という言葉が良く似合うと言えるほどで、一度捕まったら容易く逃げることが出来なくなる何かがある。
だけど身体全体がどろどろした何かに包まれ、身体の自由が効かなくなるような感覚は初めてだった。
「たーくさんの好きな物に囲まれたくてぇ、かわいいものが欲しくなっちゃうんだぁ」
るるさんの手は、私の髪からゆっくりと下へと降りていき、無防備に垂れ下がっていた私の指先へと向かって降りていった。……が、後ろから突然現れた人物が、るるさんの手を払い落とし、ぐいっと自分自身に抱き寄せるみたいに私を引っ張りあげた。
「何してるんですか、るるさん」
体勢の崩れかけた私の腰に手を回し、程良く固い胸板が傾いた私を受け入れる。すんっと鼻を鳴らせば、シトラスの爽やかな香りが、私の中に吸収されていった甘ったるい匂いを上書きしていく。
少し顔を上げると、景の姿が視界に飛び込み、いつもよりもうんと低い声が廊下に反響する。
「……あっ、もしかしてけーくんのお友達さんだったぁ?」
だけどるるさんは、景の威圧に負けることなく変わらない様子で話し続ける。
ぱちんと手を合わせると鈴のように軽やかな音が鳴り、花がふんわりと舞うみたいに柔らかな笑みが広がっていく。
自分自身が納得したみたいに柔らかく花がふんわりと舞うみたいに笑ったるるさんだったけど、景は乱雑に私の腕を掴んだ。
景の指が私の腕に食い込み、熱い感触が伝わる。
「迎えに来てもらっちゃってすみませんね?もう行こ」
「ちょっ、景!?」
景は乱雑に私の腕を引っ張り、その強い力によって思わず唇が歪む。
景はるるさんに視線を合わせることなく、ぐいっと力任せに腕を引っ張って、エレベーターの方へと歩き出す。景の淡々とした足音が廊下に響くのと同時に、鍋でこつこつと煮るみたいにじわじわと痛みが広がり、身体に痛みがじっくりと刻まれていく。
「……」
景は男女の差っていうものをよく分かってる。
女を適当に捨てるし、取っかえ引っ変えするし、典型的なクズ男と言えるけど、女性に対して強い力を奮ったことはない。それは、ちゃんと男女の差を分かっているからこそであり、景の手はいつも振り払おうと思えば払えるほど力が弱いものだった。
(そんなに強く引っ張らなくても、ちゃんと着いていくのに)
景の余裕の無い様子に、私はそれ抵抗する気力はなかった。
「んへへ。まったねぇー、けいくーん」
声に釣られて後ろを確認すると、るるさんはさっきと全く変わらない様子で、へらへらと笑いながら手を振りながら私達を見送っていた。
(私が言うのもあれだけど……変な人)
さっきまで一緒にいたはずの景が、突然現れた見ず知らずの人と一緒に去っていく。……という、私がるるさんの立場なら動揺を隠せないようなシチュエーションのはずなのに、全くおかしいと思ってもいなさそうな様子だった。
景は何も言わずに歩き続け、やっとエレベーターの前まで来るこちらに顔を向けた。ボタンを見ずに、ゴンッと少し鈍い音が響くぐらい強くボタンを押すと、景の固く結ばれた唇が開く。
「――――なんで女のコなのに【魅了】されてるんですか?」
特徴的な紫紺の瞳は、動揺の色を滲ませながら歪に揺れ、触れていた手に僅かな力の緩みを感じた。
だけど、私は景の言葉に耳を疑わずにはいれなかった。
「魅了……!?」
思わず景の言葉を反復する。
景は一つ大きく溜息を漏らすと、掴んでいた手をぱっと離してくれた。
「悪魔が使うの魅了じゃないから、そこまで効力は無いんですけど、女のコでかかってる人初めて見たから心配しましたよ」
「……だから身体が動かなかったのね」
「えーえ、今更気づいたんですかー?」
景はおもちゃを見つけた子供みたいに、意地悪な好奇心を含んだ笑みを浮かべる。揶揄る対象を見つけた景の瞳には、先程あったものは既に消えていた。
「あっ、もしかして魅了ってハジメテの経験でした?」
「……黙秘でお願いするわ」
「それ、ほぼ答え言ってるみたいなもんですよー」
数百年前に禁止された魔法で、今では普通の魔法使いや魔女は使うことの出来ないレア魔法。
解除方法はとっても簡単で「意識すること」だけ。
でも、魅了がかかっているということを自覚するということはかなり難しいことで、現に私も言われるまで違和感はあったものの、その正体には気づくことが出来なかった。
(そもそも経験したことある人なんて、ひと握りの人だけでしょ)
使える人が居なくなった魅了を今でも使える者がいたとしたら、それは悪魔ぐらいだろうか……と考えたところで思考が停止する。
「――――もしかしてあの人って悪魔……!?」
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