第1幕 ― ③「上手く笑えない」
私は緋彩を信じて走り続けるが、口の中は苦虫を潰したように、嫌な血の味で満たされていた。鉄錆のような生臭さが舌にべっとりと絡みつき、歯の間からも微かな血の味が広がる不快感を無理やり押し殺そうとする。
私よりも先に走り出していた男達二人に、女の私がすぐに追いつくことも出来ず、どうしたって先に警官たちへ辿り着くのはあちらだろう。
焦りからか、普段かかない汗が首筋を伝い、服に染みては変に冷たく感じる。遠くでは男達の黒装束が風を切り、赤い薔薇の刺繍が陽光に映えて不気味に揺れるのが見えた。
(……目的が不明瞭すぎる)
仮に今回捉えた二人を奪還しに来たとすれば、三人での突入はあまりにも人数が少ないけど、天井に人の気配はなく、これ以上の増援はないと見て取れる。となれば、三人でも今回の目的が果たせるということが推測されるだろう。
私は心の中でその不気味な意図を何度も反復させ、答えを探し出すために頭を動かすが、ピンとくる答えは出ない。
(……早く、早く捕獲しなきゃ)
そう思ってどれだけ足を早く動かそうとしても、Reliefが先に警官たちに迫る距離が縮まっていくのが見える。
獲物を狩る獣のように、黒装束の裾が翻ると一人が杖を振り上げ、鋭い声で呪文を叫んだ。
「【フラムマ・フェルルム】!」
全てを焼き尽くす程の強い光を持った炎の刃は、空を引き裂いて迷わず警官たちの方向へと飛んでいく。
攻撃に対応するように警官の一人が素早く杖を構え、迷うことなく防御魔法を展開した。
「【アクワ・スクトゥム】!」
刃よりも一回り大きい水の盾が警官たちを守るように立ち上がると、青白い水面が陽光に反射してきらきらと淡い光を漏らしながら輝く。炎の刃と真っ向から激突すると、じゅわじゅわと水が激しく蒸発する音と共に、激しい蒸気が建物を駆け巡るように爆発的に広がり、白い霧が視界を覆う。
水の盾は悪手だった。
まるで隙を初めから狙ったかのように、もう一人のReliefが横から回り込むように動いていて、既に警官の背後へと迫っていた。手にしていた杖から水色の光が溢れ、冷たい輝きが空気を震わせる。
「【アクワ・フニクルス】!」
水の縄が警官全員の足元に絡みつき、青い縄が蛇のようにひらりひらりとうねって地面を這う。絡みついた縄は簡単に解けることなく、不意をつかれた警官たちは足を取られ、ドミノみたいにバランスを崩して倒れていく。
おじさんはその混乱に乗じて距離を取ろうとするのが見えたが、私はすかさず杖の照準を水属性の魔法を使う男の杖に定めた。
(魔法を使うためには杖が必要)
杖は、魔法使いにとって命に等しい。
魔力があっても杖がなければ魔法は使えないからこそ、魔法使いは杖を取られないようにと用心する。けど、ここで私が他の魔法を使ったとしても全員に逃げられる可能性が高く、警官たちが身動きを取れ、魔法を使えるようにした方が、ずっと今後の展開が有利に運ぶ。
ありがたいことに私は今、相手の後ろを取っている。
(……今までの私なら、絶対やろうとは思わなかったな)
普通、魔法の打ち合いをした方が勝ち目があると考えるのに、自分自身の最も良い道への最短距離を走るためにとったその戦術は、衝撃的だったといえるけど、それと同時に今の私に強い自信をくれる。
私は自然と唇に微かな笑みを浮かべていた。
(出来ないことじゃない)
どこか夢物語のように思っていた戦術は、今じゃ強い現実味を帯びている。
一昨日、男は私が面と向き合ってる時にこの攻撃を成功させた。私の頭の中では、その衝撃的な景色が何百回も再生されていた。
正直に言って、身体の内部と密接にコンタクトをとる治癒魔法を得意とする四乃に比べたら、繊細な魔法コントロールは足元にも及ばないし、普通よりも少し下手と言ってもいいレベルだろう。
(でも、やらないで後悔するよりもやって後悔した方がいい)
私は杖の照準を水属性の魔法使いが持っている杖に定める。一度浅く素早く空気を吐くと、深く息を吸って止める。
「【ウェントゥス・プギオ】!」
小さいけれど俊敏性に優れた風の短剣は、ひゅんと鋭い音を立て、私の意思通りに杖へと当たった。ぽんっと空気が弾ける音と共に、するりと手から杖が抜け落ち、宙へと舞った。
私は追い討ちをかけるように、再度標的を合わせる。
「【ウェントゥス・トゥルボ】!」
少しの魔力を込めて作られた小さな竜巻は、その大きさでありながらも素早く回転して沢山の渦を作る。
びゅんびゅんと風を切る音と共に、主を失った杖はその身を容易く預けてしまう。竜巻の風に弾かれて、杖は建物の端まで容易く飛んで行った。
(よしっ、成功!)
胸の中がぐっと熱くなって、らしくないとは思いながらも、素直に心の中でぐっと拳を握る。
水の縄は原型を保てなくなって、主を失ったみたいにばしゃりと音を立てながら辺り一面に小さな池を作る。
「くそっ!」
男は大きく振り返り、わたしに杖を向けると怒りの音を乗せて大きく口が動く。
水面が陽光に反射し、真紅の魔法石が池から溢れた太陽の光がきらりと反射した。
「【フラムマ・フェルルム】!」
「……【ウェントゥス・トゥルボ】っ」
私は素早く足元に杖を突きつけ、優しいながらも強い竜巻がふわりと身体を宙に浮かび上がり、真っ直ぐに飛んでくる炎の刃を回避した。
(……あー、危ない)
ほっと心の中で溜息を漏らす。
私に迷わず突き進んできた炎の刃は、辺り一面を焦がしてしまうのでは無いかと思うほど強烈なもので、標的を失ったことによって自然に消滅する姿が見えた。
(反射的に盾を出すところだったわ)
私は攻撃魔法に対して、攻撃魔法を打ち返すという荒業は怖くて出来ない。
少しでも位置がズレれば、それは防ぎ切ったことにはならないし、痛手を食らう可能性が高い。そのことから、大抵攻撃魔法が来る時は盾をだすのがセオリーなのだけども、炎属性に対して風属性の盾は少しだけ勝手が悪い。
簡単にかき消せるほどの弱い火であれば良いものの、強いものだった場合は渦のように巻き上げられる風によって、火の粉が辺りに撒き散らされて二次被害が出る。
(……だけど、自傷技は少しまずかったかも)
竜巻に触れている足の部分は、鋭い刃物が皮膚の表面だけに浅い傷を何度も作り続けるような痛みが走る。
(落下するステンドグラスから守るのに結構魔力使っちゃったから、必要以上に体力を消費するべきじゃなかったかも)
今更冷静な状況分析からの反省をしていても、時間はどんどんと移り変わっていく。ここは戦場であり、相手の意図が掴みきれないからこそ、気を抜いてはならない。
自分自身にそう言い聞かせては、痛みや残りの魔力量に気付かないふりをして、警官たちのすぐ近くまで運んで貰う。
「待たせてしまってごめんなさい」
トンっと、軽やかな音と共に私が竜巻から着地すると、護送対象者にそっと視線を移す。
四人居た警官たちは、私が現れたことによって陣形を取り直した。二人は戦闘態勢を取るように私の一歩下がったところに位置取りをし、残りの二名は男とおじさんを挟みつつ、少し離れた位置でこちらをじっと見つめていた。
男は昨日まで感じていた覇気は別人になったのかと疑ってしまうほど感じられず、ずっと顔を伏せていた。だけどおじさんは私と目が合うとにんまりと薄気味悪い、嫌な笑みを浮かべた。
「よぉ、黒曜の舞姫。今日は騎士さんはいねーのかよ」
おじさんの声は低く、どこか楽しげだ。
「いてもいなくても、関係ないわ。貴方達を逃がすつもりは無いから」
「はっ、それはご期待に添えなそうだな」
「期待?」
私が聞き返したところで、私の首元にするりと長い腕が入り込み、急に足元の感覚が失われる。予想もしてなかった衝撃に、思わず手放してしまった杖がカランと音を立てて落ちていく。
気道をグッと締めあげられ、殺す為だけにする行動に、私ははくはくと足りない酸素を補うように呼吸を繰り返した。
「なん、で……?」
私の掠れた声が僅かに響く。
動けない身体で、誰がやっているのか確認するために、視線を水面に映すと、犯人の顔が揺れ動きながらも浮かび上がった。
見た目は警官の姿をしているのに、どこか不気味な笑みを浮かべ、瞳に嫌な狂気が宿っていた。
私の問いに警官が答えることはなく、ただただ腕に力がこもり、どんどんと意識を保つのが厳しくなってきていた。
(意識、持っていかれそう……)
命を感じさせないほど冷たい腕は、力加減を考えていないのか、本当に殺す気なのか分からないけど、緩めることなく力強く締め上げ続けている。
頭から酸素がどんどんと吸い取られ、ぼーっとするのに喉は焼けるように痛み、視界がぐらぐらと歪に揺れ動く。
「昨夜、オレの指示で警官に成り代わってたんだよ。単純な変身魔法の要領なのに知らねーのか?」
おじさんはかちゃかちゃと手首を動かすと、金属の擦れる音が響き、初めから意味を成していなかった拘束具を取り外した。
「杖は使えないようにさせてもらうな。まぁ、もう使う機会はねーだろうけど」
床に落ちていた杖を、私の横にいたもう一人の警官が、乱雑に端へと蹴り飛ばした。
そして、二人を挟んでいた警官は私の心臓に標的を定めるように杖を向けた。
「さぁ、黒曜の舞姫。お前を殺して、盤上の杖も貰おう。Reliefの革命、第一歩目の狼煙になってくれよ」
高らかに宣言し、大きな口を開けて笑うその姿は、演技のように大袈裟で絵に書いたような悪役っぷりだった。
私は瞳を細め、心の中で反撃を模索する。
(……成り代わってたってことは、警官に危害を加えても大丈夫よね)
意識は虚ろで、はっきり言って今すぐにでも手放してしまいそうだった。強い力がこもり続けるものの、まだ私の意識は飛んでない。
私に向けられた杖のひとつには、翡翠の魔法石がきらりと輝いていた。
(杖を奪えば……まだ、戦える)
私は静かに、向けられた杖目掛けて、足を振り上げようとした時だった。
「――――【ウィタ・トゥア・エストゥ】」
どこからともなく聞こえた呪文と同時に、私を捕まえていた警官の胸元からパチッと何かが弾ける音が聞こえると同時に、私の首からぬるっと拘束していた腕から力が抜ける。頬に生暖かい何かが付着し、嫌な鉄の匂いが鼻を満たす。警官が後ろへ倒れると同時に、私はそのままトンっと床に着地ができて、解放されたことが分かった。
私は私を助けてくれた魔法使いへと視線を移していた。
(……四乃)
心の中で名前を呼べば、まるで心の声が聞こえていたかのように、春のように穏やかで柔らかな笑みがふわりと浮かび上がる。
「お前、何をした!」
荒々しく声を上げた警官に、四乃はすぐにころりとすぐに表情を変える。私に向けていたような柔らかなものではなく、光が宿っていない氷のように冷たく鋭い、冷徹な瞳だった。
「あー、ごめんね。乙女ちゃんのことをあまりにも強めに締め上げてるから、つい殺しちゃった。けど、一人捕まえておけば上には怒られないよね?」
淡々と話し続けるその様子は、怒っていることが一目でわかる。
強い苛立ちを孕んだ魔力は留まることを知らず、せき止められていたダムが崩壊したように、肌を何度も刺すように鋭い刺激で殴ってくる。
私に向けられたわけじゃない強い敵意を含んだ魔力に、私は緊張感からか思わず生唾を飲み込み、心臓がとくとくと速く鼓動する。
「――――乙女ちゃんに傷をつけた罪は重いぞ、外道」
身を切るほど酷く冷たい声に、心臓がどくんと大きく跳ね上がった。四乃の声が空気を震わせ、背筋が寒くなる。
私の首元には何も無いはずなのに、溢れ出した四乃の魔力はナイフのような形をとり、私の命を握っているような感覚に襲われた。
私は息を詰め、全身が硬直する。
「ここで登場かよ、夜明けの騎士さんよ!」
だけどすぐに、おじさんがあげた荒々しい声に、私は一気に現実へと引き戻される。
「【ダ・スペキアリ・イムペトゥ】」
迷うことなく、四乃は自分自身の胸に杖を当てると呪文を唱えた。
四乃の戦術パターンは、嫌という程見てきたからすぐに分かるが、この呪文はいつもと違っていた。
(四乃、もしかして凄く怒ってる?)
私の肌を殴るように突き刺す荒々しい凶暴な魔力も、怒りに身を任せるように告げる氷のように冷たく棘のある声も、私以外に向けると考えればいつもと変わらないのに、全体的に余裕を感じさせない。
「ひるむんじゃねーぞ!お前ら!!【フラムマ・フェルルム】!」
「【ルクス・スクトゥム】」
全ての魔力を込めるように熱の篭った呪文は、魔法使いの思いに答えるようにばちばちと火花が跳ぶ力強い炎の刃が現れる。が、四乃によって飄々と呪文を唱えて作られた光の盾によって、あっと容易く蒸発して消えてなくなっていった。
「くそっ、一斉に攻撃するぞ!」
男の声を筆頭に、警官に模していたReliefと共に三人横並びになるようにして、杖を構える。だけど四乃は無慈悲にも、相手が呪文を唱える前に素早く口を開いた。
「【ウィタ・トゥア・エストゥ】」
その瞬間、三人はぴったりと息を合わせたみたいに、口から血や生唾が飛び出し、心臓に手を当て、膝を床に落とす。どこからともなく零れた血は、水に小さな色を付けていた。
「心臓を一時的に小さくしただけだからまだ死んではないよ?必要以上に殺したら上から怒られちゃうもん」
四乃は淡々と話していたが、そこに慈悲はない。残っている三人に標的を定めるように杖を向けた。
「誰から殺されたい?一人だけは生かしてあげるよ」
一人は何も動かなかった警官で、もう一人は私が杖を飛ばした男、そして護送対象であるおじさんだ。
だけど、おじさんはひるむことなく警官の肩にトンっと触れた。おじさんの瞳には狡猾な光が宿っていた。
「夜明けの騎士が出てきたんなら、もう終わりだな」
それが合図だったのだろう。
杖を持っていた警官が残っている魔力を全て脱出のために使うように、空へと杖を大きく振りかざした。
「【ルクス・スクトゥム】」
その瞬間、眩い光が辺り一面に爆発的に広がり、反射的に目を背けた。
光が視界を埋め尽くし、白い輝きが私の目を刺すので、私は目を細め、手を盾にするようにして自身の身を守る。
私たちと自身を阻むように構成された光の盾は、それぞれの存在の輪郭を曖昧にするみたいに、視界を大きく遮っていた。
「じゃあな、黒曜の舞姫。こいつはもう使えねーから、お前らにあげるよ」
ふっと耳に私だけに聞こえるようにしゃべったおじさんに、私は抵抗するように手を大きく横へと振ったが何も当たることは無い。
光が完全に消えると、四乃が仕留めた四人と男が床に横たわっており、私が杖を飛ばした男と光属性の魔法を使った魔法使い、そしておじさんの姿は既になかった。
「あー、最悪。逃がしちゃった」
一つ、苛立ちを孕んだ舌打ちを零すと、転がっている人達に杖を向けた。
「もう終わりにしよう。みんな死んじゃえばいい」
ルビーのような真っ赤な瞳は、この戦場ではどうしたって血を連想させる。鋭く光った瞳は、刃物のように周囲を切り裂くほどのもので、きゅっと固く結ばれた唇は僅かに震えていた。私はその姿に息を詰める。
「【ウィタ・トゥア・エす】……」
「四乃!」
呪文を唱えた四乃に対して、私は急いで駆け寄ると、服の裾を掴んだ。
「もうみんなのびてるわ……もういい、もういいのよ」
「……怪我、してない?」
四乃の瞳にはもう、強い恐怖はなかった。
私の言葉を聞き、大きく目を見開いた四乃は現実に引き戻されたようだった。
だけどどこか虚ろで、焦点の合わないルビーは、何も出来なかった私の姿をどう映したのだろうか。
「えぇ、してないわ。四乃のおかげよ」
四乃を安心させるためだけに、私は無理矢理口角をあげて、精一杯取り繕った笑顔で笑ってみせた。
私はいつも助けられてばっかりで、本当に私なんかが四乃と一緒にいていいのか、NorthPoleに在籍し続けていいのか、そんな疑問が頭の中にこべり着いて離れなくなっている。
「……コーヒー、並んでたからまだ買って来れてないんだ」
四乃の声が静かに響き、瞳に微かな疲れが宿っていた。
「別にいいわよ?」
才能が産んだ実力差という、明白で絶対に変えられない時日によって、色々と分からなくなるけど、四乃がこうやって暴走する度に、私は私という組織での存在価値と行動理由を嫌という程自覚させられる。
(四乃には、制御装置が必要なんだ)
人を制御するなんて言ったら怒られてしまいそうだけど、この世界のためにも四乃にはそれが必要なんだと思う。
この世界があり続けるために四乃という存在を世界は必要としていて、四乃を制御するための装置がどうしても必要なのだだけど、人間は簡単に制御できない。
「でもこの状態じゃ、お店しまっちゃうかも」
「なら自販機で買いましょ。なんだか炭酸が飲みたくなってきた気分なの」
私の声が軽く響き、口角が自然と上がっていた。
それは人類全てが嫌という程理解していることだけど、どうしても必要になってしまうからこその対策として、私が必要なのだ。私はその役割を心の中で受け入れ、息を整える。
どれだけ私が無力だけ捉えられても、世界は四乃の力を求めており、四乃は私を求めている。私はその事実を胸に刻み、瞳に複雑な感情が宿る。
(……本当、嫌な役目)
決して、四乃のことが嫌いなわけじゃないけど、こうやって助けてもらう度に嫌という程実感させられる。私は心の中でその思いを呟き、唇を震わせる。
「私を助けてくれてありがとう、四乃」
いつからだろう。
四乃に対して上手く笑えてない自信の方が、ずっと大きいと感じていたのは。
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