第1幕 ― ①「ずっと独りでいい」
空模様が怪しかった。
いつもならキラキラとした快晴で、太陽がジリジリと肌を焦がすような天気だった海上。それなのに今日は、全体的に嫌な気配が漂う真っ暗な空で、日中とは思えないほどどんよりとした空気に、私も周りの乗客も飲まれたみたいに沈んでいた。
(せっかくの水上列車だと言うのに……)
列車内の重たい空気を少しだけでも緩和出来るように、なんて不安定な心で開けておいた窓から、私の沈んだ気持ちを促進させるみたいに冷たい風が肌を撫で、何も変わらない潮の香りが鼻腔をくすぐる。
春という今の時期には、海の中から空に向かって咲く海桜という植物があり、その美しさから水上列車が最も混むシーズンとも言われている。しかし、曇りになると海桜は海の中へと潜ってしまい、ずんと静まった殺風景だけが流れ続けた。
(早く目的地につかないかしら)
この怠惰な時間を潰すように、窓枠に肘をつき、乗客の会話に耳を傾けていた。
「なんでこんな時期に出張なんだよ……家に残してきた家族が不安で頭がおかしくなりそうだ」
「あー、分かる。博物館の件だろ?」
どうやら出張に行くため、水上列車に乗った会社員の会話のようだ。
(……博物館の件、ね)
私はギュッと唇を強く噛み締めると、言いたかった言葉を飲み込んだ。
空が暗く曇るのも、水上列車内に漂う嫌な空気も、全て彼らが話す博物館の件に関わっていた。
約四百年前【勇者一行】と、呼ばれた人達が存在していた。
約千四百年前、魔法界に大量の魔物を生み出し、多くの魔女・魔法使いを惨殺、厄災と呼ばれ恐れられた【薔薇の魔女】がいた。魔女は世界を蹂躙し世界征服を目論むものの、とある名家によって封印された。
だが、薔薇の魔女による厄災は封印されたあとも続く。
薔薇の魔女によって生み出された強大な力を持ったモンスターは唯一無二の個体であることから、ユニークモンスターと呼ばれ、薔薇の魔女が封印された後でも暴れ続ける。そして、その身を封印されていたものの、永遠に朽ちることのない魔力は、魔法界に弊害を与え続けてきた。
しかし千年という月日を得て、勇者一行により全てが決着した。
しかし、偉業を成し遂げた勇者一行は数人を除き、戦いの末に負った傷などにより全員若くして死亡。そして、勇者達が使っていた杖や魔法具と呼ばれる、術式に魔力を込め、道具に組み込んだ物などは、膨大な魔力を溜め込んでいた。その力を使えば、世界を簡単に滅ぼしてしまうほど新たなる厄災の可能性を秘めている。
簡単に言えば、見た目は小さいものの威力は馬鹿にならない核兵器と言ったところだろう。
しかし、遺品に溜め込んでしまった力を消すには、力を使うか、時間をかけ塵となるまで待つしかない。
こうして生き残った勇者達が遺品の整理に困ったところ、時間をかけて力を殺すという結論に落ち着き、魔法界で最も警備環境が整っている博物館に寄贈することになった。
そう、これが彼らが話していた博物館の件に繋がる。
「でも思いもしなかったよな、博物館から盗まれるなんて。しかもその場にいた関係者は全員皆殺し」
男が大きくため息を吐く。
博物館の警備は、それこそ厳重そのものだった。
勇者の遺品を始め、多くの文化財産が展示されていた博物館だ。警備員として雇われていた魔法使いはそれこそ腕利きの人たちだったはずなのに、泊まり込んでいた博物館の職員も含めて全員皆殺し、遺品は呆気なく盗まれてしまった。
(被害者の人数なのか、なんて考えたくもない)
現場も悲惨なものであった。
計り知れない死者の人数に、痛々しい傷跡。……そして、犯人からのメッセージ。
「Relief、だろ?」
男は重々しい口調で、犯人を呼んだ。
それは、数十年程前から活動している犯罪組織の名前だ。
元々Reliefは、勇者のパーティの最高火力であり、リーダー【炎陽の魔女】を神と崇めた宗教集団だった。元々各国にいる教徒の数が計り知れないという理由で、注目されてはいたものの、いつしかこの世界の浄化という目的を持ち出した所でその行動は一変。汚れた人間というRelief独自の判断基準を振りかざし、目的の達成の為ならば殺しも躊躇わない。
そして、博物館の件は共通したとあることで、犯人確定がした。
「友人の葬式に参列したけど、身体に残された薔薇が痛々しかったよ」
「生きてるうちに焼印入れられるなんて、酷い話だよな。奇跡的に生還してても焼印入ってると差別対象にもなるし……理不尽な世の中だよな」
Reliefは行動を行った現場や、殺した相手の体に、薔薇の魔女のモチーフであった薔薇を象った焼印を残している。
男が述べたように、奇跡的に生還者がいた場合でも薔薇の焼印が入っていれば、人々からは差別対象にもなってしまっている。
薔薇の焼印を残す理由は、色々と考察されていたが「お前こそが、過去の世界の厄災であった薔薇の魔女だ」だという、皮肉った意味が込められていると聞いたことがあった。
(……死体は遊ばれ、遺族に返されても消えない焼印は許されることではない)
使える人は少ないものの、治癒魔法は存在している。しかし、どんなに魔力を注ぎ込んでも焼印は消えることなく、痛々しい薔薇の形は視覚的にも精神的にも苦痛を与え続ける。
葬式であれば少しでも綺麗にと、メイクを施すものの、生還者の場合……それは差別の証になる。
「でももう終わりなんじゃないか?あの動画が事実ならさ」
三日前、とある動画サイトに一本の動画があがった。
一週間前に博物館で起こった事件はReliefが起こしたものだということ。そして、勇者達の遺品は全て自分達が預かり、Reliefには膨大な力があることを示した。
そしてこの遺品の力を使い、大規模のテロを起こす。という宣言の内容を記した動画だった。Reliefは時間をかけて、九つのテロを起こし、魔法界を全て潰すということを宣言した。
結果、魔法界は混乱に陥った。
いつ訪れるかわからないテロの予告に、Reliefの活動が増え続けることが予測される事実。ここ数年で活動は活発化してるからこそ、こんな予告をされてしまえば暴動が起こる。
それに、勇者の遺品を使うとなれば、対抗出来る力は魔法のスペシャリストが揃った魔法学会ですら到底敵わない。
「本当、魔法警察も何やってるんだか……」
私はその言葉に思わず身体が反応する。
理不尽な現状に、突きつけられた事実に、私は何も言えなくなり、唇をぎゅっと噛み締めた。
Reliefは簡単に言えば犯罪組織だ。
本来なら魔法警察が早急に逮捕しなければならないものの、その力は図りきれないものであり、対抗するために対Relief専用の特殊な組織が出来た。
無名の学生から魔法警察……ありとあらゆる国からよりすぐりの人材を集めては、対抗するための手段を取ろうとしていた組織。
それが私の所属する【NorthPole】だ。
「おいそこ!何話してるんだ!」
突然響いた怒号に列車の空気がピクリと変わる。
どうやら、先程話し会話をしていた男たちの上司が来たらしい。「すいません、すいませんと」何度も平謝りする二人の声が聞こえてくると、ふいっと視線を逸らした。
人が死を身近に感じてしまう。それほど勇者一行が残したもの、というのは非常に大きい兵器なのだ。
「……死を待つだけなんて、絶対に嫌」
ふと口にした言葉は、どこか重たい空気を緩和するように少しだけ開けておいた、列車の窓から外へと流れ出ていった。
冷たい風は私の怒りを鎮めるようにそっと撫でたけど、窓に反射した私の顔は記憶にある状態よりもずっとやつれていて、特徴的な青瞳はいつもよりも黒く曇っている。
(……心労、かしら)
動画が公開されてからの二日間、NorthPoleは急速に崩壊し始めた。
ただでさえReliefのメンバーが持つユニークマジックと呼ばれる、それぞれの個人が持つ唯一無二の特殊魔法は、一個人が想像できる範囲を大きく超えていた。
魔力量・技術、どれをとっても厄介を大きく極め、NorthPoleの人間であっても犠牲になっている人は数え切れない。
その中でも、幹部と呼ばれる六人の人物達が特に厄介であり、そんな人物が勇者の遺品を持ち出し使うというのだ。
今まで精一杯対抗し続けてきたのに、戦歴は負け続ける一方。
そんな中での、博物館襲撃事件と、動画によるテロ予告というのは組織が崩壊し始めても、私自身何も言えないのはあった。
(だけど、動かなくちゃならない。阻止しなきゃならない)
何もしなければ世界が滅びる。その事実だけが今の私を突き動かす理由になっていた。
本当ならNorthPoleのみんなだって、私たちがやらなければならないことは分かってるはずなのに、恐怖が上回り、何も出来なくなっているのが現状だ。
(……それなら私は、ずっと独りでいい)
恐怖というのは非常に強力な毒である。
判断を鈍くし、勝ち戦であっても逃げ腰になる。
マイナス思考へと脳みそがシフトしてしまえば必要以上にダメな方向へと考えてしまい、大事な場面であっても判断が遅れる。
そうすれば、自分自身を殺してしまうほどの致命傷をいとも簡単に生み出してしまうのだ。
そんな邪魔になる存在が増えるなら、私一人でもReliefの足取りを掴み、遺品の奪還及び、Reliefを潰してやる。
無謀だ、と周りの人間からどんなに蔑まれたとしても、今のNorthPoleじゃ私の邪魔にしかならない。
(……だから絶対に足取りを掴んでみせる)
私は自身の右耳についているイヤホン型の通信機器・DCS(Digital Command Smart)を一回タップすると、目の前に操作ができる画面が浮び上がる。
DCSは、パーソナルコンピューターや電話などの機能を取り入れたもので、近年の研究成果により小型されてイヤホンのような形に変化。またマジックワークと呼ばれる通信世界を通じ、世界中のデータとのやりとりを可能にした。
そんなDCSの原動力は自分自身の魔力で、魔力を持たないものでも電気を介して充電が可能であり、どんどん生活には欠かせない存在となっている。
(魔力も魔力で無限じゃないけど、DCSを使うぐらいで特に支障無い)
私はこれからの道筋を確認しようと、地図アプリを開こうと手を伸ばすのだが、地図アプリの下にある通知に思わず手を止めた。ホーム画面これからでもメッセージアプリの上には通知の数を示す数字が出るように設定しているのだが、そこに表示されていたのは夥しい数字。
背筋に悪寒が走った。
(……どうやら私の単独行動は、想像していたよりもバレるのが早かったみたいね)
対応に追われてるNorthPoleからこっそりと抜け出し、こうして単独行動しているのには意味があった。
情報課に所属していた同期が、テロ予告をしていた現場を突き止めてくれた上に、唯一打開できる策を見出してくれたのだ。混乱に附している現状だからこそ、私は策に必要な道具の発見、及び撮影現場でReliefの痕跡を探しに出てきたのだ。
(何となく予想は着くけど……一応誰からなのかだけは確認しておきましょ)
私は上画面をひょいっと下げ、バナーを表示させる。
機密事項もあることから誰からの通知か、というのだけはわかるように設定していた昔の私を褒めてやりたい。
表示されていた名前は、一人の男の名前だけで埋め尽くされた通知欄。嫌という程、想像通りの結果に思わず溜息を零した。
本当なら今すぐにでもメッセージアプリを開いて返信をするべきなんだろう。けど、一度でもトーク画面を開けばたちまち既読通知が飛び、追加で大量のメッセージが送られてくるのは目に見えている。
(面倒事は回避するのみ、メッセージのスルー一択)
私は通知音が鳴らないようにマナーモードに設定すると、地図アプリを開き、Reliefが目的地を改めて確認する。
(……にしても、まさか撮影現場がフィカルス。しかも中央都市ユウリアだったとはね)
魔法界五大国の一角、知識に溢れ探究心を追求した超情報国家フィカルス。王家も古き血やしきたりを大事にする傾向があり、簡単に言えば頭がとても固い。
しかし多くの歴史的建造物のある国で、過ごしやすい気候と魔物がいる危険区域がハッキリと識別されており、観光客はもちろんだが旅人も多く訪れる。
私は地図を拡大しながら改めて順路を確認した。
中央都市ユウリアを始め、フィカロスは法律により箒での移動が禁止されているため、少しめんどくさいもののタクシー乗るのが最適解だろう。
『♪まもなくユウリア、ユウリア』
車内アナウンスが鳴り、私は素早くイヤホンを二回タップして電源を落とすと降車口へと向かい汽車から降りる。
フィカルスには過去に何度か来たことあるので、もう慣れたものだ。特にユウリアの駅には天井いっぱいにステンドグラスが張り巡らされてあって、日中でも星がキラキラと見えるその景色は非常に美しいものだけど、今日は生憎の曇りだ。
(……まるで人の心みたい)
私はそれ以上空を見ることはなく、改札に切符を入れ駅を出ると、列車の中とはまた違った露店から漂う様々な匂いが鼻腔をくすぐった。
閲覧ありがとうございました。
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