第4幕 ― ③「貴女は私。私は貴女」
ひゅるりと冷たい風が頬を撫でた。
意識がゆっくりと目を覚まし、開いた視界に最初に飛び込んできたのは、教室の中央にある大きな黒板だった。
黒板の表面は無数の白いチョーク跡で覆い尽くされ、擦れた線や、かすれた文字が、長い年月を経たような時間の重みを静かに物語っている。
すんっと鼻を鳴らすと、おばあちゃんの家を思わせる懐かしい温もりが広がった。
(ここは、もしかして学校……?)
ぐるりと周囲を見回してみると、壁には剥がれかけた塗料がまだらに残り、ところどころにひびが入っている。僅かに開いていた窓から入り込んだ風は、さらさらと靡くカーテンの影が床に長く伸びていた。
だけどここには、黒板以外誰かが居たような痕跡は見当たらない。勉強用の机もなければ、壁に掲示物が貼られている訳でもないのだ。
教室のようでいて教室ではなく、普通じゃないのに、どこか普通。そんな不安定な空気感が緊張感を孕んでいた。
ぴしゃりと窓から差し込む眩しい光が白いカーテンを透過して、私の視界を歪める。ひらりと優雅に微かな風に揺られたカーテンは、目の前の景色を覆い隠す。
「――――初めましてこんにちは、本物の乙女」
抑揚の少ない、女性にしては少し低めのアルトの声が響いた。淀んだ空気を切り裂くように、芯のある凛とした冷たさは私の耳に鋭く突き刺さる。
聞き覚えがあるその声は、知っているはずなのに、知りたくない。そんな理解出来ない感情と状況にじんじんと頭が痛くなる。追いつかない現状整理に頭を捻っていると、その声での呪文が耳に轟く。
「【ウェントゥス・フェルルム】」
突如、強い風が吹き荒れ、部屋の中の紙や髪が一斉に靡く。
カーテンを突き破って現れた風の刃は、真っ直ぐに私を捉えて襲いかかる。
(……え?)
私は何も反応する事が出来ず、ふわりと宙に舞っていた髪は情けなくザクりと音を立てて切られ、髪の毛が床に落ちる音が無情に響く。
「運がいいのね、本物の私は」
カーテンの幕が消えれば、声の主が姿を現す。
シワひとつない真っ白なワイシャツに、黒のスカート。スーツの胸元には、魔法警察NorthPoleの証である小ギクが飾られている、私が普段着用している仕事着。
彼女の目は私と同じ深い青で、雪がしんしんと降り積もる冬の空のように冷たく、鋭い眼光が私の姿を捉え続けていた。
「でも髪が歪になったから、見分けがしやすくなったわね」
目の前にいる彼女は、私の姿形をしているのに全く違う異質な雰囲気を持つ、もう一人の私だった。
「貴女は誰なの……!?」
相手と距離を取るために、私は左足を後ろに下げ、慣れた手つきでポッケに手をかける。きゅっと歪な音を立てた足元には、見慣れない上履きが履いてあって、私自身の服装にも変化が起きていることが分かる。
ポッケには、ユニークマジックにかかる前にはなかったはずの杖もあり、私はそれに縋るようにぎゅっと強く杖を握りしめた。
「警戒態勢を取るのが早いわね。流石、私」
目の前の私は、私の力強い言葉や姿勢にに怯むことなく、口元に手を当ててくすりと笑った。
「貴女は私。私は貴女」
「何を言ってるの?」
「そのままの意味。私は貴女と同じ考え方で能力で魔法で……そうね、影とでも名乗ろうかしら」
影と名乗った私は説明を続ける。
まるでこれが道理だと言わんばかりに、淡々と話す姿勢は鏡に自分を映したようで気味が悪かった。
「黒繭は精神と肉体それぞれにアプローチをして、転生させないように殺すユニークマジックなの。ここでの死は現実世界の死に直結するわ」
「……強い執着心を感じる魔法ね」
「そうね。でもね、もうこの箱庭の中から出れないし、貴女は死ぬ運命なの」
私の最後の記憶は、おじさんのユニークマジックに身を包まれたところで止まっている。
「ここには様々な規則が存在していて、私たちはその中でしか生きられない。規則を守って相手を殺すのがこの世界での規則」
……仮に、影が言った事を信じるとしよう。
身体を蝕むような鋭い痛みと、ガツりと殴られるような眠気で私を気絶させた黒い繭は肉体の部分で、今の情景は精神の部分に反映されるのだろうか。
「だからこの箱庭の中では、私の方が最強なの」
影は、私に杖を向けたかと思えば、次の瞬間には、頭上に向かってひらりと杖を投げ捨てていた。
(杖が無ければ魔法は使えないはずで、杖を手放すことなんて)
躊躇うことなんて全くなく、投げ捨てたのは自然な動きだった。
「――――さぁ、楽しい殺し合いを始めましょ!」
私の視線は釣られるように宙に舞った杖へと向かっていく。私と同じロッドタイプは、宙に投げると元々の長さからそこまで高く宙に浮くことは無いのに、目の前の杖はみるみるとサイズが縮んで行く。
影は、そんな上へと上がる杖とは対照的に下にしゃがみ、足元に手をやり小さな声で素早く呪文を唱える。
(あっ、分かった……!)
足元がキラリと光り、魔力の蓄積を感じる。
私は素早く杖を取り出し元の大きさに戻すと、影と私の間に向かって杖を突きつける。
「【ウェントゥス・トゥルボ】!」
教室の空気がざわめき、鋭い風の音が響き渡った。強烈な風が渦を巻いて現れ、教室の床に積もった細かな埃や紙屑を一気に巻き上げていく。窓辺のカーテンがびしゃりびしゃりと激しく打ちつけられ、その存在感をアピールする。
(とりあえず状況説明をしなければ……!)
私は教室から脱出しようと、最も近い出入口の扉に飛びつき、取っ手に手を掛けるが、どれだけ強く動かしてもびくともしない。
「閉めておいたの。逃げ道を絶つのが戦いの基本でしょ?」
背後から響いた影の声は、どこか余裕を含んだ調子だった。
振り返ると、彼女はふわりと宙に浮かび上がり、真っ赤なハイヒールが鈍く光を反射しながら、私の頭上へと鋭く振り下ろされる。刃が落ちてくるかのような鋭さと、素早い蹴りに、咄嗟に身をひねって回避する。
ひゅんっと蹴りが空を切る音と、床に踵が叩きつけられる鈍い音が響き、かすかな振動が足元に伝わってくる。
「回避だけは上手ね」
影は嘲るように唇を歪めると、再度体勢を整え、軸足を使って勢いよく回転し、勢いを殺さぬまま流れるように回し蹴りの体勢へと移行した。赤いハイヒールが弧を描きく動きは、あまりにも滑らかで、まるで舞踊のような美しささえ感じさせる。
(行動の展開が早い……!)
影は本当に私を模して作られた存在なのだろう。
私の戦闘パターンが色濃く反映されており、次の一手が手に取るように分かるが、相手もまた同じ。
私はタイミングを見計らって素早くしゃがみ込むと、影の軸足であるヒールの付け根を狙って、低い位置から鋭い回し蹴りを放った。
影の体勢がぐらりと傾き、膝が一瞬折れそうになる。
よろけた隙を見逃さず、私は跳ねるように立ち上がり、素早く後退して距離を取った。
「凄いわ。魔呪具無しでここまで動けるなんて」
影はゆっくり立ち上がると、靴の具合を確かめるように爪先を床にコンコンと叩きつけ、音を楽しんだ。
吐き気をぐっと抑えるように、血の味がじんわりと混じった生唾を乱雑に飲み込んだ。
「……それ、やっぱり本物なの?」
「その答えは貴女が一番よく分かっているんじゃない?」
挑発的な返しだ。
影の考え方が私の考え方と同じであれば、すぐに答えは出てくる。
(本物、なのね……)
魔呪具は、魔法具とよく間違えられるものの、全くの別物だ。それこそ魔法具が人の為に作られるのであれば、魔呪具は魔法に呪いを込めるという禁忌の方法によって作られる。
呪いが込められた魔呪具は、普通の人が使えば容易く呪われてその身を滅ぼす。
「なんでそれがここにあるのか聞いてもいいかしら。それは社が大事に保管しているはずよね」
魔呪具はその高い危険性から、現在では多くが回収されており、呪いを祓うことが出来る千鈴月大社という社様で保管されている。
特に影が履いている赤い靴――――踊り狂う赤の人形“マレッドドール”は、魔呪具の中で最厄と呼ばれる代表格でもある。
編み上げのリボンが特徴的な可愛らしいデザインなのに、中央に飾ってある華やかな深紅の魔法石から感じる強い怨念は、魔呪具に詳しくない人でもすぐに分かるほど強烈だ。
人を殺したいと叫ぶ嫌な気と、憎悪と嫉妬に塗れた鋭い魔力。正直近くにいたくないと感じてしまうほどに胃がぐるぐると気持ち悪い。
「本当、私って可愛くないのね」
影は吐き捨てるように言うと、これも役割だと言わんばかりに渋々説明を始めた。
「ここはイマジネーションの世界で、想像したものが具現化して現れる。あるはずのないその杖も貴女が無意識に想像したからよ?貴女は私を敵だと認識したから、対応出来るための強さを求めた。それは一番使い慣れてるものだと考えれば、必然的に杖が出てきた。納得したかしら」
「……なら、それを使ってるのは嫌がらせかしら」
「そうよ?流石よく分かってるわね」
他人から見た私はこんな感じなのだろうか。
嫌味ったらしい言い方に少し腹が立つのを感じながら、私は頭を動かして状況を理解しこれからの行動を組み立てていく。
「あぁそうだ。言い忘れてたことがあるんだけど、ここと現実世界は身体が繋がってるの。だからここでの死は現実世界の死に直結してるからね」
影はトンっと力強く地面を蹴ると、私に飛びかかってくる。
(踊り狂う赤の人形なら、攻撃は足技限定になるはず)
踊り狂う赤の人形は元々可愛らしい赤い靴だったのだが、とある少女のことを妬んだおばあさんが、魔法を呪いとして込めこの靴をプレゼントした。死ぬまで踊り続けるという呪いで、靴を脱ぐことは許されない。そのため、この魔呪具を使った攻撃をするのであれば足技に限定される。
(選択肢が限定されれば、次の行動予想がつきやすい)
足を軽く曲げた予備動作を挟み、カランっというヒールが地面を蹴る軽やかな音が鳴る。影の身体はくるりと大きく回転をかけて宙を舞い、勢いを殺さぬまま私を狙って回転飛び蹴りを決めようとしてくる。
(私なら杖を壊す……!)
影は「想像したものが具現化して現れる」と言ったが、一度壊されてしまえば、再度想像しても出てくるかは定かではない。
攻撃手段である杖を手放すのは悪手だろう。
「【ドゥダン】」
私は杖を持ち運びのサイズにまで戻すと、回避に集中する。
背丈ほどある大きな杖であるロッドを持ったまま、この回転飛び蹴りを避けるのはとても難しい。杖のサイズを戻すのに魔力はあまり使わないし、すぐにできる行動だからこそ、回避が難しい攻撃なら元に戻した方がそっちの方が良い。
私はタイミングを見計らい、回避しようと試みるが、影の体の一部が怪しげな光を持つ。鋭い蹴りが私の顔を狙って飛んできたので、私はさっきと同じようにしゃがんで回避するが、視線は影の手元に奪われる。
(さっきの光はこれね……!)
光の理由がわかったのに、しゃがみ込んだ私には回避する手立てがない。空振ったまま背後に回った影は私に杖を突きつけた。
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