第2幕 ― ②「普通って」
私と四乃は宿を後にし、昨日居た建物へも戻ろうとしていたはずなのだが……そんな計画は、四乃の突飛な行動によって見事にひっくり返された。
「なんでそんなに買い食いしているのか聞いてもいいかしら、四乃」
苛立ちを含んだ声で私は四乃に問いかけた。
宿屋の会計を終えるために四乃を外に放っておいた僅か十分の間に、四乃は宿屋前のベンチを占領しては、信じられないほどの量の食べ物を買い食いしていた。
確かに宿屋の周辺には露店が多く、様々な食べ物の匂いが漂っていたが、どれだけの人に声をかけて、これだけの量を集めたのか、到底想像がつかなかった。
四乃の突拍子もない行動は、いつも私の心をざわつかせ、大きな心労をかける。自由奔放さは、四乃の美点であると同時に、私を悩ませる原因でもある。
「だってお腹すいちゃったし。ご飯食べないとやることも出来ないもん」
手に持っていた四乃の大好物であるあんまんを一口、一口と胃に運ぶ。
四乃の周りには露店から買ったであろう焼きたての香ばしい匂いが唆るパン、きらきらと氷が反射して揺らめき合うドリンク、そして四乃の大好物である甘いあんまんが散乱していた。
「乙女ちゃんも座って座って!一緒に食べよ?」
四乃はあんまんを差し出しながら、子供のように無邪気な笑顔を見せた。
何を買ってきたのか見ていた私を、四乃は食べ物を欲しそうな目をしていたとでも感じたのか、食べかけのあんまんを渡そうと思ったのだろうか。
その笑顔には、私への純粋な優しさと、何の疑いも持たない無垢さが滲んでいたが、私はひとつ大きなため息を零した。
「私、甘いの苦手だからいらないわよ」
半分呆れながらそう伝えれば、私は四乃の隣の椅子に腰かけた。
私と四乃は昔から食の好みが合わない。
私は甘いものが苦手で、辛いものが好き。
四乃は甘いものが好きで、辛いものが苦手。
昔からどちらかが好きなものは、どちらかが嫌いなもの。
それなのに家が近くて幼馴染っていう関係で、ご飯はどちらかの家でお世話になることが多かったから、その度に揉めてたりもした。
よくある家庭ご飯、カレーライス一つでも、甘口派と辛口派で喧嘩する。初めから甘口で作って欲しい四乃と、辛口で作って欲しい私。結局、甘口で作って、私が香辛料で味を調節するという形になっていたけど、未だに腑に落ちない。
(幼馴染という関係ではあったけど、私たちはいつもどこかズレていて、決して交わることの無い。……きっとそれはこれからも変わらない)
私は足を組み、その上に肘を乗せて、顎に手を当てる。
この姿勢は、幼い頃からの癖で、気持ちや状況を整理出来る。私にとって感情の避難所みたいな役割を持つものだった。
前に障害物があれば、テーブルか何かに肘を着いて顎に手を当てるが、それがなければ組んだ足の上に肘を置く。あまりにも前のめりになる姿勢だから、傍から見た姿は非常に滑稽だろうが、頭を整理させるに必要な形だった。
(この体勢になると、いやでも考えとかがまとまるのよね)
自分自身の冷たい手は、頬を伝って頭をゆっくりと冷やしていく。
(風邪をひいた時、まずは頭を冷やしなさいってよく言ってた理由が今ならわかる気がする)
熱を浮かされるというのは、多分思っていた何百倍も良くない脳の状況を指す。頭が割れるみたいに痛くなって、思考は痛みによって支配される。考えたいことは他にもあるはずなのに、それだけで頭がいっぱいになってしまうんだから、恋よりも厄介極まりない。
逆に頭が冷えている状態である方がよく回るし、正しい答えを導き出せる気がする。
それに、頬に手があるって言うのはなんだか落ち着く。
だけど満足気に食べ物を頬張る四乃の無邪気さは、私の心を暖かくする一方で、その混乱に対する苛立ちも同時に引き起こす。
(それにしてもこれ、食べ切るのにどれだけの時間がかかるのかしら)
四乃は割と食べる方ではあるものの、ベンチに置いてある食事の量は普通の成人男性が食べる三倍はありそうだ。
(昨日のヒイロもそうだけど……普通の感覚が分からなくなりそう)
四乃もヒイロも、どちらも沢山食べるような大食いのような見た目とはかけ離れている。
正直この量と匂いだけで私はお腹いっぱいになりそうだ。
「えぇー、まだダメなの!?でも食べないとやっていけないよ?」
四乃は買い漁ったものから、パンをひとつ見つければ、私に見せるようにして包装を開けた。
「これなら食べれる?」
小首を傾げて渡してきたのは、岩塩が上に乗った塩バターパンだった。
香ばしい甘く柔らかなバターの香りが鼻腔をくすぐり、表面は綺麗な黄金色。焼きたてのパンはまるで芸術品みたいだった。
抗えない食欲に抗うように、ぐっと拳を握れば、四乃がパンを半分に割ってみる。
するとふわりと生暖かい蒸気が舞い、美味しそうな匂いを加速させた。ふわふわとした生地は、くちのなかでとろけるような甘さを連想させ、私の意識はバターがじんわりと染み込んだ生地に釘付け。
食べたいと返事をするように、私の声よりも先に情けなくお腹が鳴った。
「あははっ、乙女ちゃんのお腹は食べたいみたいだね」
「う、うるさいわねっ。昨日からまともな食事をしてないだけよ!」
私は四乃からパンを受け取れば、ごくりと生唾を飲み込んだ。
昨日からほとんどまともな食事をとっていないのは、決して嘘ではない。列車の中でも緊張からまともな食事なんてものは取れなかったし、ヒイロにご飯をご馳走している時も、私は何も口に出来なかった。
焼きたてのパン、なんてものは空腹の状態でなくても喉から手が出るほど食欲を揺さぶられるもの。私にはもう抗う術を持ちえていなかった。
「いただきます」
小さく食事の挨拶をすれば、私はパンを一口頬張る。
(……んんっ、美味しい!)
ふわふわの生地は、噛む度にじんわりとバターが溢れ出す。パン特有の甘さはありつつ、表面に乗っている岩塩が程よい塩加減へと調節してくれる。表面はサクッと、中はふわふわ。
いいとこ取りとはまさにこのことで、噛む度に柔らかな温かさに包まれる。
(久しぶりの食事、なんて幸せなの!)
私は別に食べることが嫌いではないけど、面倒臭いって感じるタイプだ。だから普段の食事はエナジードリンクを飲んだりする程度で、きちんと噛む食事は割と久しぶり。
(……そういえば、四乃と一緒にいる時はいつもまともな食事になるな)
ちらりと横目で四乃を見れば、美味しそうにあんまんを頬張っていて、それに釣られるように私もまた一口、一口とパンを胃に放り込む。
食事の必要性は理解してるつもりだった。
舌や鼻を使って「おいしい」と感じる感覚を育てることで、心の豊かさや満足感を得たり、人間関係やコミュニケーションの形成にも役立つ。
だけど、なんだかんだ時間に押されれば、削れる最も簡単な時間はここしか無かった。
(もしかしたら四乃はこういう時間も大事にしてたのかも)
私とは違って人望の厚い四乃。こういう所でコミニケーションをきちんととって、連携プレーへと繋げていたのだろうか。今ならそういったところも考えることが出来る。
「そろそろ甘いもの克服したかなぁとか思ったんだけどなぁ」
四乃は少し不満気に眉をへの字に曲げながらも、あんまんを何度も口へと運んだ。
(私にもきちんとしたコミニケーションが出来るかしら)
幼馴染という関係でありながらも、私と四乃には深い溝がある。コミニケーションが大事だと再確認した今なら、と思い私はずっと抱いていた疑問を口にした。
「……そういえば、昨日四乃が来た時ってどうなってたの?私、倒れてから起きるまでの記憶がすっぽりと抜けてるのよね」
「普通に倒れてたよ。その場に乙女ちゃん以外の姿はなかったけど、外傷が酷かったからなんとなく何してたのかは分かってるつもり」
四乃はあっけからんとした様子で言葉を紡いだ。
「……そんなに酷かった?」
「うん、上半身の傷が特にね。でも一通り治しておいたから、今はもうどこも痛くないでしょ?」
ヒイロの魔道具でだいぶ動けるようになるまで回復していたと思っていたけど、意外と治りきっていなかったのだろうか。
(……あれ、そういえばヒイロの魔道具ってどうしたっけ)
チェンジの魔法で服装が変わったとしても、ポッケに入れていたものやつけていたアクセサリーなんかは変わることは無い。
私はポケットに手を突っ込み、魔道具の有無を確認すると、確かに魔道具の瓶が入っていた。
(……返しそびれちゃったな)
治癒効果を持つ魔道具は本当に希少だ。
このまま借りパクしていいようなものじゃないし、どうにかして返したい。けど、一つの都市からほとんど情報もない人を探すのは難しい。
何も答えない私を不思議に思ったのか、四乃は不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
「……相変わらず、治癒魔法の腕前は天才的ね」
これ以上四乃を心配させないようにと、自分自身を取り繕うに笑う。だけど四乃に私の感謝と尊敬の思いが伝わるように、一つ一つ丁寧に優しく言葉を紡ぐ。
光属性の基盤ともいえる治癒魔法だけど、メインは身体の傷を治すこと。疲労などといった身体の不調を治すということになれば、話は少し変わってくる。
魔法が薬のような役割を補うということは、想像以上に魔力と知恵を必要とするのだ。
「えへへっ、乙女ちゃんに褒められちゃったー!」
翼が生えたように軽やかで華やかな声色だった。
心から褒められていることが嬉しいと、誰よりも素直で真っ直ぐな気持ちを向けてくる。こういう時の四乃はどうにも苦手でやりにくい。
また一口、一口とあんまんを口へ運ぶ。
「……それにしてもなんでReliefは私のことを殺さなかったのかしら」
手を離してしまったヒイロも、そのヒイロが捕獲してくれたはずのReliefも、現場にはもういなかった。
私が気絶しちゃって何も覚えていないのは、本当に申し訳ないと思うし、反省するべき点ではあるが、どうしてもこの疑問が残ってしまった。
(私が敵の立場だったら……絶対に消しておく)
Reliefが既にいなくなっていたということは、自分自身でその場から立ち去れたということ。となれば、目の敵であるNorthPoleの私を消しておくのが普通。
……いや、殺さなくても情報を得るため気絶している私を拠点なり本部なり、どこかへと連れていくのが妥当な判断のはずだ。
何か大きな計画の片鱗を示しているのかもしれない。その不安が、私の心を硬直させ表情を一瞬で曇らせる。
「ねぇ、四乃がReliefの立場だったらどうしてた?身動きの出来ない私を消さないで、そのままその場から立ち去ると思う?」
「んー、どうかなぁ」
四乃は言葉を濁した。
三人寄れば文殊の知恵というように、他者の意見を聞いて新たな観点から行動の意図を読み取ろうと考えたのだけど、四乃は私の質問に対してあまり乗り気には見えなかった。
唇の口角をグイッと歪に歪ませたかと思えば、腑に落ちないような不機嫌さを残した声で言葉を紡ぐ。
「僕なら消しておく、かなぁ。乙女ちゃんなんて、彼奴らにとっては消しておくに値する人物でしょ?少なからず僕がそいつの立場だったらそうする」
四乃は手に持っていた残りのあんまんを全て胃の中に入れ込む。
「でもそうしなかったってことは、乙女ちゃんを生かしておく理由と価値があったってことじゃないかな?今の僕じゃその答えはわかんないけど」
「生かしておく価値と理由……」
思わず四乃の言葉を繰り返す。
確かにそう考えれば、一つ思い当たることがある。
(ヒイロの、存在)
あの男は、ヒイロと戦うことに対して強い快楽を覚えていた印象がある。そして、ヒイロが私を追いかけるような形で現れたこともその場で見ている。
もしもあの男がヒイロを探したいがために、私を踊らせるような形で逃がしたって考えれば……それはある意味最悪なケースとしても取れる。
(もうヒイロには会えない気がするのにね。……先に手を離してしまったのは私だから)
頭の中で抱いてた感謝の気持ちとは別に、魔法や武術、全ての相手を消すためだけに生まれてきたような圧倒的な才は、四乃とはまた違った狂気があったのを今でもよく覚えている。
四乃も私からしたら狂人に近い。
自分自身の目的に反するものであれば、即刻削除対象になる。だけど、四乃の力は小さい時からずっと見続けてきたことによって、ある程度の耐性が出来ていた。
圧倒的な力というものを前にしても、容易く身体を許さないようなそんな耐性。
だけど、そんな四乃との雰囲気とは酷く違った、ヒイロの魔法は異質な力だったと思う。
(まるで、自分自身じゃない誰かの力を借りて戦っているみたいな……)
ぎゅっと唇を噛み閉めれば、まだ口の中からほのかに血の味が滲む気がする。
四乃はそんな私を不思議そうな瞳で見つめ、そっと顔を覗き込んだ。
「乙女ちゃん?なにか思い出したの??」
私の名前を呼ぶ四乃の声は酷く優しい。
だけど、今の私には四乃の問いに答えることは出来なかった。
「いいえ、何も。それより食べ終わったら早く行きましょ。これ以上時間潰してたら帰るのが遅くなっちゃうわ」
私は急いで残っていたパンを乱雑に頬張れば、自分の感情を抑えるように強い口調で言った。
(……まだ、整理がつかない)
昨日の出来事や、ヒイロに対する感情。そして測りきることが出来ないReliefの意図。様々な思考の渦は、私を足を掴んで沼へと引っ張りこもうとするように頭の中を占領しては、逃れることを許さない。
(……誰かを巻き込むのが、こんなに怖かったなんて)
ずっと一人でいいと思っていたけど、仲間のいる安心感や大事さを知ってしまった。
四乃はNorthPoleが誇る最大火力のサポーターでありアタッカー。絶対的な安心感があるはずなのに、何処か違和感と道への恐怖は拭い切れなかった。
閲覧ありがとうございました。
気に入って頂けたら是非、ブックマークを宜しく御願い致します。




