第3話
ケソン地区を暫く見回った後、二人はヒョント地区に戻り傭兵部隊の訓練場の施設内に居た。
集合時間は一時だが、まだ時間があった。
「予定より少し早く着いたな」
「そうですね。ノブヤス様、如何致しましょうか?」
「訓練場此処を少し回って見てみよう。何処に何があるか、分かった方が良いからな」
信康達は訓練場を見て回る事にした。
訓練場と一口に言っても、野外で訓練する敷地だけでは無く、座学などを受ける為の部屋があった。
(訓練で必要になる十分な敷地だけでなく、座学の勉学まで面倒を見て貰えるとは・・・プヨでは随分と傭兵の待遇が良いんだな)
傭兵に関するプヨ王国の方針に感心しながら、信康はルノワと共に訓練場を見て回った。
見回りが終わった頃に、他の傭兵達がわらわらと敷地に集結して来た。
傭兵達が集まっている所に、信康とルノワも向かった。
時間になると、傭兵達の前に右頬に斜めに走る刀傷を持つ精悍な男が来た。
「良く来たな、貴様等っ!! 現時点を以てプヨ王国傭兵部隊の創設を宣言するっ!! この俺がお前ら傭兵共を指揮する、傭兵部隊総隊長のカルナップ・ヘルムートだっ! 階級は少佐だっ!・・・今日初めてプヨ王国に来た奴も居るだろうから、はっきり言っておくっ!! 俺の事はヘルムート総隊長と呼べっ!! 間違ってもカルナップって呼ぶなよっ!!」
回りに居る傭兵達は、名前を聞いてざわついた。
「あれが、『プヨの荒鷲』か」
「傭兵から聖騎士にまでなった、凄腕の名前じゃねぇかっ!」
(ふむ・・・何処かで聞いた事がある名前なのだが、何処だったかな?・・・・・・まぁそんな事は別にどうでも良いか。それにしても不思議な話だ。名前では無く、家名の方を呼べと?・・・何か事情でもあるのか?)
ひそひそ話に耳を傾けると、名を知られた武人みたいだった。
尤も、信康はヘルムートの言っている事に首を傾げていた。
そんな声が聴こえていないのか、気にもしないでヘルムートは話を続ける。
「我らがプヨ王国では軍人は正規、非正規の区別無く平等に扱われるっ!」
戦闘中で、下賤な傭兵だの偉い将軍だのを気にしていたら、勝てる戦いも負けてしまうから悪くない話であった。
信康はヘルムートの話を聞いて感心していたが、他の者達は、直ぐにお国の方針と現場の感覚は別物だと冷めた様子であった。
これまで、幾度と無く傭兵だからと見下す貴族や軍人を見て来た、からこその態度であった。
「軍人としての礼儀・教養・精神。全て叩き込むから有り難く思え!」
傭兵という職業に就いている者は言葉などの言語は大丈夫だが、礼儀や教養といったものには苦手である。
信康は傭兵になる前は大大名の家柄と言う事で、礼節は一通り習っていたからそれ程苦手では無い。
ルノワも自分でそれなりに出来ると言っていたので、大丈夫と思われた。
後で知ったが、ルノワの一族は人間でいう所の、王族や皇族に分類される程の一族であった。
信康はこっそりと他の傭兵達の顔を見ると、ほぼ全員が嫌そうな顔をしていた。
「今日は初日という事である。貴様等の実力を見たいので、男女分かれて模擬戦をして貰う」
「模擬戦?」
傭兵の一人が、意味分からず声を上げた。
「自分達の背中を任せるのだから、実力をある程度知っていないと不安だろう? 何、心配するな。怪我をしても明日の訓練に差支えない様に、ちゃんと治療出来る様にしている」
親指で指した方向を観ると、白衣を着た医師と思わしき男性に看護師衣装の女性が数人待機している。
「男と女では体格と体力に違いが出るから、女は女で別にして貰うぞ。規則ルールはお前等が決めろっ! ただし得物を使うのは無しだからなっ!!」
回りにいる傭兵達は、如何したものかと互いの顔を見た。
信康はこの場で模擬戦をする意図を察そうと、手を顎に当てて考えていた。
(実力を知りたいからと言っても、雇い入れた戦力を篩にかける必要は無い筈だ。それを敢えて実行する理由は・・・・・・成程、そうゆう事か)
信康はヘルムートの胸中に抱いている考えが分かった。
「総隊長殿の意図が分かった。ならこっちは、それに乗る必要は無いな」
「その意図とは何でしょうか?」
「俺等の中から誰か傭兵の取り纏め役、もとい傭兵部隊の副隊長または副官を選ぶ心算なのだろう。総隊長殿は実力があるみたいだが、それだけでは駄目だ。指揮官が死んで部隊の士気が崩壊しなくても済む様に、部隊を取り纏められる副隊長や副官の存在が部隊には不可欠だからな」
「成程。それで一番強い者に、その役を務めさせるのですね。女性側も同様でしょう。しかし武力だけを見て取り纏め役を選ぼうなどとは、些か単純過ぎませんか?」
「そう言ってやるな。相手の方が実力が上だと分かっていれば、素直に従い易いと言うものだ。それに女性は女性で、纏めた方が良いからな。まぁ部隊を指揮するのは嫌いでは無いが、来て早々そんな面倒な取り纏め訳はご免被るがな」
「ノブヤス様がそう仰られるなら、そうなのでしょう。私もノブヤス様と御一緒したいので、取り纏め役などご遠慮願いたい所です。では適当に相手をして、頃合いを見計らって負けますね。終われば帰っても良いのでしょうか?」
「総隊長殿に訊かないと分からんな。だがまぁ、今日はこの模擬戦して終わりだろう。明日から本格的な訓練を始めるだろうな」
「終わった時間で何処に行くか、事前に決めましょうか?」
「いや、終わり次第兵舎に戻って明日に備えるとしよう」
「では、兵舎に戻る前に少し買い物をしたいのですが。一緒でどうですか?」
「構わんぞ。何を買う予定だ? 換金はもう済ませているから、金は使えるが」
「色々とありまして、面倒なら先に戻って頂いても構いません」
「戻っても何もする事が無いからな、買い物に付き合っても良いか?」
「ええ。勿論、構いませんよ」
ルノワは満面の笑顔で答えた。
「ではさっさと済ませるか、また会おう」
ルノワは頷いて女の傭兵達が集まっている所に向かった。ルノワが離れだした途端、むさい男性傭兵達が信康を囲んだ。
「兄ちゃん、今の黒森人族の美人さんと随分親しそうだねぇ」
囲んだ傭兵の中で、一番年上であろう背の高い傭兵が話し掛けて来た。
「まぁ、俺のちょっとした知り合いなんでな」
「それは羨ましい事だなぁ、あんな美人さんと仲良くできるなんて」
「夜の寝台も温めてくれるってか、げっへへへへへ」
傭兵が嘲笑すると、回りも同調して笑い出した。
そんな笑いを気にもせず、信康はある集団のリーダー格と思われる傭兵に視線を向けた。
「それで、羨ましいとでも言いに来たのか?」
「いやぁ、違うぜ。お前さんと取引をしようと話し掛けた」
「取引?」
「ああ、お前さんの黒森人族を俺に紹介しろ。あんな美人はお前には勿体無い。代わりに俺の女にする」
「俺の利点は?」
「俺の派閥に入れてやる。この模擬戦で俺が勝ち残って、お前もそのおこぼれをやるがどうだ?」
それを聞いて信康の口元に笑みが閃く。
「くっくくくく・・・面白い」
「だろう、兄弟。で返事は?」
「ああ、俺の返答はこれだ!」
先程嘲笑した傭兵の一人の顔に、ストレートを叩きこんだ。
「ぐへっ!?」
油断していたからだろう。傭兵は受け身を取れずに、地面に沈んで沈黙した。
一瞬唖然としていたが、直ぐに色めきだした。
「てめぇ、よくもやりやがったな」
「これが俺の返答だ。相手してやるから来いよ」
「おまえ俺が誰か知っているか?」
「はっ、知っている訳無いだろう」
信康は首を横に振った。
「そいつは可哀そうに、俺はグスタフ・ジャーメインだ。このガリスパニア地方に名を轟かせる『鬼熊』とは俺の事だ!」
親指を自分に指して、どや顔していた。
信康はキョトンとしていた。
「鬼熊? 誰だそれ? 俺この地方に来て、そんなに日が経っていないから知らないな」
「ガッハハハハハ、この地方で俺を知らないとは、お前は田舎から来たかもしくはモグリだな? ここは俺が直々に世間の厳しさを教えてやるよ」
グスタフは取り巻きに合図を送ると囲みが緩みだした。そして拳を構えた。
「手下に相手させてからだと思ったが」
「そんな面倒な事をしなくても俺一人で十分だ。さて、行くぜ!!」
言葉と共にグスタフは駆け出した。
顔を狙った左ストレート、腰も入っており、喰らったらしばらくは気絶する威力はあるだろう。
そんな一撃を信康は避けようともせずじっと立っていた。
拳が顔面に当たる寸前で右の掌で受け止めた。
「馬鹿力だけしか取り柄の無い馬鹿だと思っていたが、その通りだったな」
拳を止められて、グスタフは驚愕していた。
普通に顔を狙った一撃だけを防いだら、こうも驚かない。
顔を狙った一撃と同時に、腹部にも攻撃をしたからだ。しかしそれももう片方の手で、簡単に受け止められた。
この攻撃はどちらか片方を防がれた事はあったが、両方を防がれた事は長い傭兵生活している中で一度も無かったようだ。
グスタフが驚いている以上に、回りに居る取り巻き達も驚いていた。
ある者は、驚きすぎて口が開けっ放しになっていた。
「おいおい・・・あれだけ自分自慢しておいて、まさかこれで終わりか?」
「な、なめるなぁぁぁ!?」
体格があるのを使って、グスタフは信康に体重を掛けて来た。体格差を利用して、重量で力押しにする事にした様だ。
しかし信康は大岩の如く、ぴくりと動かなかった。
「なっ!? あんなに体格差があるのに動かないだと!!」
「嘘だろう!? 剛力で知られるグスタフの旦那を相手に、こうも一歩も引かないとは!?」
「ふっ、これで剛力だと? 俺を笑わせて、隙を作ろうって魂胆はらか? 笑止千万とは、まさにこの事だな。俺の知り合い達には、お前みたいに口先だけの馬鹿よりも、剛力な奴を何人も知っている。その面々の中にはグスタフより、二回りも年上の爺様すら居るんだぞ」
「な、何だと! くそうっ!?」
グスタフは下がろうにも手を掴まれているので、信康から下がる事も出来ない。
「さて、今度は俺の番だ。自分の軽薄な言動を怨め」
信康は手に力を込めて捻った。
骨の折れる嫌な音が、辺りに響いた。
「ぎゃっああああああああああああ!!!!???」
グスタフが悲鳴を上げた。
腕が有り得ない方向に曲がっていた。信康はフッと笑ってから、グスタフの手を離した。
グスタフは痛みと信康が手を放してくれたので、一歩後ずさりした。
信康は、それを許さず詰め寄ってきた。
グスタフも歴戦の傭兵であった。腕は動かせないので代わりに、近づいて来た信康に蹴りを放った。
しかしその蹴りは、信康に当たらず空を切った。蹴りが来るのが事前に分かり、信康は一瞬止まって躱したからだ。
そして蹴りが外れたのを見て、再び近づいてきた。腹に腰の入った拳打を食らわせた。
「がっ!?」
それを喰らい、グスタフは倒れた。
「ば、馬鹿な!!? グスタフの旦那がこうもあっさりとやられるとはっ!!??」
「こいつ強ぇっ・・・『鬼熊』を瞬殺だなんてっ!!」
自分らの頭が地面に這い蹲った姿を見て、取り巻き達は腰が引いている。
「この程度で異名持ちとはな。まさかこのガリスパニア地方には、弱い奴しか居ないのか?・・・まぁ良い。おい、まだ闘るのか?」
回りを威圧しながら、周囲に訊いて来た信康。
その視線には、迫力があった。
取り巻き達は何も言わず、囲みを解き自分らの兄貴分であるグスタフを医療班の所に連れて行った。
他の傭兵達はその戦いの一部始終を観ていて、手を出すべきか迷っているようだ。
何せ、このガリスパニア地方に、その名を轟かせる強者を退けたのだ。個人戦では信康には敵わないと全員そう判断していた。
しかし、此処で何もしなければ、今後の傭兵部隊において取り纏め役から弾かれてしまう。
全員他の誰かと組むのも考えていたみたいだが、この場に居る者全員知り合いでは無いのだから、即席の連携で勝てるとは思ってはいない。
ならば、乱闘に持ち込む事で少しでも、勝つ確率あげる事にしたみたいだ。
互いが互いの視線を見ながら、動く時を計っている。
そんな空気が回りに影響して観ている方もピリピリしていた。
その緊張感がピークに達した時に、信康が動いた。
「総隊長殿。少し良いですか?」
「うん、何だ?」
「自分は辞退を希望したいのですが、良いでしょうか?」
それを聞いて傭兵達は、一斉にその声の主に視線を向けた。
そう言ったのは信康だった。
ヘルムートは不思議なものを観る様な目をして訊ねた。
「別に構わんが、理由は聞かせて貰おう」
「正直に申し上げますと、取り纏め役に興味が無いので辞退させて下さい」
「そうか、ではこっちに来て観戦していろ」
「了解」
信康はヘルムートの元に進んで行った。
それをじっと見ている傭兵達。何も言わずヘルムートの側に行っても見続けていた。
ヘルムートは手をパンと叩いた。その音を聞いて傭兵達ははっとした。
「よ~し、お前達っ! 今の内に辞退したい奴は、ノブヤスに続けてこっちに来い。それ以外はさっさと、模擬戦を続けろ!」
少しの間沈黙になったが、一人の傭兵が隙がある傭兵の顔を殴った。
殴られた傭兵は一発で気絶した。
それを皮切りに回りが一斉に動き乱闘になった。
辺りには悲鳴が響いた。
乱闘になった場所を観ながら、ヘルムートは隣に居る信康に話しかけた。
「勿体無い真似をする。本当に辞退して良かったのか?」
「この面々で一番若い自分が取り纏め役になっても、部隊の統率は取れないでしょう? 無駄な苦労はしたくありません」
「・・・まぁ尤もだな。では、グスタフを気絶させたのは何故だ?」
「あれは正当防衛です。何もせずにいきなり辞退すれば侮られるので、周囲を黙らせる為にも生贄にしました。向こうから喧嘩を売って来てくれたので、渡りに船と言う奴です」
「ふっ。若い癖に、随分と老獪な事だ。お前程の腕なら申し分ないのだが、まぁ無理強いはしないぞ」
「ありがとうございます」
「それとあの黒森人族ダークエルフは、お前のこれか?」
ヘルムートは小指を立てた。恋人か愛人かと訊いているみたいだった。
「まぁそんなところです」
別にそのような仲ではないのだが、信康は曖昧な表現にした。
「自分の女なら、大事にしろよ」
「当然です。言われるまでもない」
「俺にも妻子がいるから、その気持ちが良く分かる。」
「総隊長殿には御息女が居るのですか?」
「ああ、もう十六歳になる。何を思ったのか、いきなり騎士になりたいと言うから、名門のプヨ王立騎士学院に行かせてやった。するとあいつ、従軍単位変換制度なんて特殊制度を利用して、飛び級で騎士団に入団したんだよ。今では末席ながらも、第四騎士団の幹部の一人だ」
「それは凄いですね」
「まぁな。腕は身内贔屓を差し引いても、中々の凄腕でな。自慢の娘だ」
ヘルムートは楽しそうに語っていた。
名前を訊きたいが、戦場に往けば、いずれ出会うだろうと思い訊くのを止めた。愛娘に粉を掛けようとしていると思われたら、面倒な気がするのもあった。