第2話
信康はフォルテスと言う悪徳貴族から、黒森人族の美女を助けてから、傭兵専用兵舎に向かって王都アンシを歩いていると、漸く傭兵部隊の兵舎に辿り着いた。
兵舎に到着した信康がした事は、最初に兵舎の管理人に自身の事を伝える事であった。
兵舎の管理人は年齢的に、五十代後半と思われた。
体型がふくよかなので、まさに絵に描いた様な肝っ玉母さんと言った感じの女性であった。
顔には皺が刻まれており、髪にも白髪が混じっているのが見えた。
「ノブヤスね・・・・・・うん、あったよ。名簿の此処に名前があるけど、間違いないかい?」
中年女性の管理人が名簿欄を見せながら信康に問うと、信康は名簿欄を見てから、しっかりと頷いた。
「此処じゃあ、男女別々の部屋に入って貰うからね? ほら、男のあんたは二〇八号室だよ」
中年女性の管理人は、信康に部屋の鍵を渡してくれた。
「部屋はどんな感じだ?」
「部屋は一人一部屋だよ。内装は好きにしても良いけど、壁を壊したりしたら弁償して貰うからね。それと女性の方は、二人部屋になっているよ。女傭兵って奴はそりゃ居るっちゃ居るけど、男と比べたらそんなに多く無いからね」
「男女で互いの部屋の行き来は?」
「それは個人の自由だからね。好きにして良いよ。ただし問題を起こしたら、問答無用で叩き出すから、その心算で肝に銘じな」
「ふっ、了解した」
訊きたい事を訊けた信康は、中年女性の管理人に会釈をしてから部屋のある階に上がった。二〇八号室と書かれたプレートを見つけると、扉を開けて入った。
「ふむ・・・雨漏れも無さそうな、中々に広い部屋だな。傭兵にしたら、実に上等な部屋だ。これまで雇われた雇い主によっちゃ、牢屋とか、馬小屋の方が遥かにマシって所も、あったからなぁ」
部屋にあったのは、家具が一式ある程度の質素な部屋であった。
しかし、正直に言えば信康が想像していたよりも、遥かに豪華で驚いた位だ。酷い所ならば、雨漏りは当たり前で蚤虱だらけの部屋もあった。
信康はそんな酷遇された傭兵成り立ての頃の事を思い出し、思わず身震いした。
因みに、この酷遇から逃れる為に、初日から全力を出して大暴れしたものである。尤も、そうした所為で波乱万丈な傭兵人生が始まったとも言えた。
過去の記憶を振り払う様に頭を左右に一度振ると、荷物を置いたが荷解きをせず寝台に横たわり、じっと天井を観ていた。
「この傭兵募集にどんな奴等が集結するのか、見てからのお楽しみだな」
傭兵として参戦募集に応募すれば、十人十色と様々な人物と出会う。これもまた、傭兵稼業をする一環での一つの楽しみであった。
寝台で横たわってそれ程経たない間に、何故か扉を叩く音が聞こえた。
「開いているぞ」
誰かと訊かず部屋に入らせた。誰が来ても問題ないと思ったからだ。そもそも、不届き者は扉を叩きなどしない。
「失礼します」
そう言って入って来たのは、つい先刻助けた黒森人族の美女であった。
路地に居た時は外套を着ていて分からなかったが、身体のラインが分かるレオタードみたいな煽情的な服装をしていた。
「先刻は私を助けて下さって、ありがとうございます」
「いや、気にしないでくれ。それよりもお前も傭兵だったのか?」
「はい。何も言わず、名前を教えず大変失礼を致しました。私はルノワと申します」
「ルノワと言うのだな。俺は」
「存じております。ノブヤス様ですね」
「名乗っていないのに、良く知っているな?」
「いえ・・・ノブヤス様と管理人の方が話している内容を聞きましたから。私、聴覚みみには自信がありますので」
「・・・ああ、ルノワは黒森人族だものな。と言うか・・・あそこから俺の後を付いて来ていたのか?」
「はい。目的地も一緒でしたし」
そう言われれば納得出来た信康だったが、ルノワに尾行されて気付かなかった事に内心で戦慄した。
それと同時に、ルノワの技量の高さにも気付いて感嘆せざるを得なかった。
(気を緩ませ過ぎたかもしれん。旅行や観光気分の心算は無かったが、気を引き締めないと駄目だな・・・待てよ。俺が出しゃばらなくても、ルノワ一人であの状況を切り抜けられたんじゃないか?)
信康は自身が気を緩ませ過ぎた事を自省した後、先刻の状況もルノワが自己解決出来たのではと思った。
尤も、その事を表情には出さずに、ルノワに視線を合わせていた。
「まさか挨拶だけ来た訳じゃないだろうっ。何か用か? まだ、荷解きが終えていないから茶も出せないぞ」
「いえ、御荷物の荷解きを手伝わせて頂けたらと思いまして」
「えっ!?」
ルノワのその言葉を聞いて、信康は心底驚いた。
森人族は非常に誇り高い種族であり、自尊心を傷つけられる事を極端に嫌う。
それは、森人族の近縁種である、黒森人族も同様である。
これまで信康が出会った森人族達も種族を問わず、一部の例外を除けば、多くは自尊心が高い性格の持ち主であった。
その誇り高い黒森人族が、今日出会ったばかりの信康の荷解きをしてくれると言うのだ。
「何か不都合でもありましたか?」
「いや無い。たが、良いのか?」
「ええ、お気になさずに」
ルノワは、荷物の荷解きを手伝ってくれた。訳が分からない顔をしながら信康も手伝った。
こうして、信康のプヨ王国での傭兵生活が始まった。
***
プヨ歴V二十六年四月四日。朝。
プヨ王国王都アンシに存在する、ヒョント地区の一角にある兵舎の一室で、東洋人の傭兵である信康は寝台の上で胡坐を搔きながらぐっすりと寝ていた。
昨日は荷解きは、ルノワが全部してくれた。
荷解きを終えたら丁度飯時になったので、ルノワと一緒に兵舎の食堂に行き腹を満たしたら、信康は其処でルノワと別れた。
部屋に戻った信康は自分の得物の手入れをして身体を軽くストレッチをやり終わったら、明日に備えて就寝に就いた。
今日は傭兵部隊の入隊希望者達との顔合わせなので、遅刻してはいけないのだが、信康はそんな事は一切関係ないと言わんばかりに眠っていた。
そんな中、鍵をあけて部屋に入って来る侵入者が居た。
侵入者は物音を立てずに、一歩また一歩と信康に近づいて行き、寝台へと手を伸ばしてきた。
これが悪意や殺気があれば、信康は即座に飛び起きるのだが、侵入者にはそんな邪な感情を抱いてはいなかったので、眠り続けていた
「・・・・・・きて下さい・・・・・起きて下さい・・・・起きて下さい、ノブヤス様」
信康は声を掛けられて、ゆっくりと目を覚ました。
「ああ・・・・・おはよう、ルノワ」
「はい、おはようございます」
部屋に入って来たのは、ルノワだった。
「早く起きて身支度を整えて下さい。今日は傭兵応募で集まった者達の顔合わせをする、大事な日ですよ? これに遅れたら、傭兵部隊への入隊を拒絶されるかもしれません」
「ああ、そうだな」
ルノワからの注意を受けても、信康はまだボーッとしていた。
「ちゃんと聞いていますか? ノブヤス様」
「ああ、大丈夫だ」
欠伸を掻きながら答えた。徐々に目に光が宿ってきた。
「ルノワ」
「はい、何でしょう?」
「一つだけ聞きたい・・・お前は何故、俺の部屋に入っている?」
「起こしに来たのですが。それが何か?」
「その事に関しては感謝している。ありがとう・・・俺は部屋に鍵を掛けて寝た記憶があるのだが、どうして部屋に入れた?」
「二つ目の質問になっておりますが・・・それは合鍵を作ったので、それを使って御部屋に入りました」
「何時の間にそんな物を!?」
「言えません。秘密です」
その笑顔を見て、信康はルノワに幾ら訊いても教えてくれないと悟り、仕方無しに話題を変える事にした。
「昨日から気になっていたのだが、どうして俺に様を付ける? 俺はお前と同じ傭兵で、対等な存在の筈だろうに?」
「恩人や敬愛する方々に様をつけるのが、我が部族の掟です。あまり気にしないで下さい」
ルノワ本人がそう言うので、信康は気にしない事にした。
「集合時間は何時だったかな?」
昨日食堂で聞いた時間を思い出そうとしていたら、ルノワが答えてくれた。
「午後三時です」
「午後の三時ならまだ、たっぷり時間があるな。ルノワ、少し付き合え」
「どちらに行かれるのですか?」
「王都アンシには五つの地区があるそうだ。プヨにはどれだけの期間、滞在するか分からんからな。折角だからどんな所か見ながら、集合場所に向かおう」
「それは良い考えです。何処に何があるか知っていれば、何かと役に立つ事があるでしょう。土地勘は幾等得ても、損はありませんから」
「最もだな。じゃあ時間も惜しいから、さっさと行くか」
信康は早く外に出たくて、部屋を出ようとしたらルノワに止められた。
「ノブヤス様、少々お待ちを」
ルノワは信康を止めると、徐に信康の頭を触り始めた。
「何だ?」
「いえ、御髪が乱れ過ぎています。少し動かないで下さい」
手櫛で髪を梳かれた、普段から自分の髪を、梳かしているからだろう。その手付きは上手だった。
「これで大丈夫です。さぁ参りましょうか」
こうして信康はルノワと共に朝食を食べた後に、傭兵養成所に向かう為に傭兵部隊の兵舎を出た。
二人は歩きながら地図を見て、傭兵部隊の訓練場の場所を確認した。
「養成場は此処だな。まだ時間があるから、ちょっと隣のケソン地区に行かないか?」
「確かに時間はありますけど、どうしてケソン地区なのですか?」
「北のファンナ地区は貴族や富裕層が住む地区だから迂闊に歩き回りたくないし、東のカンナ地区は反対側だ。だから一番近い南のケソン地区にしただけさ」
プヨ王国の王都であるアンシは、典型的な円形都市である。五つの地区に分かれており、中央区を中心に東西南北の区画が扇型に広がって展開している。
先ずは、プヨ王国の象徴であるプヨ王族の居住区であり、政治の中心でもあるプヨ王宮がある。そしてそのプヨ王宮を中心にして、繁華街や商業施設などが沢山あり賑わいを見せる中央のケル地区。
王都アンシの北側に位置し、貴族層の住居が並び立つ貴族街と、富裕層を筆頭に、裕福な平民が住む平民街が存在する、何処か落ち着いた佇まいを見せるファンナ地区。
王都アンシの東側は自然が多く存在し、牧場や文化財級の遺跡等の観光客向けの施設を擁しているカンナ地区。
王都アンシの南側に位置し傭兵部隊兵舎の他に軍事施設及び、公的機関の施設が集中して存在しているヒョント地区。
最後に王都アンシの西側に位置しプヨ王立の四つある学院を筆頭に様々な教育関連施設が集中し、そして平民層が居住する平民街が多数立ち並ぶケソン地区。そして王都アンシ内で唯一、貧民街が存在する地区でもある。
この王都アンシを構造の複雑さは、これだけには留まらない。何と中央のケル地区から、✕印状に防壁が設けられているのだ。
これは王都アンシの城壁が敵に突破されても、各区画で遮断してそれ以上の侵入を足止めする為にある。王都アンシは誕生した段階で、戦う事が大前提に作れた城郭都市なのだ。
信康は、観光がてら周囲を見渡しつつ教育機関とはどんな物なのだろうと思いながらプヨ王立総合学園と呼ばれる教育機関の前を通ると、その周辺には和気藹々とした風情で登校する学園生が大勢居た。
(実に楽しそうだな・・・戦いとは無縁そうな子供ばかりだ)
信康は学園生達の様子を見ながら、通りを歩いて行く。学園の正門を通り過ぎた時、信康の前に二人の女性学園生と擦れ違った。
横を通り抜ける時、横目でチラっと盗み見た。
何故か他の学園生と違い、二人の女子学園生を存在感が強かったので信康も不意に気になって見たのだ。
信康が見た二人の女子学園生は、容姿が美しく見ていると視線があった。
何だと思っていると、向こうは珍しそうにこちらを見ているみたいであった。
このプヨ王国にはあまり居ない黒髪の人種を、直接見ているのだから仕方がない事だろう。それだけでは無く、隣に黒森人族を連れているから、余計目立っていた。
森人族という種族は通常、大半は森で生活している為にあまり見かける事は無い。中には森を出て人里などで生活をしている者も居るが、そんなに多くは居ないのだ。
そんな学園生達の視線など気にせず、信康は視線を外してそのまま通り過ぎた。学園生達の中には、おの背中を見続けている者が何人も居た。




