第378話
「・・・使用人組合って、王都の何処にあるんだ?」
暫く歩いていたが信康はそう呟いたが、誰もその質問に答えてくれる者は居なかった。
当然ながら、騎乗している斬影も含めてだ。
「普通に考えればヒョント地区にあると思うが、一応誰かに聞くか?・・・いや、待てよ」
信康は其処まで言うと、顎に手を添えて思案を始めた。それから少しして、信康はある結論に辿り着いた。
「知らない奴等を雇いに行く前に、先ずは知っている奴等に声を掛けよう。それから人数を揃えても、悪くは無いな」
信康はそう言うと斬影を翻して、ヒョント地区にある傭兵部隊の兵舎へ一旦帰還する事にした。
プヨ歴V二十七年六月二十九日。昼。
信康は傭兵部隊の兵舎に帰還し、真っ先に向かったのは食堂だった。
食堂に入ると既に昼食の時間を過ぎているのか、食堂には人は居なかった。
その御蔭で信康は直ぐに、目当ての人物を探し出す事が出来た。
その人物とは現在、食堂で夕食の仕込みをしていたヴェルーガであった。
「よぉ、ヴェルーガ。精が出るな」
「あら、ノブヤスじゃない。ご苦労様」
信康がヴェルーガに挨拶をすると、ヴェルーガは仕込みの手を止める事無く返事をした。
「・・・いきなりだけど、ヴェルーガに相談したい事があるんだ。仕込みが終わってからでも良いか?」
「あたしに相談?・・・じゃあちょっとだけ、待って貰える? もう直ぐ終わるからさ」
ヴェルーガはそれだけ言うと、仕込みを行う速さを上げる。信康は黙って承諾して、空いている席に座って待つ事にした。
すると、十分もしない内に夕食の仕込みを終えたのか、ヴェルーガは両手に冷水が入ったコップを持って信康と対面する様に席に着席した。
「はい、お水・・・それで、あたしに相談したい事って何かしら?」
「ああ、実はな・・・」
信康は水を一口飲んでから、屋敷を貰った経緯と家政婦を求めている事をヴェルーガに話した。
「と言う訳でヴェルーガを俺の屋敷の家政婦長として、正式に雇いたいと思っているんだが・・・どうだろう?」
「・・・随分と、いきなりな相談じゃない? 使用人組合には行かなかったの?」
ヴェルーガの答えに対して、信康は片手で頭を掻いた。
「言葉も無い。確かに最初はそうしようと思ったんだが・・・どうせ雇うなら、知っている顔の方が安心だからな」
信康は使用人組合の場所が分からなかった事を伏せつつ、一部の事実だけをヴェルーガに伝えた。
「要求があれば俺に叶えられる範囲で、幾らでも聞こう。お願い出来ないか?」
「う~ん。ノブヤスの言い分も理解出来るけど・・・じゃあ、一つ聞いても良いかしら?」
「おう、何でも聞いてくれ」
信康はそれだけ言うと、コップを手に取って水を飲もうとしていた。
「ノブヤスがあたしを雇いたい理由って・・・やっぱり、あたしが欲しいから?」
「ごふっ」
ヴェルーガが口にした質問の内容が想定外だったのか、口に含んでいた水が一部だけ気管に侵入し思わずむせてしまう。
「ごほごほっ!・・・ふぅ。すまんが、ヴェルーガ。何だって?」
「だからお姉さんが欲しいから、家政婦として雇いたいんでしょう?」
ヴェルーガが微笑を浮かべながら、再び同様の質問を信康に訊ねた。口調こそ軽口染みてはいるのだが、その様子は真剣さが窺い知れた。
そんなヴェルーガの様子を見て、信康は思わず頭を抱えた。
(参ったな・・・俺がやってる事って、ザボニーと一緒なんだよな。かと言って違うって言っても、嘘としか思われないし・・・どう言ったものかな?)
信康は心中でそう思案していたが、そうして何時までも沈黙している訳にも行かないので直ぐにヴェルーガの質問に答えた。
「ああ、そうだ。ヴェルーガは、良い女だからな」
信康は正直に、ヴェルーガに思っている事を答えた。しかし続けて、信康はヴェルーガにはっきりと伝える。
「言っておくが、俺は立場を利用してお前を無理矢理手籠めにしようとか、そんな事は一切考えていないからな? ヴェルーガは家事が得意だし、何より料理上手だろ? だからお前を雇いたいんだよ・・・言い訳を並べただけに見えるかもしれんが、どうか信じてくれ」
信康は其処まで言って、ヴェルーガに頭を下げた。
そんな信康の様子を見て、ヴェルーガは左手を口に寄せて苦笑した。
「ははっ。心配しなくても、ちゃんと分かっているわよ。ノブヤスが女好きでも、あたしに無理矢理手出しするかもとか思って無いから」
ヴェルーガはそう言って、信康に頭を上げる様に促した。
そう言われた信康は、安心して頭を上げた。
「あたしはノブヤスに雇われても良いわ。だけどその前に、あたしからもノブヤスに相談したい事があるのよ」
「相談? 良いぞ。取り敢えず言ってみてくれ」
信康は何だろうと思いつつも、力になろうとヴェルーガに話す様に促した。するとヴェルーガは、前置き無く相談の内容を信康に伝える。
「娘のエルとネイも、家政婦として雇って欲しいのよ」
「何? エルストとネイサンの二人もか?・・・そうしてくれるのは、俺としては願ったり叶ったりだが・・・お前はこうして働いているけど、あいつ等は何をしているんだ?」
信康はエルストとネイサンの様子を尋ねると、ヴェルーガは苦笑しながら答え始める。
「う~ん。それが困った事に借りている部屋から、引き籠りっ放しなのよねぇ」
ヴェルーガの話を聞いて、信康は驚いた様子で両眼を見開いた。
その様子を見たヴェルーガが、慌てて弁明するみたいに続きを話し始める。
「別に仕事をしてない訳じゃないんだ。エルは趣味の細工物を作って、それを売ってお金にしてるの。ネイは家事を手伝いながら、エルの手伝いをしてるわ」
「・・・きちんと金を稼いでいるのなら、問題なんて無いと思うがな?」
信康の意見に対して、ヴェルーガは静かに首を横に振って否定した。
「それについて文句なんて無いわよ。だけどあの二人は、揃って人間嫌いが治らないのよ」
ヴェルーガからそう聞いた信康は、エルストとネイサンの二人に悪感情を抱く事など無かった。
自分が住んでいた祖国を滅ぼしたのも人間であり、母親を辱めていたブラスタグスも人間だ。
そんな経験の持ち主では、人間と言う種族に嫌悪感を持っても決して不思議ではない。
「こればっかりは、時間が解決してくれるのを期待するしか無いだろう。下手に口を出したら、意固地になるかもしれないしな」
「確かにあたし達は高位森人族だから、時間なんて幾等でもあるよ? だけど最初から拒絶していたら、時間でも解決出来ないから」
ヴェルーガの反論に対して、それもそうかと信康は納得するしか無かった。
「其処でノブヤスの屋敷で家政婦として雇われたら、少しは人間に慣れてそう言う感情も無くなるかもしれないでしょ?」
「確かにその可能性はあるが・・・逆効果にならないか?」
逆に人間への嫌悪感が増加しないかと、信康は懸念してヴェルーガに意見を求めた。
「其処は大丈夫。ブラスタグスとザボニーから助けてくれたノブヤスの事は、二人も感謝しているから。だからノブヤスならまだ、二人にとっても接し易いと思うよ」
「そうだと良いがなぁ」
信康は心配した様子で、溜息を吐いて席から立ち上がった。
するとヴェルーガも立ち上がって、信康の右腕に抱き着いて来た。
「大丈夫。ノブヤスは心配し過ぎだよ。と言う訳で早速だけど、あたしはこのまま上がるから一緒に娘達を迎えに行こうか?」
「良いのか? まだ仕事が残っているだろう?」
「大丈夫だから、任せてよ・・・エリナー! あたしはちょっと用事が出来ちゃったから、悪いけど後はお願いねー!!」
「あっ、はーい! 分かりましたー! ヴェルーガさんっ! お疲れ様でしたっー!!」
ヴェルーガが厨房の方に大声で話し掛けると、ブルスティの愛妻であるエリナが大声で返事を返して来た。
(そう言えばエリナは無事に住み込みで、食堂の方で働けているんだったな。ブルスと同室も許可されてるらしいし・・・ブルスの奴、良かったなぁ)
ブルスティのやり取りを思い出しながら、信康は静かに微笑んでいた。
「エリナの方だが、食堂では上手くやってるのか?」
「ええ、大丈夫よ。料理も上手だし、皆とも上手くやりとり出来てるもの。偶に言い寄られたりしているけど、旦那さんに夢中だから上手くあしらっているわ」
「そうか、それを聞いて安心したよ(これならヴェルーガを引き抜いても、食堂の方は人員不足にならずに済みそうだな)」
信康はそう思い安心した様子で、ヴェルーガを家政婦として雇う決意を改めて固めた。
余談だがヴェルーガが傭兵部隊の食堂での勤務を辞めた後、エリナが料理長となり格段に忙しくなったそうだ。
しかしそれでもブルスティと一緒に暮らせる幸福を考えれば、別に苦労だとは思う事無く精力的に働き続けた。




