第36話
プヨ歴V二十六年五月三十日。
今日も訓練が休みなので、信康は入院しているナンナのお見舞いに行く事にした。
一応出掛ける旨を、中年女性の管理人とルノワには話してた。
ルノワには何も言われなかったが、中年女性の管理人には「あんまり浮気していると、ルノワに逃げられても知らないよ」と言われた。
その言葉が矢の様に突き刺さったが、気を取り直して兵舎を出た後、まずは花を買おうと、花屋に向かう。
プヨ王国軍アンシ総合病院の近所で、花を売っている店を見つけた。
店に入店すると、見知った顔を見つけた。
「いらっしいま、せ」
何と其処に居たのは、前に喫茶店である妖精の隠れ家で働いていたアメリアだった。
二人は意外な所であったので、少しの間互いを見た。
「・・・・・・・えっと、花をくれないか?」
「は、はい。どんな花を御所望ですか?」
「入院している友人に送りたいから、そんなに匂いがきつく無くて、でも色は目立つので」
「わかりました。ご予算は?」
「そうだな・・・・・・・・銀貨三枚、いや銀貨五枚分くらいで頼む」
「はい。ではお作り致しますので、少々お待ちを」
そう言って、アメリアは花を数本持って束にした。
バランスよく、そして注文通りに匂いがきつくない花を選んでいる。
(この娘、喫茶店カフェの仕事もしていたよな。苦学生か?)
そんな事を考えながら、アメリアが花束を作るのを見ていた。
やがて、花束が出来たみたいだ。
「お待たせしました。こちらになります」
花束を渡された信康は、花の匂いを嗅ぐ。匂いがきついのは無いか、念の為に確認した。
「うん、大丈夫だな。幾らだ?」
「銀貨四枚と大銅貨八枚になります」
アメリアから値段を聞いた信康は、財布を開いて中身を見る。すると一枚の大銀貨が、信康の目に入った。信康はこの大銀貨一枚で、花代を払う事にした。
「はい。大銀貨一枚貰いましたので、お釣りの銀貨五枚と大銅貨二枚ですね」
「・・・やっぱ釣りは要らん。心付け代わりにやるから、取っておいてくれ」
信康はそう言うと、お釣りを受け取らずに急いで花屋を出た。アメリアの性格を考えて、拒否するのは目に見えていたからだ。事実、アメリアは直ぐに信康の言葉に驚いていた。
「お客っ・・・ノブヤスさんっ!・・・ありがとうございましたっ!!」
信康を追い掛けてお釣りを返そうとしたアメリアだったが、花屋を離れられないのでその場を留まった。しかし去って行く信康の背中に向かって、右手の中にある銀貨五枚と大銅貨二枚をしっかり握り締めながら深く頭を下げた。
そんなアメリアの声を背で聞きながら、信康は花屋を後にした。
**********
花屋を後にした信康は、そのままプヨ王国軍アンシ総合病院に向かった。
プヨ王国軍アンシ総合病院の受付に行くと、また見知った顔にあった。
「おはようございます」
「・・・・・・ああ、おはよう」
受付にいたのは、前に見た女の医者だった。
名前は確か、ヴィーダギイアとか言っていた先生だ。
今日はやけに知り合いに会うなと思いながら、信康はナンナの病室を訪ねる。
「えっと、病院の病室にナンナって言う学園生が入院している筈だよな?」
「ナンナ・チョークキーさんの事か?」
「そうだ。そんな名前だったな、そいつの見舞に来たんだが、ナンナの病室は何処だ?」
見舞に来たと言わんばかりに、花束を見せる。
「ナンナさんだったら、二〇二号室だが」
「そうか」
信康はそのまま二〇二号室の病室に行こうとしたが、ヴィーダギイアに制止された。
「済まないが、この書類に名前と来院した理由を書いてからにしてくれないか?」
そう言われたので、信康はヴィーダギイアが出した書類に、名前と来院した理由を書いた。
「確認した。じゃあ、付いて来てくれ」
「うん? 案内してくれるのか?」
「君は入院していたと言っても、そんな歩き回ってないから当院の構造は分からないだろう? それに彼女は私の患者でもあるからね。これから経過を聞きに行こうとしていたところだったから、丁度良いんだ」
本当は密かにこの病院内を歩き回っていて、大体の場所は分かる。しかし馬鹿正直にそんな事実を話す心算は無いので、此処は素直にヴィーダギイアの好意に甘える事にした。
ヴィーダギイアの案内で、ナンナが要る二〇二号室の病室に向かう。
「そう言えば私とした事が、名乗っていなかったな。私はヴィータギイア・アスピオスだ。このプヨ王国軍アンシ総合病院に、勤務している女医の一人になる」
ヴィーダギイアは足を止めて振り返り、信康に手を差し出した。
握手を求めていると分かった信康は、ヴィーダギイアに手を出して握手した。
「俺は」
「知っている。ノブヤスだろう? 私は三日間だけとは言え、君の担当医だったのだよ。それに君の担当看護師だったセーラは、私と親しい間柄でね。彼女は今は看護師として働いているが、医師を目指して勉強中なんだ。私も偶にだが、将来の後輩に勉強を教えているんだよ」
「へえ。セーラあいつ、医者になりたいのか」
「そうだ。何でも幼少期に厄介な病気に掛かっていたそうだが、何と其処で偶然出会った私の師匠である医師に一瞬で治療して貰ったそうだ。その経験からか、自分も医師になって病気で苦しんでいる人々を治すのが夢だと、そう常々言っているよ」
「そうかい」
信康はセーラの夢を知って、応援してやろうと思った。それも心情的にだけで無く、金銭的にもだ。
「私がこの事を君に話した事は、内緒にしておいてくれたまえよ」
「承知した。教えてくれて感謝する」
ヴィーダギイアはそう言って口止めすると、信康も承諾した。それからヴィーダギイアは信康を案内してくれた。そして見舞に来た人物が居る、二〇二号室の病室に着いた。ヴィーダギイアはノックもせずに、扉を開けた。
(って、おいっ!)
流石にノックくらいはしないと駄目だろうと思ったが、扉を開けて何故ノックをしなかったのか分かった。
病室にいる入院患者達は、全員が揃いも揃って何かを食べようとしている所だった。
ヴィーダギイアが入って来たのを見て、その食べようとした物を慌てて隠した。
「ふぅ、私はそう細かく言う方ではないのだが・・・此処に居る患者の皆さんは、塩分摂取量を決められている筈だ。なのに、どうして、皆さんはハンバーガーを食べようとしているのかな?」
「そ、それは・・・・・・・」
「しかも豚肉のカツレツコートレットを挟んだ物とは、塩分だけではなく脂肪も取り過ぎだな」
「せ、先生、どうかご勘弁を・・・・・・」
患者の人達はベッドの上で、平謝りし始めた。
「皆さんは私の患者では無いが、今日で三回目だ。なので今日は没収の上に、後で担当医師に報告させて貰います」
「「「そ、そんな~」」」
ヴィーダギイアは何処からか袋を出して、包み紙ごとそのハンバーガーを回収した。
そして仕切りられていたカーテンをどけると、其処にはトランプを積んでタワーを作ろうと慎重にトランプを立てようとしているナンナが居た。
集中しているナンナであったが、ヴィーダギイアに気付き、カードを積もうと上げていた手がタワーに当たり、タワーが崩れてしまった。
「ああ~、崩れちゃった・・・・・・・」
「ふっふふ、残念だったな。まぁ、また頑張れば良いだろう」
「先生、僕の邪魔をして面白い?」
ナンナは唇を尖らせる。
「私はそんな意地悪では無いよ。傷の経過を見に来たついでに、お客さんを連れて来たよ」
「客?」
「よう、元気そうだな」
ヴィーダギイアの後ろに居た信康は、ナンナに声を掛ける。
「あれ~? ノブヤスじゃないか。何で君が此処に居るんだい?」
「何でって、見舞いに決まっているだろう。この前見舞いに行くと、そうお前に言った筈だが?」
そう言って、信康は花束を見せた。
「わぁ、ありがとう」
ナンナは嬉しそうな顔をする。
「本当は君が来るとは思わなかったよ。忙しそうだし」
「今はそうでも無いな」
訓練自体が無いから、暇だとは流石に言えない。
そう信康がナンナと話している間に、ヴィーダギイアは触診で怪我の具合を確認していた。
「ふむ・・・この傷の治り具合なら、一週間後には退院出来るな」
「先生、それ本当っ!?」
「嘘を吐いても、意味が無いだろう」
「やった~!! もっと長い間病院で過ごすのかと思っていたけど、良かった~」
「ただし、無理な運動をしたら傷が開くかもしれないから、注意しなさい」
「傷が治りかけているのに、運動する人って居るんですか?」
「居るんだよ。なまった体をほぐそうとして、運動していたら傷口が開いて入院が長引いた患者が」
ヴィーダギイアはチラリと信康を見る。
信康は口笛を吹いて、明後日の方向を見た。
「まぁ、無理はしない様に」
「はぁい、分かりました」
それを聞いて、ヴィーダギイアは「私は次の患者の診察があるから、失礼するよ」と言って病室を後にした。
信康は、側に置いてあった花瓶に持ってきた花を入れて、ナンナと話をした。
他愛の無い話をしていたら、時間はあっという間に過ぎて行き正午になろうとしていた。
「そろそろ、昼か。じゃあ、俺は帰るぜ」
「うん、お見舞いに来てくれてありがとうね」
「何っ。これくらい、大した事はしてないから気にするな」
信康はナンナの頭をポンポンと叩く。
「じゃあな」
「うん、じゃあね!」
それを聞いて、信康は病室を後にした。
************
病室を後にした信康は、来たついでにセーラに挨拶しようと思い、受付に向かった。
「ちょっと良いか?」
「はい、何でしょうか?」
「今日はセーラ・アシェンドは居るか?」
「セーラ・アシェンドですか?・・・セーラ主任でしたら、今日はお休みを取っていますね」
そう言われて、ふとセーラが暫く休みを取れたとか言っていたのを思い出した。
(そういえば、そんな事を言っていたな。あの後の事が衝撃過ぎて、忘れてたが・・・・・・)
居ないなら仕方がないと思った信康は、尋ねた看護師にお礼を言ってプヨ王国軍アンシ総合病院を出た。
プヨ王国軍アンシ総合病院を出た信康は、このまま傭兵部隊の兵舎に戻ってルノワを誘って自主鍛錬か、勉強でもするかと思いながら歩き出していた信康。
どちらにするか、或いは両方するがどちらを先にしようか信康が思案していたら、女性の声が聞こえて来た。
「ねぇねぇっ! 其処の外国人のっ、東洋人のお兄さんっ!!」
まさか自分が呼ばれたと思わなかった信康は誰が誰を呼んでいるのかと思い、周りをキョロキョロと見渡した。
「貴方よ、あ・な・た。そっぽ向かないの」
周りを見て外国人、しかも東洋人と言える存在は自分しかいないと分かった信康。
「こっちよ。こっち」
信康は声がした方を向いた。其処に居たのは、橙色の服を来た女性だった。金髪をツインテールにしている。所々にアクセントとして、赤いリボンを着けていた。
年齢で言えば、自分と同様で十代後半の様だ。尤も、自分より年下だとは信康は思ったが。
上品そうな顔立ち。青い瞳。
綺麗な美少女だ。まるでお伽噺に出て来る、御姫様にしか見えなかった。
「何だ?」
「あそこで販売している、氷菓子が食べたいの。買って下さらない?」
その美少女が指差し所には、氷菓子を売っている屋台があった。
普通は珍しい物があるなと思う所だが、そんな事よりも、この美少女の話し方が何処か上流階級みたいな言い方をしている事実が、気になった信康。
(まるで何処かの貴族が、無理に平民に化けて言葉遣いを真似てみた喋り方だな・・・実際、そうなのだろうな。この滲み出ている上品さは、少なくとも平民では無いだろう)
実際この三年間で、信康も色々な国々を渡り歩いている。その際に変わった貴族というのを、何度も見た事があるし知己も得ている。
貴族はどう誤魔化しても、染みついた習慣は消せない。どうしても長年教えられて来た、上品さや小綺麗さと言うものが出て来てしまうのだ。
これまで多くの貴族、時に王族や皇族すらも見てきた信康が思っている事だ。
(折角だから、トコトンこいつの気が済むまで付き合ってやるか。平民に化けると言う事は、少なくとも平民階級を見下している感情が無い証拠だしな。それに下手に逆らって機嫌を損ねたりしたら、後々余計に面倒臭そうだ)
そう思い、信康は自分を見る美少女に訊ねた。
「味は?」
「はいっ?」
「氷菓子の味だが、何が食べたい? バニラとかストロベリーとかチョコレートとか、色々あるだろう」
「あら、買って下さるのね。そうね・・・だったら一番ポピュラーな物を、買ってきて下さる?」
その言葉遣いから、信康は少なくともこの美少女は貴族階級に属する人間だと確信を持った。
庶民が「買ってきて下さる」とか普通は言わないからだ。絶対では無いとは思うが、可能性は低いだろう。
どうして貴族が変装してまで、氷菓子なんか食べるんだと思いながらも信康は氷菓子を二人分買った。何故二人分買ったかと言うと、信康も食べるからだ。
大和皇国にも饅頭や団子、御萩に羊羹などの甘味は存在する。
しかし冷たい菓子となると、大名や公家、大商人などの上流階級でもなければ食べられないかき氷が精々で、氷菓子と言う物は無かった。信康は氷菓子の事を始めて知った時は、落雷に遭った様な衝撃を受けたものだ。
他国では平民には簡単には手出し出来ない程の高級品であったが、プヨ王国では平民でも購入出来る値段に抑えられていると知ってからは、偶に買って食べているのだ。




