第243話
翌日。
エルドラズ島大監獄にある、実質的にオリガの私室になっている所長室。
其処には所長室の主であるオリガの他に副所長のミレイとシギュン。そして所長付き補佐官のアルマとイルヴと言う、エルドラズ島大監獄の最高幹部が集結していた。
「シギュン。身体の方だが、もう問題は無いのか?」
「はい、オリガ所長。特に問題はありません」
「シギュンを最初に発見した看守によると、かなり凄かったって聞いたんだけど・・・意外と丈夫な身体をしているわね」
ミレイは不思議そうに、シギュンを見る。アルマとイルヴもまた、ミレイに同意した様子でシギュンを見ていた。
そんなミレイ達からの視線を受けてシギュンは、ニッコリと笑顔を浮かべながら手を組んだ。
「これも我が神の御加護でしょう。神は私に、力を与えてくれたのです」
「そ、そうね」
感嘆していたミレイは、シギュンの顰蹙を買わない様に心にも無く同意した。
すでに周知の事実だがシギュンは狂信と思われる程度には、光と法の神カプロラリスが従属神であるヴィシュターヌと言う女神を信仰している。
しまいには、事あるごとに入信を勧めて来るので、エルドラズ島大監獄では誰もが辟易していた。
「ゴホン・・・それはそうと所長。受刑者に関する事で、相談したい事があるのですが・・・」
「ああ、そうか。言ってみろ、アルマ」
アルマは別の話を振って来たので、オリガもそれに乗る。
このままだとシギュンが入信を勧めて来ると、分かっているからだ。
「受刑者を開放する人数の割合を増やすと言うのは、本当でしょうか?」
「ああ、その事で、お前達と話がしたかったのだ」
オリガは頭が痛そうかつ、鬱陶しいそうな複雑な表情を浮かべていた。オリガ達が話し合っている議題と言うのは、エルドラズ島大監獄に収監されている受刑者達を運動させる為に雑居房から出す事であった。
エルドラズ島大監獄に収監されている受刑者は人数が多いので、全員と言う訳では無い。
前日に選ばれた受刑者はその日だけ限定的に屋内闘技場と屋外にある運動場で開放されて、どちらかで自由に過ごす事が出来るのである。
限定的にと言うのは朝食を食べて次の昼食の時間まで過ごす午前の部か、昼食を食べてから次の夕食まで過ごす午後の部で分かれており受刑者には選択肢がある。夜間が無いのは警備上の問題から、受刑者が開放される事は無い。
「これまでは人数を制限していたが、プヨからカロキヤの連中まで押し付けられた所為でこれまで以上の大所帯になっている。其処で私は少しでも多く受刑者を開放して、連中のガス抜きがしたいのだ」
オリガが言っているのはプヨ王国内で犯罪を犯した犯罪者だけでなく、最近プヨ王国との戦争で敗北して捕虜となったカロキヤ公国軍の元兵士達の事であった。
プヨ王国は経費削減の為に、これまでの戦争では会得していた捕虜の対応は三つに分かれている。一つはプヨ王国に帰順させて、味方に加えるか。
次に身分や名のある捕虜を、多額の身代金と引き換えに返却する事だ。最後は身代金が見込めない捕虜を、奴隷としてトプシチェ王国に売り渡して来た。
プヨ王国に限らずガリスパニア地方では、そうやって戦争に掛かった戦費を少しでも回収するのが常識だ。しかし肝心のトプシチェ王国がカロキヤ公国と同盟を結んでしまったので、カロキヤ公国から捕虜を得てもこれまで通りに奴隷として売り飛ばす事は出来ず捕虜の扱いに困っていた。
プヨ王国には捕虜を収容する収容所など存在しないので、其処で脱獄不可能と名高いエルドラズ島大監獄に捕虜を押し付ける事にしたのである。
尤もパリストーレ平原の戦いでプヨ王国がカロキヤ公国に勝利した際に一万二千近い総数の捕虜を得ており、好きにしても良いとは言えその全てを押し付けられてしまったオリガからしたら理不尽なとばっちりでしかなかったが。
「正直に所長に申し上げますと、開放する受刑者の人数は増やさない方が良いと思います」
「理由は、あの東洋人か?」
「その通りです」
オリガの問いに、アルマは首肯して頷いた。
此処で言う東洋人とは、勿論だが信康の事だ。エルドラズ島大監獄に収監されている東洋人は、信康しかいないからだ。
「あの東洋人がどんな手段で食料と水を確保しているか未だに分からず、捜索も続けていますが未だに潜伏場所も分かっていません。シギュン副所長を解放し我々に対する予告状を見た限り、虎視眈々と我々を狙っている事は明白です。そんな現状を抱えたまま開放する受刑者達を増やしたら、その瞬間を狙って扇動し暴動を起こすかも知れません」
「アルマの意見はそうか。イルヴはどうだ?」
「そうですね。私はアルマとは反対に、開放する受刑者を増やすべきだと思います」
「ほぅ、理由は?」
「あの東洋人ですが、プヨで傭兵として挙げた戦績や自己申告の経歴を見た限り、武勇に優れているだけでなく頭も相当に切れます。何か仕掛けて来ても被害が抑えられる様に、今日まで少人数の受刑者のみ開放して警戒に当たっていますが・・・その所為で必然的にまだ開放の順番が回って来ていない受刑者は、不満が溜まっているのが現状です」
「ふむ。このまま受刑者共の不満を高め続けて、頂点に達した所を出て来て暴動を引き起こす算段かもしれないと言う訳か」
「その通りです。冷静に考えて見れば受刑者は装着されている魔法道具により、暴動など起こしたくても起こせはしません。でしたら過剰に警戒せずに、受刑者の不満を発散させる方針を提案します。それに万が一暴動が起こったとしても屋内闘技場と運動場の出入口は数が限られており、鎮圧は容易です」
「確かにそうだ。ミレイはどう思う?」
「私はアルマと同じ意見です。今は、逃げ出した東洋人を捕まえるのが大事です。東洋人を捕まえた後にでも、元通りにすれば問題はありません」
「そうか。では」
オリガはシギュンを見た。
(恐らくだが、反対だろうな。そもそもシギュンは、受刑者の開放する時間すら無駄だと言っていたから)
内心で、そう思うオリガ。それはミレイ達も、同様であった。
しかしシギュンの答えは、オリガ達の予想と違った。
「私は開放する受刑者を、増やすべきだと思います」
「「「はい?」」」
オリガ達は全員、シギュンの言葉に目を点にしていた。
「・・・・・・コホン。理由を聞いても良いか?」
全員が驚く中で最初にオリガがいち早く正気に戻り、咳払いをして室内の空気を変えてから訊ねる。
「幾ら牢屋から抜け出したとは言え、たかが受刑者一人に私達が振り回される事などあってはなりません。不覚にもノブヤスに囚われている間にあの男を観察していましたが、ノブヤスは自尊心が高い男でした。私達が警戒すればする程、ノブヤスは調子に乗りますよ」
「むっ」
シギュンの言葉に、オリガは眉を顰める。オリガは自尊心が高いので、受刑者に舐められると言う事実は業腹ものであった。
「ですので此処は思い切って元に戻し、開放する受刑者の人数を増やしましょう。それにそれを逆手に取ると言うのも、一つの手です」
「ほう、どんな手だ?」
「ノブヤスがどんな手段で牢を出たのかは、捕まった私も分かりません。ですがこのエルドラズに何時までも、潜み続ける事は出来ませんしするとも思いません。であればノブヤスに残された手段は、一つしかありません」
「受刑者を扇動しての脱獄か」
「そうです。しかし二ヶ所もあると管理が面倒なので、受刑者に解放するのは屋内闘技場にのみ限定させて、其処に看守を多く配備するのです」
「成程。受刑者の数が増えようと一ヶ所に限定して手間を減らし、あの東洋人が扇動しても対処出来る様にするのだな?」
「そうです。しかしいきなりそうしたからと言って、ノブヤスは直ぐには行動に移らないでしょう。暫くして油断が生まれ始めた隙を狙い、エルドラズ唯一の出入口を目指すかもしれません。参考に月に一度来る補給艦の方ですが、次に補給が来るのは何時でしょう?」
「ふむ。次の補給だが、何時も通り一ヶ月後に補給艦が入港する。今日からだと、二十五日前後に入港予定だ。出入口の方は、変わらず厳戒態勢で監視せよと厳命しよう。それから監獄内の警備だが、其処はどうする?」
「それは死霊と魔性粘液だけで、十分だと思います。牢屋に入れられている受刑者達に、何も出来はしませんよ。後は要所を守る人数と各方面に連絡出来る手段を確保して、ノブヤスに備えておけば良いのです」
「確かにそうね。あの東洋人も、この監獄がどういう構造か完全に分かっていると思えないわ」
「言われてみればそうね」
「私が言えるのはこれだけです。後はオリガ所長の判断にお任せします」
シギュンはそう言って、後はオリガに任せると言う。
そう言われてオリガは目を瞑り考える。
「・・・・・・よし、予定通り、開放する受刑者の人数を増やす。ただし開放するのは屋内闘技場だけで、運動場は閉鎖するぞ」
「「分かりました」」
「では、オリガ所長。これからの方針は、シギュンが言った通りに?」
「うむ。シギュンが言った事を、全面的に取り入れる」
「分かりました。では、各部署に今の事を伝達します」
「頼んだ」
そしてオリガ達は、警備などの事を話し出した。
その話を聞きながら、シギュンは一人ほくそ笑む。信康の為に自分が、役に立てる事を喜びながら。
会議が終了すると、オリガに一礼してからミレイ達が所長室を退室した。
シギュンは自室に戻ると、部屋に備え付けてある椅子に座る。
「ふぅ・・・・・・んっ?」
一息を付いていると、床にある存在が視界に入った。その存在とは、不定形の魔性粘液のシキブであった。
「あら、シキブじゃない。何か連絡事項でもあるのかしら?」
シギュンはシキブに問い掛けると、シキブは身体を広げ出した。そしてシキブの体内から、何かが出現した。
「よう、シギュン。久しぶりだな」
「ノブヤスさんっ!」
シキブから這い出て来たのは、信康であった。信康の存在を認識したシギュンは、嬉しそうに笑みを浮かべて信康に抱き着いた。信康も抱き着いて来たシギュンを、優しく抱き締め返した。
「御久し振りです。Eフロアで御過ごしなのは分かってましたが、こうしてまた御会い出来て嬉しいです。例の計画の方ですが、準備の方は如何でしょうか?」
「後は何時、計画を決行するか決めるだけだ。それは良いとして、久しぶりにお前の顔が見たくて来たのさ。長い間、お前に任せて悪かったな」
「そんな。勿体無い御言葉です」
シギュンは信康が自分を想って会いに来てくれた事実に、嬉しそうに顔を緩ませる。
「それで、シギュン。首尾の方はどうだ?」
「はい。御指示通りに、看守の配置を限定させました。それと補給艦の方ですが、次に来るのは二十五日後です」
「そうか、二十五日後か」
信康はプヨ王国海軍の補給艦が入港する予定を聞いて、顎に手を当てて思案を始めた。そんな信康を見て、シギュンは自身の意見を進言する。
「どうしましょうか? 明日にでも乗っ取り計画を実行しますか?」
「・・・・・・いや。今日から警戒も厳しくなるだろう。急いで事を仕損じる必要も無い。此処は油断も招く為にも、次の補給船が来た日の夜に計画を決行しよう。補給物資の運搬で、疲れて気が緩んだ所を狙うぞ」
信康はシギュンの意見を聞いて、敢えて決行する日を遅くする事にした。
「分かりました。その間にも私は乗っ取りがし易い様に、エルドラズ内を工作しておきますね」
「何から何まで、悪いな。さて・・・手筈は整って来たな」




