第217話
翌日。
ディアサハに敗北して失神した信康は、暫くしてディアサハに叩き起こされ、シキブが用意してくれた食事を食べてから鍛練をしていた。
昨日は酷い目にあったのに加え、敗北したままでは信康の性分的に合わないし、何より信康の矜持が許さない。信康はディアサハを打ち負かさんばかりに、昨日の腕試しの時よりも激しく鬼鎧の魔剣をぶつける。
しかし、信康がどれだけ鬼鎧の魔剣を打ち込もうと、ディアサハは涼しい顔をして余裕な様子で信康が繰り出す連撃を正面から受け止めいなして行った。そればかりか時折適切な指摘すら、ディアサハは信康に行う始末だ。
信康はそんな余裕な様子を見せるディアサハに対して、更なる追撃を仕掛けて行く。
しかし、信康の体力も、無限にある訳では無い。体力が落ちて動作が鈍って瞬間、ディアサハはその隙を見逃す事無く神速の一撃を繰り出した。
「ぐふっ」
信康はディアサハが繰り出した神速の一撃を正面から受け止めるも、衝撃までは押さえ切れずに壁際まで吹き飛ばされてそのまま壁際に凭れ掛かる様に座り込んだ。
Eフロアの壁際まで吹き飛ばされた信康だったが、鬼鎧の魔剣を杖にして如何にか立ち上がる。
尤も、信康の姿はまるで生まれたばかりの子鹿の如きであり、足腰が見るからにプルプルと震えていた。
「頑丈な身体をしているな。やはりお主を儂の弟子にして正解じゃった。感情に身を任せていると思えば、儂の指摘を聞いて直ぐに修正出来るだけの冷静さも保っておる。実に鍛え甲斐がある奴よ」
「お、お褒めに預かり恐悦至極・・・・・・言っておくが、俺がこうして何時までも敗けっぱなしでいると思うなよ」
「ふっふふ。向上心があるのは、実に良い事だ。楽しみにしておるぞ」
信康の強気な発言を聞いて、ディアサハは嬉しそう且つ楽しそうな笑みを浮かべる。その笑顔を見て、信康は思わずドキッと胸が高鳴った。
「さて、今日の鍛錬はこの位にしておいてやろう」
「ん? まだ四時間ぐらいしか、してないぞ? 小休止を入れてから、再開しないのか?」
「そうしても良いのだが、鍛錬と言うものはただ時間だけを掛けてやれば良いと言うものでも無かろうよ。と言う訳で、今日の鍛錬は此処までとする」
ディアサハがそう言うと同時に、手に持っていた槍が消滅した。
信康は力を抜いてその場に座り込み、荒く息を吐いた。
信康も実は限界だったので、ディアサハの判断には内心助かっていたのである。
「なぁ、師匠」
「何だ? 我が弟子よ」
「俺は昨日、師匠の槍に突かれた筈だよな?」
「そうだな」
「何で、何処も怪我をしてないんだ?」
信康が着ている囚人服は斬れていたが、穴は無く身体の傷は何処にも無かった。
「怪我の方は儂が、お主にやったシキブが治したわ。突きについては、この槍を見れば分かるだろう」
そう言ってディアサハは再び槍を召喚して、信康に槍を投げ渡した。
信康はディアサハに投げ渡された槍を受け取ると、刃の部分を見た。そしてどうして昨日の腕試しの際に、槍に身体を突かれたのに穴が開いてない事が分かった。
「この槍、刃引きされてる?」
「そうだ。本物を使っては、いざと言う的に危なかろう。切り傷の方は儂が槍を振るった際の生じた、斬撃によって斬っただけの話よ」
「成程な」
息を吐きながら、信康は理解した。
「所で、話が変わるんだが・・・」
「何だ?」
「小休止したら、Eフロアの受刑者に会っても良いか?」
「会いたいのか?」
「ああ」
元々Eフロアに態々足を運んで来たのも、エルドラズ島大監獄乗っ取り計画の為に、戦力になる味方を増やしたいと言う思惑から、昨日からEフロアにやって来た信康。
なのでディアサハとの鍛錬にばかり集中する訳にも行かず、少しでも早く味方を増やす為にも信康は行動に移りたかった。
「お前の企てに手を貸してやると、最初に言ったからな。別に会うのは構わぬが・・・」
ディアサハは六つある部屋の内の一つを、指差して指定した。
「先ずは、あの独房に行くが良い」
「?・・・あの独房を指定する、理由があるのか?」
「あるから、勧めておる。いきなり手強い所から行くよりも、弱い所から順番に手強い所へ行った方が良かろう」
「確かにその通りだな。その通りなんだが・・・」
「どうした? 何を悩む必要がある?」
信康がディアサハの話で引っ掛かっているのは、ディアサハの言う弱さとは言葉通りの意味なのかそれとも複合的な意味合いが含まれるのかと言う点であった。信康は正直に、ディアサハに弱さの意味を質問した。するとディアサハは、少し考えてからこう答えた。
「単純さや分かり易さで言えば一、二を争うな。肉体的に弱い奴ならば、あの独居房の主より弱いのが二人おるが・・・はっきり言って曲者なのでな。分かり易い相手の方が、お主にとっては良かろうよ」
「・・・・・・そうかい。じゃあ師匠のお言葉に甘えて、言う通りにするよ」
信康は素直にディアサハの助言に従い、指定された独居房を選択する事にした。それから小休止を挟んで息が整えると、手に愛刀の鬼鎧の魔剣を持ちながらディアサハが指定したその独居房に向かう。
「この扉は、鍵が開いているのか? 一つ上のDフロアみたいに、魔法で開ける必要は?」
「不要じゃ。その扉は外から入れるが当然、内側からは出る事は出来ない様に作られている。言い忘れておったが、お主が気絶している間にその刀には、不殺のルーン魔法を付与しておいた。だから遠慮せずに、全力でやって来い。儂は魔法で覗いておるから、安心するが良いぞ」
「・・・分かった」
何時の間にそんな事をと内心で信康はそう思いながらも、扉を開けてディアサハが指定した独居房に入室した。
独居房に入ると天井が高く、室内もかなり広い事が分かった。
この広さだとこのEフロアの独居房一つで、一昨日まで居た一階層上のDフロアの独居房の三つ分の広さがあるなと思う信康。
明かりが無い所為か、薄暗いが何とか見える暗さであった。
そして独居房の奥には、この独居房の主が居る事が分かった。
薄暗い中でも、女性らしい姿形が僅かながら見て取れた。
信康は近付くと事前に分かっていたとは言え、独居房の主は女性だった。しかし女性にしては、かなりの巨体の持ち主であった。
否。独居房の主であるこの女性が、巨体なのは仕方が無い。
何故なら上半身は美しい女性なのに対して、下半身は蛇で背中に蝙蝠の様な翼を生やしているからだ。
どう見ても普通の人間ではなく、亜人類に属する美女だ。
「これは・・・蛇美女か?」
蛇美女とは獣人の一種で、上半身が女性で下半身が蛇と言う半人半蛇の亜人類だ。
人間よりも素早く動く事が出来て魔力も豊富なので、魔法戦士として活躍した逸話が有名な優秀な種族だ。
そして一番の特徴は蛇美女はどんな種と交わっても、自分と同じ種しか生まない女性のみの種族と言う事だ。
なので蛇美女は定期的に男性を攫う又は騙して、里に連れ込んで自分達の共有財産として囲い込む習性がある。しかしその習性を逆手に取って、わざと蛇美女の里に近付いて自ら種馬になる事を望む男性も居たりするのだ。
「でも、おかしいな。確か蛇美女って、翼は無い筈じゃなかったか?」
自身が知る蛇美女の特徴とは一致せず、不思議そうに眼前の蛇美女を見て一人疑問に思う信康。
しかし見た目はまんま蛇美女だから、一先ず蛇美女と便宜上は判断しても良いだろうと信康は思う事にした。
知識不足な自分が一人で考察しても結論は出ないので、信康は後でディアサハに確認でもしようと考えて思案するのを止めた。信康は取り敢えず、眼前の蛇美女に声を掛けて話し掛ける事にした。
「よう。俺は信康と言うんだが、お前の名前は?」
「・・・・・・・・・・・・」
シーという蛇が出す特有の威嚇音を信康に出しながら、蛇美女は警戒心丸出し状態のまま信康を見る。
信康も視線を逸らす事無く、この蛇美女をじっくりと見た。
日焼けを知らない白い肌。臀部にまで伸びた白い長髪。そして下半身は白い鱗の下半身という白尽くめの姿に、赤い瞳の蛇眼。信康は眼前の蛇美女を見て、俗に言う白化個体と言う奴だなと思った。
蛇美女に恥じぬ美しい容貌をしており、豊満な胸を隠す事無く露出している。そしてくびれた腰を持っていた。因みに独居房内をよくよく見渡して見れば、上着のみの囚人服が無造作に転がっていた。どうやら服を着る事そのものが蛇美女にとって違和感があるので、脱ぎ捨てられて等しいものだと思われた。
「名前だよ。な・ま・え。自分の名前ぐらいは、教えてくれても良いだろう」
「・・・・・・」
しかし信康がどれだけ友好的に話し掛けても、蛇美女は一向に喋らない。
どうしたものかと考えていると、蛇美女が自分の尻尾を信康に叩き付けてきた。
「おっと」
信康は難なく躱したが、その間にも蛇美女は詠唱を始めていた。
「魔法!? おい、師匠っ!! 魔力は封じてねぇのかよっ!!?」
信康が動揺してそう叫んでいる間にも、蛇美女の詠唱が続いていた。詠唱が終ると、小さい火玉が幾つも蛇美女の周りに浮かんだ。
「火炎球」
そう唱えると、複数の火玉は信康に真っ直ぐ飛んで来た。
「ちいっ!」
信康は急いで鬼鎧の魔剣を抜刀して、蛇美女が詠唱した火炎球を迎撃した。
蛇美女が詠唱した火炎球は、次々と信康の鬼鎧の魔剣に斬られて消滅して行った。
信康は全ての火炎球を切り払った後、鬼鎧の魔剣の切っ先を蛇美女に向けた。
「俺だから良かったものを、他の奴等だったら今頃、黒焦げの焼死体だぞ」
信康は愚痴っている間にも、蛇美女は詠唱していた。
「・・・そう言えば、師匠も戦う事が大前提みたいな話し方をしていたよな・・・俺は基本的に交渉がしたいのであって、戦いたい訳じゃないんだがなっ!?」
信康はこの独居房の外に居るであろう、ディアサハに聞こえる様に愚痴を漏らした。
『それでは、鍛練にならぬだろう?』
信康の怒声が聞こえたのか、何処からかディアサハの声が聞こえて来た。
声が聞こえたので、信康は反射的に独居房の周辺に視線を移した。
しかし、独居房内には信康と蛇美女の二人しか居らず、ディアサハの姿は何処にもなかった。
『最初に言っておいたであろう。儂は魔法で内部を覗いておると。声が聞こえるのは魔法を使って、お主に聞こえる様にしているだけだ』
「成程。うっかり忘れていたわ」
『まぁ良い。言い忘れておったが、Eフロアの罪人共には好きな方法でお主を試せと言っておいた。それでもし倒せたら、お主の言う事は聞くだろう・・・・・・多分』
「多分かよっ!? これで聞いて貰えなかったら、俺の骨折り損じゃねぇかっ!?」
『これも試練じゃ。精々頑張るのだぞ。我が弟子よ』
「このっ、無責任な事ばかり言いやがってぇ。必ず仕返ししてやるからなっ」
信康の言葉に、ディアサハからの返事は無かった。
しかし信康もディアサハの事など気にしている暇など無く、対峙している蛇美女に勝利するべく気合を入れた。
「あの師匠の掌の中で踊っているみたいで気に食わないが、やってやるっ」
信康がそう言っている間に、蛇美女は再び詠唱した魔法を放った。信康は火炎球の時と同様、鬼鎧の魔剣で魔法を切り払いながら突撃した。




