第19話
「まさかプヨ軍を追撃していた筈のカロキヤ軍が、返り討ちに遭って逆に壊滅の憂き目に遭うとはなぁ。獲物を追っていた側が獲物になって無様に潰走しているとは、実に滑稽極まりない。指揮していた総大将が無能だったのか、それともカロキヤ軍の将軍などこの程度の実力しか無いのか。果たしてどちらであろうか?」
一人の男性は前髪を撫で付けながら、そう呟いた。
その男性の正体とは真紅騎士団幹部である十三騎将の一人、『双剣』のダーマッド・マックラールだ。
歳は二十代後半、細面で貴公子然とした顔で、目付きが猛禽類を連想させる程に鋭かった。
左の腰に短剣と長剣を差していた。
これがダーマッドの異名の由来にもなっている得物だろう。
ダーマッドは真紅騎士団に入団して、まだ月日が浅い。
それなのに幹部級の十三騎将に選ばれるのだから、俊秀と言って良いだろう。
有能ではあるのだが、性格は良くなかった。
矜持が高く、常に人を見下す態度を傲慢な態度を取るので真紅騎士団の中でも嫌っている者は多く居るが、その実力で黙らせていた。
ダーマッドは団長であるヴィランの命令で、カロキヤ公国軍の後を尾行していた。
『ダーマッドよ。お前はこれから自分の部隊一千を率いて、カロキヤ軍の後に付いて行け』
『何故そうするのですか? もう敵は撤退しているではありませんか』
『これが敵の偽装撤退であるかもしれないからだ。もしこれが敵の策であればお前はプヨ軍に攻撃して、味方の撤退の援護をせよ』
『分かりました。敵の撤退が本当の撤退であればどうします?』
『その時はお前の判断に任せる。好きに動け』
『承知しました』
ダーマッドが今率いてきた部隊は、騎馬兵だけで編成された二個中隊五百騎だけだ。
当然の話であるが、後続も勿論存在する。先に騎兵部隊だけで来たので、後続が来るのは、まだの様だ。
この一個大隊規模の騎馬部隊だけで、カロキヤ公国軍の撤退を援護し追撃して来る万を超えるプヨ王国軍と戦い足止めすると言うのは、はっきり言って無謀としか言い様が無かった。
現状での任務完遂が困難なのは火を見るよりも明らかであり、即座に任務を放棄して、退却しても誰も責めたりはしない筈だ。
にも関わらずダーマッドの顔には、自信満々な様子で不敵な笑みが浮かんでいた。
「しかし、私は実に運が良い。まさかここに来る途中であんな奴を見つけられるとはな。これで団長から命令された事を無事に達成出来るだろう」
ダーマッドは首だけ後ろに振り返り、其処に居る男性を見た。
そして、ニヤリと笑った。
それが何であるか知らずに、傭兵部隊は真紅騎士団の目と鼻の先までに接近していた。
傭兵部隊は何時でも攻撃出来る様に、隊列を整えて真紅騎士団の出方を待った。
そうしていると、中央が二つに分かれて数人の男達が出てきた。
その中で立派な鎧を着た男が叫んだ。
「聞け! プヨの雑兵共よっ! 我こそは真紅騎士団十三騎将が一人、『双剣』のダーマッド・マックラールだっ!! 貴様等の部隊長に話があるっ! 私に臆していないならば、堂々と前に出て来るが良いっ!!」
ダーマッドの言葉に、傭兵部隊の隊員達はざわついた。
「あいつが『双剣』のダーマッドか・・・・・」
「噂じゃあたったの一振りで、十人の敵兵を一度に斬った事があるそうだぜ」
隊員達はダーマッドの名を聞いて、委縮していた。
これは士気に係わる判断したヘルムートは、話を聞くため前に出た。
「俺がこの傭兵部隊を率いている、カルナップ・ヘルムートだ! 『双剣』のダーマッドよっ! 話したい事とは何だっ!? 言ってみろ!!」
それを聞いたダーマッドは、笑みを浮かべながら言った。
「ふっ。まさか雑兵共の頭が、あの『プヨの荒鷲』とはなっ!!・・・カルナップよっ! この私と取引をしようではないかっ!!・・・条件はたったの一つだっ! 我らが完全に退くまで、追撃を止めて貰おうっ! そうしたら追撃を中止した見返りとして、こちらで預かっている捕虜を返してやるぞっ!!」
「いきなり何を、寝惚けた事を言っているっ!? たかだか捕虜の一人や二人を返して貰う為に、追撃を止めると本気で思っているのか!!」
「思っているともっ! 我等が預かっている捕虜の正体を知れば、貴様等は追撃を止めざるを得なくなるっ!」
ダーマッドは自信満々な笑みを浮かべながら、パチンと指を鳴らした。
ダーマッドのその行動を見て、隣にいた部下が後ろに合図をした。
そして別の部下が、縄で縛られた一人の騎士を連れて来て地面に座らせた。
「その両眼を限界まで見開いて、刮目するが良いっ!! 此処に居るのは第三騎士団第三部隊部隊長、アルネスト・フォル・ヴァイツェンだっ!!・・・この男はっ! 貴様らの総大将であるロゴスの愛息子でもあるっ! 良いのかっ!? この男を見捨てて我らを追撃してもっ、後に、その事実をロゴスが知ればどうなるか、分からない貴様等でも無かろうっ! この者の命が惜しければ、今すぐ追撃を止めるが良い。さもなければ、こいつの命は無いと思えっ!」
ダーマッドはアルネストの首に、自身の愛剣を当てた。
(これでこいつ等は、簡単にはこちらを追撃出来なくなるだろう。後はカロキヤの敗残軍の撤退が、完了するのを良い)
ダーマッドは此処でアルネストを出したのは、唯の時間稼ぎであった。
こうしている間にも、カロキヤ公国軍は逃げているだろう。その貴重な時間を、少しでも稼ぐ為にこうしている。
プヨ王国軍も自国の貴族、それも自軍の総大将の身内が人質に取られては、簡単に攻撃が出来ないだろう。
(仮にこいつを見捨てても、その判断をするのも時間が掛かるだろう。もし、そうなったらこいつを殺して騎馬の機動力で撤退するだけだ。それにしても此処に来る途中、こいつを見つけた時は神が私に与えた好機と思ったものだ)
此処に来る途中、負傷した敵の一部隊に遭遇したので、軽く蹴散らした。
二個中隊五百騎程居たのだが、アルネストを残して殲滅した。
アルネストは回りの部下が全員討ち取られたのを見ると、剣を捨て馬から下りて命乞いしだした。
それを見たダーマッドは、笑うのを通り越して呆れていた。
騎士と言っても人間である以上命が惜しい。命乞いなど珍しい事では無い。
ところがこのアルネスト達は涙と鼻水を垂れ流して手を地面につけると、『助けてくれっ、金なら幾らでも出す。だから命ばかりは助けてくれ』と懇願して来たのだ。
これがプヨ王国が誇る騎士団の部隊長かと思うと、笑うより呆れるしかない。
ダーマッドは尋問してみると、アルネストはベラベラと軍事機密を話し出した。
訊きたい事を全て聞き終えると、タイミングを計ったみたいに斥候に出した兵が戻って来た。
斥候の報告を聞くと、プヨ王国軍の策略に嵌りカロキヤ公国軍の本陣を攻められ総大将のステファルが討ち取られたらしい。
それを聞いたダーマッドは、捕まえたアルネストを使い追撃を止める策を思い付いた。
即刻アルネストを馬の鞍に括り付けて、カロキヤ公国軍の撤退を援護する為に駈け出して今に至る。
剣を突き付けられたアルネストは、助かりたいが為に恥も外聞も無く大声で命乞いを始めた。
「助けてくれっ!! 貴様等はプヨに雇われている傭兵であろう!? 私を助けてくれたら礼として、プヨの騎士に成れる様に手を回してやる。それだけで無く、謝礼を思うだけ出すから早く助けてくれ!」
それを聞いた傭兵部隊の隊員達だったが、ピクリとも動かなかった。正確には、動けなかったのだ。
アルネストを救出するか見殺しにするかを、判断する権限が自分達には一欠片も存在しない。
現状でその権限に一番近しいのはヘルムートなのだが、そのヘルムートにすら判断する権限があるとは思えなかった。
何も言わず動かない傭兵部隊の隊員達を見て、アルネストは声を張り上げた。
「頼むから助けてくれえええぇぇぇぇぇっ!!! 私は死にたくない~~~~~!!!」
アルネストは、涙を流しながら叫んだ。
「ふんっ! 涙を流しながら命乞いをするとは、恥知らずめが。貴様は騎士では無く、ただの豚だ!」
ダーマッドがそうアルネストを罵倒すると、周りに居る真紅騎士団の団員達もアルネストの醜態を見て嘲笑し始めた。
そんな真紅騎士団の嗤い声を聞いても、アルネストは変わる事無く涙を流していた。
そんな現状を、ヘルムートは何も言わず見ていた。
「さて、カルナップよ。こいつの引き渡しについて、貴様の意見に訊きたいのだが?」
「・・・・・・・少し考える時間が欲しい。それまで待て」
「結構。ではそれまでの間、こうして待たせて貰おう。だが・・・私は気が短い。あまりに長い場合、こいつは見捨てられたと判断する。その場合こいつは最早要済みなので・・・遠慮無く首を刎ねさせて貰おうかっ!!」
ダーマッドはアルネストの首に突き付けた。
アルネストはヒッと悲鳴をあげた。
「其処まで時間は掛からんっ・・・アルネスト殿っ! もう少しお待ち頂きたいっ!!」
ヘルムートはアルネストを見ながら、安心させる様に言った。
アルネストはヘルムートの返事を聞いて、少し安堵した様な笑みを浮かべた。
尤も、アルネストが助かる事をまだ保証した訳でも無い。
都合良く助かると思っているのはアルネストだけであり、自分が見捨てられる可能性を忘れている様にすら見て取れた。
(クソッ!?・・・親子揃って迷惑なっ!! 一体どうすれば良いっ!!?)
ヘルムートは困り果てていた。
個人的に言えば、アルネストの事などどうでも良い。
さっさとアルネストを見殺しにして、徹底的にカロキヤ公国軍を追撃したかったのだ。
しかしダーマッドの言っていた、自分達にとって懸念事項になる内容もヘルムートには妄言と一蹴して斬り捨てる事が出来なかった。
事実としてロゴスはアルネストが戦死したと思い込み、そのショックで失神して、未だに意識を取り戻していない。
もし、意識を取り戻した後に傭兵部隊が愛息子を見殺しにしたと知れば、アルネストを人質にした真紅騎士団では無く、傭兵部隊に怒りの矛先を向ける可能性が高かった。
そうなれば、どの様な大災が傭兵部隊に降り注ぐか、分かったものでは無かった。
「おのれっ!? 何て卑怯なっ!!? 人質を取るなんて、卑劣漢のする事ではないか!」
リカルドはダーマッドの行動を見て、大いに憤慨していた。
そのリカルドの声が聴こえたのだろう。しかし、ダーマッドは涼し気な顔で、リカルドを嘲笑した挑発する。
「生き残る為の手段を、私は使っているだけだ。それの何が悪い?」
「その為には何でもすると言うのか?! ふざけるなっ!! そんな真似が許される筈が無いだろうっ!?」
それを聞いて信康は、何を言ってるんだこいつは? と言わんばかりに馬鹿にした表情でリカルドの顔を見ていた。
「リカルド、此処は戦場だぞ。戦場では、生き残った奴が真の勝者だ。ダーマッドが言う様に、戦場に卑怯だの卑劣だの汚いだのなんて言葉は存在しないんだよ」
「ノブヤスまで、何て事を言うんだっ!!? それが正しいからと言ってっ、それを許す事は出来ないだろうっ!?」
リカルドは心底、ダーマッドの行動に腹が立っている様だ。
(こいつ、本当に傭兵か? こんな甘ちゃんが、良く今日まで生き残れたものだな)
信康は心底リカルドに呆れながら、そう思った。
傭兵と言う存在は全員、戦場で生き残る為にどんな手段でも使うものだ。
その手段の中には、人質を取るなども含まれている。
信康もその人質と言う手段を、何度か使った事はある。
そして苦々しい事に、敵に使用された事もある。
尤も、敵が油断した隙を突いて人質を奪還したり、紆余曲折の末に最終的には敵に人質を取った報いは必ず受けさせて来た。
信康自身、人質と言う手段は好きでは無い。
しかし有効な手段である事は認めているので、敵がこの方法を使っても卑怯とは思わない。腹立たしい事は認めるのだが。
今回においては追い詰められている状況で、良く咄嗟にその手段を思いついたと称賛したい位だ。
自分がダーマッドの立場ならば、きっと同じ手段を選んでいるに違いない。
信康はそう思っても、リカルドはそうは思えないみたいだ。
憤怒の形相で、ダーマッドを見ていた。今にも単騎で、ダーマッドの下へ突撃しかねない。
(このままだと、リカルドが暴走しかねないな。その時は気絶させて黙らせるだけだが、それは最終手段にしたい。はてさて、どうしたものか)
信康は考え込んでいると、後ろから肩を叩かれた。
振り返って見ると、その叩いた人物はルノワである。
「どうした。ルノワ?」
「・・・・・・此度の一件、どうかこの私に任せて頂けますか?」
「任せる?」
「ノブヤス様の御心を煩わす、邪魔者を見事に取り除いて御覧に入れます。ノブヤス様から頂いた、この狩猟神の指環を使って」
「良いだろう。任せた」
「では早速、行って参ります」
そう言うとルノワは、密かに傭兵部隊から離れた。




