第197話
受刑者達の虐殺劇を一人生き残った信康は、オリガの命令で地下二階Cフロアに運び込まれた。
信康は其処にある独居房で、手錠を鎖で繋がれた状態で一人だけ居た。
地下一階Bフロアでは信康以外にも受刑者は居たのだが、この独居房には誰も居なかった。
「そう言えばこの監獄に連れて来た看守は、Cフロアは尋問とは名ばかりの拷問が行われる独房だとか言っていたな」
その刑務官の言葉から察するにCフロアにある部屋全てが、尋問兼拷問部屋となっていると考えた方が良いのかと思う信康。
という事はその内、尋問官か拷問官のどちらかが来るだろうと予想する。
エルドラズ島大監獄の職員は女性しか居ないと言う事なので、拷問官も女性だろうと予想できた。
(さて、どんな女が来るのやら・・・候補で言えば、一人だけ予想出来るが)
信康は来るであろう拷問官に半分予想を付けながら、室内で一人静かに瞑想していた。
瞑想していると、自分の部屋の鉄格子の戸が開く音がした。
其処で、目を開ける信康。
目を開けた先に居たのは、このエルドラズ島大監獄の矯正長の一人であるシギュンであった。
「初めまして、私はシギュン・フォン・デイバンと言います」
矯正監のオリガは尊大な言い方をしていたが、こちらのシギュンは丁寧な口調で話し掛けて来た。
その口調に驚いている信康だが、シギュンは話を続ける。
「オリガ所長の御命令で、この階に送られましたが・・・この階はどんな所か御存じで?」
「・・・・・・尋問とは名ばかりの拷問が出来る所、って言う位しか聞いていない」
「その通りです」
シギュンはそう言って、信康に近付く。
「ですので貴方には拷問を受けて頂きますが、一つだけ逃れる方法をありますよ?」
「はぁ?」
エルドラズ島大監獄の所長である筈のシギュンが、そんな事を言って良いのかと不思議に思う信康。
「普通であれば問題ないのですが、今回は所長の我が儘で此処に来たのです。貴方は刑務作業を拒否していますが、だからと言ってそれだけを理由にCフロアへ送られるだけの反抗的な受刑者ではありません。ですのでこちらの話に乗ってくれるなら、尋問も拷問も行わないのですが、如何です?」
シギュンは笑顔で訊いてきた。
しかし信康はシギュンの提案が、何かきな臭さを感じて仕方が無かった。其処で話だけでも、信康は聞いてみる事にした。
「その話と言うのは?」
「こちらの書類に自署をしてくれれば、それだけで良いのです」
シギュンはそう言って、信康に見せたのは一枚の紙だった。
その紙にはヴィシュターヌ教入信申請書と書かれていた。
「・・・・・・」
その紙を見せられて、言葉を失う信康。
(そう言えばイルヴかアルマが、シギュンはヴィシュターヌ教の異端審問官とかいうのをやっていたとか言っていたな)
もしかして、これは宗教勧誘なのかと思った信康。
信康の故郷である大和皇国には、宗教らしい宗教がない。人気がある仏教の宗派などはあるにはあるのだが、特段強い勢力を持った宗教は無かった。何故なら大和皇国全体が至る所に神が居ると言う、八百万の神という概念が強く根付いているからだ。
なので異国の宗教だろうと、スンナリと受け入れる事が出来た。逆に言えばある国にとっては最高神や唯一神であろうと、大和皇国では八百万の一柱に過ぎない扱いとなる。特定の宗教を強引に布教して広めようとすると、袋叩きに遭うのが大和皇国での宗教事情であった。そんな宗教観を持つ大和皇国に生まれた所為か、信康には神を信じますかと言われても信じはするが信仰はしないと答えるに違いなかった。
「・・・・・・生憎だが、俺は特定の宗教に入れ込む心算は無い。本心ではヴィシュターヌに敬意を抱けない信者など、居てもお前も困るだろう?」
信康はそう正直に言って、シギュンの反応を見た。
「・・・・・・そうですか」
シギュンはそう言って、ヴィシュターヌ教入信申込書を懐に仕舞い込む。
そして、手を翳した。
すると収納の魔法を唱え生まれた黒穴から、燃える炎で熱くなった鉄釜が出てきた。その中には赤く燃える炭と、持ち手の所が木材となっている鉄棒が何本も入っていた。
続けて収納から出したのか、シギュンの手に柄に九つの革紐が付いた鞭を持っていた。
「貴方の正直さには、敬意と感謝の念を捧げましょう。ですが私も、私の仕事を全うしなければならなくなりました」
「・・・前置きは良いから、これから拷問しますと言ったらどうだ? それと断った俺が言うのも何だが、もう少し手順を踏んだりしないのか?」
「それはそれ、これはこれですよ。最初ですから、あまり飛ばさない様に鞭打ちを百回して、その頃には焼きごても熱くなっているでしょう。その後は聖なる水で身を清めてから、鞭打ちを百回しましょうか」
「その聖なる水というのは、何だ?」
「ヴィシュターヌ教の隠語みたいなものです。意味は塩水です」
「最初から最後まで、拷問と来たか」
鞭を打たれ焼きごてを押し当てられた身体に、塩水を掛けるとは正に悶絶ものだ。
「・・・此処は諦めるしか無さそうだな。これで俺が入信しますと言っても、お前は信じないだろう?」
信康も内心では焦りながら、それを表情には出さずにそうシギュンに尋ねた。
これから拷問すると事前に聞かされて入信するなど、自己保身以外の何物でもないので信康は効果を期待出来なかったからだ。
「その通りです。私の仕事を受けるのが嫌で入信して、監獄を出たら信仰を止めおうという考えをもっている不信者は、ヴィシュターヌ教の異端審問員が厳粛を裁きます」
シギュンがそう言うのを聞いて、信康は溜息を吐いた。
「前にもそうして私の仕事から逃れた者も居ましたが・・・その際は我がヴィシュターヌ教の異端審問員が改めて問診し、また入信する様にします」
「それでも断ったら、どうする心算だ?」
「その様な方は神の尊さを知らぬから、その様な事を言っているのです。大人しく神の身元に行かせます。其処で神の尊さを学び、輪廻転生して現世へと戻って来るでしょう」
要約すれば信仰を止めるなら、殺すと言っているのだ。シギュンの態度には、信康も溜息しか出ない。
「そんな簡単に神の身元に行かせたら、神様も仕事に手が余るだろうよ」
「いえ。我が神であれば、これくらいは出来るでしょう。そして神の身元に行かれた者達は、素晴らし者達となって帰って来るでしょう。私達はそのお手伝いをしているだけです」
殺しを正当化させてないかと思った信康。
「それにこの監獄の受刑者達には、死による解放をするべきでしょう」
「要は処分したいだけだろう」
「それについては秘密にさせて頂きます。では」
シギュンは鞭で地面を叩く。
「そろそろ、行います。大丈夫です。この痛みも貴方を真っ当な人にする為の儀式の様なものですから」
「言ってろ。狂信者め」
信康はシギュンの言葉に対して、そう言って呪詛を返すしか出来なかった。それから暫くは肉を打つ音と、焼ける音がこの階中に響いた。
信康は身体中に激痛が走るが、歯を食い縛って必死に拷問に耐え続けた。
どれくらいの時間がたったのだろうか、信康の感覚では分からないくらいの時間が経過した。
上半身の至る所に、打ち身と火傷だらけとなっていた。
常人ならば間違いなく、死ぬのではと思われるくらいであった。
「今日は、此処までとしましょうか」
シギュンがそう言うと、手に持っている物を全て収納の中に仕舞う。
そして、信康の手錠に繋がっている鎖を解く。
鎖を解かれた事で、信康は前に倒れた。
「・・・・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」
途切れ途切れだが、息を吐く信康。
そんな信康にを見て、シギュンは手を翳した。
「光よ。その優しき力を持て、彼の者に癒しを――――――光の癒し」
シギュンは唐突に、信康に回復魔法を掛けた。
傷は見る見るうちに消えていく。
しかしそれに比例して、信康は自分の体力が減っていく気がした。
(なんだ? 力が抜けていく?)
回復魔法を掛けられているのに、何故体力が減っていくのか分からない信康。
そして傷が完全に癒えると、信康は訊ねた。
「何故、傷を癒した?」
「そうですね。上からの命令で、貴方を殺すなと命令を受けているのでとだけ言っておきます」
「上から?」
それを聞いて、信康は頭の中で誰がそんな命令を出したか考えた。しかし副所長のシギュンより上となると、それは所長のオリガしかいない。同じ副所長のミレイとの序列は不明なので、この際は考えるだけ無駄であった。
しかし情報が不足し過ぎて、意図や理由は不明と言う結論となった。
「それに、久し振りに信者が獲得が出来るかもしれないのです。入信するまでは生きて欲しいので」
「笑わせんな。こんな性質の悪い拷問をする教団なんざ、死んでもごめんだね」
「・・・何時までその強気な態度が続くのか、見ものですね。強情を張っていると、本当に神の身元にお送りする事になりますよ?」
シギュンの警告を聞いて、信康は鼻で嗤って一蹴した。
「それとこの魔法は傷が癒えた分、体力を消耗する魔法です。その意味が分かりますか?」
「知るか」
そう言いつつも信康は、拷問が何度も出来る様にする為の処置だろうと予想していた。
そんな予想をする信康を他所に、シギュンは丁寧に教えてきた。
「傷を癒えたら、また私の仕事ができます。此処暫くは矯正監の楽しみの所為で、Cフロアに来る者はほぼ来ないので、入信の申し込みすら出来ないのです」
「じゃあお前は受刑者達を入信させる為に、こんな事をしているのか?」
「ええ、勿論です。罪を犯すから、この監獄に来るのです。少しでも罪を償う為に、ヴィシュターヌ教に入るべきです」
「それはお前の勝手だが、今回は生憎だったな。俺は冤罪だから、償う罪なんぞ無い。そもそも生きている以上は、誰もが何かしらの罪を背負うもんさ。嘘を吐いたり、誰かを傷付けたりしてな」
シギュンの言い分を聞いて、信康はあまりの稚拙な言い分を鼻で嗤って嘲笑した。そんな信康の態度を見て、流石のシギュンも額に青筋を浮かべる。
「・・・今日はこれくらいにしておきます。明日はもっと厳しくしていきますから」
そう言ってシギュンは部屋から出て行った。
体力が減った所為か、身体を動かすのも億劫となった信康。
この独居房には寝台がない。なので、眠る時は床の上で眠る。
失った体力を少しでも回復させようと目を瞑り眠ろうとしたら、何やら美味しい匂いが鼻腔をくすぐる。
信康は顔を上げると、鉄格子の向こう側に、プレートを持った刑務官が居た。
「ほら、食事だ」
刑務官は勝手口から、プレートを部屋に入れた。
プレートには温かいが大して具が無い汁物が入った皿と、パンが三つほどあった。
信康は匍匐で、プレートがある所ま進む。
プレートが手の届く所まで来ると、信康は知る者が入った皿を取り喉に流し込む。
取り敢えず水分補給して、それからパンを食べた。
其処まで食べると、疲労の為か瞼が重くなってきた信康。
仕方がなく、眠りにつく事にした。
眠っていた信康は、自分の身体に何かが纏わりつく感覚がした。
粘り気があり、それでいて温かい物に身体が包まれているみたいな感覚だった。
その気持ち良さに、いつまでも包まれていたいと思った。
同時に、何に包まれているんだと思った。
信康は重い瞼を上げて、自分の身体を包んでいるのはなんだと思い目を開けた。
すると、自分の目を疑った。
何故ならば自分の身体を包んでいたのは、黒紫色の粘りがある粘液であったからだ。
「魔性粘液ッ!?」
信康は魔性粘液を身体から退けようと、疲れた身体に鞭を打って手で振り払おうとした。
しかし魔性粘液の身体に沈み、振り払う事が出来なかった。
このままでは溶かされて捕食されると思ったが、この魔性粘液は信康を溶かす事はしないようだ。
ではどうして自分の身体を包んでいるんだと思っていると、信康はこの魔性粘液に訊いた。
「どうしてお前は、俺の身体を包んでいるんだ?」
しかしこの魔性粘液は、何の反応も見せなかった。逆に言えば敵意も殺意も抱いていないので、信康は警戒を緩めていた。
取り敢えず信康は、この魔性粘液の中から出ようかと思った。其処で魔性粘液の退けてくれと頼もうとしたら、魔性粘液は勝手に離れていく。
信康はいきなり自分から離れたので驚いた。
そして、ハッとなって身体に不調が無いか、確認の為に身体を動かした。
「・・・・・・ふむ。何処も異常は無いみたいだな。寧ろ調子が良くなっているとさえ言える」
信康は身体を動かして、そう感想を独白した。
「もしかして、お前が何かしたのか?」
信康は魔性粘液に問いかけるが、魔性粘液は何の反応を示さなかった。
魔性粘液が何をしたが分からないが、身体の調子を良くしてくれたのだから何かお礼をしようと思えた。
しかし、お礼といえる物がない事を気付く。
「どうしたものかな。・・・・・・ああ、これで良いか」
信康はまだあったプレートの上の料理を目に着けた。
「ほれ。現在はこれしかないから、これで勘弁してくれ」
信康はプレートの料理を、魔性粘液に与えた。
魔性粘液は信康から貰った料理を、直ぐに消化した。
「さて、やる事もないし寝るか」
信康は寝台が無いので、仕方がなくこの場で雑魚寝する事にした。
そうして寝ていると、魔性粘液が信康と床との間に入り込む。
「何だ?」
そして魔性粘液は、何故か寝台の形を作った。
信康は魔性粘液を叩いてみた。
弾力はあるが、それでいて柔らかいという寝台になっている魔性粘液。
「・・・・・・寝るか」
自分の頭ではどんなに考えても分からないと思い、考えるのを止めて眠る事にした信康。
目を瞑ると、直ぐに眠りに就いた。
信康の寝台になっている魔性粘液だが、実は魔性粘液ではなかった。
その正体は魔性粘液の始祖と言われる、不定形の魔性粘液と言う存在であった。
魔性粘液の始祖と言われるだけに、不定形で形を留めていない。対照的に魔性粘液は色や形の変化に限界がある。
そして不定形の魔性粘液の脅威は、魔性粘液如きとは比較するのも烏滸がましい程の脅威だ。不定形の魔性粘液の等級は最高位等級のSS級に分類される、伝説級の魔物なのだから。
そんな存在が何故信康の下に居るのかは不明だが、後に信康はこの不定形の魔性粘液との出会いをこう語る。
『あいつと出会えたお陰で、俺はこの先の生活がかなり楽になった。あいつ無しの生活なんて、考えたくも無い』
この不定形の魔性粘液は後に信康から名前を与えられて人型になるまでに至り、信康の便女筆頭と呼ばれる程の超重臣として信康に仕える事になるのであった。




